うんすいにっき下
雲 水 日 記
三、井上義衍老師
開枕後こっそり帰って来ると、げあい中のわしの部屋に灯が点く。
維那和尚だ、さあ大変、
(なにをちんちくりんめ、四の五の抜かしたら一発。)
尻ぶんまくって入って行くと、持参の火鉢にあたり込んで、維那雪溪老漢、
「お帰りなさい、外は寒かったでしょう、火がありますよ。」
と云った。振り上げた手の置きどがない、その火鉢のまん前に坐って、気がついたら、際限もなく喋っていた、「今の世本地風光というのか、人の本当などありえない、そりゃ痩せがれ、ねじくれも本当ならだけど、そんなもん見性したって、ー 」
とか云うらしく、モジリアニはどうのルノアールが失敗作で、詩人リルケは雲母の欠片みたいな詞を、そのまあ幕し立てることは、テープにでも取って、後で聞かされたら、幾つ穴があってもというやつ、
「はいそうです。」
「いえあなたはすばらしい。」
なんたって相槌を打つ、煮ても焼いても食えない、すっかりほだされて、つい向こうの云うことを聞いていた。「そうです、死んだものはもう蘇らないんです。」
妙に説得力がある。
「たしかにここには、思っていることをずばり云えない雰囲気があります。」
「そうなんだ、どうして無字なんだって、だれもなんとも云わないで無字だ。」
「さぼっているからです。」
はてないったいこの人はなんだ、大衆にもさっぱり人気はないし、堂頭さんも単頭老師も問題にしていない。
嫌われ者雪溪老漢。
そう云えば暮れの大掃除の時、先代、神さまとも云うべき大雲祖岳老師の頂像があったのを、
「どうですこの人はえっへっへ。」
と笑って、顰蹙を買っていた。
お盆の手伝いに来た時に、お施餓鬼の慣らしに大小無数の蚊が食う、パンツの中まで入り込む、
「動くな、蚊が食うぐらいがなんだ。」
と叱咤する、たしかにご自分は微動だもしない。
「維那和尚雪担さん来てからやらかくなったなあ。」
と雪元老人が云った。
「わたしにもわたしの仲間があるんですよ。」
ぽつりと云った。
小冊子を持って来た。夢想という表題、小柄な和尚の写真があった、井上義衍老師とあった。
一瞥する、
「だからこういうんじゃない、言葉の幅がない。」
わしことに夢中。
「あっはそうですか。」
雪溪老漢冊子を取る。
二三日して旦過寮にだれか居る。後輩が来た。
鐘司を卒業出来そうだ。
我がものに非ざるといふ雪月花知れるもなしや雪月花
なんぞこれ捨身施虎なる釈尊の知るや知らずや元の木阿弥
「上げ膳据え膳ででん坐ってられるとは、ありがてえ。」
と云って、のっこり大坊主が出て来た。大心和尚という、かまわないからとっつかまえて、風呂焚きやらせた。くせの悪い五右衛門風呂で、底板こじあけて、漆桶底ぶち抜いちまったことがある、あの時は困った。
大心和尚魔術のように焚き沸かす。
拭き掃除掃き掃除、風の吹き抜けるような、あとをつや光る。
雲水生活十何年、
「恥んずかしいったらさ。」
と東北出身、喧嘩ばっかりの化物僧堂がぴったり納まる。
「なんで発心寺へ来た。」
と聞いたら、
「わし堂頭さんに用事があって来たんじゃねえ、維那和尚とこ来たんさ。」
と云った。
ふうん変なやつだ、酒には目がないらしい、
「おれおごる。」
と云って引っ張って行った。おごられたら必ず返す、飲むほどに酔うほどに、
「そりゃおおかたやってるやつはいるけどさ、あんなにぴったりやったな珍しいんだぜ。」
雪溪和尚はさあという、
「そりゃ微妙な差たって、ころっとやられるっきりよ、どうもならん。」
へえなんのこっちゃ、
「無字の公案ていうのどう思う。」
「うっはっは特攻隊じゃあるめえし、とっかん突っ込めたって、人間そうは行かねえもなそうは行かねえ。」
そのとおり、
「じゃ他に方法あるんか。」
「方法っておまえ道元禅師のむかしから只管打坐に決まってるじゃねえか。」
幼稚園ていうやつか、ばか云え、
「もとこのとおりなんだ、どっこも悪いとこねえってより、いいもわるいもそれっこっきりそのもの、直指人身ていうだろうがさ、坐ったら坐るこっきりの他ねえの。」
「じゃなんでうまく行かねえんだ。」
「自分で必死こいてうまく行かねえやってるからさ。」
まあそういうこったなってわけが。
「そりゃ人一箇同じだって、発心寺の欠陥は早く許し過ぎるってとこにある。」
ともあれ施設する。じきに制中、僧堂に帰った、蒲団を引っ張り出して、寝入ったとたんぱあーっと開ける。
「おう。」
と云うと、大心和尚、
「おう。」
と答える。初体験の全体開けるふうが、
「明日を待って雪溪老漢に挙せ。」
という、開けは開けたが、どこかに、
(これではない。)
という。それにどういうわけか、雪溪老師には云い出でにくい。
三日めに塞がる。
「一つ開けてまた閉じたな。」
と大心兄。
長長し夜は明けてぞ発心のしくしくこれが春の雨降る
しくしくに春の雨降る蒲原の芽吹く柳生によそひて行かな
ともあれあいつは隠しごとをしている、どうあったって聞き出そうとて、再三飲みにつれて行く、進退のさっぱりしている男で、一生の付き合いに、結局こっちが面倒を見られる始末が、
「そうなんだ、諸龍像が泣いたぜ、禅師の弟子や沢木さんの子飼いや、岸田維安の弟子とか、錚々たる連中がさ、出家の和尚だぜ、全国から馳せ参じて。」
とうとう白状する、
「それがさ、せっかく只管の消息を手に入れて帰ってみりゃ破門だ、どこの馬の骨とも知れぬってな。」
「肉食妻帯もしている、小寺のじっさでなあ、狐狸にたらかされおってって、それでおしまいだ。」
涙と共に語る、
「たといどうあろうと、滴滴相続底よ、戦後のあのもののねえとき、伝え聞いてやって来て、いつんまに僧堂になった、托鉢して歩いたって、そりゃ知れてらな、道端に玉葱落っこってた、それ拾って来て真ん中に置いて、みんなでむしって食った。」
玉葱僧堂だと理想社会だ、只管打坐がどうのより、そっちのほうがぴんと来た。
「どこだ、教えろ行く。」
大心和尚我に返った、
「いや、いまにな。」
それっきりどう押しても出て来ない、なんせ堂頭さんの弟子たらかしたとあっては、それは。
のれんに腕押しをわしは食い下がった。
制中になった、大心和尚を慕って、これも上背のある大坊主、量基和尚が安居して来た。雪溪老師は講師になり、永平寺から帰って来た、玄鳳さんという人が維那になった、玄鳳維那一睨みで大衆を黙らせる。
僧堂らしくなった、
「こんなんなら一生いてもいいぜ。」
脳天気に思ったり。草むしりも薪作務も楽しかった。
玄鳳和尚小浜の顔で、とんでもないご馳走食わせに連れて行ったりする。すっかり仲良くなった。
一に柴を運び、二に石を担いする、他なしにといって、切れない鋸に薪を伐き、セメント袋担いでひっくり返ったりも思い出す。
四月の摂心には、願い出て無字を返上、こっちは只管打坐のつもり。
「雪担さん、もっと効果のあるものをやりなさい。」
二日めには単頭和尚がせっつく。一度二度独参をさぼっていると、「行かないのなら、私にも考えがあります。」
という、すわ殺されるとばかり、喚鐘に取っ付くと、ふっと抜け出る、
「なあるほどこういうのもあるか。」
と思うとからに、元の木阿弥。
一生を不離叢林の思ひ入れ良寛和尚のこは修行とふ
釈尊は一所不定の八十年仏足石がその辺に乗れ
「もういい玉葱僧堂へ行く。」
無字をやらされて、大心和尚にせっつくと、
「そうか、じゃ雪溪老漢に聞いて来る。」
という、雪溪老漢の返事は、
「ここでもやれます。」
というのだった。
昼休み裏の墓場で、大心和尚と量基和尚が話す、
「たしかにわしもあったです、ものみな失せてどっとこう。」
「ふむそれで。」
「老師はそうやって見い見いしてけばって云う。」
「ほんとうに行くってどういうことかな。」
と云う。
わしはと大心和尚、かつて発心寺にいた、
「柱開の間坐っておった、そうしたら大梵鐘が鳴る、どわっと体ふっ消えちまった、手も足もねえって立とうたって立てねえ、それ持って独参に行ったら、堂頭さん魂消て、大見性だ大見性だ云う。」
「ふうん。」
「だからってそれ、雪溪和尚に挙したら、あなたはそういうこと云ってるから駄目なんですよって云われた。」
摂心になった、二人和尚何かやっている、量基和尚柱開に坐って、大心和尚、
「まだまだ。」
という、
「行け、今だ。」
量基和尚独参する。
わしも独参に行った、
「これ何をしておる。」
と堂頭老師、
「こないだ来た新到、なんてったかな、ついさっき見性したぞ。」
と云う。そうかとわしは大心和尚に取っ付く、
「玉葱僧堂へ行く。」
だれがなんと云おうと、雪溪老漢も頷いた。
「雪担さんあんまりぶっ叩かれてかわいそうだ。」
という、それは、
「間違った宗教ほど恐いものはない。」
なと思い込んで、ぶっ叩かれると、
(この野郎。)
振り返ったりするもんだから、単頭和尚、
「ほっほうこれは面白いもんが出来る、ようし。」
てなもんで、めったらぶっ叩く。敵もさる者、いつのまにか無字になって来る、
(えいこんなんだめだ。)
慌てて抛つ。まあ阿呆なことをやっていた。
電車の道順や餞別と紹介状、雪溪老漢は万端手配する。
「行っていろ、あとでわし行くからな、こうなったらしょうがない、一切面倒見よう。」
大心和尚がいった。次の独参堂頭老師に、しばらくひまをくれと挨拶した。
今生は毒を食らはば皿までのなんたるこれが求道といふぞ
風吹けば月にいさよふ孟宗の騒々しさも流転三界
四、玉葱僧堂の末裔
死んだって文句も云えぬ、戒厳令下の僧堂摂心を抜け出した。でかちゃんがのっこり歩いている、危うく交わして電車に乗った。荷物は大心和尚が纏めてくれるという、着流しの衣に絡子に頭陀袋、ひげは剃らぬまま、下駄履き、
(若し会いに行って本物でなかったらどうする。)
これが最後だ。母と弟になんと云えばいい、
(もうどこへも行けぬ。)
一夜まんじりともせずに、電車を乗り継ぐ。
早朝浜松の駅に着いた、云われた通りに電話する、
「電話じゃわからんで、まず来てみなさい。」
切り口上の、学者のような口調、
(学者じゃどうしようもねえ。)
バスに揺られて三0分、茶畑の中を行く。山寺という愛称の通り、こじんまりした寺に山門ならぬ、冠木門があった。
玄関に白衣着流しの、たくましいというか、どっか田舎じっさみたいな人が立つ、やけになって、いきなりぶっつけた。
「座禅はなんの為にするんですか。」
「もとこのとおりあったものが、いつのまにか自分でも知らぬまに、おかしくなってしまっている、それをもういっぺんきしっと元へ戻す。」
問い終わらぬうちに答えが返る、壁のように八方虚空から、
「信じろと云われました、どうしても信じなけりゃいかんですか。」
「信じようが信じまいがもとこのとおりにある。」
あっはっは信は不信の始まりというが、
「このままでいいっていう、それをどうして修行だのなんだのいう。」
「このままでさっぱりよくないといっている自分を忘れる。」
こりゃとんでもないものがいた、まるでカフカだというからおかしい、
「わたしは長い間文学だの音楽だのいう、やくざなことをして、ゲーテはゲーテの世界ピカソはピカソの風景という、百人百様のその上そいつが破れほうけて、目茶苦茶というかどうもならんのですが。」
しまいそのように聞くと、
「しばらくほっといたらいいです。」
と云った。
「ほらこうあるこれっきゃないんです、とやこうのことは嵐や木枯らしのように納まるんです。」
父に会えた、わしはそう思った、語の響きであったか、ほとんど話はちんぷんかんぷんだった。ともあれ長い遍歴終わる、出家前からの遍歴に違いぬ。
参禅を許されて、門前にある阿弥陀堂へ入った。屋根が破れて月光が降る。
雨をしのぐ部屋には、夜具一式と鍋釜茶碗に、五合の米と味噌醤油があった。ビニールに包んできしんと納まる。
(玉葱僧堂の先輩だ。)
目頭が熱くなる。
破竹の林があった、筍を取って三日食いつないだら、大心和尚が来た、我国最後の雲水という、さっそうたる行脚姿、
「どうだ。」
「うん。」
「なにいここへ来てまだ文句云うってんなら、そんなもんわしら知らねえぞ。」
「違う。」
感極まってさと、和尚は老師に挨拶に行く、浜松龍泉寺井上義衍老師、にこにこ帰って来て、
「ここは手狭だ、下にもうちょっとましなとこあるから行こう。」
と云った。
大海の浜の真砂の一握の正師に会へりこの我にして
月かげの階を拭へる阿弥陀堂破竹も夏の勢ひにして
それは無住になった黄ばくの寺であった。この辺り土葬の風習があり、寺にはお骨のない空墓が建ち、別に土饅頭の塚所がある、つまりその守り寺であった。土饅頭が半分崩れて、ごん太いわらびが生える、大心和尚と二人、よくそれを取って食った。
竈があり台所がある、ここもまたよく整頓されて、鍋釜茶碗類、二つの部屋には、夜具もあり蚊帳があった。
電気はなかった。
掃除して、坐る所と部屋を決め、届いた荷物を片寄せて、
「では落ち着きのいっぱいやっか。」
「おれ酒買う。」
わし肴買おうといって、じき下のなんでも屋へ行く。
蚊帳を張って、入り込んで月の明かりに一献。
明くる朝はでん坐る、
「首つながったんだぜ、もう四の五の云ってるひまはねえんだ。」
大心和尚、坐ったっきり動かない。
「飯の支度を。」
「いやわしする。」
どっか掃除をたって、いいや任しとけ、一柱も三柱もあったもんではない、とにかく本人が坐ったきりじゃ、さぼるもわけにもいかん。
からんころん下駄履いて、県道を独参に行く。
型通りお拝するには、
「いいからもそっとこっちへ来なさい。」
春風駘蕩と老師、茶所のいいお茶を煎れる、その急須と茶碗を示して、
「どっちが大きいです。」
と聞く、どっち大きいたって、ー
あるいは、
「どんな色してます。」
と聞く、そりゃもうこげちゃ色で、二度三度するうち、色もなく大小なく。
ふっとけだるいような、
「いやなに、ちょっとこれのありようを見させてやろうと思ってな。」
後に老師は云った。
中古の自転車を買った、それに乗って銭湯へ行く、駅まではまた遠かった。お粥には昆布といって、浜松の街まで買い出しに行って、帰りに映画を見た。
「飯田とう陰さんも映画好きでさ、小浜の映画館抜け出しちゃ行ってたって。」
あれほれどうなってんかな、向こうがこっちんなっちゃってこう動いてんだ。
てなわけには行かず。大顯とう陰大和尚、発心寺亡僧ふ吟にたしかあった。いろんな伝説が残っていた、一転語人に云われると、ああ烏が鳴くと云った。門前にむしろ掛けして住んでいた。朝っぱらから酒を飲んでいる、雲衲が註進に及んだ、飛び出して来た祖岳老師、一睨みでいすくんじまったなと。
只管打坐を老師に伝えた人である。
草むしりをしていると、
「はて。」
という、なにをするかわからない感じ、井戸の水を汲む、汲み終わってから、
「あれ、水を汲んでいた。」
と気がつく、清水のようなものが走る。老師に挙すと、
「むろん後の方がいい。」
と云った。
劫来の漆桶底と我れは云う清風過ぎね夏いや茂み
先頼む椎いは揺れじ我れ揺れて雲いに似てや雲い流らへ
摂心は隔月にある、山寺の摂心には魂消た、坐ったらだれも動かない、柱開もなけりゃ食事やお経あるまで、でん坐ったっきり。
こっちはトイレ行くふりして、なにしろさぼる。大心和尚は始めての時、なにをこなくそうとて先輩達と同じに坐って、
「もうこうんなになっちまってさあ。」
と、どうにもおかしくなった。大心和尚らしい。
あるとき摂心に妄想が出て困る、よしこれをなんとかしてくれようとて、やればやるほどに妄想盛ん、三日四日真っ黒けになってやっていて、もうどうにでもなれ、お手上げ万歳したら、ぱあっとなんにもなくなる。
なんにもないという、心意識が失せたんではない、それを取り扱うものが失せた、ぽっと出ぽっと消えると老師の云う、一つことになった。
皆由無始貪嗔痴、取り払い取り去り生まれ変わり死に変りという、旧来の教えを免れること、これを証する。
「そうかい、でどうなんだ。」
大心和尚に云われると、たしかに、
「どうなんだ。」
と問い返す他なく。
「えいめんどうくさ、映画見に行こ。」
と云って出かけて行く。
老師提唱はさっぱり分からなかった、次に講台かちんとやるぜ、ほうれやったとか云ううち、なるほどと頷く。
「目を開いて相を見る、こりゃいいようなんだが、そうじゃない、自分がどういうものかと観察する、ではその自分如何という問題です、あるいはまったくの嘘なんです、相というたとい何相であっても、そんなものありっこないんでしょう。心は境に随い起こる、いいですか心といったって、もと自分のものなんかない、いえ自分のもの目に見えないんです、異論諸相としてこうある、世間そのものです、囚われている何かしらあるんです、いったんそれを去って下さい、心虚無境、境処無心を知って下さい。」
たとい分かったってたいていなんにもならない。
いろんな人がいますよという。電車に乗ろうとしてどうにも乗れなかった、向こうの動きが同じになっちゃうんです。酒を飲んでいるのを見てたら、こっちが徳利持ってこう飲んでる、自分はどこへ行ったってアッハッハ慌てて捜す人とか、ですから割合坐中には少ないんです、坐ったあとこう構えるのが外れるんです。
人真似したってそれは駄目ですよと。
臘八になった、何日めかにまた、
(おれがおれになった。)
という不思議な。
薬石後在家がよったくって、老師を招いて坐談する。老師はいきなり、
「雪担さん、どうですそれでいいんでしょう。」
と聞く、
「はあ。」
「でもちらと残っている気がする。」
その通りであった。
残るは修行が足りぬと、そうではないちらとも、
「ある気がする。」
のだ。臘八総評に老師は、
「大心さんはいい線を行く、雪担さんはちらとも気がついた。」
と云った。
雪月花来たる如しの如来かな洞然太虚これを得るべし
人みなの苦労もなしや底抜けぞ流転三界雪月花せむ
大心和尚、東北は岩手の産、両親が相次いでなくなって、子供三人それぞれに引き取られて行った。
「心配すんな、高校ぐれえは出してやる。」
というのを、答案を白紙で出して近くのお寺へ行った、頭を剃って貰った、どうしても死んだ両親に会いたいという、その思いであったと。
奥の正法寺と云われる正法寺細川石屋老師の弟子になる。師は禅師の位を抛ったという剛直、
「おまえのような者をこそ待っておった。」
と云った。坊や坊やと可愛がられた、またそれによく答えた、嗣法は血書し、遙拝また一千拝、如法に行なうあとに、ひまをくれと云った。
どうしても求めたいことがある、行脚に出るという、
「ばかったれ。」
あんなに怒った師を見たことはなかった、三日も室を出ずという。大心和尚諸方遍歴ののちに、浜松に至る。
「いやへんなのが、のこのこ歩いてるんだ、可哀想だ呼ばってやれつってな。」
と、後に禅師になった板橋興宗老師がいった、それは玉葱僧堂の托鉢だった、
「先輩方理想だと思ったぜ、そりゃ今でもそう思う。」
と大心和尚。参じ去り参じ来たって、十年になんなんとする、
「老師のもとをはなれたらいかん、無駄な時間が多かった。」
ついに得ようとする。
手縫いのふっさりとしたお袈裟を持つ、嗣法の印である。毎朝それを塔けて東へ、奥の正法寺へ遙拝する。
高校中退の大心和尚と、大学裏表のわしと、なにしろわしは坐るに飽いて、
「いっぺえやっか。」
といっては議論を吹っかけた。ついぞ勝てた試しがなかった。
「おまえはしょうがないやつだ、別々に暮らそう、向こうへ行け。」
という、仕方ないまた阿弥陀堂の住人になる。時として行ってみると、三日も坐ったまんまでいたりする。
銭がなくなると二人托鉢に行った。
白河の関を越えたり今生の心は奥の正法の寺
しらたまの酒を酌みては月に酔ひ花に歌はむ正法の寺
五、降り積もった雪が流れ落ちる
禅師総持寺貫主になった板橋興宗師は、摂心のたんびに来てよく坐っていた。
「規矩なしをもって規矩とする。」
という玉葱僧堂創始のお一人である。なんせ後輩が威張っているという、前代未聞の僧堂でー本当の行なわれる所はたいていそうである、先輩はたとい知ったかぶりなどしない、若いのがいいようにあげつらうのを、
「うん見込みある。」
と云って聞いている。懐の深い人であった、
「おまえら、宗門はどうの禅師はどうの云ってるがな、そんなら宗会議員ぐらいなってみたらどうだ。」
と云って、とうとう禅師になった。道を専一といういいことしいとは違う。
雪溪老師は同じお一人で、大悟した時に老師を逆さに吊るしたという、本当ですかと聞いたら、
「うんやってやったい。」
と云った。
「何度でも同じところへ行く、老師はいいいいとだけ云ってらちあかん、こんちくしょうめって思って、ある時摂心に無茶苦茶に坐った、そうしたら飯台に、手に持ったお椀の中にころっと入っている。」
たいていおとなしい人だのに、そういえば発心寺を継ぐ時は、尋常の人のはるかに及ばぬ、我慢というか、大力量を発揮した。
青野敬宗師は臨済にその人ありと知られ、老師の辺を伝え聞いて、
「どこの狐か狸かひねり潰してやる。」
といってやって来た。いきなり問答連発をもってぶっつけた。老師はにっこり聞いていて、しまい、
「そういうおまえさんはどうだ。」
と云った。さすがに他の凡百とは違う、深く感じ入って参ずる。半年余り、
「これしき悟らでなるか。」
といって、竹藪に古井戸がある、飲まず食わずその上に坐って、悟れずば死のうという、ついに悟った。
「涙ながらに話したことがあるの。」
と、山寺のおばあちゃんが云った。敬宗師には小指がない、大阪の問屋であった。倒産して一家離散、母は苦界に落ちたという。預けられた家を抜け出して会いに行った、一足違いで死んでいた。引き返し出家させてくれと云った。
「そんなことは云うな、必ずいいようにしてやるから。」
というのを、十六の年であったか、小指を切って差し出した。ついに頭を剃ったという。 何人もの、
「わしはなんというぐうたらか。」
と思う他ない話があった。
雪溪老漢は、悟りを得て帰って行って、縦警策を食らって、すんでに死ぬところであった。
大雲祖岳老師といい、ほんとうのことがわからない。せっかくの悟を私する。沢木興道老師は、仏教のぶの字も知らぬ、ほんとうのことより、商売とまあ、それらしいふりに終始する宗門に、利用された。
今生を出家してなほ悟らじや死なむとぞ思ふこは空井戸の
破竹かな底なし井戸に茂みあへ無無明亦無無明尽
老師は寺の次男坊であった。立職して帰って来たら父親が云った。
「蚯蚓切って両断と為す、仏性奈辺に在り也。」
みみずを切って二つにした、どっちに仏性があるというのだ、さあわからなくなった、馬鹿といおうか、二十六の年までまっしぐら、
「事として解からんこたなかったです、名古屋の覚王山に安居してたですか、師家がなんでやって来ぬというから、行ってなんでもかんでも解いて見せた。師家はあてんならずといって、何人か語らって山で坐っておった。」 という、たしかに風動幔動の則、旗は動かずこっちがこう揺れている、だがそれを観察するものがいる、
「あれはいつだったか、未だに思い起こせんのですがね。」
と云った。当時流行りのレビューが来た、みんなで見に行こうという、あんまり行きたくはなかったが、ついて行った。レビューを見ているうちに忘我。
「あれは不思議なもんですよ、なんにもないのに物みなこうある。」
これのうして今日のわしはありえなかったと。
だが鑑覚の病という、悟ったというそれを持ってしまった。もう一度大苦労せにゃいかん。天下取ったという恐いものなし、当るを幸いのし歩いて、師家の三人も気違いにしたなと。
法話の席に飯田とう陰老師の前座を勤める、「なにこっちゃとう陰さん何するものぞってな、前座長くなって、汽車の時間あるで、とう陰さん帰っちまう。」
公案をいっぺんに使うなというぐらいで、とう陰さんも手が付けられなかった。ようやくに気がついて参ずる。夜討ち朝駆けであったらしい、
「とう陰さんはなんたって、官員さんの奥さんだろうがぶん殴る、病気で寝ているの起きて来てぶん殴る、わしは殴られたって平気なもんじゃから、むきになってなアッハッハ。」 と云う、ずいぶん長い間かかった、ここに坐っておってな、目白の一筆啓上の声に本来を知ると。
飯田とう陰老師、東大医学部インターンの時に、明治の始めか、コレラの大流行であった、目の前に人がばたばたと死んで行く、
「医学の他に人を救うものはないか。」
といって、禅門を叩く、
「いやあの人は坐中にやったです、卻って珍しい。」
老師は云った、痛烈にぶち抜いて、イギリスの哲学者スペンサーを説得に行こうと思った、だが待てよといって諸方参じ歩くうちに、南天棒という臨済の大物に出会った。
「無と云わずになんて云う。」
というのにひっかっかって、由来十八年南天棒に師事する。あるとき会下の高足と話すのを、心ならずも漏れ聞いた。
「飯田居士ももうずいぶん長い、そろそろ許してやったらどうか。」
「うんそうしようか。」
と云うのだ。
「自分で自分が許されぬものを、なんで他人が。」
とう陰老師憤然として袂を分かつ。
独力で只管打坐を復活させる、この人のうては今日に伝わらなかった。
清々や嘘八百のふんどしを脱ぎ捨てたりゃあ恐いものなし
死んで死んで死に切って思ひのままにするわざぞよき
老師に日泰寺覚王山僧堂師家の話があった、副貫主猊下の親族を説得した故にという、
「そりゃ称号ばかりの。」
と大心和尚苦労人の、心配した通り名だけのものだったが、老師は、
「報恩底じゃ。」
という、悟りを得た因縁の、乗り込んだ。大心和尚とあとから量基和尚、もう一人とわし、雪溪老師が堂監で入った。向こうには師家がいて準役がいる、愛知学院大の坊主下宿のようなことをやっていて、動かない。
どうにもなるものではなかった。一年で瓦解した。わしのこった、派手に喧嘩して副貫主猊下が駆けつけたり、挙げ句の果て自分から追ん出て、小出暁光さんという先輩の、これがまたどえらい世話になった。
縁あって越後に寺を持った。
南蒲原郡栄町東山寺という、今のお寺である。
「えいどっか大寺持って、老師招いて僧堂開こう。」
というわけが。到底そんなわけには行かず。
住職三年火の車、三年たって老師の会下に参じた。
離れているとたいていろくでもないことになる。いつだって一から始めるこったが、五月田植え時分に、寺へ老師を招いて摂心を開き、十二月臘八はこっちから出かけて行く。
ずっとそのように続いた。
ちらとも悟った時に、促されて仏教タイムズに記事を書いて、えらく評判になった、記者が付く。
老師に問うたことがあった、
「朝四本足、昼二本足、夕三本足なーんだっていうんです、答えられぬとぱくっと食っちまう、スフィンクス=謎という怪物です、ヨーロッパの精神というか心の要です、それは人間だという、解いてしまってはならぬ、約束事です。」
モーツアルトを追求していて、しまいスフィンクスに出会う、それは恐ろしいことであった、三日三晩を立ち尽くす。
「それはなんの問題にも答えたことにならない。」
オイディープスもヨーロッパも知らぬ老師が、言下に答えた。
目から鱗の落ちる思いであった、記事にして書くと、
「だれに見せてもちんぷんかんぷん。」
さっぱりだと云う、そうかと云って決別した。
日泰寺僧堂は金ピカ仏壇のような、豪勢な建物だった、そこで御祈祷大般若を繰る、あるいはバイオリンの稽古に賃貸しする、
「つまらねえ。」
といったら、バイオリンの師がかんかんに怒った。
日泰寺タイと日本の仏教交流のしるしに建てた寺である、八宗兼学の僧堂は曹洞宗が持つ。
無惨やなスフィンクスに食らはれて何の形姿かおんぼろかかり
隻腕を切って差し出す自在底空の空なるこれやこれなん
ちらとも疑問が湧く、只管の俎板に乗せる、わしは疲れ腰というか、妄想の果てるまで命がけ。二年の間やっていた、しこたまあった思想という、妄想疑念は悉く退治した。
「そんなことしなくっても。」
と老師が云った。
ついには押しても引いてもなんにも出なくなった。
いっぺんはそうする必要があった。
通身挙げて抛ってしまえばけり。
たんびに悟ることは悟る、大悟十八小悟その数を知らずなどいう、ちゃんちゃらおかしいとほどに。
ひたと物音と共に通身消えたり、風に木の葉は揺れずこっち揺れ動いていたり、電車が停まるのに引き摺られて行ったり、おかしいのは大地とセックスして精液は出なかったなぞ、まあたいていのことは仕出化した。
なぜ行かぬ、どっかで満足しないのだ。
モーツアルトか、そうかも知れぬ。
たしかに一番やっかいな代物だった。
あるとき五月の摂心に、さつきが雪のように咲いて、内外掃き清め、老師がやって来た。「このごろは見るもの聞くもの、清々ともなんともたとえようがなくー 」
と云いも終わらず、
「それはまだ清らかに見ようというものが残っている。」
と老師。
はっと気がついた。
(わしはまだ出家しとらん。)
自然を清らかに見ようという、ぶよぶよ虫の卵のモーツアルトを回復しようという、
「ちええ文学青年のやるこった。」
流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者。
剃髪の偈を知らぬ。
ものみな急に遠のく、淋しいというか無意味に行く。
しゃばとの決別に似て。
その年の臘八であった。坐中どうっと風が吹いて身心、ものみな持ち去る。
気がつくと涙溢れ。
あい整のうというのか。
「とうとうやったです。」
老師に挙すと、
「ようし。」
と云って、拝する背中をなでる。
「とうとう自殺しちまったやつがいる。」
というのが老師の評だった。
光前絶後の事、玉露宙に浮く。
あたかも降った雪が暖気に溶けて、大屋根を馳せ下る。
「うわあ。」
という、いっしょに流れ下る、
「清々ともなんともたとえようがなく。」
云うことは同じ、内容は月とすっぽん。
翌年五月の摂心に、経行といって歩く坐禅がある、さし向かう相手が自分になっている、
「へえ。」
と云ったのを覚えている。
正念相続一回きりのあっぷらけ十二単衣もただふれかかる
これはこれ至心帰依の忘我底昨日の我れは今日の我れに非ず


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