二連禅歌

2007年3月18日 (日)

歌冬

二連禅歌=冬


夕されば雪しの降るにこの鳥やうれたく鳴きて蒲原に過ぐ
 坊主姿して町をうろつくというのも抵抗があったが、お寺に雪が降ってじとっとしているのも存分。なんせもんもん、わっはっは、今は坊主頭も気にならんとさ、なあ烏。
いついつか雪はしの降れこの鳥や恋痛み鳴きて橋か越ゆらむ

八海に雪ふりしくと聞きしかど過ぎし軒辺は時雨あへたる
 湯沢へ行っていた弟子がいいとこへ案内するといって、六日町から水無川を遡る、上流は豊かな水の、本当にいいところ、すばらしい紅葉と雪の八海山と。
八海の奥の井紅葉閑けしや水無川に雪はふりしく
あしびきの奥の井紅葉清やけしや水無しの瀬に初音雪降る

八海の滝と雪とを見渡せば六十男なんに枯れさぶあらむ
 真っ青な淵にいわながぽっかり浮かぶ、シーズンオフの道を押しわたって絶景、紅葉まにまに雪が降る、そうして滝と。
水無しの奥の井紅葉かそけしやしが一握の初初雪と

米山の鳴る神起こししのひ降れ廻らふ月に追はれてぞ来し
米山のぴっからしゃんから降り荒らび半らふ月に追はれてぞ来し
 米山さんの半分は真っ黒けに曇って、雨がはらつく、半分は月が出てもって、直江津から一時間ハイウェイを通って帰る、海にはたこふねを見た日であった。
米山のぴっからしゃんから降り荒れて沖つ見えむ白波明かり
米山の鳴る神起こししのひ降れ雲いを裂きて沖つ白波

吾妹子や初音の雪はおくしがのぶなの平らに道ふたぎける
 奥志賀林道は十月二十六日には閉ざす、寸前に行ってみたら雪が降っていた、スノーを履かずともどうやら通れたが、枯れ落ちたぶなは深閑。
吾妹子や初音の雪はおくしがのぶなの平らに月は廻らへ

枯れあしに月さし出でてなにゆえか河を越ゆらむ雪は降りつつ
 獅子座流星雨を見よう、当日新潟県は時雨れる、ようし富士山五合目か、三保ノ松原へと云って、弟子どもと車をぶっ飛ばす、テントにシュラーフして一晩中を、ー
芦の辺に雪はしのふれ夕月の過ぎにし妹を忘らえぬかも

吾妹子が面隠みすなる雲間ゆも見裂ける月に追はれてぞ来し
 弟はアルツハイマーになって死んだ、最後の旅に戸隠を選んだ、とんでもない旅だった、わしは逃げ出した、二人少年の日の思い出は。
鵜の川の月に宿借る柳生のしじにも雪は降りしかむとす

戸隠の大杉なへに忘らえて思ひ起こさば一の鳥居も
 一の鳥居までが、歩いて蝶を採りに行く道程だった、きべりたてはやえるたてはや、すじぼそやまきちょうや、兄弟二人の一生を忘れえぬ。
若くしや過ぎにし夏をしのふるは大座ケ法師と夕月夜かも

夕月をしなのの河に言問はむなんに山越え群らつの鳥も
 草津温泉に行って、かあちゃんと二人人力車に乗って、うーん大サービス、でもって白根山から奥志賀へ抜け、ちえぐうすか寝ている、千曲川が信濃河になる。
おぼろ月千曲の川に言問はむ春はしだるる神代桜

松本のひったくさった舞へや鳶我が行くかたは駿河の海ぞ
 姥捨の駅にほうとうを食うか、止めとくといって食わなかった、親父が木曾の向こう、山口村出身で、がきのころ食わせられた、ほんにあずきとかぼちゃ、うどんだけならいいのにって思い。
伝へ聞く姥捨て山を谷内烏舞ふらむ方に吹雪かもとき

うつせみの命長らへ仰ぎ見むこれや忍野とめぐらひも行け
 三島は裾野市のとなりに、お寺を持った弟子が、どっかなおそうとすると、富士山噴火してからに、地震のあとにと云われ、あっはっは弱ったって。そういえば斜めの道斜めに歩いて。
うつせみの命を惜しみめぐらへば忍野見えむ沖つ白波

松原に流らふ星を迎へては二十一世紀を我れは知らずも
 明け方四時がピークだと云って、三保ノ松原にテントを張って寝た、四時に起き出すと、まわりじゅうびっしり人、うわあといってその割りにはさっぱりの流星。これは外れの年だった。
天人の舞ひ舞ひ帰る羽衣のよしや浮き世と忘らへ行かな

竹やぶのしましく夜半を目覚むれば満ち満つ月に廻らひ行かな
 年寄ったら夜中に目が覚める、きんたまに白髪も生える、どうしようかって、空元気の歌でもこさえてもって、はあて棺桶まっしぐら。
風吹けばいさよふ月と覚しきやこは竹林の賑やかにこそ

わたつみの夕かぎろへる見まく欲り和島が辺り雨にそほ降る
 寺泊赤泊間フェリーに、つばめが十一巣をかけていた、いわつばめだ、往復して子育てする、うっかり頭の辺にぴちゃ。新しい船になってからはどうなった。ありゃ高速舟だ。
出舟にはなんに鳴きあへかもめ鳥佐渡は四十九里波枕

柏崎夕波荒れてみずとりのかよりかくより雪降るはいつ
 わしは字がへたくそで、この歌を短冊に書いて、しくじって紙貼って書いて、また書いて、そうしたら貰って行った人がいた、変です剥げたといって、持って来る。
いやひこのおのれ神さひみこあいさ羽交ひ寄せあひ雪降るはいつ

今町も雪にしの降れ山茶花の人を恋ふらむ暮れあへ行かな
 ピアノ弾きの幸ちゃんが、山上進津軽三味線とミニセッションしたによってと、青森の民謡酒場まで会いに行った。すると有名になってもう出ないという。てやんでえと云って帰って来たら、彼はお寺のために作曲してくれた。音痴のわしじゃもったいなく。
あしたには雪になるとふ山茶花のじょんがら聞かめ津軽恋歌

田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪に朝夕わたる
 田んぼの溝の辺り凍って、水が澄み切って流れる、どじょうやたにしのむかしの川、なつかしいっていうのかな、飲ん兵衛やわけのわからん親父や、なんせものすごいのや、ー
田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪に夕かぎろへぬ

玉垂れの残んの柿に初々の雪はふりしく我が門とへに
 甘柿は甘百、渋柿は八珍、むかしはきっと宝物であったに違いない、葉は鮮やかな紅葉して、実に美しく、すっかり散りしくと、対照的な二本の、いいかっこうをして。
天つ鳥つひばみ来寄せわが門の残んの柿に雪降りまがふ

初初に降る雪なれば越し人の我れも門とに走り出でてむ
 いい文句だあ、これって歌でもねえしなんだって、檀家の親父が云った。歌ってのはこういうもんだって、御自作を示す人もいた、そういうんなら苦労しねえって、まあさ。
いにしへゆかく生ひなるや二もとの柿の木の辺に雪はふりしく

二十一世紀雪はしのふる谷内烏残んの柿をつひばみ食はせ
 生涯かけて二つのものを完成したぞ、法を継ぐことと、文芸復興だ。むかしばなしと歌をこさえた、どんなもんだいって、あっはっはみんなそっぽを向いてさ、親不孝傍迷惑。
半生をたはけ過ごして冬至なむ柚子の温湯に浸れる我れは

六十なむ芦辺を枯れて信濃河鳴き交はしつつ白鳥わたる
 数十羽鳴きわたると、あたりがぱあっと明るくなる。なんで白鳥だ、増えすぎだ鍋にする、食いであるぞうって、やまとたけるの魂をさ。
酔ひいたもしのふる雪を大面村残んの柿にわたらひ行かな

年のうちに降りにし雪の消え残り松の梢に白雲わたる
 万葉にそっくり同じようなのがあって、実景として強烈にこの通りに見えて、歌にした。年の瀬に正月が来たような。松とぽっかり雲。
今町は雪にしのふる年の瀬も地蔵の門に花を参らせ

吾妹子や五十嵐の背をかもしかの住まへる郷ぞ雪はふりしく
 平地なのにかもしかが四百頭からいて、天然記念物になっている。ひめさゆりは、笹の葉っぱみたいのへ淡いピンクの花が咲く、見たら忘れられない。大雪の五十嵐川の周りに咲く。
姫小百合ゆりあへすらむ笠掘の鳴る神わたり雪は降れども

シュ−ベルト冬の旅なむいやひこのもがり吹雪の舞ふらむ烏
 冬の旅としゃれてドライブ、半日回れば田んぼから磯っぱた、三条市をかすめて、五十嵐小文治の下田村、守門の辺りまで行く、いえさ順不同。
妹らがり通へる道は牛の尾のもがり吹雪の呼びあへも行け

ここもまた過ぎがてにせむ二尾松うしを寄せなむそのかきの殻
 積丹岬にも柏の木があった、どこか人なつかしい感じの、如何なるか祖師西来の意、云く庭前の柏樹子は、かしわではなく松の仲間というがようも知らぬ。
妹らがり通へる道は今もありしその冬枯れの柏樹がもと

三つ柳風にぬぐはれ一里塚しのびがてせむ春の如くに
 三つ柳の人からお地蔵さんの額を頼まれて、大苦労して書いて、うんまずまずと思ったら、彫る人がへたくそでてんで駄目、なんだこりゃあって目くそ鼻くそをののしる。
牛首がいにしへ雪を踏み分けて何を求めむ鹿熊川波

白鳥の忘れ隠もして梓弓春を廻らへ時過ぎにけり
 五十嵐神社はあるが、館跡はない、明暗寺という虚無僧寺が、明治維新とともに全焼して、その墓地が残っている、檀家であった人の過去帳を見た。風鈴の頌がある。
小文治の古き都は牛の尾のなんにおのれが時雨わびつつ

弓勢は幻にして蒲原のはざうら田井に雪は降りつつ
 牛の尾牛首という地名がある、どういういわれか知らない、この辺りだけではない、鹿熊というのも二つあった、山はなんといっても、守門と粟が岳。その向こうは魚沼。
五十嵐の落ち行く夕にあはケ岳呼び交しつつ白鳥わたる

神からか神さびおはす大杉のわたらふ雲の年たちかはる
 杉やけやきがあっちこっちに残っている、行ってみるとなかなかの代物、赤谷のけやきは坂上田村麻呂のお手植えだという、蓮華寺の大杉は樹齢八百年、小木の城に行く道は地震で陥没した、南北朝時代からの巨木。
滝の門のどうめきあへる大杉の流らふ雲の年たちかはる

どん底の左卜全と云はむかな他力本願雪降りしきり
 正月映画に黒沢明のどん底をやっていた、わしは初めて見た、むかしの作物はめりはりが利いて、そうかなあって納得、でもさ門徒って申し訳ばっかり、これ仏教って云えるのかと。
お社はなんじゃもんじゃの巨木なむ我れもまうでぬ雪降りしきり

七草の春のあしたを降る雪はほがら降りしけ弟が門も
 弟がアルツハイマーになって、どん底っちゃあんなどん底なかった、すべてはわしのせいだし、阿呆な嫁くっつけたのもわしで、いやさどうにもこうにも。
鬼木なる橋を越えてもしましくは雪にしの降る月読み木立

しましくは吹き止みぬるに大面村雪のしの路があり通ひける
 豪雪の記憶は鮮明に残る、そりゃまあ必死こいて生きた、去年はもうないってこった、へたな約束事は忘れるってのが雪国。明日は明日の雪
いやひこのおのれ神さび息だえて松のしのだふ物音もせで

山の井の松を裂けつつ降る雪の鳴る神起こしまたもしの降る
 松の張り裂ける音のほかには、なんにも聞こえない、雪はしの降る、恐ろしさはそりゃもうなんていうか、雪下ろしでなく雪掘り。
しましくに星は見裂けれ田の末の松の梢が雪わびさぶる

月影にわたらひ行くか大面村雪降り止まね松は裂けるに
 雪下ろしして振り返ると同じだけ積もっていたり、そりゃ新雪は嵩が張るけど、だってもうんざり、絶景は屋根の上からさ、わっはっは、笑うしかなかったり。
大面村松はも見えずしのひ降れ雲井の方にあかねさしこも

かつかつもおのれ軒辺はかき下ろし鳴る神わたりしのひ雪降る
 本堂は銅版にし、庫裡は屋込みがきつく、えらいしんどかったけど、ようやくに直した。雪下ろしには蜜柑がうまい。紅茶にウイスキー入れたのも、なにしろがんばったな長年。
暮れはてておのれ軒辺はかき下ろし酒を食らへば死にはてにけり

いついつか我れも越人鳴る神のしのふる雪は耐ゆるには耐え
 最近になってようやく、屋根の構造や、家の作りを豪雪に合わせる、何百年同じのなにしろ上って雪下ろし、馬鹿みたいってば馬鹿みたいって、なんかまあいわれでもあったんかな。
越人が代々を住まへれ鳴る神のしのふる雪は耐ゆるには耐え

田上なる松の尾上に降りこもせ雲井を裂きて月の押し照る
 昭和十二年竹の高地というところに、人がいるらしいと聞いて、役人が赴くと、おかしな格好したのが飛び出して、源氏は滅んだかと喚いたそうな、はあてほんとかな。
平家らがいにしへ人を吹き荒れて松の尾上を月押しわたる

磐の坂雪は降りつつ山茶花のにほへる如く君や訪のへ
 冬の間はだれも来なかった、氷柱が二メートルにもなってぶら下がり、そこらじゅう兎の運動会、堂屋根のてっぺんまでも足跡。月光に孕むという兎。
妹が家も押し照る月を見まく欲り松浦ケ崎に雪は降りつつ

夕ざればもがり吹くらむ山の端のなんの一枝か色めきいたる
 なんの木か春めいて見える、そういう色をしているんだって図鑑にあった、二月も三月も冬まっただ中、どうしようもなくさ。
いやひこの蒲原田井を吹き荒れていずこへ行かむこの迷ひ鳥

古寺の豪雪しのふ松がへも夕を見裂ける星のむたあれな
 松の辺にはずっしり雪が載って、その向こうに雲の切れ間、星が瞬く、いえたしかに春の星。
古寺の豪雪しのふ松がへも見裂ける星は春めくあらむ

田上行く一つ灯がみをつくし降り降る雪は春にしあらむ
 月のお経に来いという、さっぱり行かなかった、どうもわしは神経過敏というか、いらんこと云ったりするんだし、雲水が来て雲水任せ、雪降りゃなをさら。
河上の十軒田井に吹き荒れて何に淋しえ群らつの鳥は

広神のいにしへ人は万ず代にい行き通ひて春を祝ほげ
 雪の少ない年にトンネルを抜けて行ってみた、広神村から入広瀬。三十回も雪下ろしをするという、むかしは交通途絶、豪雪の中の別天地だった、雪が少なければわしらんとこと変りないか。
谷内烏舞ひ舞ひ行きて川を越え広神の背に雪は降りつつ
あぶるまの橋を過ぎればちはやぶる神の御代より雪は降りつつ

信濃河芦辺を枯れて白鳥のあひ別れつつしの降る雪ぞ
 冬期間通行止めという道があって、それはブルを出して除雪せにゃならんし、六軒部落のためにけっこうな道つけてってのも方々にある、ゼニ誰が払うかって、まあさ。
守門なる吹き荒れけむに河の面のなんの鳥かもたはぶれ遊ぶ

大橋の吹き荒れけむに行けるなく信濃河もがあひ別れ行く
 二月には接心があって、弟子どもの同窓会を兼ねる、おいゼニ出せ、はいよとかいって、寺泊まで行って、あんこうを買って来て、うっふう冬はこれにかぎるとか。
本所なる吹き降りせむに行き通ひ言足らばずてつらつら椿

見附道を雁木わたらへしましくに守門はこもせ雪はふりしく
 雁木が残っている町はもうないのかも知れぬ、町ごとそっくりの雪よけ、買い物にはすこぶる便利な、でも雪下ろしは毎日だし、なんせ天井は平らで。
古寺の松の梢ゆこの夕押し照る月に消ぬべく雪は

大面村寄せあふ軒の梅が枝のくしくも雪は消ぬべくあらむ
 梅が呼吸する、だから軒下べったりの雪も溶ける、春はもうすぐという、そうしたら、松食い虫にやられた松が倒れ。
古寺のいつかな降れる雪の辺に松は倒れむ押し照る月も

み雪降るこしみちのくを別け出でて忍野の梅の初々咲くを
 弟子が縁あったお寺に婿養子に入る、出家とラゴラ寺院子弟とは、水と油でそりゃもうどうもならんけど、愚の如く魯の如く、まずは六十になるまでってさ。
おぼろ月いつかおのれも春なれや忍野の梅の初に咲けるを

トンネルを我れや六十に抜け出でて空ろ燃ゆらむこはなんの花
 大清水トンネルという、これができる前は山越えに延々行く、こないだ久しぶりに通ったら、ハイウェイを使わぬ陸送が行く、猿がいた。
トンネルを我れや六十に行き帰りしくしく降れる雪にしあらむ

振り返り白馬となむ虹かかりそのハイウェイに雪は降りつつ
 オリンピックで急造した高速道路、姥捨に一休みしたら、放れ烏が、雪降る中を、石を落っことしては拾って、一人遊びしている。
ハイウェイの駅と云ふらむ吹き降りのなんにたはぶれ姥捨て烏

田口にはいさよふ月を関山の雪降り荒らび越しの真人は
 田口は妙高高原になったのかな、女流プロの尚司和子さんから、お呼びがかかって、高原ホテルで駒場寮の同窓会、さすがプロでだれも勝てなかった。あらうまいわねえ、負けそとか云って、ぽんと打つ。
田口にはふりしく雪を関山の紅葉にせかれ谷川の水

紅の春を迷はむこの鳥やオホ−ツクより吹き荒れけむに
 のごまという、北海道へ行く鳥がお寺へ迷い込む、喉が鮮紅色。なむねこという猛烈猫がいて、ぱくっと食っちまったが、もうこのときは他界していた。
唐松は堂を破りしきつつきのつがひにあらむ春の燭台

めでたくは松はも見えず松代の長寿無窮ぞこれや寒茸
 松代も有数の地滑り地帯で、むかし行き倒れを人身御供に建てたという、そうそう行き倒れなんかない、ふんどしの汚いやつからという、うっふう嫁なしはきつい。松がないのに松代。
松代の春はきはまり二メ−トルの氷柱し欠きて子らとし遊ぶ

随喜すはシュミオナ−トのケルビ−ノ絶えて久しき声をしぞ聞く
 ショルツの魔笛をまずまずと思っていたら、最近1950年代のフィガロを手に入れる、すばらしい、なんともはや涙流しながらカーステでもってドライブ。
いつかなに尻に敷かれてその亭主一朝逝けば嘆かふ妻ぞ

オホ−ツク氷の海の豊けさを知らずも我れは半世紀をへ
 科学者の云うことは三年ごとに変るといって、恐竜なんぞ三日たったら別の説。坊主社会も変るか、なんせだれもよっつかぬ、お寺と葬式だけ、長年の化けの皮剥がれてさ。
クリオネの舞へるを悲しオホ−ツク流転三界春をたけなは
美はしきは命なりけれシベリアの極寒立ち馬蒼天蒼天

白鳥の茂み日浦を過ぎがてに見ずて来にけり夕町軽井
 松之山に行く二車線道路ができて、トンネルをくぐって冬でも楽々行ける、雪の辺に婿投げとか、声楽家が酒飲んで温泉入って死んだとか、きのこを十三種も食わせるなと。
松之山雪をも月の押し分けてまふらまふらに遂道を抜け

たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏樹が下地蔵菩薩も
たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏樹が下雪はうちよせ
 佐渡の最高峰は金北山で、海を越えて真っ白に見えるのはどんでん山ではない、そう云われてでもどんでん山、お地蔵さまの真向かいにさ。
雪降れば何をし見なむかもめ鳥夕波荒れてどんでんの山

三界に身をも横たへ信濃河なほも残んの枯れ葦のむた
 雪の原野ーいえ田んぼなんだけど、雪降れば原野を、信濃河が蛇行して行く、絶句するばかり、似合うのは白鳥か、いえわしもよそ者。
枯れあしや流転三界雪は降り呼び交しつつ白鳥わたる
白鳥の列なり行くか信濃河夕の入り陽の触れあふ如く

角田なむ寄せあへすらむ波の辺もふりふる雪は春にぞあらむ
 渡り鳥の群れが、雪の荒海をわたって行く、春とはこういうことなんだと、突っ立って見送る、何百という群れの、一度そういう日に出会った。
梓弓春海なもを雪は降れ呼び交しつつかりがねわたる

かりがねの越しの田浦をま悲しみ降り降る雪は信濃河の辺
 新宿の風月堂には柳影があって、文無し座って空を見上げていた、何十年たってとつぜん思い起こす、人をなつかしむには、こっちが変り過ぎって、時効かな。
白鳥の忘れ隠もしてわたらへや枯れぬ芦辺に降れるは雪か

雪消えに会はなむ鳥か河を越え尾崎の田井に鳴きわたらへる
 なんていうんだろあれ、大きな鳥なのにおとなしくって、百舌鳥に追われてどこへ、えながやかしらだかとか群れ鳥も、雪の消えぬまに来て。
この鳥や百舌鳥に追はれて篠崎の雪の木末に何を見むとや

田安川夕荒れ吹雪止みぬれば帰らふ鳥の姿さへ見ず
 地吹雪というのは二月、ホワイトアウト、車を止めたら追突、どうしたらいいっていう一瞬。吹き溜まりを歩いて川へはまって、押し流されて、すんでにってやつとか。
いやひこのあらぬ吹雪を止みぬれば田辺に安らふ社の木立も

恋ほしくばなぎさわたらへ鷺つ鳥風に問へるはしが雪のむた
 鷺が飛んで来る、雪消えに水たまりができていたり、ごいさぎがよたって、助けを求めたり、ぽこんと穴が開いて、何か顔を出したり、りすのつがいがぶら下がったり。
君見ずやしの降る雪の木の間よもなんのものかやたはぶれ遊ぶ

群らふ鷺降り降る雪はしかすがに霧らひこもしてよしが平行く
 きさらぎじゃなくって、たいてい弥生なんだが、春めいてしかも雪は毎日降る。彼岸法要のための雪のけが、まずは大仕事だった、今はブルがいっぺんに寄せる。
吾子どもがへなれもありて降る雪のあはあは行かめこれの日長を

きさらぎのまふらまふらに降りしけば押し照る月は堂のしとみも
 ゴムボートを持ってかさご釣りに行く、きつねめばるというんだが、沖のテトラポットに渡る、資源保護だといって中学生がうるさい、でもまあ入れ食い。
鷺の森廻らふ月の久しくに妹が家辺り継ぎて見ましを

五十嵐の遠のへ村に降る雪のしましく止めばあり通ひける
 吉ケ平は全村引っ越して、笠掘は空家が目立つ、二三年もすりゃ雪でぺっちゃんこ、そう云えば、山へ行けばどこもかしこもそんなふう、生まれ育った故郷をさ。
夕されば粟がみ山にあかねさし春を待つらむ家路淋しも

代々をしも住みなしけむや春さらば雪崩やうたむ笠掘の郷
 下田村の一番奥のお寺は時宗だという、檀家仏教だで、まあ何宗だって同じこったが、浄土宗のお寺があって、先生をしていた跡取りが駆落ちして、つぶれ同然だとかさ。
きつつきの穿てるあたり降り降りてまふら淋しも軒伝ひ行く

人面はたれぞ刻まむ豪雪の久しく行くか月読み木立
 大面村に一本足りない人面村は、ひとづらと読む、そりゃもう豪雪地帯のど真ん中、冬を始めて通って見た、今はもうちゃんと除雪してある、しっくりといい感じの。
人面は我れも刻まむふる雪のしましく行くか月読み木立

年寄るはなんに淋しえしらたまの酒を酌みては月に一献
 六十過ぎてやっと晩酌の味を覚えた、赤ワインが老人病にいいという、キリストさまの血だってさと云って飲んでたら、くせになった、2ちゃんねるの人が送ってくれたりする。
氷柱にはもがり吹けるに束の間も月さし出でてこれに一献

この鳥や雪はも雨にしのふるを蒲原田井と眺めやりつつ
 ヤフー掲示板で流行らかして、いっときは四位になった、2ちゃんねる荒らししたり、わっはっは年甲斐もなくにさ。出合系サイトやって、弟子どもに差し止め食らった。
蒲原のはざうら田辺の烏だに久しく春は告げなむものを

浜千鳥足掻くみぎはを寄せ返し恋ふらむ郷に雪は降りつつ
 海外旅行はニュージーランドへ行きオーストラリアへ行きタイへ行き、もうこれでおしまいかな、あとは棺桶へまっしぐら、でもなにしろいてもたってもいられない春。
風吹けば散らへる雪のむたにしてあはあは行かめこれの日長を

つひばむは浮き世の花をうその鳥たれぞ追ふらむ雪はしの降る
 うそという鳥が花のつぼみを啄む、雀も花の蜜を吸う、めじろと違って花までむしる、うそは赤い大きな鳥。
つひばむは浮き世の花をうその鳥風ぞ追ふらむ春や追ふらむ

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歌春

 二連禅歌


こしみちや春あけぼのの天空をなんに譬えむ雪の軒にして
 明けても暮れても降って吹雪いて、氷柱が二メートルにもなってぶら下がる、半年もの冬はうんざり、もう苦痛だ、それがとつぜんぽっかりと晴れる、春はあけぼの、
いやひこのおのれ神さび白雲の夕うつろへばまふら悲しも

みどりなす夕うつろへば大面村雪の梢が春を待たまく
 一瞬太陽が黄緑に、彩なして棚引く雲、不思議な夕をそっくり覚えている、大面村はこのあたりきっての古村。かつては海沿いであった、大面村大字小滝がお寺の地。
白雲のうつろへ行けば大面村寄せあふ軒が春を待たまく

古人の杉のさ庭ゆしくしくの雪霧らひつつ春は立ちこも
 先住がなくなった夕、もうまっ黒に霧がかかる、雪霧というものだった、春になるよと世話人が云った、すざまじいほどの、何メートルもの雪がいっぺんに溶ける。でもこれは初春の挨拶に作る。
古寺の松のさ庭ゆしくしくの雪霧らひつつ春は立ちこも

遠々の村の川波いよるさへしくしく思ほゆ雪消えなばか
 雪折れの木を手入れしたり、屋根の破損があったり、なんせ大仕事が待っていたが、しばらくは豪雪地帯のー少し外れてはいるんだが、春を楽しむゆとり。
山を深み春は来たらしこの夕木末もしのに濡れあふ見れば

古寺のわたらふ月を松がへのしのへる雲の隠さふべしや
 豪雪のその雪消えの満月、霧や雲が過る。仙界を行くような、雑木と松の茂みと、お化けのような物陰や、孫悟空にでもなったような。
古寺のあは雪しのふ松がへも押し照る月を隠さふべしや

あけぼのの春にしあらむ大面村田ごとの松を見らくしよしも
 小滝村は十三軒とお寺、参道の松も松喰虫が流行ってみな枯れた。山を越えて行く、天狗が出てお寺を手伝ったという、むかしばなしにもある、その道はもうない。
雪霧らひくだしくあれば蒲原の灯どちが幾つ村の井

吾妹子が松之山なむいや遠のしの降る雪は今日もしの降る
 入広瀬や松之山などいうのは、冬は陸の孤島だった、五月を過ぎてやっと通う、なんせ三0回もの雪下ろし、こっちは三回で死ぬ思い、でも連中の冬はけっこうスマートだ、松之山は温泉もあるし。
吾妹子が松之山なむいや遠のしの降る雪ははだれ見えつつ

まんさくの花に咲けるをいつしばの待たまく春は日長くなりぬ
 まず咲くからまんさく、豊年満作を願う意もある、なにしろ春が待ち遠しい、雪の少ない年は春ながといって、いつまでもうら寒い風が吹く。
まんさくの花には咲けれいつしばの待たまく春は日長くなりぬ

まんさくの花の春辺をいつしばの待つには待たじ霧らひ立ちこも
まんさくの花の春辺をいつしばの山尋行けば霧らひ隠もせる
 まんさくの花を貰いに来て、神棚にお供えしていたじいさまは、九十幾つで死んだ、その後来る人はない。年の吉凶を占う、めでたいばかりの花ではなく。
まんさくの花に咲けるを知らでいて年のへ我は物をこそ思へ

椿だに浮かび廻らへ心字池月は雲井に隠らへ行けど
 先住がいまわの床に、いい庭がある池があってなと云った。いちめんの雪だ、おかしくなったんかと思ったら、春になると美しいお坪が現れる、心を象った心字池。
落ち椿いくつ廻らへ心字池ほどろほどろにその春の雪 

山川も海もはてなん万づ代にい行きかよひて死なましものを
 冬は兎の運動会、本堂の大屋根のてっぺんまでも足跡がつく、ほどろに雪が消えて、熊みたいにでっかくなった、その足跡。
兎らの足跡をたどりに背うら山天の雲いが浮かび行くらん

いちげなる早にも咲けば大杉のしただ田浦は足掻きも行かな
 菊咲き一華という、いちりんそうが咲く、杉の木の下の、雪の降り残すところから。門をかなとと詠んで、ー
いちげなる咲き行くあらむ大杉の下田がなへを荒れ吹くなゆめ

越し人の呼び名はなんとしょうじょうばかまながしくしくに雪の辺に咲く
 しょうじょうばかまは雪割り咲く、さまざまな色合いに山土手をいちめん、けっこう美人なのかな、
越し人の呼び名はなんとしょうじょうばかまながしくしくに恋ほしくもある

春蘭の香にや満つらむ衣辺に寄せあふものは雪のひたたか
 お寺の山から十五万の蘭が出たという、捜しに行ってみた、いくら捜したってただの春蘭、へりがすべすべってのもなく、痩せた蛇がとぐろを巻く、雪は未だ残り。
春蘭の香にや満つらむ衣辺に寄せあふものは痩せぬ蛇も

武士のいにしへ垣のいつしばもむらさきにほへ雪割り桜
 寺山にはなく、向かいの砦山にいちめんに咲く。砦は掘りの跡しかない。主は上杉影勝公下丸多伊豆守、即ちお寺の開基さんであった。
雪割りの花を愛ほしといつしばの忍ひ行きしはたが妻として

ふりつもる雪も消ぬがに大面村いつかな聞かむ蛙鳴くなる
 雪の消えぬまに鳴いて、ほんに蛙が多かった、蛇寺と云われるぐらい蛇もいた、田に水を張ると、さすが蒲原の蛙の大合唱。
ふりしのふ雪も消ぬがに山門の夕ざり聞かむ蛙鳴くなる

曳馬の曾地峠を越えて行け寄せぬうしをは花にしあらん
 このあたりでは柏崎の桜が一番早いといって、曽地峠を越えて行く、たいていは海沿い行くんだけれども、そうは早く咲かない。
しくしくの花には咲かね番神の寄せぬうしをは春にしあらめ

梓弓春をぎふてふマンモスの氷河の時代ゆ舞ひあれ越せし
 すみれさいしんを食草とする、かたくりの花に、梅に桜にと、訪ね訪ねて春は爛漫。異常気象でどうやら絶滅。でも日本のどこかではきっと、ー
梅桜咲くをぎふてふマンモスの氷河の時代ゆ舞ひ生れ越せし

今町の夕ざり椿つらつらにたれを待つらむ雪は降りつつ
 今町はむかし米の集散地で栄えた、芸者が何十人もいた、料亭はいくつか残っている、ガソリンスタンドで挨拶する子がいた、おやまあわしなんぞにと思ったら、料亭の若女将だった、いつかな雪は降り。
吉野屋の夕ざり椿つらつらに何を告げなむ鳴き行く鳥も

榛名なむ早にも行きてあかねさす月夜野村に雪は消残る
 年上の弟子であった人がなくなった。弁護士で大学教授でスピード狂でフェラーリを乗り回して、六十でスキーを覚えと、大変な人物であった。世話になった分何のお返しもできず、今はの際のお見舞いに行く。
新治の月夜野村にあひ別れわが初々の梅が枝ぞこれ

君に別れ越しの野末も春なれやしましく雪は降りさふあらん
 葬式に行った、有名人やタレントが来ていた、亡僧の習わしに拠った、弟子どもよったくって、遺族に迷惑をかけた。
送りては帰らひ来つるこの夜半の月はしましく雪を押し照る

みんなみの粟が守門にあかねさしいついつ郷は春をおほめく
 弥彦と差し向かい、守門に粟ケ岳、雪に真っ白に覆われて、五月になってもはだれが見える、夕焼けに桃色に染まって、美しいというよりも、苦しいような。
仰ぎせば粟が守門にあかねさし刈谷川辺に雪消ゆはいつ

降りこもせ雪のさ庭にあかねさし問へばや梅の花にしぞ咲く
 梅の老木があって毎年いい花を咲かせていたのが、寝てしまった、植木屋呼んで助け起こしたら、梅の古木は寝てからまた一世代とだれか云った、ふーん儲けられたか。
あしびきの雪の田うらに陽は射すと尋ねも行かめ老ひたる梅を

梅の咲く山はたのへに吹く風は今日はも吹かず暮れ入りにけれ
 梅が咲いてもうら寒い風が吹く、それがふっと止んで、人も通身に和む春、信濃川は雪代水を流して、いっそまた遅い春。
柳生の中なる夕日つれなくも信濃河の辺春なほ浅き

いにしへゆ我が言の葉はかたかごの紫にほふ春ならましを
 かたくり、かたかご、村ではかたこという、お墓の辺にいっぱい咲いて、あるいは雪折れする竹には、いちりんそうの花。
春さらば一華の花に開くらむか過ぎにし雪をいささむら竹

いにしへの人に我ありや白鳥の越しの田浦ゆ春の火を燃す
 白鳥は水原で餌付けしてから増えて、村の辺りにも、春先群れになって宿る。野火を燃すのは、とっくに帰ったあとだが、越しの田浦とひっかけた。
白鳥の廻らひ帰るしかすがに燃ゆらむ春か越しの田浦を

春さらば何をし問はむ村松や田井の社は行き過ぎにけれ 
 吹きさらしの田んぼを行くと、村松には花が満開、向こうは下越。公園があって、花見がてら待ち合わせしたら、すっぽかされ。
田の末の風をしのひに村松の花をし見むとたが思ひきや

五十嵐の雪しのふるに梓弓春立つ雁に会ひにけるかな
 五十嵐小文治は那須与一と親類で、扇を射落とした弓は、蒙古伝来のものという。支配の五十嵐川は清流で、しじみの取れる川であったが、いいものは失せて行く。
五十嵐の雪しのふるに梓弓春雁がねの幾重わたらふ

梅の咲く早にも降れる雪にしや初音鶯鳴くには鳴かじ
 梅が咲いても吹雪いたり、枝折れが雪の辺で花をつけたり、頑丈だ。冬越しの鳥が落ちて死ぬ、春ながという方言がある、いつまでも寒い。
鵯の墜ちて死ぬべき春なれやこれの深田に花咲くはいつ

山のはの初々梅に咲けるしを人にも告げで寝ぬる口惜しき
 お寺にはいい梅のなる白梅と、杏のような種も実も大きい紅梅とがある、三十年の間に二つの梅も年を取った、人が長生きになったということか。
春野辺にいつか咲きのふ梅なれや我も六十路に年老ひにけり

我やまた遊び呆けて鶯のしのひ鳴きつつ春野辺暮れぬ
 鶯と鳴き合わせをする、ほーほけきょけきょけきょ谷渡りだとやっていると、客が来て呆れ顔。入れ歯にしたら鳴けぬ、十五万出して入れ替えたら、鳴けるようになった。
野尻なる散りしく梅を他所に見て鳴くや鶯春をひねもす

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あんにんご雨に照り冴え下田村二声聞くは山時鳥
 あんにんごは桜の種で白い房になって咲く、その実をあんにんご酒にする。ふじにずくなしにあんにんご山は若葉、蚊も虻もいないしと。
休耕の六郎田んぼは鋤き起こし烏に追はれこはなんの鳥

ま葛生ふる山のまにして春蝉の長鳴きつつに日はも過ぎぬれ
 五月半ばみーんみーんと蝉が鳴く、お寺にはしゃくやくの咲くころ。長い間鳴き声ばかり、ある年玄関の楓に二匹いた、透き通った、青い小型の美しい蝉、と思ったら地球温暖化で、ぎふちょうと同じにいなくなる。
いついつか耳鳴りすらむ春蝉の茂みみ山は冷へわびもすれ

モーツアルト越しの小国を芽吹かへばしくしく今を恋ひわたるらむ
 雪深い小国は別天地のような、坂上田村麻呂お手植えのけやきの赤谷へ抜け、松代へ抜け、小千谷へまた十日町へ。モーツアルトを聞いてドライブする。地震で長い間不通になった。わしたかの類の、見たこともないようなのが雪の辺を行く。
モーツアルト越しの小国に散る花のしくしく今を恋ひわたるらむ

いずくにか棹さし行かむ捨て小舟春は花にし咲きて散らふる
 弟子が岩船にお寺を持った、春になって尋ねて行く、むずかしい処だと聞くが、川は澄んで鱒が泳ぐ。それはもう美しい風景の、嫁に逃げられねえようにとさ、うっふっふ。
しくしくに棹さし行かむ梓弓春は満ち満つ萌え出にけれ

しましくは雨に降りあふ茂みへの蛙鳴く音とあり通ひつつ
 逃げられもせずに子供が二人になった。笹川の流れは景勝の地、嫁の友人が東京から来る、まいたけが出る、縄文時代の集落がすっぽりダムの底。婿どんはあっちこっち案内。
あかねさす朝日乙女が岩船の結ひし紐さへこれな忘れそ  

世紀末なほ物憂きはしくしくの雨に流らへ楓で若葉
 若かえるでのもみずまで寝もとわが思ふなはあどか思ふ。万葉にある歌だ。かえるでとは蛙の手か、葉うらが返るからか、とうとう二十一世紀まで生きた、はあてなどうなる。
二十一世紀しが物憂きはしくしくの雨に拭はれ楓で若葉

あれもまた花でありしか深山木の六十を過ぎて初に知れりとは
 塀にある雑木がやっぱり桜だったとは、伐らないでよかった。横浜の中華街で手相を見て貰った、もう人生終わったでなと云ったら、こんないい手相見たことがない、九十までは生きられますと云った、またよく見る、幸せを売る商売。
これもまた花でありしか深山木の六十を過ぎて初に知れりとは

田を植えて茂み鳴くかやふくろふの山屋軒辺を風さへに吹く
 ふくろうは氷柱のぶら下がる軒にふっと温むと鳴く、ほうほうが来たよ、春になったよといって喜ぶ、ずいぶんでっかいのがいる、まん丸い目玉が凄い、王様だ、また季節の変わり目に鳴く。
田を植えて烏鳴くさへいやひこのおのれ神さび雨降り荒らぶ

田を植えて鳴くは蛙か信濃河なにを神さび雪代わたる 
 なにかへんてこな季節、うら寒い風が吹いたり急に暑くなったり、信濃河は雪代水、守門はぶあつい霧の中、そりゃもうどうしようもないっていう。
郭公の鳴きわたらへば守門なるわれも神さび面隠みこやせ

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歌夏

 二連禅歌=夏


いにしへは飯を盛るとふ朴柏おほにし開けば人恋ほしかも
 田植えが終わって、山門は人気もなく、朴の花があっちやこっちに咲いて夏、大きな葉っぱは、お盆には刻んだ野菜を載せてお墓に供える、山門には天邪鬼を踏んずけて四天王。
朴柏おほにし開けばいにしへもつばくろ問へり四天王門

夏草は茂く生ふれどねじ花のしのにも愛はし過ぎがてにせむ
 山道の芝草の中にねじばなが咲く、美しい花だ、年によって数本咲いたり、群れになったりする、刈るなよというのを弟子が刈ってしまう。
ねじ花の美はしやなれを過ぎがての門の草を刈らしきはたれ

守門なる刈谷川辺に郭公の鳴きわたらへば時過ぎにけり
 これは万葉にあるのをそっくり真似た、鯉釣りに行ったらさっぱり釣れぬ、かっこうが鳴きわたる、ああそういうことかといってあてずっぽう。守門は南蒲原のどこからでも見える。
守門なる雪のはだれも消えぬらむ与板の橋をわたらへや君

加治川の恋痛み行きてなにせむに哀れや猿の物乞ひしつれ
 加治川は桜名所であったが、出家した翌年洪水で全滅、奥深い清流には猿が棲む、学者仏教を猿の月影を追うという、目つきのよくない猿がいた。なにかを掘った鉱山跡があった。
加治川の恋痛み行きてなにせむに悲しや猿の月を追ふなる

あしびきの山川なべに住まふ鳥鳴きわたらひて広神へ行く
 やまめを釣りに行くと、目の前に大物が現れて、悠然と向こうへ行く、でもって一尾も釣れず、入広瀬の葦原を夕方、みずとりの群れが立つ。
加茂ケ井の芦に宿仮る鳥だにもつがひ舞へるか夏の雲井を

年寄るはなんに淋しえ鳥越の椎い葉末に言問ひよさめ
 三島郡鳥越に法要博士がいた、悟ったりすると阿呆になるなと申し合わせて、葬式坊主どもに流行らかし、しまい宝筐寺の住持になった、仏教のぶの字もない宗門、一人淋しく死んだらしい。
夏来れば椎いをわたる風さへに袖吹き返し咲まへる子らは

山を越ゆ鳥にはあらね早乙女が袖吹き返し荒磯辺に行く
 鳥越はいいところだ、元気な女の子がいた、物部神社という大鳥居、深い山を越えて海へ行く、わがドライブコースは地震でずたずた、三年してようやく復旧。
物部の香椎の宮の乙女らが早苗取る手に言問ひ忘れ

実川の春なほ深みいにしへの五十嵐の家を言問ひ難し
 西会津へ入るところに実川と奥川という清流がある、実川は特に急峻で、中ほどに大杉の林があり、粗末な看板に、五十嵐の家と示す。人が住んでいる、何軒あるか、尋ねるには気が引ける。
代々をしも住みなしけんや実川の杉の門とを言問ひ難し

実川の春いや深み散りしける花の門とを言問ひがたし
 阿賀野川の支流、ともに飯豊の山中から馳せ下る、下界は花が散っても、まだ雪が残る、五十嵐の家の他に村はなく、奥川は弥平四郎という村が最後。
いついつか雪は消えても飯豊なむ代々に伝へむ花と月かげ

かもしかの雪の田代をあら萌えて別け入る右はいくつ村字
 秋山郷の六月、ようやく雪が消えて、沢にはまだ分厚く残って、ぜんまい取りが行く、かもしかが走る、山菜取りは評判が悪い、どこもかしこも入山禁止の赤札。
越し人の春にしあらむぜんまひや雪に問へるはしが木漏れ日も

つぎねふ嶺いの道と思しきや曲がりしだえて花にしぞ咲く
みちのくの嶺いの道と雪霧らひ曲がりしだえて花にしぞ咲く
 魚沼スカイラインという、すばらしいドライブコースがある、雪に圧されて、地を這うように咲く花、ぶなの林は残雪と新緑。
この沢の十年帰る夏なれやたれに会はなむ雪をけ荒き

田を植えて人に恋ふらむつばくろや粟が守門をはだれ見えつつ
 ともに金物の町燕と三条は仲が悪い、はたして合併は別になった、信濃河はこのあたり、中之口河と二流れになる、道は入り組んでようも覚えぬ。
田を植えて人に恋ふらむつばくろや信濃の河の二別れ行く

越し人のもやへる舟を芦のむた信濃大曲夏いやまさる
 与板橋の下流には幾つかの島があって、田んぼや畑を作って行き来する、その舟がつなぎっぱなしになって夏。町軽井には遊女もいて、夏の夕方はそのむかしー 。
夏宵の月さし出でて信濃河もやへる舟は誰を待つらむか

信濃河もやへる舟を芦辺にか野鯉は釣れじ夕風わたる
 舟があっちへ行きこっちへかしぎ、野鯉は釣れず、旧橋桁がそのまんま残って、格好の魚の巣、一メートル五0センチの大物を見たと弟子がいう、ほんとうかな。
束の間もよしやあしやの信濃河暮れ入るさへに行々子かも

くちなしの妹はも風邪に引籠もり雨の降れればそれがかそけさ
 くちなしを貰って来て植えたのに枯れてしまった、せっかく風情も面倒見が悪くってだめ、でもってやっぱり鯉釣りに行く、釣れずにみずとりの群れを眺め。
与板橋流らひわたる水鳥の行き帰りつつ夏いや茂み

ほととぎす月に逐はれてずくなしの茂み会津に八十里越え
 戊申の役に破れた河合継之介は、会津へ落ち延びる途中、鉄砲傷が悪化して死ぬ。この道であったかどうか、八十里越えと六十里越えという道が今も残る。ずくなしは卯の花の遠縁。
破間の月を迎へてずくなしの花の会津へ六十里越え

雪代のたぎつる瀬々と問ひ越せばこは破間をやませみの鳥
 破間(あぶるま)川には一メートルのいわなが棲んだという、豪雪の入広瀬を流れる、そう云えばちょっとした淵を竿が立たない、へえといって魂消た、なにしろやませみの颯爽たる姿。
行く行くは信濃の河にさしいれて橋を越ゆれば芹沢の村

葛飾の真間の手小奈がぬ白咲けこは龍人の何のえにしぞ
 新潟県でもっとも水質のいいのは龍ケ窪で、皇太子殿下が来られた折に、献上のお水を汲んだと、俳人で写真家の本多氏が云った、かずらの白い花と、ここにしかいない鱒と、十日町を過ぎてもう秋山郷の入り口。
橋のとのいずこわたらへ十日町夏咲く花と忘らへにけれ

真葛生ふる山のまにして春蝉の長鳴きつつに日はも過ぎぬれ
 みーんーんと眠ったげに鳴く、まさか今頃と思ったら春蝉という、透明な青い蝉。糸魚川へ行く岬には、ひめはるぜみという天然記念物が棲む。
春蝉の長鳴きつつに山を越え風の頼りもうらみ葛の葉

いやひこの何に鳴きあへ谷内烏一町田んぼは植え終えずけむ
 合併のでっかい田んぼ、日本は役人天国であって、烏天国であって、やひこさまのお使いかどうか、なんせ烏がよったくって、夏が来て秋になってというふう、烏はきらいじゃないんだが。
いやひこの何に群れあへ谷内烏五町田んぼに夏の風吹く

いやひこの蒲原田井を夏なれや朝な夕なにかなかなの鳴く
 山のとっつきはひぐらしが鳴く、朝に夕に鳴く、早朝四時というともう鳴いて、うら淋しいとよりはすざまじいほどに。
いやひこの蒲原田井を住み憂くや朝も明けぬをかなかなの鳴く

いやひこの蒲原田井を住み憂くや雨に降りあへかなかなの鳴く
 たいてい空梅雨が後半になって豪雨、お寺の水は前谷内という村の、田んぼを海にして、いや申し訳ないと云ったってどうしようば、
住み憂くてなんの夏なへ米山の蒲原田井をかなかなの鳴く

下田行く青葉嵐か吹きしのひ守門がなへにはだれ消ぬれば
 守門はいい山で、六月雪消えを待って、雲水や居士大姉らで登って行った、固有種と云はれる花が咲く、そりゃもう見たこともないような、いえそっちは登りやすいんだ、こっちが云々と、登山口は六つもある。
かんなびの柵の菖蒲は未だかも河辺をわたり郭公の鳴く

水無月の花に散りしきあがの河たが客人か舟に棹さす
 遊覧船なんかより川を復活させろって、日本人は川が命、がきのころから、泳いだり魚を取ったり、死んだのちにも灯籠流しをなーんてさ。
村の名を弥平四郎と飯豊なむしだるる花をなほ見まく欲り

熱塩の加納を行かずはしだり尾の群れ山鳥に会えずもなりな
 奥川の終点は弥平四郎という村で、飯豊の登山口になる、それを脇に見て行くと、熱塩加納という道、峠を越えて四軒部落がある、地滑りで不通になって、みやまからすあげはの数百の群れ、秋には山鳥が何十羽も。
百重にも群れあふ蝶の熱塩の加納の道はふたぎけるかな

ずくなしのくたちに山を深みかも会津恋ふるか伊南の川波
 へえ格好の川があったと、二人でやまめを釣っていると、そいつがさっぱり釣れぬ、相棒が人と話をしている、行ってみたら入漁料をよこせという、合わせ取られた。もりあおがえるのでっかいのがすっ飛んだり。
柳津ゆ阿賀の川へも入り行くに夏日暮れつつ宿借るに憂き

雨降れば蛙鳴くなる柳津の灯どちが明け行きにけれ
 不忍池の岸に休んでいたら、そこを退け早くという、なんと巨大などぶねずみ、変に臭い、どうもこれホームレスの便所らしく、でもやっぱり花は蓮。
鬼やんま蛙も鳴くかしのばずのホームレスなむ今をむかしに

板倉のしくしく雪を越え別けてこぶしの花も詠み人知らず
 六月になっても雪が残り、こぶしの花が咲く、信州との境板倉清里大島と、このあたりまた地滑り地帯。
清里へなんに通へるこぶし花万づ代かけて雪はふりつつ

妹が家も継ぎてみましを大島の茂み門を清やにあり越せ
 黒姫山は三つあって、妙高にあるのと姫川と、そうしてこれ。同じ伝説があり、各人気があって、雪ひだがまた美しい、松代大島清里と田んぼの村々。
田を植えていくつ村字うぐいすのしのひ鳴くかや大島に行く

ますらをと思へる我や竿を振り信濃河辺に鯉をしぞ釣る
 鯉釣りは情熱だった、一日一寸十日でやっと一尺、手を広げて何時何日おれはとやる、釣り上げて足ががくがく。指が震えて魚が外れない。
青柳の雨の降るさへ越し人の信濃河辺に投網暮らしつ

蒲原の沖つ興野にはざ木立つ雨降るさへがなんぞわぶしき
 はざ木はたまぎという木を並べ植え、竿を通して刈った稲を掛ける、雨ばっかり降ってはざのまんま芽が出たというのも今はむかし、田んぼ工場は一町〜五町で一枚。
夏の日は棗の花に咲き満ちて雨降り我はここに宿仮る

むくげ咲く夏のあしたをしのへ我が蒲原田井のま草刈りつつ
 道の辺の槿は馬に食はれたり、野ざらし紀行のなぜかこの句だけ覚えている。むくげの花は一日限りの、次から次へ無数の花をつけ。
むくげ咲く寺井さ庭にま草刈りいついつ我は息絶えなんに

掃き清め大般若会を待ついとまつばくろ問へり四天王門
 七月の第一日曜がお寺の大般若会、なんせ暑い真っ盛り、冷房のないころは涼しいお寺の筆頭だったし、山門にある四天王は蒲原平の五穀豊穣を見そなわす。
宋代のたれぞ写せし六祖像どくろ面なるそがなつかしき

いにしへの伝えを知るや姫川や寄せあふ波に能登の岬見ゆ
 こしはかしという玉の意がなまったものと、古代世界に知れ渡ったひすい、尺物のちぬを始めて釣って、スピード違反でとっつかまった、おれも釣りすんだ見せろと警官、ちえ頭来る。
空ろ木のもとないよらへ太夫浜すずきは釣れじ月さし上る

五月雨の降り残してや春日山杉のさ庭に舞ひ行くは鷹
 うちは上杉謙信の菩提寺、春日山のお寺とそっくりだっていう、行ってみたら似てない、閑散とした処だけそっくり。同じ曹洞宗で、弟子と同安居が跡を継いだなと。
五月雨の降り残してや春日山昼間の月に鳴くほととぎす

村の井の雨しの降るにほととぎす二声鳴きて蒲原に過ぐ
 うぐいすが鳴きほととぎすが鳴きちいぽおと色んな鳥が鳴く、へえと思ったら百舌鳥だった、さすが百舌。むかしはお寺でも聞こえたホッキョカケタカ、今は山奥へ行かぬと。
守門なる西川なべをほととぎす鳴きわたらへば雨にしの降る

うれたくも雨は降れるか群雀朝な夕なにさへずり止まね
 改装した新二階に住んでいたら、雀が来て出て行けという、たしかに雀の巣があった、うっさいここはおらあちだといったら、びいと糞ひって行く。跡が残り雀は鬼瓦に巣食っている。
雀らが縄張りすらん軒の辺に人も住まえばこは騒がしき

我れやまた老ひ行くものを蒲原の青葉に酔ふて鳴くなる烏
 野積にバナナウインドというイタリア料理店ができて、リーズナブルでけっこういける、ママは感じがいい、それ行けとかいってだれかれ連れて行く、ブランコがあってチャペルがあって結婚式ができる、いえひっかけスポットだそうの、色目を使う烏。
蒲原も降りうつろへば夏木立夕映えしのに鳴くなる蝉は

わくらばは如何にしあらむ酔ひ蛍雨に流れて二つ舞ひやる
 湧くように蛍が出たのに、水害地震あとの工事で二三年ほとんど出ない、待てば海路の日和か。舞い飛んでいた蛍が車のウインカーに寄ってくる、そうかとか客が云って、どうでも蚊に食われ。
我れやまた流れ舞ひやる蛍子しよしや浮き世を明けはつるまで

ここにしてなんの花ぞも咲くやらん降り降る雨をあげは舞ひ行く
 酒は越しの寒梅より雪中梅より、秋田の高清水だと云ったら、弟子が毎年送ってくれる、年寄りはせっかくいい酒も、酔うたらあと眠っちまうだけ。
わくらばが出羽よりよこす酒一升蝉の鳴くなる合歓の花辺に

帯織を山王へ行く字幾つ葵咲くらむ雨降りながら
 帯織は無人駅になって、山王は田んぼばかりだったのが、国道からトラックを乗り入れて運送会社の林立、雨が降っても空梅雨も葵の花盛り。
山王へ廻らひ行ける字幾つ葵咲くらむ空梅雨にして

見ずや君ふりふる雨に行き通ひ久しく街は花盛りする
 よたかを初めて見て、なんだこりゃ直角三角定規、ばかみたいなんて思った、鳴き声は鋭く、でもこのごろどこへ行ったかさっぱり。くいなもいなくなったし、本堂に迷い込んだあかひょーびんも。
年ふりて茂みへ寝れば冷えさひも今宵み山を夜鷹は鳴かじ

月詠みに棹さし行かむ岩船の寄せあふ波の行方知らずも
 三面川の辺りは縄文の大集落があった、ダムの底になるというので発掘して、廃校を借りて処狭しと並べ立てた、おばちゃんどもと立ち寄ったら、みんなそっぽを向く、南春男の方がいい、博物館構想も予算が付かず。
いにしへの月を知らじやよしえやし漕ぎ別け行かむ縄文人は

二人して棹さし行かむ岩船の重き舵さへ流れ笹川
 岩舟にお寺を持った弟子が、三人めの子をもうかる、そりゃそうだ他にすることねえからって、嫁さんに逃げられねえようにって、檀家は心配してたが。
二人して漕ぎ別け行かむ岩船や月の雫も流れ笹川

いにしへの長者屋敷ぞ掘を穿ち茂みまばゆう我れ他所に見つ
 小国の長谷川邸も、鵜川の飯塚邸も、地震で壊滅的な被害を受けた、飯塚邸は立ち直ったが、長谷川邸はまだ、あと三年はかかるという。
月読みのまかりの道も馴れにしや辿りも行かめ奥入瀬の川

松代の街と云ふらむなつかしき三十年代にありし如くに
 松代も松之山も松なんかない、いやあるという、そうしたら何本かあった、雪深く山ふところの、今は北々線の駅もできて、賑わうのか、ふんどし町の十日町も。
過ぎ行けば夏の夕を十日町賑はふ里を我れは知らずも

松代や渋海の川の百合あへに人に知られで住むよしもがな
 渋海川は信濃川に次いで長い、いつでも水が濁る、地滑り地帯を行く、小国から赤谷松代と山奥の、坂上田村麻呂お手植えのけやきというのがある。
松代や渋海の川の百合あへの人に忘らゆ名をこそ惜しも

田を植えて松之山なむ道の瀬に腹へり食らふ笹団子をし
 松之山温泉凌雲閣は木造三階建ての、大正期のシックな建物であったが、地震でどうなったか。六月にはようやく雪が消えて、ずくなしの花盛り、鷲が飛んで行く。
吾妹子が松の山なむ田を植えてしげみへ夏を君や問ひ越せ

吾妹子が松之山なむ汲む水のきよきに入らめ遠き越路を
 信州へ入ると水が澄む、いや差し向かい清津川も中津川も清流、箕作の村から奥志賀へ、壮大な山並みに、萱の原などいうところあって、冬スキー客はリフトで登る。
ここをかも姥も泣くかや月詠みの行けばやい行け萱の原まで

秋山の夏なほ霧らひしかすがに平家の郷は人知れずこそ
 秋山郷は平家の落人部落で、長野県と新潟県に股がる、けわしい道を辿る、秋山といわれるだけあって名にしおう紅葉、峰には雪が降って彩り染める、いやもう世界一。
わさび田を右にし行かむ平家らが霧らひ晴るれば今夕望月

杉原の仙見の川に橋かけて間なくし鳴くか山ほととぎす
 仙見川は早出川の支流、夢のような清流で、やまめがいっぱい、てんぐちょうの群れ、ほととぎすが何十となく鳴く、こんなん見たことないといって、三年たって行くと開発だ、もうただの川。
杉原の仙見の川に橋かけて鳴き止まずけむ山ほととぎす

六十我が尋ね行きたや海の底山のはてなむ雪豹の道
 弟子に達者なのがいて、シュノーケルをつけて潜って、ふうっと吹いて水を抜いて、と教えて貰って、ふうっと吹いたらまだ水の中、どばっと飲んでふりもがいて、貝で足を切った、せっかく海底散歩は諦め。終戦は小学校三年だったな。
人みなの早に忘れてカンナの花やそは敗戦の東久爾内閣

年のへはならぬ梅さへ代継ぎの母のつとめぞこは土用干し
 白梅はいい梅がなって、紅梅は花はいいんだけど、でっかい上に種もでっかく。梅を取るのは大嫌い、なんせ薔薇科のいばら、傷をつけたらもうだめだし、ぶうぶう云って毎年取らされ。
茂み井に廻らふ月をくまなしや土用干しせん梅があたりも

土用なむ朴の廻りを日照りあへなんにおのれが歯痛み暮らす
 朴の皮を煎じて飲むと虫歯にならぬ、茄子のへたの炭でみがくといいと云い、それすると歯医者が倒産するでとか、なーんか半分ほんとうのような。
炎天下立ちん棒せる厚化粧たしかに夕を見附の祭り

しかすがに霧らひも行くか米山の蒲原田井を見れど飽かぬかも
 村ごとに米山薬師があって、わしらが村のはお寺が引き取って祀った。大きなもみの木があって、春の大風に田んぼに倒れ込み、舟つなぎの木という、蒲原平野は弥彦のあたりまで湿地だった。
守門なる笹廻小百合のゆりあへの人の姿にあどもへにけり

平家らが落ち人となむ剃髪せりし汝がみまかりし夏
 わしんとこで立職第一号は秋山郷出身で、彼の結婚式をすっぽかした形になって、謝りに行こうと思っていたら、死んでしまった、一生悔いが残る。ノルディックの国体手だった。
我がゆえに会へずもなりてみまかりし渠に回向の槿花一輪

のさばるは夏の烏か傍所村悲鳴を上げたる五助のばあさ
 五十嵐小文治は皇室よりも古いと云われる、こっちが即ち表日本であった、下田三千坊はなんの遺物も跡形もない、鏡が一枚出たという、それを持って朝鮮に赴任した校長さんとも、行方不明。
のさばるは夏の烏か三千坊守門がなへに雲井わたらへ

夏の日はなんに苦しえいやひこの蒲原田井にかなかなの鳴く
 どこもかしこも嫁ひでり、かと思うと婿どんがじき出ちまったり、農家がいやだというより、人を受け入れる心が欠落、しばらくこりゃどうしようもないか。母子家庭にゼニやらんようにすりゃいいって、それもまあ一案。
夏の日はなんに淋しえ米山の蒲原田辺にかなかなの鳴く

塚野目の人にも会へず降る雨や蒲原田井に夕凪わたる
 空手馬鹿の国際人がいて、それは優秀な男なんだが、じきミリタリーになる、ニュージーランドとオーストラリアに連れて行って貰った、かっぽれを釣ったりすてきな冒険だったが、蒲原平野に帰ってしばらくぼんやり。
笹川の流れに浮かぶほんだはらか寄りかく寄り年はふりにき

みるめ刈るしいや荒磯の波のむた別かれい行きし君をかも思ほゆ
 空手の馬鹿が水中銃を手に泳ぐ、八方から魚がよって来るという、石鯛を持ってきた、でっかいのを抱えたらばかっと逃げられたといって、胸に傷。
番神の寄せあふ波に暮れはてて沖つ見えむ烏賊釣り明かり

凄まじきものとや思へ柏崎沖つ見えむ烏賊釣り明かり
 一定間隔に列なる烏賊釣り船の明かり、北海道まで続くらしい、風情なんてもんじゃなく、正に人類一種族の貪婪、食いつくす迄に滅びるかってやつ。
出船には鳴きあへすらむかもめ鳥沖つ見えむ烏賊釣り明かり

夏の日は暮れじといえど松ケ浜入り泊てすらむ川面恋ほしき
 まんぼうの一尺に満たぬ子供が港いちめんに浮かぶ、そういえば卵の数が一番多いらしい、ちぬしか釣らんとうそぶいたら、さびきにいくらでもかかって、かまぼこの材料になる、けっこう食えるという。
夏の日は暮れじといえど与板橋行く川波がなんぞ恋ほしき

与板なるいくつ水門を越えてもや和島の郷は芦原がなへ
 塩入峠には良寛さんの歌碑がある、なんて書いてあるかようも読めん、塩が入って来るからと思ったら、井戸水に塩が入って塩の入り。温泉もあってまったりするほどきつい。
塩入りの牛追ひ人に我あらんつばくろ追ふて蒲原の郷
塩入りの牛追ひ人に我れあらむ与板の橋に夕を暮れなば

この夜さは寝やらずあるに萩を越え一つ舞ひ行く残んの蛍
 八月になってもぽつんと飛んで行く蛍、年だと思うのは暑さ、いやもうたまらんと35度40度近く、仕方なく人なみにお寺もエアコンの部屋を。
くだしくに雨は降るかやこの夕万ず虫ども寄せあふ如く

いみじくも暑き夏なへあしかびの待たなむものは雨の涼しさ
 熱暑とひでり続きに、山も砂漠、朴や楓の葉の大きいのから枯れ始める、どうなるかと思ったら雨が降った、天道人を殺さずとばあさが云った、じきに通用しなくなる。
柏崎廻らひ行ける久しきに山尾の萩の風揺れわたる

名にしおふひすいの里と聞き越せどしの降る雨を青海川波
 ひすいを盗掘してとっつかまった中学の先生とか、セクハラよりは格好いいか、フォッサマグナミュージアムに何十人案内して、新鉱物が発見されてまた行った、どかんと転がったひすいを、持ち上がるどころではなく。
虹かかり金山掘りの橋立の久しき時ゆま葛生ひたる

こしみちの茂み田浦が百日紅四十路の夏も過ぎにけらしや
 さるすべりの木が、さして年もとらぬのに弱る、蟻が巣を作る、いや水はけが悪いからだといって、暑い夏が来たら花をつける、どか雪でめちゃんこになったのが盛り返した。
四十男が空ろ思ひを百日紅蝉の声のみあり通ひつつ

破間の八十氏川の川淀も浮かび寄せたるやませみの羽根
 浮きを流していわなを釣っていると、やませみがあっちへ行きこっちへ行き、夏の終わりをその尾羽根が漂う、どうしたのかな。
下関の十軒田井の外れにも木立どよもし蝉の鳴くなる

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これで最終かな

二連禅歌=秋


山門をとく夕立の降り止めばいついつ聞かむ虫の鳴くなる
 わが参道はすずむしの大合唱、夕立が過ぎるともう虫が鳴いている。そうさなあ、安定した季節感は終わったか、異常気象の洪水や地震や、むかしをなつかしむより、人間のほうが先におかしくなってさ。
大面村松の尾上を月詠みの雲井わたらひ小夜更けにけり

いやひこの何に鳴きあへ谷内烏早稲の田うらに日は照りまさる
 蒲原田んぼに烏が群れて、どこかゴッホの絵を見るような。托鉢して歩いていた雲水のころ、でもって住職三年火の車の、わけのわからん何年かをさ、うっふう蒲原田んぼ。
いやひこの何に群れあへ谷内烏早稲の田うらに雨もよひする
谷内烏鳴くも悲しえいやひこの早稲の田うらに長雨ぞ降る

今日もがも田んぼの烏かかと鳴け六郎屋敷に嫁は来ずとや
 空前の嫁ひでりになって、婿どんを貰うほうが早かったり、そいつがあっというまに別れて、じっさばっさ子育て、娘はどうした、いえそのう、とにかく檀家半減しそう。
夏草も刈らずてあれやかかと鳴く烏も外けて六郎屋敷

群らふ鷺茂み田浦が夕のへも風をしのひに秋長けにけり
 大河津分水の、水の出たあと取り残された魚がいて、子供と遊びに行って、ばけつを拾って来て何十も取った、六十センチの鮒がいたり、魚の数はまあものすごいものがあった、今はどうなってるんだろ、同じかな。
芦辺なし吹く風しのひ大河津舞ひ行く鷺の姿さへ見ず

郷別けの中なる川に橋かけてわたらふ月は清やにも照らせ
 郷別け中という地名があったが、なくなった、今は傍所という、これもどっか変わっている、鬼やんまがすーいと飛んで行って、池の島とか、牛が首とかいう、川向うの名前。
郷別けの中なる川に橋かけてわたらふ月は池島に行く

若栗はいついつ稔るあしびきの山押す風に問ふても聞かな
 おふくろが早稲と奥手の栗を二本ずつ植えた、わせは山栗よりも甘く、おいしかった、奥手はでかいんだが誰も食わず、おふくろが死んで二十年たつ、栗の木も伐られる。
若栗の稔らふ待ちにあしびきの山押す風がなんぞ恋ほしき

蒲原のはざうら田井もいついつか秋になりぬれ雨降りながら
 降り続く年があって、大河津分水は河川敷にも水が来て、ミニ揚子江だなぞ云ったが、本家本元の中国は、未曾有の大洪水、そりゃ?もうものすごい、河神の申し子だといって、かつがつ助かった子を、大事にするとか。
大河津別けても降れる長雨のまふらまふらに秋の風吹く

与板なる芦辺をさして行く鷺の泊てむとしてやまたも舞ひ行く
 頭からうなじのあたり黄色い、ときでも逃げて来たんかな、あんなのはじめて見たと思ったら、図鑑にあまさぎと出ていた、ごく普通の種だそうだ、新潟も水郷でいろんな鷺がいる。
与板なる橋を越えても長雨は降り止まずけむあれは米山

米山のぴっからしゃんから谷内烏早稲の田うらに夕焼けわたる
 米山さんからぴっからしゃんから雷鳴ったり雨が降ったり、蒲原郷いったいの百姓の神さま米山薬師、道の改修で村の米山さんは、お寺に合祇した。ここからは見えない。
米山のぴっからしゃんから群雀田うら田浦に穂向き寄りあへ
こんぺいとうに赤のまんま咲く門前は刈り終えてすでに久しき

つゆしのふ長者屋敷はこしみちの早稲の田浦を押し別け行かな
 伝兵衛さは大旦那であって、お寺のかかりの半分はまかなったという、農地開放と事業の失敗で、広大なお屋敷は人手にわたる、こじんまりした家に住んで、花がいっぱい。せがれが文部官僚になった。
つゆしのふ長者屋敷は月詠みの萩の門を押し別け行かな

山を越えここはもいずこ十日町植う杉しだえ人も老ひぬれ
 インドの民族画というのかな、ミチーラ美術館とか、新興宗教の教祖さまの故郷だったりして、十日町は織物の郷、山は深く雪も深く、折れ曲がった杉。
妹らがりい行くもあらんあしびきの山尾の萩の風揺れわたる
あしかびの十二社の寄りあへに人住む郷と我が問ひ越せね

余目の乙女が子ろを見まく欲り早稲の田浦に吹く風のよき
 ぽんこつに弟子どもと乗り込んでみちのくの旅に出る、九月は稲刈り坊主はひま。余目というのは、目だけ残す日除けのかぶりもの、いやれが地名になったかどうか、
鳥海のおのれ廻らふ久しきに遊佐の田浦に出羽の風吹く

おくのわが物思ひせむは大杉の太平山とぞただずまひけれ
 中学の時に秋田市に住んで、蝶を採集したり、喧嘩をしたり、秋田犬のそりに乗ったり、どう見ても青い目の女の子や、何十年振りに来て、木の内百貨店とお掘りが残っていた。
清やけきは出羽の郷なむ雄物川浮かべる瀬々に思ほゆるかも

行く春を思ひおこせや水の辺の碇ケ関とふおくの清やけさ
 碇ヶ関というのは、殿様がお忍びで来た温泉があったというだけの、関所はなかったと聞いた。弘前へ入ったら、どっとなつかしいりんごの郷、青荷温泉混浴の湯、電気は来ているのにランプの宿。
梓弓春を迎えむ大杉の出羽の田代とおくの清やけさ

僧我れや六十を過ぎて訪はむりんごの国の何を悲しと
 りんごは手の届くほどのは取ってもいいんだと、弘前大学の卒業生が云った。もったいないほどの見事なりんご。せっかくの川が排水に汚れて、でもやまめがいっぱいいた。
青荷なるランプの宿をま悲しみ問ひにし行けば川音清やけし

門付けて我も行かめやじょんがらの津軽の郷に雪降りしきり
 津軽三味線高橋竹山の写真があった、最後の人間というのかな、こりゃ国宝だと云って立ち尽くす。そうしてそりゃやっぱり十和田湖の絶景、奥入瀬川また風景の代表。
いにしへの月を知らじや行く秋の長けき思ひを奥入瀬の川

染め出でて何に恋しやけむり立つ酸ケ湯と云ふぞ舞ふらむ蝶も
 酸ケ湯は有名な混浴温泉、どうして年々杓子定規になるんだやら、別時間をもうけたり、きべりたては、くじゃくちょうが舞う。じきに三内丸山古墳の、集会場の復刻版が気に入って、修行道場に欲しいなど。
日は上り月は廻らへ三内の埴輪の眉の空しゅうもありて

下北は遠くにありと思ふれど秋風しのひ野辺地を過ぎぬ
 下北の野辺地という、久しぶりに旅に出たという感慨、八百比丘尼が運ぶ椿の花の北限、浅虫温泉というでっかいのはパスして、先へ行く。スクールバスが先導の形、いずこ変わらぬ女高生のまあ。
二人していずこ宿らむはまなすの茂み野辺地を吹く風わたる

行き行きて終ひの宿りを下北の松美はしき夕凪ぎにして
 下北温泉はなんでも屋を兼ねて、かあちゃん料理、たっぷりでまたおいしく、おめさま方恐れ山の大祭さ来た坊さまだけ、わかんねわかんねそったらこえーとこって、こっちも津軽弁で。
冬さびてもがりわたらへ下北の恐れの山と我れ他所に見つ

国民の鎮守と云ふぞつゆじもの忘れて思へや陸奥の稲群
 レーダーサイトがあって陸奥湾には艦隊が停泊、赤レンガの宿舎があったり。またこの辺りには田圃がある。仏が浦は奇岩絶壁、下りて行く道があったがしんどい、一カ所だけ見下ろせる所がある。
時にして荒れなむものをさひはての仏が浦とふ舟の寄りあへ

会津らはつとに長らへ下北の清き川内と笹鳴りすらむ
 戊申の役のあと会津藩士が移り住んだ、大変な暮らしの中に子弟の教育だけは忘れなかったという、川内川という美しい川の上流、やまめが泳ぐ。
初々に雪は降りしけもののふの清き川内と笹鳴りすらむ

出船にはなんに鳴きあへかもめ鳥大間が岬に夕を暮れなば
 大間岬から函館へ行くフェリーは四十五分、うるさくよったくって餌をねだるかもめ、腕がにょきっと伸びて、てぐす引いてマグロを釣るんだという、漫画のようなモニュメント。
手ぐす引き鮪釣るらむ波枕寝ねても渡れ津軽の海ぞ

背子楽子がアイヌ神威に入らむ日や舟のへさきに寄りあふものは
 これはでも新潟港からフェリーに乗って、小樽へは翌日の午後五時着、車は二万円一人ただ、あと二人は二千円という、のんびり貧乏旅、坊主頭を当時オウムと間違えられたりして。
大島や小島の沖にいよるさへくしくも思へ暮れあひ小樽

カザルスのバッハを聞くは神威かもしが大空にして涙流るる
 札幌には弟子が行っていて、くろまぐろの刺身だの青いほっきがいだの、ゼニもないのに大変なご馳走をする、彼の思う人と彼を思う人と、どうも物は二分裂、バッハのCDを貰って行く。
ウルップの北海沖をしましくは一つ木の葉に舞ふぞ悲しき

えぞ蕗の露にもしのへいにしへゆ見果てぬ夢は金山の郷
 十勝平野金山湖畔に宿を取る、ライダーはバイクで北海道を一周する、チャリラーは自転車、トホラーは歩いてという、ライダーの宿五百円など。キャンプ場は満員。
ライダーの宿とは云はむ過ぎ行けば夏を残んの芹の花ぞも

あけぼののオホーツクかも雪の辺に李咲くらむ知らじや吾妹
 丸瀬布温泉というところに泊まる、雪の原に花の咲く写真、すももの花だと客が云った、りんごしじみ、おおいちもんじ、蝶で有名なもうここはオホーツク。
りんごしじみおおいちもんじの丸瀬布タイムマシーンに乗れる如くに

行く秋をここに迎えむサロマ湖や寄せあふ波はオホーツクの海
 シーズンオフになって釣り具屋も店じまい、ラーメン屋もしまって閑散。サロマ湖の向こうには荒波が押し寄せ、岬には風が吹く。
岬には花を問はむにオホーツクの波風高し行くには行かじ

知床やウトロ岬のかもめ鳥何を告げなん行く手をよぎる
 北海道を一県と間違えてぶっ飛ばす、行けども行けども、網走刑務所跡を見過ごし、鮭の川を眺めてつったち、トホラーの女の子は残念反対方向へ行き、だれか荒海にルアーを投げ。
知床に海人のさし網差し入れて迎えむものは二十一世紀も

知床の花の岬を今日もがも神威こやさむ我れ他所に見つ
 知床半島に行ってみたかったが、昼も過ぎて、美しい羅臼岳の道を行く、ひぐまの出そうな堰でもって、おしょろこまを釣る、でっかいのを隠しもっていてがれに怒られ、だってハングリー世代はなと、ごみのぽい捨てはわしはしないんだって。
羅臼らは夏を清やけく舞へるらむ笹にかんばの衣つけながら

暮れ行きて宿を仮らむに白糠の鮭ののぼるを眺めやりつつ
 どういうわけか宿を断られ、一軒三軒、白糠というところで鮭の遡るのを眺めて突っ立つ、馬主来バシュクルと読むらしい、暮れ落ちてあっちへ行きこっちへ行き、野宿。
かき暮れて宿を借らむに馬主来の右に問へれば左へそける

音別の波をも知るや行く秋の神威廻らへ満天の星
 どろんこ車ガソリンスタンドに寄せると、釣りけと兄ちゃん、うん釣れねえや、そっかなラッコ川でもえり川でも、百二百釣れたがなあと云って、教えてくれた、釣れた。
ここにして神威こやさむ夏なほもラッコ川とふ吹き散る落ち葉

ひよどりに残んの酒を汲み交はしつとに終えなむ鱒釣りの旅
 風もないのにはらはらと落葉、もう秋が来るのか、競馬馬で有名な辺りを過ぎ、襟裳岬に夕暮れ、どっか遠くに雷鳴って、じきに雨がはらつく。
秋の陽を寄せあひすらむわたつみや襟裳岬を過ぎがてにせむ

門別に鳴る神わたり廻らへば過ぎし空知は如何にやあらむ
 雨が上がって札幌の夜景は見事、フェリーの時間を間違えて、最後の晩餐飲んで食ってやってて、ついにまた一泊、間抜けな話。
えぞ鹿の声だに聞かじ夕霧らひ行くにはい行け石狩の野を

遠々に帰り来つれば長雨の萩はしだれも咲き満ちてけれ
 せっかく萩が咲くと雨ばっかり降って、しだれ咲き満つ、風情と云えば風情なんだがさ。萩は便利で、冬には刈り取ってホウキにもして、春には勢いよく芽吹いて来る。
軒の辺のしだれも萩は咲き満つに雲井も出でな夕の月影

寝ねいては虫の鳴く音に行き通ひ今宵は月の出でずともよし
 萩が散って紅葉になるまではなんにもなし、虫の音もこおろぎになっておしまい、秋のお彼岸はまたほとんど人が来ない、稲刈りが終わったばかり。
長雨の小萩の花し散らふれば山の門とは誰をし待ため

山古志の水辺小萩の咲き乱れなんに舞ひ行くこは雲に鳥
 山古志村の萩の道は、地震でもってずたずた、逃げ出した鯉が泳ぐんだろうか、せっかくの池だ、牛ひっぱって来て、どうだってんで、ただもう観光専門にしろと云って、怒られた。
山古志の水辺小萩の咲き乱れなんに鳴き行くこは月に鳥

人はいさ老ひ行くものを備中の玉島ならむつらつら椿
 テレビで見た老い行く村の、あるいは廃村になる話、大面山にはお寺の開基さんである、丸太伊豆守のお城があった、掘り跡が残る、そうさなあ、人間もいつか詠み人知らず。
武士のいにしへ垣のいつしばも押し照る月を読み人知らず

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守門なる茂み芦辺に月は出で何の群れかも鳴きわたらへる

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 つりふねそうの実はほうせんかのように撥ね散る、あぶるま川へ入ったら、すずめばちの巣があって、弟子どもが刺された、なんとか大丈夫だった。
たぎつるは破間川をはやみかも恋ふらむあればつり舟の花

山古志のその奥の井に我が行くか初々萩の咲き満つるまで
 山古志は山のてっぺんまで田んぼで、曲がりくねった道が縦横について、うっかり入ったらいったいどこへ行くか、古志郡山古志村から、地震後長岡市になった。
山古志のその奥の井に我が行くか人を恋ふらむ道の如くに

聞こゆるはなんの音かも片貝の花火にあらむ初秋にして
 静岡へ行った弟子の初デイトが片貝の花火、四尺玉がこの年は成功して、長岡の三尺玉を越えたんだといって大威張り、風の向きでお寺まで音が聞こえて来たりする、九月初旬。
片貝の花火にあらん初秋やたれ見に行かむ汝とその妹と

棟上げの秋たけなはや野しおんの花の門にするめ一対
 戊申の役で焼けたあとに建てたという、お寺の接客を建て直す、あんまりひどかった、やっと人並みになるっていうんで、本当は鯛を奢って、銭に餅を撒いて棟上げ式。
野しおんの花にめぐらふ夫婦なれ新室祝ひするめ一対

勇名のかやつり草も茂しきや塚の辺には搭婆一本
 かやつりぐさ、きばなのあきぎり、ままこのしりぬぐい、えーともう忘れちまった、雑草の名は子供の遊びから来たりして、ずいぶん風情がある、もうだれも見向きもしない、一つの文化が滅び去る。勇名居士と。
勇名のかやつり草も茂しきや大居士ならむ雨にそほ降る

時を超え帰り行くとふヒマラヤの花の谷間の青きけしはも
 だからさ、そういう歌を詠んだらちっとは人も知ると云われて、勢い込んでフィレンツェのと作ったら、首かしげて、やっぱりおまえのは駄目なんだって、そうかなあ。
フィレンツェの手料理となむ君もしやポテッツェルリの春の如くに
見附路や夕べ死ぬるは酒にして火炎茸とふ食らへる男

四十にて議員になりし清一郎永眠せりしは夏の終はりに
 酒屋の息子がアル中になって死んだ。いい男で、ようまあ話に来た、イベントだの経済政策だのなんだの、一所懸命して市会議員になった、選挙の間にかあちゃんに逃げられ。
一箇だに打ちだしえぬとな思ひそね柿のたははに底無しの天

三兵衛の嫁取りならむ大面村田ごとの松に押し照る月も
 覚兵衛どんの結婚式に呼ばれて行った、一人もんのかあちゃんと二人、音痴声張り上げてなんか歌おうと思ったら、時間切れ、弟の方も翌年めでたくゴールイン。
長け行きてしましく夜半を目覚むれば雪のやふなる月にてあらん

常波の清やけくあらむよしえやし踏みし石ねも忘らえずあれ
 阿賀野川の支流常波川は美しい川で、わしらのほうの山を越えた、ほんにそこまで来ている。山を越えては行かれぬ。回って行くと老人ばっかりの一村。
月詠みのすみ故郷にこれありや山も草木も常波の河

我をまたつげ義晴のいにしへゆ花に問へりし津川の里は
 じゃりん子知恵もいいんだけど、つげ義晴がやっぱり最高だって、あいつどすけべだけどな、なんせえ津川の町は彼の漫画のような、夢のような、なつかしい感じを残していた。
我をまたつげ義晴のいにしへゆ月に問へりし津川の街は

二十世紀なほうつろはむ曼珠沙華年ふり人の思ひは行かじ
 曼珠沙華彼岸花はおもとみたいに緑であったのが、すっかりなくなって、ふーいと伸びて花だけが咲く、また別種の彼岸花がある。こっちは淡いピンクの花。
二十一世紀なほうつろへな曼珠沙華鮫ケ井の辺にたが声を聞く

エルニーニョ曇らひも行け曼珠沙華狂人北斎の筆になるとふ
 ごんしゃんごんしゃん雨が降るっていうのは、北原白秋か、なんせ不勉強だし、文才はないし、曼珠沙華だのほととぎすだ、てんでお呼びでなく、つまり現代子かな。
つくつくほうし名残り鳴くなへ曼珠沙華いついつ我れも狂人北斎

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 上塩下塩中塩入塩とあって、かみじょなかじょと云うんだそうだ、真人はまっと、牛の尾はうしのおだけど、牛ケ首というのもある、どういういわれなのか知らぬ。
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広神の松の嶺いに月かかり帰り来つれば我が門とへに
 守門に雪が降ってしばらくは上天気、一月したら下界にやって来る、栃尾は見附の三倍、守門の裏の入広瀬は、そのまた何倍か、半年間の冬が来る。
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蒲原の天つみ空に舞ひ行かなそは満州の泥の木穂棉
 先先住のせがれが戦争で満州へ行って、苗木を持ち帰って植えた。どろのきの仲間という、晩秋に穂棉を飛ばす、くわがたがつくのでそのままにしておいたら、くわがたは消えて大木になった。こりゃ大弱り。
初々の雪は降れりと聞こえけむしが山古志のかなやの郷に

良寛のおらあがんとて木枯らしは昨日も今日も吹き荒れなむに
 良寛さんは他人のものでもなんでも、おらあがん=わしのもの、と書いた、なんせ良寛博士みたいな人が多く、どっちかっていうと、いえさ、木枯らしのほうがさっぱりしていて。
おらあがん吹き荒れなんに鬼木なる橋を越えたるこれの閑そけさ

鬼木なる橋を越えてもしましくは吹き荒れ舞はむ郷別け烏
 良寛さんの五合庵公園ができて、食いもの屋も土産物屋もできて、流行ることはけっこう流行っている、たこあしのフライ噛って、女の子案内して、上ったり下りたり。
いついつか松は枯れたり国上山おらあがんとぞさ霧らひも行け

津軽より帰り来たれるおのれをぞなほ木枯らしの吹くぞおかしき
 津軽出身の人がいて、津軽三味線山上進講演会があったり、ねぶた見に行く会があったり、ねぶた見たいと思うのに、お盆の真っ最中、真冬に何人かで行って来た。
木枯らしに狂へる夕を寝ねやればなほ故郷と思ひこそすれ

夕霧らふ浅間をかよひ嬬恋の村に入るべく小夜更けにけり
 おふくろを信州の故郷に分骨して、草津温泉に泊ろうかと、道に迷って延々行って、高速道路に乗ってただもう帰って来た。満月の夜だった。
雲いにも見裂ける月は嬬恋のおのれをのみと通ひ来にけり
嬬恋の雲井に月の隠らくはあしたをしじに雪はふりしく

山のまを出ては天降る月の影いくつ里辺を通ひ過ぎにき
 わしはどうしようもない親不孝罰当たりのせがれであって、葬式だけは商売柄出したということか、なんにもしてやれなかった、大法だけは伝えて行こうと。
月影を眩しみ我れは行く川のかそけきなへに入り泊てむとす

田子倉の深き水辺に時さひてしじにも雪は降りしかむとす
 田子倉ダムのぶなの原始林に雪が降る、道は閉ざされて、小出会津若松間の鉄道だけが通う、冬は失業保険貰って、かもしかだの撃って暮らす、いやそのう、口の軽いやつにはお裾分けできないって。
田子倉ゆ雪降りしけば笹がねの会津に入らむ春遠みかも

秋の陽を寄せあひすらむ河の辺やなんに袖振り会津の人も
 西会津のまたこんなところまで、きのこ取りに行って、それが寝てて取れるほど取れたり、山鳥の子が群れていたり、うはうは云って、翌年行ったらなーんにもなく。
熱塩ゆ加納に越ゆるしだり尾の山鶏の子が群らふよろしき 

これはこれ弥平四郎と飯豊なむ山は閉ざして舞ひ散る落ち葉
 奥川渓谷のとっつきの村を弥平四郎といって、飯豊山の登山口になっている、春にも行き、秋にも行ったが、山には登ってない、もうわしみたいぽんこつには無理か。
これはこれ弥平四郎と飯豊なむ山は閉ざしてしの降る雪も
阿賀野川山なみしるく見ゆるは研鎌の月ぞ入りあへ行かめ

北国に我も住まへれ初しぐれ一休猿のこはうずくまる
 北国しぐれというより、なにしろ降りだすと降って来る、毎日真っ暗けで、落ち葉をせいては水びたし、初しぐれは風情があるたって、いやもうこいつは。
北国に我も住まへれ初しぐれ田ごとの松に夕かぎろへる

北国の降りぬ時雨は止みもせで鳴る神起こし雪はうち降る
 降っているうちに雪うちまじりと、だがそれは本格の雪ではない、突然雨が止む、ふうっと晴れ渡って地面が乾く、するとどんがらがら雪起こし、あとはもう積もるばかり。
北国の降りぬ時雨の止みぬれば鳴る神わたり雪はうちしく

米山に雪は降れりと夕べには人にも告げな田の末紅葉
 焼山に降ったというのが、雪の知らせかな、どこに降っても私にはわかると、宮城道男が云った、そりゃそのとおりだと思う、紅葉の盛りにも降ったりする。
大面村田ごとの松に初々の降りしく雪は暮れ入りにけれ

あかねさし月は今夕もわたらへど雪を待つらく軒辺淋しも
 柿なんかだれも取って食わなくなって、ひよどりや烏の、たいてい年を越えて寄ったかる、いちめん雪になってからだ、雪には柿がよく似合う。
栄ゆると名をし代えたる大面村雪に残んのこは柿もみじ

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歌夏

 二連禅歌=夏


いにしへは飯を盛るとふ朴柏おほにし咲けば人恋ほしかも
 田植えが終わって、山門は人気もなく、朴の花があっちやこっちに咲いて夏、大きな葉っぱは、お盆には刻んだ野菜を載せて、お墓に供える、山門には、天邪鬼を踏んずけて四天王。 
朴柏おほにし咲けばいにしへゆつばくろ問へり四天王門

夏草は茂くし生ふれねじ花の汝をも愛ほし過がてにせむ
 山道の芝草の中にねじばなが咲く、美しい花だ、年によって数本咲いたり、群れになったりする、刈るなよというのを弟子が刈ってしまう。
ねじ花の汝をも愛ほし過ぎがての門の草を刈らしきはたれ

守門なる刈谷川辺に郭公の鳴きわたらへば時過ぎにけり
 これは万葉にあるのをそっくり真似た、鯉釣りに行ったらさっぱり釣れぬ、かっこうが鳴きわたる、ああそういうことかといってあてずっぽう。守門は南蒲原のどこからでも見える。
守門なるはだれの雪も消えぬらむ与板の橋をわたらへや君

恋痛み加治川橋と行き通ひ哀れや猿の物乞ひしつれ
 加治川は桜名所であったが、出家した翌年洪水で全滅、奥深い清流には猿が棲む、学者仏教を猿の月影を追うという、目つきのよくない猿がいた。なにかを掘った鉱山跡があった。
恋痛み加治川橋と行き通ひ哀れや猿の月影を追ふ

あしびきの山川なべに住まふ鳥鳴きわたらひて広神へ行く
 やまめを釣りに行くと、目の前に大物が現れて、悠然と向こうへ行く、でもって一尾も釣れず、入広瀬の葦原を夕方、みずとりの群れが立つ。
加茂川の芦辺に宿る鳥だにもつがひに舞へや夏の雲井を

年寄るはなんに淋しえ鳥越の椎い葉末に言問ひよさめ
 三島郡鳥越に法要博士がいた、悟ったりすると阿呆になるなと申し合わせて、葬式坊主どもに流行らかし、しまい宝筐寺の住持になった、仏教のぶの字もない宗門、一人淋しく死んだらしい。
夏来れば椎いをわたる風さへに袖吹き返し咲まへる子らは

山を越ゆ鳥にはあらね乙女らが袖吹き返し荒磯辺に行く
 鳥越はいいところだ、元気な女の子がいた、物部神社という大鳥居、深い山を越えて海へ行く、わがドライブコースは地震でずたずた、三年してようやく復旧。
物部の香椎の宮の乙女らが早苗取る手に言問ひ忘れ

実川の春を深みかいにしへの五十嵐の家を言問ひ難し
 西会津へ入るところに実川と奥川という清流がある、実川は特に急峻で、中ほどに大杉の林があり、粗末な看板に、五十嵐の家と示す。人が住んでいる、何軒あるか、尋ねるには気が引ける。
代々をしも住みなしけんや実川の春の門を言問ひ難し

実川の春いや深み散りしける花の門を言問ひがたし
 阿賀野川の支流、ともに飯豊の山中から馳せ下る、下界は花が散っても、まだ雪が残る、五十嵐の家の他に村はなく、奥川は弥平四郎という村が最後。
飯豊なむ雪し消ぬれば実川の代々に伝へむ花と月かげ

かもしかの足掻かふほどが雪代もなほ萌え出ずるいくつ村字
 秋山郷の六月、ようやく雪が消えて、沢にはまだ分厚く残って、ぜんまい取りが行く、かもしかが走る、山菜取りは評判が悪い、どこもかしこも入山禁止の赤札。
こしみちはぜんまひ取りの夏ならむ雪に問へるはしが木漏れ日も

つぎねふ嶺いの道と思しきや曲がりしだえて花にしぞ咲く
 魚沼スカイラインという、すばらしいドライブコースがある、雪に圧されて、地を這うように咲く花、ぶなの林は残雪と新緑。
椿沢三年に帰る夏なれや人に会はなむ雪をけ荒き

田を植えて人に恋ふらむつばくろや粟が守門にはだれ消えつつ
 ともに金物の町燕と三条は仲が悪い、はたして合併は別になった、信濃河はこのあたり、中之口河と二流れになる、道は入り組んでようも覚えぬ。
田を植えて早に渡らへつばくろや二た別れ行く信濃河波

田人らが舟をもやへる大曲のしげみ芦辺に夏いやまさる
 与板橋の下流には幾つかの島があって、田んぼや畑を作って行き来する、その舟がつなぎっぱなしになって夏。町軽井には遊女もいて、夏の夕方はそのむかしー 。
あかねさし月さし出でて与板橋もやへる舟は誰を待つらむか

与板橋もやへる舟を芦辺にか野鯉は釣れじ夕風わたる
 舟があっちへ行きこっちへかしぎ、野鯉は釣れず、旧橋桁がそのまんま残って、格好の魚の巣、一メートル五0センチの大物を見たと弟子がいう、ほんとうかな。
束の間もよしやあしやの信濃河暮れ入るさへに行々子かも

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 くちなしを貰って来て植えたのに枯れてしまった、せっかく風情も面倒見が悪くってだめ、でもってやっぱり鯉釣りに行く、釣れずにみずとりの群れを眺め。
与板橋流らひわたる水鳥の舞ひ舞ひ戻り夏いや茂み

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 戊申の役に破れた河合継之介は、会津へ落ち延びる途中、鉄砲傷が悪化して死ぬ。この道であったかどうか、八十里越えと六十里越えという道が今も残る。ずくなしは卯の花の遠縁。
破間の月を迎へて卯の花の茂み会津へ六十里越え

雪代のたぎつる瀬々と思しきやこは破間をやませみの鳥
 破間(あぶるま)川には一メートルのいわなが棲んだという、豪雪の入広瀬を流れる、そう云えばちょっとした淵を竿が立たない、へえといって魂消た、なにしろやませみの颯爽たる姿。
行く行くは信濃の河にさしいれて橋を越ゆれば芹沢の郷

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真葛生ふる山のまにして春蝉の長鳴きつつに日はも過ぎぬれ
 みーんーんと眠ったげに鳴く、まさか今頃と思ったら春蝉という、透明な青い蝉。糸魚川へ行く岬には、ひめはるぜみという天然記念物が棲む。
春蝉の長鳴きつつに山を越え風の頼りもうらみ葛の葉

いやひこの何に鳴きあへ谷内烏六兵衛田んぼは植え終えずけむ
 日本は役人天国であって、烏天国であって、やひこさまのお使いかどうか、なんせ烏がよったくって、夏が来て秋になってというふう、烏はきらいじゃないんだが。
いやひこの何に群れあへ谷内烏六兵衛田んぼを夏の風吹く

いやひこの蒲原田井を夏なれや朝な夕なにかなかなの鳴く
 山のとっつきはひぐらしが鳴く、朝に夕に鳴く、早朝四時というともう鳴いて、うら淋しいとよりはすざまじいほどに。
いやひこの蒲原田井を住み憂くや朝も明けぬにかなかなの鳴く

いやひこの蒲原田井を住み憂くや雨に降りあへかなかなの鳴く
 たいてい空梅雨が後半になって豪雨、お寺の水は前谷内という村の、田んぼを海にして、いや申し訳ないと云ったってどうしようば、
住み憂くてなんの夏なへ米山の蒲原田井にかなかなの鳴く

田上行く青葉嵐か吹きしのひ守門がなへにはだれ消ぬれば
 守門はいい山で、六月雪消えを待って、雲水や居士大姉らで登って行った、固有種と云はれる花が咲く、そりゃもう見たこともないような、いえそっちは登りやすいんだ、こっちが云々と、登山口は六つもある。
安兵衛の花の菖蒲は咲かずかも河辺をわたり郭公の鳴く

水無月の花に吹き入れあがの川たが客人か舟に棹さす
 遊覧船なんかより川を復活させろって、日本人は川が命、がきのころから、泳いだり魚を取ったり、死んだのちにも灯籠流しをなーんてさ。
この村を弥平四郎と飯豊なむなほ奥川の花に散りあふ

熱塩の加納を行かずはしだり尾の群れ山鳥に会えずもなりな
 奥川の終点は弥平四郎という村で、飯豊の登山口になる、それを脇に見て行くと、熱塩加納という道、峠を越えて四軒部落がある、地滑りで不通になって、みやまからすあげはの数百の群れ、秋には山鳥が何十羽も。
百重にし群れあふ蝶の熱塩の加納の道はふたぎけるかな

ずくなしのくたちに山を深みかも右は会津へ伊南川波
 へえ格好の川があったと、二人でやまめを釣っていると、そいつがさっぱり釣れぬ、相棒が人と話をしている、行ってみたら入漁料をよこせという、合わせ取られた。もりあおがえるのでっかいのがすっ飛んだり。
柳津ゆ阿賀の川へも入り行くに夏日暮れつつ宿借るに憂き

雨降れば蛙鳴くなる柳津の灯どちが明け行きにけれ
 不忍池の岸に休んでいたら、そこを退け早くという、なんと巨大などぶねずみ、変に臭い、どうもこれホームレスの便所らしく、でもやっぱり花は蓮。
鬼やんま蛙も鳴くかしのばずやむかしを今に柳津の川

板倉の雪の伝へを越え別けてこぶしの花も詠み人知らず
 六月になっても雪が残り、こぶしの花が咲く、信州との境板倉清里大島と、このあたりまた地滑り地帯。
妻問ひに清里行かめこぶし花万ず代かけて雪はふりつつ

妹が家も継ぎてみましを大島の茂み門は清やにあり越せ
 黒姫山は三つあって、妙高にあるのと姫川と、そうしてこれ。同じ伝説があり、各人気があって、雪ひだがまた美しい、松代大島清里と田んぼの村々。
田を植えていくつ村字うぐいすのしのひ鳴くかや大島に行く

ますらをと思へる我や竿を振り信濃河辺の鯉をしぞ釣る
 鯉釣りは情熱だった、一日一寸十日でやっと一尺、手を広げて何時何日おれはとやる、釣り上げて足ががくがく。指が震えて魚が外れない。
青柳の雨の降るさへ越し人の信濃河辺に投網暮らしつ

蒲原の沖つ興野にはざ木立つ雨降るさへがなんぞわぶしき
 はざ木はたまぎという木を並べ植え、竿を通して刈った稲を掛ける、雨ばっかり降ってはざのまんま芽が出たというのも今はむかし、田んぼ工場は一町〜五町で一枚。
夏の日は棗の花に満ち咲きて雨降り我はここに宿仮る

むくげ咲く夏のあしたをしのへ我が蒲原田井のま草刈りつつ
 道の辺の槿は馬に食はれたり、野ざらし紀行のなぜかこの句だけ覚えている。むくげの花は一日限りの、次から次へ無数の花をつけ。
むくげ咲く寺井さ庭にま草刈りいついつ我は息絶えなんに

掃き清め大般若会を待ついとまつばくろ問へり四天王門
 七月の第一日曜がお寺の大般若会、なんせ暑い真っ盛り、冷房のないころは涼しいお寺の筆頭だったし、山門にある四天王は蒲原平の五穀豊穣を見そなわす。
宋代のたれぞ写せし六祖像どくろ面なるそがなつかしき

奴奈川のこしの伝へゆ問ひ越せば寄せあふ波に能登の島見ゆ
 こしはかしという玉の意がなまったものと、古代世界に知れ渡ったひすい、尺物のちぬを始めて釣って、スピード違反でとっつかまった、おれも釣りすんだ見せろと警官、ちえ頭来る。
空ろ木のもとないよらへ太夫浜すずきは釣れじ月さし上る

五月雨の降り残してや春日山杉のさ庭に舞ひ行くは鷹
 うちは上杉謙信の菩提寺、春日山のお寺とそっくりだっていう、行ってみたら似てない、閑散とした処だけそっくり。同じ曹洞宗で、弟子と同安居が跡を継いだなと。
五月雨の降り残してや春日山さ霧らふ月に鳴くほととぎす

大面村雨しの降るにほととぎす二声鳴きて蒲原に過ぐ
 うぐいすが鳴きほととぎすが鳴きちいぽおと色んな鳥が鳴く、へえと思ったら百舌鳥だった、さすが百舌。むかしはお寺でも聞こえたホッキョカケタカ、今は山奥へ行かぬと。
守門なる西川なべをほととぎす鳴きわたらへば雨にしの降る

うれたくも降れる雨かやむら雀朝な夕なをさへずり止まね
 改装した新二階に住んでいたら、雀が来て出て行けという、たしかに雀の巣があった、うっさいここはおらあちだといったら、びいと糞ひって行く。跡が残り雀は鬼瓦に巣食っている。
雀らが縄張りすらん軒の辺に人も住まえばこは騒がしき

我れもなほ老ひ行くものを蒲原の青葉に酔ふて鳴くなる烏
 野積にバナナウインドというイタリア料理店ができて、リーズナブルでけっこういける、ママは感じがいい、それ行けとかいってだれかれ連れて行く、ブランコがあってチャペルがあって結婚式ができる、いえひっかけスポットだそうの、色目を使う烏。
蒲原も降りうつろへば夏木立夕映えしのに鳴くなる蝉は

吾子らがり如何にしあらむ酔ひ蛍雨に流れて二つ舞ひやる
 湧くように蛍が出たのに、水害地震あとの工事で二三年ほとんど出ない、待てば海路の日和か。舞い飛んでいた蛍が車のウインカーに寄ってくる、そうかとか客が云って、どうでも蚊に食われ。
一二三流れ舞ひやる酔ひ蛍よしや浮き世の明けはつるまで

ここにしてなんの花ぞも咲くやらん降り降る雨をあげは舞ひ行く
 酒は越しの寒梅より雪中梅より、秋田の高清水だと云ったら、弟子が毎年送ってくれる、年寄りはせっかくいい酒も、酔うたらあと眠っちまうだけ。
若子らが出羽よりよこす酒一升蝉の鳴くなる合歓の花辺に

帯織を山王へ行く幾つ字葵咲くらむ雨降りながら
 帯織は無人駅になって、山王は田んぼばかりだったのが、国道からトラックを乗り入れて運送会社の林立、雨が降っても空梅雨も葵の花盛り。
山王へ廻らひ行ける幾つ字葵咲くらむ空梅雨にして

見ずや君降り降る雨に行き通ひ久しく野辺は花盛りする
 よたかを初めて見て、なんだこりゃ直角三角定規、ばかみたいなんて思った、鳴き声は鋭く、でもこのごろどこへ行ったかさっぱり。くいなもいなくなったし、本堂に迷い込んだあかひょーびんも。
年ふりて茂みへ寝れば冷えさひも今宵み山を夜鷹は鳴かじ

あかねさし月に棹させ岩船や寄せあふ波の行方知らずも
 三面川の辺りは縄文の大集落があった、ダムの底になるというので発掘して、廃校を借りて処狭しと並べ立てた、おばちゃんどもと立ち寄ったら、みんなそっぽを向く、南春男の方がいい、博物館構想も予算が付かず。
いにしへの月を知らじやよしえやし漕ぎ別け行かむ縄文人は

二人して棹さし行かむ岩船の重き舵さへ流れ笹川
 岩舟にお寺を持った弟子が、三人めの子をもうかる、そりゃそうだ他にすることねえからって、嫁さんに逃げられねえようにって、檀家は心配してたが。
よしえやし二人舵棹取りて行け月の雫も流れ笹川

問ひ行けば長者屋敷は掘を穿ち茂みまばゆう我れ他所に見つ
 小国の長谷川邸も、鵜川の飯塚邸も、地震で壊滅的な被害を受けた、飯塚邸は立ち直ったが、長谷川邸はまだ、あと三年はかかるという。
月読みのまかりの道も馴れにしや辿りも行かめ渋海川波

松代の街と云ふらむなつかしき三十年代にありし如くに
 松代も松之山も松なんかない、いやあるという、そうしたら何本かあった、雪深く山ふところの、今は北々線の駅もできて、賑わうのか、ふんどし町の十日町も。
十日町夏なほ夕の過ぎ行けば賑はふ里は何処にあらん

松代の渋海の川の百合あへの人に知られで住むよしもがな
 渋海川は信濃川に次いで長い、いつでも水が濁る、地滑り地帯を行く、小国から赤谷松代と山奥の、坂上田村麻呂お手植えのけやきというのがある。
松代の渋海の川の百合あへの人に忘らゆ名をこそ惜しも

田を植えて松之山なむ道の瀬に腹へり食らふ笹団子をし
 松之山温泉凌雲閣は木造三階建ての、大正期のシックな建物であったが、地震でどうなったか。六月にはようやく雪が消えて、ずくなしの花盛り、鷲が飛んで行く。
田を植えて松の山なむずくなしのしげみ門に君や問ひ越せ

吾妹子が松之山なむ廻り水の清きに入らむ遠き越路を
 信州へ入ると水が澄む、いや差し向かい清津川も中津川も清流、箕作の村から奥志賀へ、壮大な山並みに、萱の原などいうところあって、冬スキー客はリフトで登る。
しなの路は姥も泣くなる月詠みの行けばやい行け萱の原まで

秋山の夏なほ霧らひしかすがに平家の郷は人知れずこそ
 秋山郷は平家の落人部落で、長野県と新潟県に股がる、けわしい道を辿る、秋山といわれるだけあって名にしおう紅葉、峰には雪が降って彩り染める、いやもう世界一。
わさび田を越え別け行かむ屋敷なむ霧らひ晴るれば今夕望月

杉原の仙見の川に橋かけて間なくし鳴くか山ほととぎす
 仙見川は早出川の支流、夢のような清流で、やまめがいっぱい、てんぐちょうの群れ、ほととぎすが何十となく鳴く、こんなん見たことないといって、三年たって行くと開発だ、もうただの川。
杉原の仙見の川に橋かけて鳴き止まずけむ山ほととぎす

六十我が尋ね行きたや海の底山のはてなむ雪豹の道
 弟子に達者なのがいて、シュノーケルをつけて潜って、ふうっと吹いて水を抜いて、と教えて貰って、ふうっと吹いたらまだ水の中、どばっと飲んでふりもがいて、貝で足を切った、せっかく海底散歩は諦め。終戦は小学校三年だったな。
人みなの早に忘れてカンナの花やこは敗戦の東久爾内閣

この年はならぬ梅さへ代つぎの母がつとめと土用干しせむ
 白梅はいい梅がなって、紅梅は花はいいんだけど、でっかい上に種もでっかく。梅を取るのは大嫌い、なんせ薔薇科のいばら、傷をつけたらもうだめだし、ぶうぶう云って毎年取らされ。
茂み井に廻らふ月をくまなしや土用干しせん梅があたりも

土用なむ朴の辺りに照りきはみなんにおのれが歯痛み暮らす
 朴の皮を煎じて飲むと虫歯にならぬ、茄子のへたの炭でみがくといいと云い、それすると歯医者が倒産するでとか、なーんか半分ほんとうのような。
炎天下立ちん棒せる厚化粧たしかに夕を見附の祭り

しかすがに霧らひも行くか米山の沖つへ田井を見れど飽かぬかも
 村ごとに米山薬師があって、わしらが村のはお寺が引き取って祀った。大きなもみの木があって、春の大風に田んぼに倒れ込み、舟つなぎの木という、蒲原平野は弥彦のあたりまで湿地だった。
守門なる笹廻小百合のゆりあへのなこそ忘れそ人の姿を

平家らが落ち人となむ剃髪せりし汝がみまかりし夏
 わしんとこで立職第一号は秋山郷出身で、彼の結婚式をすっぽかした形になって、謝りに行こうと思っていたら、死んでしまった、一生悔いが残る。ノルディックの国体手だった。
しましくはなどて会へずやみまかりし渠に回向の槿花一輪

のさばるは夏の烏か五十嵐の悲鳴を上げたる五助のばあさ
 五十嵐小文治は皇室よりも古いと云われる、こっちが即ち表日本であった、下田三千坊はなんの遺物も跡形もない、鏡が一枚出たという、それを持って朝鮮に赴任した校長さんとも、行方不明。
のさばるは夏の烏か坊守が守門の山へ雲井流らへ

夏の日はなんに苦しえ米山の蒲原田井をかなかなの鳴く
 どこもかしこも嫁ひでり、かと思うと婿どんがじき出ちまったり、農家がいやだというより、人を受け入れる心が欠落、しばらくこりゃどうしようもないか。母子家庭にゼニやらんようにすりゃいいって、それもまあ一案。
夏の日はなんに淋しえいやひこの蒲原田辺をかなかなの鳴く

塚野目の人にも会へず降る雨や蒲原田井に夕凪わたる
 空手馬鹿の国際人がいて、それは優秀な男なんだが、じきミリタリーになる、ニュージーランドとオーストラリアに連れて行って貰った、かっぽれを釣ったりすてきな冒険だったが、蒲原平野に帰ってしばらくぼんやり。
笹川の流れに浮かぶほんだはらか寄りかく寄り年はふりにき

みるめ刈るしいや荒磯の波のむた別かれい行きし汝をし思ほゆ
 空手の馬鹿が水中銃を手に泳ぐ、八方から魚がよって来るという、石鯛を持ってきた、でっかいのを抱えたらばかっと逃げられたといって、胸に傷。
柏崎寄せあふ波に暮れはてて沖つ見えむ烏賊釣り明かり

凄まじきものとや思へ番神の沖つ見えむ烏賊釣り明かり
 一定間隔に列なる烏賊釣り船の明かり、北海道まで続くらしい、風情なんてもんじゃなく、正に人類一種族の貪婪、食いつくす迄に滅びるかってやつ。
出船にはなんに鳴きあへかもめ鳥沖つ見えむ烏賊釣り明かり

青夏は暮れじといえど松ケ崎入り泊てすらむ川面恋ほしき
 まんぼうの一尺に満たぬ子供が港いちめんに浮かぶ、そういえば卵の数が一番多いらしい、ちぬしか釣らんとうそぶいたら、さびきにいくらでもかかって、かまぼこの材料になる、けっこう食えるという。
夏の日は暮れじといえど与板橋行く川波がなんぞ恋ほしき

与板なるいくつ水門を越えてもや和島の郷は芦原がなへ
 塩入峠には良寛さんの歌碑がある、なんて書いてあるかようも読めん、塩が入って来るからと思ったら、井戸水に塩が入って塩の入り。温泉もあってまったりするほどきつい。
塩入りの牛追ひ人に我あらんつばくろ追ふて蒲原の郷
塩入りの牛追ひ人に我れあらむ与板の橋に夕を暮れなば

この夜さは寝やらずあるに萩を越え一つ舞ひ行く残んの蛍
 八月になってもぽつんと飛んで行く蛍、年だと思うのは暑さ、いやもうたまらんと35度40度近く、仕方なく人なみにお寺もエアコンの部屋を。
くだしくに雨は降るかやこの夕万ず虫ども寄せあふ如く

いみじくも暑き夏なへあしかびの待たなむものは雨の涼しさ
 熱暑とひでり続きに、山も砂漠、朴や楓の葉の大きいのから枯れ始める、どうなるかと思ったら雨が降った、天道人を殺さずとばあさが云った、じきに通用しなくなる。
大面村廻らひ行ける久しきに山尾の萩の風揺れわたる

名にしおふひすいの里と聞き越せどしの降る雨を青海川波
 ひすいを盗掘してとっつかまった中学の先生とか、セクハラよりは格好いいか、フォッサマグナミュージアムに何十人案内して、新鉱物が発見されてまた行った、どかんと転がったひすいを、持ち上がるどころではなく。
夢見るは金山掘りの橋立の久しき時ゆま葛生ひたる

こしのわが茂み田浦が百日紅四十路の夏も過ぎにけらしや
 さるすべりの木が、さして年もとらぬのに弱る、蟻が巣を作る、いや水はけが悪いからだといって、暑い夏が来たら花をつける、どか雪でめちゃんこになったのが盛り返した。
四十男が空ろ思ひを百日紅蝉の声のみあり通ひつつ

破間の八十氏川の川淀も浮かび寄せたるやませみの羽根
 浮きを流していわなを釣っていると、やませみがあっちへ行きこっちへ行き、夏の終わりをその尾羽根が漂う、どうしたのかな。
下関の十軒田井の外れにも木立どよもし蝉の鳴くなる

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歌秋

二連禅歌=秋


山門をとく夕立の降り止めばいつかな聞かむ虫の鳴くなる
 わが参道はすずむしの大合唱、夕立が過ぎるともう虫が鳴いている。そうさなあ、安定した季節感は終わったか、異常気象の洪水や地震や、むかしをなつかしむより、人間のほうが先に変になって。
大面村田ごとの松に照る月のわたらふ雲の小夜更けにけり

いやひこの何に鳴きあへ谷内烏早稲の田うらに日は照りまさる
 蒲原田んぼに烏が群れて、どこかゴッホの絵を見るような。托鉢して歩いていた雲水のころ、でもって住職三年火の車の、わけのわからん何年かを、うっふう蒲原田んぼ。
いやひこの何に群れあへ谷内烏早稲の田うらに雨もよひする
谷内烏鳴くも悲しえいやひこの早稲の田うらに長雨ぞ降る

今日もがも田んぼの烏かかと鳴け六郎屋敷に嫁は来ずとや
 空前の嫁ひでりになって、婿どんを貰うほうが早かったり、そいつがあっというまに別れて、じっさばっさ子育て、娘はどうした、いえそのう、とにかく檀家半減しそう。
田末さへ刈らずてあればかかと鳴く烏も外けて六郎屋敷

人もまた月に棹さす笹川の流らふ雲を見れど飽かぬかも
 岩舟に弟子が二人いて、今度は三人めが寺を持った、そりゃわしら出家坊主の持てる寺なぞ、食うや食わずのさ、いや景勝の地であり海も山もいい、蛭がいるって云っていたが。どうだろ。
老ひにしや見飽かぬ松を岩船の押し照る月に棹さすはたそ

群らふ鷺茂み田浦が夕のへも吹く風しのひ秋長けにけり
 大河津分水の、水の出たあと取り残された魚がいて、子供と遊びに行って、ばけつを拾って来て何十も取った、六十センチの鮒がいたり、魚の数はまあものすごいものがあった、今はどうなってるんだろ、同じかな。
芦辺なし吹く風しのひ大河津舞ひ行く鷺の姿さへ見ず

郷別けの中なる川に橋かけてわたらふ月は清やにも照らせ
 郷別け中という地名があったが、なくなった、今は傍所という、これもどっか変わっている、鬼やんまがすーいと飛んで行って、池の島とか、牛首とかいう、川向うの名前。
郷別けの中なる川に橋かけてわたらふ月は池島に行く

若栗はいついつ稔るあしびきの山おす風に問ふても聞かな
 おふくろが早稲と奥手の栗を二本ずつ植えた、わせは山栗よりも甘く、おいしかった、奥手はでかいんだが誰も食わず、おふくろが死んで二十年たつ、栗の木も伐られる。
若栗の稔らふ待ちにあしびきの山おす雲がなんぞ恋ほしき

蒲原のはざうら田井もいついつか秋になりぬれ雨降りながら
 降り続く年があって、大河津分水は河川敷にも水が来て、ミニ揚子江だなぞ云ったが、本家本元の中国は、未曾有の大洪水、そりゃもうものすごい、河神の申し子だといって、かつがつ助かった子を、大事にするとか。
大河津別けても降れる長雨のまふらまふらに秋の風吹く

与板なる芦辺をさして行く鷺の泊てむとしてやまたも舞ひ行く
 頭からうなじのあたり黄色い、ときでも逃げて来たんかな、あんなのはじめて見たと思ったら、図鑑にあまさぎと出ていた、ごく普通の種だそうだ、新潟も水郷でいろんな鷺がいる。
田の尻の橋を越えても長雨は降り止まずけむあれは米山

米山のぴっからしゃんから谷内烏早稲の田うらを夕焼けわたる
 米山さんからぴっからしゃんから雷鳴ったり雨が降ったり、蒲原郷いったいの百姓の神さま米山薬師、道の改修で村の米山さんは、お寺に合祇した。ここからは見えない。
米山のぴっからしゃんから群雀田うら田浦に穂向き寄りあへ
君見ずやこんぺいとうに赤のまんま田は刈り終えてすでに久しき

伝兵衛が長者屋敷はつゆしのふ早稲々群を押し分け行かな
 伝兵衛さは大旦那であって、お寺のかかりの半分はまかなったという、農地開放と事業の失敗で、広大なお屋敷は人手にわたる、こじんまりした家に住んで、花がいっぱい。せがれが文部官僚になった。
月詠みの長者屋敷はつゆしのふ萩の大門を押し別け行かな

山を越え住まふはいずこ十日町植う杉しだえ人も老ひぬれ
 インドの民族画というのかな、ミチーラ美術館とか、新興宗教の教祖さまの故郷だったりして、十日町は織物の郷、山は深く雪も深く、折れ曲がった杉。
妹らがりい行くもあらんあしびきの山尾の萩の風揺れわたる
あしかびの十二社の寄りあへに人住む郷と我が問ひ越せね

余目の美し乙女を見まく欲り早稲の田浦に吹く風のよき
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アイヌかもアイヌ神威に入らむ日や舟のへさきに寄りあふものは
 これはでも新潟港からフェリーに乗って、小樽へは翌日の午後五時着、車は二万円一人ただ、あと二人は二千円という、のんびり貧乏旅、坊主頭を当時オウムと間違えられたりして。
大島や小島の沖にいよるさへくしくも思へ暮れあひ小樽

カザルスのバッハを聞くはさひはての大空にして涙流るる
 札幌には弟子が行っていて、くろまぐろの刺身だの青いほっきがいだの、ゼニもないのに大変なご馳走をする、彼の思う人と彼を思う人と、どうも物は二分裂、バッハのCDを貰って行く。
ウルップの北海沖をしましくは一つ木の葉に舞ふぞ悲しき

ふきの葉の露にしのはないにしへゆ見果てぬ夢を金山の郷
 十勝平野金山湖畔に宿を取る、ライダーはバイクで北海道を一周する、チャリラーは自転車、トホラーは歩いてという、ライダーの宿五百円など。キャンプ場は満員。
ライダーの宿とは云はむ過ぎ行けば残んの夏を芹の花ぞも

あけぼののオホーツクかも雪の辺に李咲くらむ知らじや吾妹
 丸瀬布温泉というところに泊まる、雪の原に花の咲く写真、すももの花だと客が云った、りんごしじみ、おおいちもんじ、蝶で有名なもうここはオホーツク。
りんごしじみおおいちもんじの丸瀬布タイムマシーンに乗れる如くに

行く秋をここに迎えむサロマ湖や寄せあふ波はオホーツクの海
 シーズンオフになって釣り具屋も店じまい、ラーメン屋もしまって閑散。サロマ湖の向こうには荒波が押し寄せ、岬には風が吹く。
岬には花を問はむにオホーツクの波風高し行くには行かじ

知床やウトロ岬のかもめ鳥何を告げなん行く手をよぎる
 北海道を一県と間違えてぶっ飛ばす、行けども行けども、網走刑務所跡を見過ごし、鮭の川を眺めてつったち、トホラーの女の子は残念反対方向へ行き、だれか荒海にルアーを投げ。
知床に海人の大網差し入れて迎えむものは二十一世紀も

知床の花の岬を今日もがも神威こやさむ我れ他所に見つ
 知床半島に行ってみたかったが、昼も過ぎて、美しい羅臼岳の道を行く、ひぐまの出そうな堰でもって、おしょろこまを釣る、でっかいのを隠しもっていてがれに怒られ、だってハングリー世代はなと、ごみのぽい捨てはわしはしないんだって。
羅臼らは夕を清やけく舞へるらむ笹にかんばの衣つけながら

暮れ行きて宿を仮らむに白糠の鮭ののぼるを眺めやりつつ
 どういうわけか宿を断られ、一軒三軒、白糠というところで鮭の遡るのを眺めて突っ立つ、馬主来バシュクルと読むらしい、暮れ落ちてあっちへ行きこっちへ行き、野宿。
かき暮れて宿を借らむに馬主来の右に問へれば左へそける

音別の怒濤を知るや行く秋の神威廻らへあれはさそりか
 どろんこ車ガソリンスタンドに寄せると、釣りけと兄ちゃん、うん釣れねえや、そっかなラッコ川でもえり川でも、百二百釣れたがなあと云って、教えてくれた、釣れた。
ここにして神威こやさむ夏をなほラッコ川とふ吹き散る落ち葉

ひよどりに残んの酒を汲み交はしつとに終えなむ鱒釣りの旅
 風もないのにはらはらと落葉、もう秋が来るのか、競馬馬で有名な辺りを過ぎ、襟裳岬に夕暮れ、どっか遠くに雷鳴って、じきに雨がはらつく。
秋の陽を寄せあひすらむわたつみや襟裳岬を過ぎがてにせむ

門別に鳴る神わたり廻らへば過ぎし空知は如何にやあらむ
 雨が上がって札幌の夜景は見事、フェリーの時間を間違えて、最後の晩餐飲んで食ってやってて、ついにまた一泊、間抜けな話。
えぞ鹿の声だに聞かじ夕霧らひ行くにはい行け石狩の野を

遠々に帰り来つれば長雨の萩はしだれも咲き満ちてけれ
 せっかく萩が咲くと雨ばっかり降って、しだれ咲き満つ、風情と云えば風情なんだがさ。萩は便利で、冬には刈り取ってホウキにもして、春には勢いよく芽吹いて来る。
我が宿のしだれも萩は咲き満つに雲井も出でな十六夜の月

寝ねいては虫の鳴く音に行き通ひ今宵は月の出でずともよし
 萩が散って紅葉になるまではなんにもなし、虫の音もこおろぎになっておしまい、秋のお彼岸はまたほとんど人が来ない、稲刈りが終わったばかり。
長雨の小萩の花し散らふれば山の門とは誰をし待ため

山古志の水辺萩花咲き乱りなんに舞ひ行くこは雲に鳥
 山古志村の萩の道は、地震でもってずたずた、逃げ出した鯉が泳ぐんだろうか、せっかくの池だ、牛ひっぱって来て、どうだってんで、ただもう観光専門にしろと云って、怒られた。
山古志の水辺萩花咲き乱りなんに鳴き行くこは月に鳥

備中の我があひ見しはテレビなむ晩春村をつらつら椿
 テレビで見た老い行く村の、あるいは廃村になる話、大面山にはお寺の開基さんである、丸太伊豆守のお城があった、掘り跡が残る、そうさなあ、人間もいつか詠み人知らず。
武士のいにしへ垣のいつしばも押し照る月を読み人知らず

吹き荒れて萩にしあらむ山古志の雲井の月に追はれてぞ来し
 みずとりの名前がようもわからん、雁に鴨にきんくろはじろにええと、あいさというのは、そう云えばみこあいさという真っ白い鳥、とにかく歌にするには、いまだ。
守門なる西川なべに月出でて何の群れかも鳴きわたらへる

我が行くさ破間川の瀬を速みしのふる恋もつり舟の花
 つりふねそうの実はほうせんかのように撥ね散る、あぶるま川へ入ったら、すずめばちの巣があって、弟子どもが刺された、なんとか大丈夫だった。
入広瀬恋ふらむあらば破間のしぶき濡れつつつり舟の花

山古志のその奥の井に我が行くか初々萩の咲き満つるまで
 山古志は山のてっぺんまで田んぼで、曲がりくねった道が縦横について、うっかり入ったらいったいどこへ行くか、古志郡山古志村から、地震後長岡市になった。
山古志のその奥の井に我が行くか人を恋ふらむ道の如くに

初秋やなんの音かも片貝の花火にあらむ雨は上がりて
 静岡へ行った弟子の初デイトが片貝の花火、四尺玉がこの年は成功して、長岡の三尺玉を越えたんだといって大威張り、風の向きでお寺まで音が聞こえて来たりする、九月初旬。
片貝の花火にあらん初秋のたれ見に行かむ汝とその妹と

野しおんの秋たけなはや棟上げの花の門はするめ一対
 戊申の役で焼けたあとに建てたという、お寺の接客を建て直す、あんまりひどかった、やっと人並みになるっていうんで、本当は鯛を奢って、銭に餅を撒いて棟上げ式。
野しおんの花を巡らひ夫婦して祝はむものはするめ一対

塚の辺はかやつり草も茂しきに勇名居士なむ搭婆一本
 かやつりぐさ、きばなのあきぎり、ままこのしりぬぐい、えーともう忘れちまった、雑草の名は子供の遊びから来たりして、ずいぶん風情がある、もうだれも見向きもしない、一つの文化が滅び去る。
塚の辺のかやつり草も茂しきに勇名居士なむ雨にそほ降る

時を超え帰り行くとふヒマラヤの花の谷間の青きけしはも
 だからさ、そういう歌を詠んだらちっとは人も知ると云われて、勢い込んでフィレンツェのと作ったら、首かしげて、やっぱりおまえのは駄目なんだって、そうかなあ。
フィレンツェの手料理となむ君もしやポテッツェルリの春の如くに
見附路や夕べ死ぬるは酒にして火炎茸とふ食らへる男

四十にて議員になりし清一郎永眠せりしは夏の終はりに
 酒屋の息子がアル中になって死んだ。いい男で、ようまあ話に来た、イベントだの経済政策だのなんだの、一所懸命して市会議員になった、選挙の間にかあちゃんに逃げられ。
一箇だに打ちだしえぬとな思ひそね柿のたははに底無しの天

覚兵衛の嫁取りならむ小栗山田ごとの松に押し照る月も
 覚兵衛どんの結婚式に呼ばれて行った、一人もんのかあちゃんと二人、音痴声張り上げてなんか歌おうと思ったら、時間切れ、弟の方も翌年めでたくゴールイン。
長け行きてしましく夜半の目覚むれば雪のやふなる月にしあらん

常波の川を清やけしよしえやし踏みし石根も忘らえずあれ
 阿賀野川の支流常波川は美しい川で、わしらのほうの山を越えた、ほんにそこまで来ている。山を越えては行かれぬ。回って行くと老人ばっかりの一村。
夕月のすみ故郷にこれありや山も草木も常波の川

我やまたつげ義晴のいにしへゆ花に問へりし津川の里は
 じゃりん子知恵もいいんだけど、つげ義晴がやっぱり最高だって、あいつどすけべだけどな、なんせえ津川の町は彼の漫画のような、夢のような、なつかしい感じを残していた。
我やまたつげ義晴のいにしへゆ月に問へりし津川の街は

二十世紀うつろひ行かな曼珠沙華年ふり人の思ひも行かず
 曼珠沙華彼岸花はおもとみたいに緑であったのが、すっかりなくなって、ふーいと伸びて花だけが咲く、また別種の彼岸花がある。こっちは淡いピンクの花。
二十一世紀うつろひ行かな曼珠沙華鮫ケ井の辺に人の声を聞く

エルニーニョ曇らひも行け曼珠沙華狂人北斎の筆になるとふ
 ごんしゃんごんしゃん雨が降るっていうのは、北原白秋か、なんせ不勉強だし、文才はないし、曼珠沙華だのほととぎすだ、てんでお呼びでなく、つまり現代子かな。
つくつくほうし名残り鳴くなへ曼珠沙華いついつ我れも狂人北斎

あしびきの入塩紅葉追分けていつか越ゆらむ牛の尾の郷
 上塩下塩中塩入塩とあって、かみじょなかじょと云うんだそうだ、真人はまっと、牛の尾はうしのおだけど、牛ケ首というのもある、どういういわれなのか知らぬ。
年老ひて杖を頼りに行く秋の思ひもうけぬそは梅もどき

真葛生ふるここはもいずこ六日町忘れ田代を見れば淋しも
 田んぼがなくなって葦っ原になる、たしかに田んぼ跡とわかる、棚田観光名物として、残るものもある、いや魚沼産こしひかりで、けっこう残っているのか、カメラ抱えた老人組合が押し寄せ。
六日町夕を押し分けしの生ふる忘れ田代を見れば悲しも

芦辺刈る人をもなけれ津南なる川辺の郷を忘れて思へや
 入広瀬に洞窟の湯というのができて、何故か湯船の浅いのがいま一ってふうで、長い洞窟裸で歩けば壮観とか、たしか中華料理もあったな、もう十何年も行ってない。
湯煙を見まく欲しけれ入広瀬あぶるま川に紅葉いやます

田の浦の二つ屋敷をしぐれつつ荘厳せむは若き楓も
 松食い虫でいっせいに松が枯れて、するとたいていのきのこが全滅、秋はもうわしはすることがなくなった、晴れても時雨てもドライブ、今ごろはおくしめじが出たのにとか。
見附路を郷分け中の一つ橋降りぬ時雨はひもすがら降る

鳴きあへる鴨の池はを夕霧らひ門の辺にもみじ一枝も
 せがれの先生が僻地教育で山古志村に赴任した、音楽の女先生、いいとこなんけど、どこにいても見られてるって感じ、ご飯余すと悪いから食べ過ぎて太っちゃったって、山古志ねえちゃんて呼んだら、目をこーんなにして。
山古志のかなやの郷に行き立たしなびく雲いがなんぞ恋ほしき

早出川紅葉下照る奥の井の行くには行かじ道ふたぎける
 早出川の水系だけに山蛭がいて、そやつはどんなに支度したって必ず入り込む、これこれこうと云って、山好きの先生が話す、植物が専門で鳥にもくわしかった。
ここをかも舞ひ立つ鳥の群にして早出川なむ秋長けにけり

隼の舞ひ行くあらむ八木鼻の松の梢に風立ちぬべし
 笠掘へ行く途中の八木鼻にははやぶさが住む、ややオーバーハングの巌で、山岳部の人がと見こう見して、七時間はかかると云った、実際に登った人がいて、隼がいつかなくなったなと。
良寛のえにしもあらむ出雲崎浦門の松に日は落ちきはむ

年のへも秋は長け行く何をなす焼酎柿を二人し食らふ
 村の忠助どんに警察が来た、どうしたんだと云ったら、鉄砲届けるの忘れたって、それっきり猟は止めた。車屋もおらクレーやって人撃たんようしてんだ、名人だといって、獲物持って来たりしてたが、そのうち仏心起こして止めた。
信濃河夕荒れすらむしのを分け鴨打ち猟の囲ひせるらく

百代なし隠れ住まへる秋山の紅葉下照る言はむ方なし
 秋山郷は長野県と新潟県にまたがる、平家の落人部落で、秋山というだけあって紅葉の絶景、峰には雪が降って、次第に色染めて来るその美しさ、宝が埋まっているという伝説。
百代なし隠れ住まへる秋山の群れ山鳥かさ寝もい寝やれ

人はいさ心も知らね紅葉はの屋敷が浦に新穂刈り干せ
 屋敷という一村にだけ米が取れたという、そのまあ過酷な暮らしは、つぶさに書き記されて、何冊かの本になっている、こうまでして人間は生きなければならんのかと、そう云ったら実も蓋もないんだけど。
峰山も年をへぬれや新穂刈る屋敷が浦に雪はふりしく

広神の嶺いの辺に月かかり帰り来つれば我が松がへに
 守門に雪が降ってしばらくは上天気、一月したら下界にやって来る、栃尾は見附の三倍、守門の裏の入広瀬は、そのまた何倍か、半年間の冬が来る。
守門には未だ降らずて廻らへる刈谷田すすきおほにも思ほゆ

いやひこの蒲原田辺に舞ひ行かなこは満州の泥の木穂棉
 先先住のせがれが戦争で満州へ行って、苗木を持ち帰って植えた。どろのきの仲間という、晩秋に穂棉を飛ばす、くわがたがつくのでそのままにしておいたら、くわがたは消えて大木になった。こりゃ大弱り。
初々の雪は降れりと聞こえけむその山古志のかなやの郷に

良寛のおらあがんとて木枯らしは昨日も今日も吹き荒れけむに
 良寛さんは他人のものでもなんでも、おらあがん=わしのもの、と書いた、なんせ良寛博士みたいな人が多く、どっちかっていうと、いえさ、木枯らしのほうがさっぱりしていて。
木枯らしは吹き荒れけんに鬼木なる橋を越えたるこれの閑そけさ

鬼木なる橋を越えてもしましくは吹き荒れけんに郷別け烏
 良寛さんの五合庵公園ができて、食いもの屋も土産物屋もできて、流行ることはけっこう流行っている、たこあしのフライ噛って、女の子案内して、上ったり下りたり。
松食ひの松は枯れたり国上山おらあがんとぞさ霧らひ行くに

津軽より帰り来たれる汝が故になほ木枯らしの吹くぞおかしき
 津軽出身の人がいて、津軽三味線山上進講演会があったり、ねぶた見に行く会があったり、ねぶた見たいと思うのに、お盆の真っ最中、真冬に何人かで行って来た。
木枯らしに荒れ行く夕を寝ねやればわが故郷を思ひこそすれ

夕霧らふ浅間を過ぎて嬬恋の里に入るらく小夜更けにけり
 おふくろを信州の故郷に分骨して、草津温泉に泊ろうかと、道に迷って延々行って、高速道路に乗ってただもう帰って来た。満月の夜だった。
雲居にか月は見裂けれ嬬恋の我れをのみとて通ひ来にけり
嬬恋の雲井に月の隠らへばあしたをしじに雪はふりしく

山のまを出ては天降る月の影いくつ里辺を通ひ過ぎにき
 わしはどうしようもない親不孝罰当たりのせがれであって、葬式だけは商売柄出したということか、なんにもしてやれなかった、大法だけは伝えて行こうと。
月影を眩しみ我れは行く川のかそけきなへに入り泊てむとす

え深しや田子倉の辺に時さひてあしたを雪は降りしかむとす
 田子倉ダムのぶなの原始林に雪が降る、道は閉ざされて、小出会津若松間の鉄道だけが通う、冬は失業保険貰って、かもしかだの撃って暮らす、いやそのう、口の軽いっやつにはお裾分けできないって。
水の辺に雪降りしけば笹がねの会津に入らむ春遠みかも

夕の陽を寄せあひすらむ河の辺やなんに袖振り会津の人も
 西会津のまたこんなところまで、きのこ取りに行って、それが寝てて取れるほど取れたり、山鳥の子が群れていたり、うはうは云って、翌年行ったらなーんにもなく。
熱塩ゆ加納に越ゆるしだり尾の山鶏の子が群らふよろしき 

村の名は弥平四郎と飯豊なむ山を閉ざして舞ひ散る落ち葉
 奥川渓谷のとっつきの村を弥平四郎といって、飯豊山の登山口になっている、春にも行き、秋にも行ったが、山には登ってない、もうわしみたいぽんこつには無理か。
村の名は弥平四郎と飯豊なむ山を閉ざして雪は降り降る
阿賀野川山なみしるく見ゆるは研鎌の月ぞ入りあへ行かめ

北国に我も住まへれ初しぐれしが夕月に追はれてぞ来し
 北国しぐれというより、なにしろ降りだすと降って来る、毎日真っ暗けで、落ち葉をせいては水びたし、初しぐれは風情があるたって、いやもうこいつは。
北国に我も住まへれ初しぐれ軒の小草に夕かぎろへる

北国のしの降る雨は止みもあらで鳴る神起こし雪まじりする
 降っているうちに雪うちまじりと、だがそれは本格の雪ではない、突然雨が止む、ふうっと晴れ渡って地面が乾く、するとどんがらがら雪起こし、あとはもう積もるばかり。
北国のしの降る雨の止みぬれば鳴る神わたし雪はうちしく

焼山に雪は降れりとあしたには人にも告げな田の裏紅葉
 焼山に降ったというのが、雪の知らせかな、どこに降っても私にはわかると、宮城道男が云った、そりゃそのとおりだと思う、紅葉の盛りにも降ったりする。
古寺の幾つ松がへ初々の降りしく雪は暮れ入りにけれ

あかねさし月は今夕もわたらへど雪を待つらく軒辺淋しも
 柿なんかだれも取って食わなくなって、ひよどりや烏の、たいてい年を越えて寄ったかる、いちめん雪になってからだ、雪には柿がよく似合う。
栄ゆると名をし代えたる大面村雪に残んのこは柿もみじ

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歌春

 二連禅歌


こしみちや春あけぼのの天空をなんに譬えむ雪の軒にして
 明けても暮れても降って吹雪いて、氷柱が二メートルにもなってぶら下がる、半年もの冬はうんざり、もう苦痛だ、それがとつぜんぽっかりと晴れる、春はあけぼの、
いやひこのおのれ神さび白雲の夕うつろへばまふら悲しも

みどりなす夕うつろへば大面村雪の梢が春を待たまく
 一瞬太陽が黄緑に、彩なして棚引く雲、不思議な夕をそっくり覚えている、大面村はこのあたりきっての古村。かつては海沿いであった、大面村大字小滝がお寺の地。
白雲のうつろへ行けば大面村寄せあふ軒が春を待たまく

古人の杉のさ庭ゆしくしくの雪霧らひつつ春は立ちこも
 先住がなくなった夕、もうまっ黒に霧がかかる、雪霧というものだった、春になるよと世話人が云った、すざまじいほどの、何メートルもの雪がいっぺんに溶ける。でもこれは初春の挨拶に作る。
古寺の松のさ庭ゆしくしくの雪霧らひつつ春は立ちこも

尾崎行く田辺の川波寄るさへやしくしく思ほゆ雪消えなばか
 雪折れの木を手入れしたり、屋根の破損があったり、なんせ大仕事が待っていたが、しばらくは豪雪地帯のー少し外れてはいるんだが、春を楽しむゆとり。
背うら山春は来たらしこの夕木末もしのに濡れあふ見れば

背の山の押し照る月を松がへのしのへる雲の隠さふべしや
 豪雪のその雪消えの満月、霧や雲が過る。仙界を行くような、雑木と松の茂みと、お化けのような物陰や、孫悟空にでもなったような。
背うら山あは雪しのふ松がへも押し照る月を隠さふべしや

あけぼのの春は来ぬべく大面村田ごとの松を見らくしよしも
 小滝村は十三軒とお寺、参道の松も松喰虫が流行ってみな枯れた。山を越えて行く、天狗が出てお寺を手伝ったという、むかしばなしにもある、その道はもうない。
雪霧らひしくしくあれば大面村灯どちが幾つ村の井

吾妹子が松之山なむいや遠のしの降る雪は今日もしの降る
 入広瀬や松之山などいうのは、冬は陸の孤島だった、五月を過ぎてやっと通う、なんせ三0回もの雪下ろし、こっちは三回で死ぬ思い、でも連中の冬はけっこうスマートだ、松之山は温泉もあるし。
吾妹子が松之山なむいや遠のしの降る雪ははだれ見えつつ

まんさくの花にし咲くをいつしばの待たまく春は日長くなりぬ
 まず咲くからまんさく、豊年満作を願う意もある、なにしろ春が待ち遠しい、雪の少ない年は春ながといって、いつまでもうら寒い風が吹く。
まんさくの花には咲けどいつしばの待たまく春は日長くなりぬ

まんさくの花の春辺をいつしばの待つには待たじ霧らひ立ちこも
まんさくの花の春辺をいつしばの山尋行けば霧らひ隠もせる
 まんさくの花を貰いに来て、神棚にお供えしていたじいさまは、九十幾つで死んだ、その後来る人はない。年の吉凶を占う、めでたいばかりの花ではなく。
まんさくの花に咲けるを知らでいて年のへ我は物をこそ思へ

椿だに浮かび廻らへ心字池月は雲間に隠らへ行けど
 先住がいまわの床に、いい庭がある池があってなと云った。いちめんの雪だ、おかしくなったんかと思ったら、春になると美しいお坪が現れる、心を象った心字池。
落ち椿いくつ廻らへ心字池ほどろほどろにその春の雪 

山川も海もはてなん万づ代にい行きかよひて死なば死なまし
 冬は兎の運動会、本堂の大屋根のてっぺんまでも足跡がつく、ほどろに雪が消えて、熊みたいにでっかくなった、その足跡。
兎らの足跡をたどりに背うら山天の雲いが浮かび行くらん

いちりんそう咲き立つ見れば古寺のま杉門は足掻きも行かな
 菊咲き一華という、いちりんそうが咲く、杉の木の下の、雪の降り残すところから。門をかなとと詠んで、ー
いちりんそう咲き立つ見れば降りしける杉の門は荒れ吹くなゆめ

越し人の呼び名はなんとしょうじょうばかましくしくに雪の辺に咲く
 しょうじょうばかまは雪割り咲く、さまざまな色合いに山土手をいちめん、けっこう美人なのかな、
越し人の呼び名はなんとしょうじょうばかましくしくに一人恋ほしき

春蘭の香にや満つらむ衣辺に寄せあふものは雪のひたたか
 お寺の山から十五万の蘭が出たという、捜しに行ってみた、いくら捜したってただの春蘭、へりがすべすべってのもなく、痩せた蛇がとぐろを巻く、雪は未だ残り。
春蘭の香にや満つらむ衣辺に寄せあふものは痩せぬ蛇も

武士のいにしへ垣のいつしばもむらさきにほへ雪割り桜
 寺山にはなく、向かいの砦山にいちめんに咲く。砦は掘りの跡しかない。主は上杉影勝公下丸多伊豆守、即ちお寺の開基さんであった。
雪割りの花を愛ほしといつしばの忍ひ行きしはたが妻として

夕ざれば雪も消ぬがに大面村いつかな聞かむ蛙鳴くなる
 雪の消えぬまに鳴いて、ほんに蛙が多かった、蛇寺と云われるぐらい蛇もいた、田に水を張ると、さすが蒲原の蛙の大合唱。
夕ざれば雪も消ぬがに山門のいついつ聞かむ蛙鳴くなる

曳馬の曾地峠を越えて行け寄せあふ波は花にしあらん
 このあたりでは柏崎の桜が一番早いといって、曽地峠を越えて行く、たいていは海沿い行くんだけれども、そうは早く咲かない。
しくしくの花には咲かね番神の寄せあふ波は春にしあらめ

梓弓春をぎふてふマンモスの氷河の時代ゆ舞ひあれ越せし
 すみれさいしんを食草とする、かたくりの花に、梅に桜にと、訪ね訪ねて春は爛漫。異常気象でどうやら絶滅。でも日本のどこかではきっと、ー
梅桜咲くをぎふてふマンモスの氷河の時代ゆ舞ひ生れ越せし

吉野屋の夕ざり椿つらつらにたれを待つらむ雪はしの降る
 今町はむかし米の集散地で栄えた、芸者が何十人もいた、料亭はいくつか残っている、ガソリンスタンドで挨拶する子がいた、おやまあわしなんぞにと思ったら、料亭の若女将だった、いつかな雪は降り。
今町の夕ざり椿つらつらに何を告げなむ鳴き行く鳥も

榛名なむ早にも聞こえ過ぎ行けば月夜野村に雪は消残る
 年上の弟子であった人がなくなった。弁護士で大学教授でスピード狂でフェラーリを乗り回して、六十でスキーを覚えと、大変な人物であった。世話になった分何のお返しもできず、今はの際のお見舞いに行く。
新治の月夜野過ぎてあひ別れ汝が初に見む梅が枝ぞこれ

君に別れ越しの野末も春なれやしましく雪は降りさふあらん
 葬式に行った、有名人やタレントが来ていた、亡僧の習わしに拠った、弟子どもよったくって、遺族に迷惑をかけた。
送りては帰らひ来つるこの夜半の月はしましく雪を押し照る

夕されば粟が守門にあかねさしいついつ郷は春をおほめく
 弥彦と差し向かい、守門に粟ケ岳、雪に真っ白に覆われて、五月になってもはだれが見える、夕焼けに桃色に染まって、美しいというよりも、苦しいような。
夕されば粟が守門にあかねさし刈谷河辺に雪消ゆはいつ

ふりしきる雪のさ庭にあかねさし行けばや梅の花にしぞ咲く
 梅の老木があって毎年いい花を咲かせていたのが、寝てしまった、植木屋呼んで助け起こしたら、梅の古木は寝てからまた一世代とだれか云った、ふーん儲けられたか。
あしびきの山のさ庭に日の射すと尋ねも行かな老ひたる梅を

梅の咲く山はたのへに吹く風は今日はも吹かず暮れ入りにけれ
 梅が咲いてもうら寒い風が吹く、それがふっと止んで、人も通身に和む春、信濃川は雪代水を流して、いっそまた遅い春。
柳生の中なる夕日つれなくも信濃河の辺春なほ浅き

いにしへゆ我が言の葉をかたかごの紫にほふ春ならましや
 かたくり、かたかご、村ではかたこという、お墓の辺にいっぱい咲いて、あるいは雪折れする竹には、いちりんそうの花。
花なればこれは一華ぞ春さらば過ぎにし雪をいささむら竹

いにしへの人に我ありや白鳥の越しの田浦に春の火を燃す
 白鳥は水原で餌付けしてから増えて、村の辺りにも、春先群れになって宿る。野火を燃すのは、とっくに帰ったあとだが、越しの田浦とひっかけた。
白鳥の廻らひ帰るしかすがに燃ゆらむ春か越しの田浦を

春さらば村松田辺の宮社の何をし問はむ行き過ぎにけれ 
 吹きさらしの田んぼを行くと、村松には花が満開、向こうは下越。公園があって、花見がてら待ち合わせしたら、すっぽかされ。
田の末の風に吹かれて村松の花に会はむとたが思ひきや

五十嵐の雪は降れるに梓弓春立つ雁に会ひにけるかな
 五十嵐小文治は那須与一と親類で、扇を射落とした弓は、蒙古伝来のものという。支配の五十嵐川は清流で、しじみの取れる川であったが、いいものは失せて行く。
五十嵐の雪は降れるに梓弓春雁がねの幾重わたらふ

梅の咲く早にも降れるあは雪や初音鶯鳴くには鳴かじ
 梅が咲いても吹雪いたり、枝折れが雪の辺で花をつけたり、頑丈だ。冬越しの鳥が落ちて死ぬ、春ながという方言がある、いつまでも寒い。
鵯の墜ちて死ぬべき春なれやこれの深田に花咲くはいつ

山のはの初々梅に咲けるしを人にも告げで寝ぬる口惜しき
 お寺にはいい梅のなる白梅と、杏のような種も実も大きい紅梅とがある、三十年の間に二つの梅も年を取った、人が長生きになったということか。
春野辺にいつか咲きのふ梅なれや我も六十路に年老ひにけり

我やまた遊び呆けて鶯のしのひ鳴きつつ春野辺暮れぬ
 鶯と鳴き合わせをする、ほーほけきょけきょけきょ谷渡りだとやっていると、客が来て呆れ顔。入れ歯にしたら鳴けぬ、十五万出して入れ替えたら、鳴けるようになった。
野尻なる散りしく梅を他所に見て鳴くや鶯春をひねもす

二人してこぎわけ行かむカヤックや寄せあふ波は花にしあらん
 カヌーを買って乗り込んで、弟子二人櫂を取るのに、穏やかな流れの底に逆流があったとかで、穏やかに沈没、人と舟は助かったが、荷物と櫂一本が消えた。
川上はいよよ咲き満つしだれては散りしくあらんこれや大橋

真之代は吹き散らへれどせきの辺の竿に振るらむ水の清やけさ
 鮒釣りほどおもしろいものはなく、いとよも釣れ、たなごも釣れして、春の川は楽しかった、花が咲いて散るまでが乗っ込み、それが終わると本命の鯉。
竿を振りわたらひ行かなせきの辺の河面河面に花は吹き散る

四方より花吹き入れて信濃河寄せあふ波の行方知らずも
 この二つが春の代表作だと云えば、誰彼あそうかと嘆ずる者もなく、他いい文句だけどなあ、歌でもなくってこれはなんだと聞く、どうもそうらしい。
三界の花のあしたをいやひこのおのれ神さひ雨もよひする

花に咲く小夜は更けたり手振りしや六十路歌はむ鳥刺しアリヤ
 一000回も魔笛を聞いて、歌詞も覚えらず音痴のまんま、ものすごい能無しが大好きなんだでしょうがない、一事が万事かあちゃんも苦労する。
年をへて妻とし行ける地蔵堂の花は暮れあひ咲き満ちてけり

田上越え二人して行けあしひきの山の端咲くは花にしあらん
 桜というのは大きな山桜から、そめいよしのから、目立たない、あれも花であったかと、何十年もして気がついたりする。芽吹き山の圧倒的な美しさと、うるしに負けるんだけど。
村の辺に春をしのはなあしひきの山の下ふを萌え立つあるに

桃に梅花は三春と恋ひしたひ尋ね会津に雪は降りしく 
 三春は郡山の向こう、高速道路ができてもまあ遠い、梅に桜に桃といっしょに咲くから三春と、テレビで見ておっ取り刀で行ったら、会津磐悌山は雪が降り、花はまだつぼみのまんま、
会津にはふりしく雪を今日越えて三春の花はいついつ咲かめ

明日には花にふりしくものなれや春をい寝ねやる会津遠国は
 会津磐悌山は吹雪、春いや遠しという会津は何万石であったか、なつかしいあったかい感じ、小学校の修学旅行はここ。お父さんお母さんという茶碗と木刀がお土産。
真杉生ふる遠郷さへやしかすがに霧らひい寝やる二十万石

三貫野まふらまふらに散りしけば田辺のわたりも常にはあらじ
 嶺崎はむかし三貫野と云った、五百刈とか千把野とか、猫興野とかいった地名は、栄町や夢見野などいうよりはずっと粋で、切ない汗まみれの、息だえて御先祖さまとしみじみ思う。
嶺崎のくたちも花は散りしけば天行く月はいずこわたらへ

阿賀野河おのれ入りあふ道の瀬の忘れはててはしのやまざくら
 阿賀野川にはむかし真っ黒になって鱒が遡ったという、ダムができてなんだか死んだようになった、でもいい川だ、水銀中毒があったり、だいぶ汚れても来て。むかしに戻したい川の一番。
阿賀野河入りあへ行けば咲く花の人を迎えむ村字いくつ

大河津舟にもやへる田人らがいにしへ春を忘れ菜の花
 川流れという菜の花、信濃河岸に咲いて、向こうを雪の山脈、けっこう絵になるか。下の田圃川でふな釣り、どじょうにざりがに、たにしもいた。
わくらばに鮒釣りすらむ小川にも四方の春辺を忘れ菜の花

五十嵐のしげみ鶯しば鳴くに今日も昨日も日な曇りする
 黄砂現象というのはもろ黄砂現象であって、春霞とは云い難い、近頃悪いものはみんな中国から来るといって、中国人の犯罪もけっこう多い、でもまあ信濃河沿いはゆったりのんびり。
みすずかる信濃河の面清やけくに春の小須戸を通ひ過ぎにき

雨降れば草の伸び行く春野なれ我も六十路に年老ひにけり 
 六十になって何かいいことあったかって、ありっこない、よくぞここまでくそ役にも立たぬ人生、あっはっはまあさ、どうしようもないものはどうしようもないとて。
塩入りの夕べを仰ぐ桜花帰らふ朝を咲き満ちてけれ

花魁の賑はふ夕は過ぎぬれど散りしく里に会ひにけるかな
 分水は桜を植えて毎年花魁道中がある、子供が小さいころ連れて行った、とうもろこし八00円綿飴六00円次から買えといって、破産する、花見も草々に引き上げた、大河津分水も六十年たって大改修。
花魁の春たけなはに行き通ひ六十過ぎたる大河津汝が

しましくに吹きしのへれば大河津荒き波もは満つ満つ花の
 信濃河が蛇行して氾濫を繰り返し、三年にいっぺんしか米が取れなかった、これを海へ切り通して流す分水工事は、大竹貫一が私財を抛って開始、三分の二を成就して、ようやく国が動く
大河津花はしましく咲きけむが年はも如何に吹く風寒し

散りしける花を尋ねに行く河の寄せあふ波の行きて帰らずは
 あっちこっち古墳があるぞ、なんで発掘しねえんだって云ったら、ぼた山だよって。樹木が生い茂って、良寛さんの五合庵のあたり。やっぱり古墳かな、朝鮮人労働者が埋まっているってさ。
万づ代の過ぎ行くものは河にしや両手の辺にも寄せあふ花ぞ

ここにして雪崩やうたむ笠掘のしのひ桜に我が会ひにける
 笠掘には、そんな平地にかもしかが四00頭から棲んで、特別天然記念物になっている。集落があって、雪崩も起こるし、三四軒無人になって潰れる、折れ曲がって咲いているその花。
小千谷なる月はわたらへ雲間ゆも散りしく花をこしの河波

いにしへの人に恋ふらむ椿花降り降る如く群れ行く鳥も
 お寺の山菜は、ふきのとう、とりあし、たらのめ、うど、ぜんまい、しどけ、しょうねんぼう、やまおがら、わらび、ふきという順番、たっぷり食べられるけれど、そりゃ一度二度で堪能する。
生ひ伸びる種々にしてたげましや我が山門を春はたけなは

しくしくに春の雨降る信濃河みずく柳生によそひて行かな
 雪代といって山々の雪解けが終わるのは五月中旬、信濃河の水位は連休がピーク、分水は一五分で東京都一カ月分の使用量を放出、それは見もの。みんな車を寄せてぽかんと眺めている。
しくしくに春の雨降る蒲原の芽吹く柳生によそひて行かな

行く春を寄せあひすらむ河の辺の佐渡は見えずも立ちつくしけむ
 分水河口は毎年形を変える、土砂とごみと流木と、だが野積はずんと古い、高知法印のミイラ、活仏は、親鸞さんもお参りしたという、弥彦のこっちから云うと向こう側。
行く春を寄せあひすらむ河の辺の花をなふして立ちつくしけむ

行く春をうねり寄せたる田の浦の刺すらむ網に魚はかからず
 野積にははまぼうふうがあって、刺身のつまにいい、生物の先生に教えてもらって摘んで来た。二十年もたって行くと絶滅寸前、草摘み山菜取りなど、優雅ではなく、わしらハングリー世代がただもうむしり取る。
妻として草摘み行かな田の浦のわが松がへに風は吹けども

角田なる寄せては返す波に濡れ妻とし我はわたらふものぞ 
 自動車道のできる前に、巻の庵主さま方と歩く。清いうえにも清い角田荒磯、良寛さんもきっと波に濡れてなど思い、毒消し売りの工場を見学。
雲井にか花に吹き入れいやひこや我れは妻とし荒磯わたらふ

牛之尾やはだれ見えむ粟ケ岳こぶしの花も咲き満つらむか
 牛ケ首牛の尾という地名はどういう意味があったのか、諸橋轍次の漢学の里はこぶしの花の満開、粟ケ岳のはだれはなんの印か。
水仙は牛ケ首なむ大門にか風の如くに問へるはたれぞ

大面村田に水引けばともしびの天地とほり鳴くなる蛙
 田に水を引いたとたん蛙の爆弾、さしも蒲原平野、紫外線が強くなって卵が死ぬという、今のところまずは安穏、雨降りゃそこらじゅうが蛙。
大面村田に水引けばともしびの夕を清やけく鳴くなる蛙

三条も花の散らふは水の辺のしましくありて行き過ぎにけれ
 大面村大字小滝から栄町になって、今度は三条市になった、お寺はいちばんはしっこの僻地、文化財保護だといって、三000円貰った、桁四つばかりちがうんじゃねえのけといって、書類のほうは十何行あった。
三条も日は忙しくに過ぎ行けば咲き満つあらん大やまざくら

ずくなしの花をくたちに降る雨の蒲原田井を冷えわびわたる
 ずくなし谷うつぎという、挿しても水を吸わないからずくなしと、薄桃色に咲く。この花の咲くころ、田植え冷えといって急に冷え込む。根付きがいいというが、むかしの田植えは四時起きの、燃し火を焚いて。
ずくなしの花をくたちに降る雨の昨日も今日も冷えわびわたる

ずくなしのくたち止まずは三兵衛が一つ屋敷は植え終えずけむ
 二日植えて冷え込んだ体を半日休めと、大の男がこんなふうで。、産後の肥立ちの悪いかあちゃんが、田んぼわきに伸びていると、ほったらかしに帰っちまう、死にゃ代わりがあるとって、そりゃ婿どんも同じ。
いついつか我も越し人ずくなしの花咲く頃を思ひがてする

行く春のここはもいずこ妻問ひに鳴くや雉子の草をも深み
 お寺はやまどりはいるが雉はいない、それがあるとき一羽迷い込んで、鳴いて歩く、雉も鳴かずは撃たれまいって、悲しいような滑稽な。車の脇を歩いたり、でっかい鳩だと思ったらきじであったりする。
田上なる鳴くや雉子の妻問ひにほろとて散るかやへやまざくら

谷内烏いついつ花は散り失せて舞ふらむ田辺に吹く風強し
 烏が石をくわえて舞い上がり、落としては拾う、放れ烏の一人遊び。フロントガラスにぼかっと当たったのはくるみ、車に轢かせて割いて食べるらしい、ばかがらすとひょうきんからすと、だれかに似ているのと。
蒲原のはざうら田辺を新芽吹く烏鳴くだにおぼろなりけれ

片方は何処へ行きしおしどりの襲はれし辺をはだれ消え行く
 てんかいたちに食われたか、おしどりが雪の上に残骸、越後のはやや形が違う、でも雪消えの春をつがいで飛ぶ、お寺の池に来て、しばらく様子を見て行ってしまった。弁護士さんがなくなった年。
鶯の未だ馴れじあ鳴きとよみけふの日長を君やありとて

ほととぎす来鳴きわたらへ心字池月読みさへに年をへぬれば
 さつきはほとんど白で、自然とあんまり変わらないお坪、でっかい松と心字池、十五夜にほととぎすが鳴いて、でもって草むしりがたいへん。
こしみちの雪は消ゆれど心字池代々に伝へむ花と月影

時鳥さ鳴きわたらへ心字池誰が知れるなき花に咲き満つ
 じゅんさいが採れたのに、先住と先先住の家族が喧嘩して、みんな引っこ抜いて後に鯉を入れた。太郎というひょうきんな大鯉がいて食いすぎで死んだ。どやつも池のまわりを食い荒らす、なんとかせにゃ。
春蝉の音をのみ鳴きて蒲原のこし国中にわれはいくとせ

あんにんご雨に照りあへ下田村ひさしく聞かじ山時鳥
 あんにんごは桜の種で白い房になって咲く、その実をあんにんご酒にする。ふじにずくなしにあんにんご山は若葉、蚊も虻もいないしと。
休耕の六郎田んぼは鋤き起こし烏に追はれこはなんの鳥

ま葛生ふる山のまにして春蝉の長鳴きつつに日はも過ぎぬれ
 五月半ばみーんみーんと蝉が鳴く、お寺にはしゃくやくの咲くころ。長い間鳴き声ばかり、ある年玄関の楓に二匹いた、透き通った、青い小型の美しい蝉、と思ったら地球温暖化で、ぎふちょうと同じにいなくなる。
いついつか耳鳴りすらむ春蝉の茂みみ山は冷へわびもすれ

モーツアルト越しの小国を芽吹かひの今をしくしく恋ひやわたらむ
 雪深い小国は別天地のような、坂上田村麻呂お手植えのけやきの赤谷へ抜け、松代へ抜け、小千谷へまた十日町へ。モーツアルトを聞いてドライブする。地震で長い間不通になった。わしたかの類の、見たこともないようなのが雪の辺を行く。
モーツアルト越しの小国に散る花の今をしくしく恋ひやわたらむ

いずくにか棹さし行かむ捨て小舟春は花にし咲きて散らふる
 弟子が岩船にお寺を持った、春になって尋ねて行く、むずかしい処だと聞くが、川は澄んで鱒が泳ぐ。それはもう美しい風景の、嫁に逃げられねえようにとさ、うっふっふ。
しくしくに棹さし行かむ岩船の春は満ち満つ萌え出にけれ

しましくは雨に降りあふ茂みへの蛙鳴く音とあり通ひつつ
 逃げられもせずに子供が二人になった。笹川の流れは景勝の地、嫁の友人が東京から来る、まいたけが出る、縄文時代の集落がすっぽりダムの底。婿どんはあっちこっち案内。
あかねさす朝日乙女が岩船の結ひし紐さへこれな忘れそ  

世紀末わが物憂きはしくしくの雨に流らへ楓で若葉
 若かえるでのもみずまで寝もとわが思ふなはあどか思ふ。万葉にある歌だ。かえるでとは蛙の手か、葉うらが返るからか、とうとう二十一世紀まで生きた、はあてなどうなる。
二十一世紀なほもの憂きをくしくもや雨に拭はれ楓で若葉

あれもまた花でありしか深山木の六十を過ぎて初に知れりとは
 塀にある雑木がやっぱり桜だったとは、伐らないでよかった。横浜の中華街で手相を見て貰った、もう人生終わったでなと云ったら、こんないい手相見たことがない、九十までは生きられますと云った、またよく見る、幸せを売る商売。
これもまた花でありしか深山木の六十を過ぎて初に知れりとは

田を植えて茂み鳴くかやふくろふの山屋軒辺は風さへに吹く
 ふくろうは氷柱のぶら下がる軒にふっと温むと鳴く、ほうほうが来たよ、春になったよといって喜ぶ、ずいぶんでっかいのがいる、まん丸い目玉が凄い、王様だ、また季節の変わり目に鳴く。
田を植えて烏鳴くさへいやひこのおのれ神さび雨降り荒らぶ

田を植えて蛙鳴くがに信濃河おのれ神さび雪代わたる 
 なにかへんてこな季節、うら寒い風が吹いたり急に暑くなったり、信濃河は雪代水、守門はぶあつい霧の中、そりゃもうどうしようもないっていう。
郭公の鳴きわたらふも守門にはおのれ神さび面隠みこやす

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唄冬

二連禅歌=冬


夕されば雪しの降るにこの鳥やうれたく鳴きて蒲原に過ぐ
 坊主姿して町をうろつく、というのも抵抗があったが、土田舎寺に雪が降って、じとっとしているのも存分。わっはっは、今は坊主頭もさっぱり気にならんとさ。
かき暮れて雪しの降るにこの鳥や恋痛み鳴きて蒲原に行く

八海に雪ふりしくと聞こゆれどい行く軒辺を時雨あへたる
 湯沢へ行っていた弟子がいいとこへ案内するといって、六日町の水無川を遡って行った、上流は豊かな水の、本当にいいところで、すばらしい紅葉に雪の八海山に。
あしびきの奥の井紅葉閑けしや水無しの瀬に雪はふりしく

八海の滝と雪とを見渡せば六十男なんに枯れさぶあらむ
 真っ青な淵にいわながぽっかり浮かぶ、シーズンオフの道を押しわたって絶景、紅葉まにまに雪が降る。
水無しの奥の井紅葉かそけしやしが一握の初初雪と

米山の鳴る神起こししのひ降れわたらふ月に追はれてぞ来し
 米山さんの半分は真っ黒けに曇って、雨がはらつく、半分は月が出て。直江津から一時間ハイウェイを通って帰る、海にはたこふねを見た日であった。
米山の鳴る神起こししのひ降れ雲いを裂きて沖つ白波

おくしがのぶなの林にふりしける初初雪か道ふたぎける
 奥志賀林道は十月二十六日には閉ざす、寸前に行ってみたら雪が降っていた、スノーを履かずともどうやら通れたが、枯れ落ちたぶなの林の深閑。
おくしがのぶなの林にふりしける初初雪か月はめぐらへ

あしかびに月さし出でてなにゆえか河を越ゆらむ雪は降りつつ
 獅子座流星雨を見よう、当日新潟県は時雨れる、ようし富士山五合目か、三保ノ松原と云って、弟子どもと車をぶっ飛ばす、テントにシュラーフして一晩中をと。
芦辺なし雪は降れども月影の過ぎにし君が忘らえぬかも

うばたまの黒姫が子が面を隠み見裂ける月に追はれてぞ来し
 弟はアルツハイマーになって死んだ、最後の旅に戸隠を選んだ、とんでもない旅だった、わしは逃げ出した、兄弟二人少年の日の思い出は。
鵜川なむ月に宿借る柳生の明日を雪は降りしかむとす

大杉の戸隠なへに忘らえて思ひ起こさば一の鳥居も
 一の鳥居までが、歩いて蝶を採りに行く道程だった、きべりたてはやえるたてはや、すじぼそやまきちょうや、兄弟二人の一生を忘れえぬ。
我が若き過ぎにし夏をしのふるは大座ケ法師と夕月夜かも

夕月をしなのの河に言問はむなんに山越え群らつの鳥も
 草津温泉に行って、かあちゃんと二人人力車に乗って、山を越えて、白根山から奥志賀へ、ちえぐうすか寝ている、千曲川が信濃河になる。
夕月を千曲の川に言問はむなんにしだるる神代桜

松本のひったくさった舞へや鳶我が行くはては駿河の海ぞ
 姥捨の駅にほうとうを食うか、止めとくといって食わなかった、親父が木曾の向こう、山口村出身で、がきのころ食わせられた、ほんにあずきとかぼちゃ、うどんだけならいいのにって思い。
姥捨ての山をもいずこ谷内烏舞ひ舞ひ行くに吹雪かもとき

うつせみの命長らへ仰ぎ見む富士の忍野ぞめぐらひも行け
 三島は裾野市のとなりに、お寺を持った弟子が、どっかなおそうとすると、富士山噴火してからに、地震のあとにと云われ、あっはっは弱ったって。そういえば斜めの道斜めに歩いて。
うつせみの命を惜しみめぐらへる忍野見えむ沖つ白波

獅子座なる星を迎へて松原に二十一世紀を我れは知らずも
 明け方四時がピークだと云って、三保ノ松原にテントを張って寝た、四時に起き出すと、まわりじゅうびっしり人、うわあといってその割りにはさっぱりの流星。外れの年だった。

天人のあら舞ひ帰る羽衣のよしや浮き世と忘らへ行かな

竹やぶのしましく夜半を目覚むれば満ち満つ月に廻らひ行かな
 年寄ったら夜中に目が覚める、きんたまに白髪も生える、どうしようかって、元気のいい歌でもこさえてもって、はあて棺桶まっしぐら。
風吹けばいさよふ月と覚しきやこは竹林の賑やかにこそ

出雲崎夕かぎろへる見まく欲り和島が辺り雨にそほ降る
 寺泊赤泊間フェリーに、つばめが十一巣をかけていた、いわつばめだ、往復して子育てする、うっかり頭の辺にぴちゃ。新しい船になってからはどうなった。
出舟にはなんに鳴きあへかもめ鳥佐渡は四十九里夕波荒れぬ

柏崎夕波荒れてみずとりのかよりかくより雪降るはいつ
 わしは字がへたくそで、この歌を短冊に書いて、しくじって紙貼って書いて、また書いて、そうしたら貰って行った人がいた、変です剥げたといって、持って来る。
いやひこの芦辺を枯れてみこあいさ羽交ひ寄せあひ雪降るはいつ

今町も雪にしの降れ山茶花の人を恋ふらむ暮れあへ行かな
 ピアノ弾きの幸ちゃんが、山上進津軽三味線とミニセッションして、青森の民謡酒場までわしらは会いに行った。すると有名になったでもう出ないという。てやんでえと帰って来たら、彼はお寺のために作曲してくれた。音痴のわしじゃもったいなく。
あしたには雪になるとふ山茶花のじょんがら聞かめ津軽恋歌

田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪に朝夕わたる
 田んぼの溝の辺り凍って、水が澄み切って流れる、どじょうやたにしが取れたむかしの川、なつかしいっていうのかな、飲ん兵衛やわけのわからん親父もいた。
田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪に夕ざりくらし

玉垂れの残んの柿に初々の雪降りまがふ我が門とへに
 甘柿は甘百、渋柿は八珍、むかしはそれは宝物であったに違いない、葉は鮮やかな紅葉して、すっかり散りしくと、対照的な二つの見事な枝ぶりだった。
天つ鳥つひばみ来寄せ門とへの残んの柿に雪降りまがふ

初初に降る雪なれば越し人の我れも門とに走り出でてむ
 いい文句だあ、これって歌でもねえしなんだって、檀家の親父が云った。歌ってのはこういうもんだって、御自作を示す人もいた、そういうんなら苦労しねえって、まあさ。
いにしへゆかく生ひなるや二もとの柿の木の辺に雪はふりしく

二十一世紀しの降る雪ぞ谷内烏残んの柿をつひばみ食はせ
 生涯かけて二つのものを完成したぞ、法を継ぐことと、文芸復興だ。むかしばなしと歌をこさえた、どんなもんだいってみんなそっぽを向いてさ、親不孝傍迷惑。
半生をたはけ過ごして冬至なむ柚子の温湯に浸かれるものか

六十なむ芦辺を枯れて信濃河鳴き交はしつつ白鳥わたる
 白鳥が数十羽鳴きわたると、あたりがぱあっと明るくなる、なんで烏はだめで白鳥だ、増えすぎだ、鍋にしよう、食いであるぞうって、やまとたけるの生まれ変わりなんだぞ。
酔ひいたもしのふる雪を大面村残んの柿にわたらひ行かな

年のうちに降りにし雪の消え残り松の梢に白雲わたる
 万葉にそっくり同じようなのがあって、実景として強烈にこの通りに見えて、歌にした。年の瀬に正月が来たような。松とぽっかり雲。
今町は雪にしのふる年の瀬も地蔵の門に花を参らせ

吾妹子や久しく行けばかもしかの住まへる村ぞ雪はふりしく
 平地なのにかもしかが四百頭からいて、天然記念物になっている。ひめさゆりは、笹の葉っぱみたいのへピンクの可憐な花が咲く、一度見たら忘れられない。大雪の五十嵐川の周辺に咲く。
笠掘の笹み小百合のゆりあへの鳴る神わたり雪はふれども

シュ−ベルト冬の旅なむいやひこのもがり吹雪の舞ふらむ烏
 冬の旅としゃれてドライブ、半日回れば田んぼから磯っぱた、三条市をかすめて、五十嵐小文治の下田村、守門の辺りまで行く、いえさ順不同。
妹らがり通へる道は牛の尾のもがり吹雪の呼びあへも行け

ここもまた過ぎがてにせむ二尾松荒磯に濡れぬそのかきの殻
 積丹岬にも柏の木があった、どこか人なつかしい感じの、如何なるか祖師西来の意、云く庭前の柏樹子は、かしわではなく松の仲間というが、ようも知らぬ。
妹らがり通へる道は今もありしその冬枯れの柏樹がもと

三つ柳風にぬぐはれ一里塚しのびがてせむ春の如くに
 三つ柳の人からお地蔵さんの額を頼まれて、大苦労して書いて、うんまずまずと思ったら、彫る人がへたくそで駄目、なんだこりゃあって、目くそ鼻くそをののしる。
牛首がいにしへ雪を踏み分けて何を求めむ鹿熊川波

白鳥の忘れ隠もして梓弓春を廻らへ時過ぎにけり
 五十嵐神社はあるが、垣しろ跡は残っていない、明暗寺という虚無僧寺が、明治維新とともに全焼して、その墓地が残っている、檀家であった人の過去帳を見た。風鈴の頌がある。
小文治の古き都は牛の尾のなんにおのれが時雨わびつつ

弓勢は幻にしていやひこの蒲原田井に雪は降りつつ
 牛の尾牛首という地名がある、どういういわれか知らない、この辺りだけではない、鹿熊というのも二つあった、山はなんといっても、守門と粟が岳。
川の辺の落ち行く夕にあはケ岳呼び交しつつ白鳥わたる

神からか神さびおはす大杉のわたらふ雲の年たちかはる
 杉やけやきがあっちこっちに残っている、行ってみるとなかなかの代物、赤谷のけやき
は坂上田村麻呂のお手植えだという、蓮華寺の大杉は樹齢八百年、小木の城跡に行く道は、だが地震で陥没してしまった。
滝の門のどうめきあへる大杉の流らふ雲の年たちかはる

どん底の左卜全と云はむかな他力本願雪降りしきり
 正月映画に黒沢明のどん底をやっていた、わしは初めて見た、むかしの作物はめりはりが利く、そうかなあって納得、でもさ門徒って申し訳ばっかり、仏教と云えるのかなあと。
小栗山なんじゃもんじゃの宮社のいにしへさびて雪ふりしきり

七草の春のあしたを降る雪はほがら降りしけ弟が門も
 弟がアルツハイマーになって、どん底っちゃあんなどん底なかった、すべてはわしのせいだし、阿呆な嫁くっつけたのもわしで、いやさどうにもこうにも。
鬼木なる橋を越えてもしましくは雪にうち降る月読み木立

しましくに吹き止みぬれば大面村雪のしの路があり通ひける
 豪雪の記憶は鮮明に残る、だが去年の雪はもうないってこった、へたな約束事は直きに忘れるってのが雪国。明日は明日の雪
いやひこのおのれ神さび吹き止めば松のしのだへ物音もせで

大面村松を張り裂け降る雪の鳴る神わたりまたもしの降る
 松の張り裂ける音のほかには、なんにも聞こえない、雪はしの降る、恐ろしさはそりゃもう雪下ろしでなく、雪掘り。
しましくに星は見裂けれ大面村松の梢が雪わびさぶる

わたらふは月影ならむ大面村雪降り止みね松は裂けるに
 雪下ろしして振り返ると同じだけ積もっていたり、そりゃ新雪は嵩が張るけど、だってもうんざり、風景はみんな屋根の上から、わっはっは、笑うしかなかったり。
大面村松はも見えず降りしのひ雲井の方にあかねさしこも

一人我がおのれ軒辺はかき下ろし鳴る神起こしまたもうち降る
 庫裡は屋根組みがきつく、えらいしんどかったけど、ようやくに直した。雪下ろしには蜜柑がうまい。紅茶にウイスキー入れたのも、わっはっは、がんばったっけな長年。
一人我がおのれ軒辺はかき下ろし酒を食らへば死にはてにけり

いつかなに我れも越人鳴る神のしのふる雪は耐ゆるには耐え
 最近になってようやく、屋根の構造や、家の作りを豪雪に合わせる、何百年同じのなにしろ上って雪下ろし、馬鹿みたいってば馬鹿みたいって、なんかいわれでもあったんかな。
越人が代々を住まへれ鳴る神のしのふる雪は耐ゆるには耐え

田上なる松の尾上に降りこもせ雲井見裂けて月押しわたる
 昭和十二年竹の高地というところに、人がいるらしいと聞いて、役人が赴くと、おかしな格好したのが飛び出して、源氏は滅んだかと云ってそうな、はてほんとかな。
平家らがいにしへ人を吹き荒れて松の梢を月押しわたる

今日もがも雪は降りつつ山茶花のにほへる如く君や訪のへ
 冬の間はだれも来なかった、氷柱が二メートルにもなってぶら下がり、そこらじゅう兎の運動会、本堂屋根のてっぺんまでも足跡。月に孕むという兎。
妹がへも押し照る月を見まく欲り松浦ケ崎に雪は降りつつ

大面村もがり吹くらむ山の端もなんの一枝か色めきいたる
 なんの木か春めいて見える、いえそういう色をしているんだって、図鑑にあった、二月も三月もまあ冬まっただ中、どうしようもなくさ。
いやひこの蒲原田井を吹き止めばいずはた行かむその迷ひ鳥

古寺のあは雪しのふ松がへも夕を見裂ける星のむたあれな
 松の辺にはずっしり雪が載って、その向こうに雲の切れ間、星が瞬く、いえたしかに春の星。
古寺のあは雪しのふ松がへも見裂ける星は春めくあらむ

田の末の一つ灯がみをつくし降り降る雪は春にしあらむ
 月のお経に来いという、さっぱり行かなかった、どうもわしは神経過敏というか、いらんこと云ったりするんだし、雲水が来て雲水任せ、雪降りゃなをさら。
良寛のおらあがんとぞ吹き荒れ何に淋しえ群らつの鳥は

広神のいにしへ人は万ず代にい行き通ひて春を祝ほげ
 雪の少ない年にトンネルを抜けて行ってみた、広神村から入広瀬。三十回も雪下ろしをするという、むかしは交通途絶、豪雪の中の別天地だった、雪が少なければわしらんとこと変りないか。
谷内烏舞ひ舞ひ行きて川を越え広神の背に雪は降りつつ
あぶるまの橋を過ぎればちはやぶる神の御代より雪は降りつつ

しぶみ川芦辺を枯れて白鳥のあひ別れつつしの降る雪ぞ
 冬期間通行止めという道があって、それはブルを出して除雪せにゃならんし、六軒部落のためにけっこうな道つけてってのも方々にある、ゼニ誰が払うかって、まあさ。
守門なる吹き荒れけむに河の面のなんの鳥かもたはぶれ遊ぶ

真之代の吹き荒れけむに行けるなく信濃河もがあひ別れ行く
 二月には接心があって、弟子どもの同窓会を兼ねる、おいゼニ出せ、はいよとかいって、寺泊まで行って、あんこうを買って来て、うっふう冬はこれにかぎるとか。
傍所なる吹き降りせむに行き通ひ言足らばずてつらつら椿

我れもまた雁木わたらへしましくに守門はこもせ雪降り荒らぶ
 雁木が残っている町はもうないのかも知れぬ、町ごとそっくりの雪よけ、買い物にはすこぶる便利な、でも雪下ろしは毎日だし、なんせ天井は平らで。
古寺の松の梢ゆこの夕押し照る月に雪は消ぬべく

大面村寄せあふ軒の梅が枝のくしくも雪は消ぬべくあらむ
 梅が呼吸する、だから軒下べったりの雪も溶ける、春はもうすぐという、そうしたら、松食い虫にやられた松が倒れ。
古寺のいつか降りしく雪の辺に松は倒れむ押し照る月も

み雪降るこしみちのくを別け出でて忍野の梅の初々咲くを
 弟子が縁あったお寺に婿養子に入る、出家とラゴラ寺院子弟とは、水と油でそりゃもうどうもならんけど、愚の如く魯の如く、まずは六十になるまでってさ。
おぼろ月仰ぎ見なむも春なれや忍野の梅の初初咲くを

トンネルを六十に我れや抜け出でて燃ゆらむものはなんの花ぞも
 大清水トンネルという、これができる前は山越えに延々行く、こないだ久しぶりに通ったら、ハイウェイを使わぬ陸送が行く、猿がいた。
トンネルを六十に我れや往き復り迎えむものは降り降る雪ぞ

振り返り白馬となむ虹かかり我がハイウェイに雪は降りつつ
 オリンピックで急造した高速道路、姥捨に一休みしたら、放れ烏が、雪降る中を、石を落っことしては拾って、一人遊びしている。
ハイウェイの駅と云ふらむ吹雪してなんにたはぶれ姥捨て烏

田口にはいさよふ月を関山の雪降り荒らび越しの真人は
 田口は妙高高原になったのかな、女流プロの尚司和子さんから、お呼びがかかって、高原ホテルで駒場寮の同窓会、さすがプロでだれも勝てなかった。あらうまいわねえ、負けそとか云って、ぽんと打つ。
田口にはふりしく雪を関山の紅葉にせかれ谷川の水

紅の春を迷はむこの鳥やオホ−ツクより吹き荒れけむに
 のごまという、北海道へ行く鳥がお寺へ迷い込む、喉が鮮紅色。なむねこという猛烈猫がいて、ぱくっと食っちまったが、もうこのときは他界していた。
唐松は堂を破りしきつつきのつがひにあらむ春の燭台

めでたくは松はも見えず松代の長寿無窮ぞこれや寒茸
 松代も有数の地滑り地帯で、むかし行き倒れを人身御供に建てたという、そうそう行き倒れなんかない、ふんどしの汚いやつからという、うっふう嫁なしはきつい。松がないのに松代。
松代の春はきはまり二メ−トルの氷柱し欠きて子らとし遊ぶ

随喜すはシュミオナ−トのケルビ−ノ絶えて久しき声をしぞ聞く
 ショルツの魔笛をまずまずと思っていたら、最近1950年代のフィガロを手に入れる、そりゃもうすばらしい、なんともはや涙流しながらカーステでもってドライブ。
いつかなに尻に敷かれてその亭主一朝逝けば嘆かふ妻ぞ

オホ−ツク氷の海の豊穣を知らずも我れは半世紀をへ
 科学者の云うことは三年ごとに変るといって、恐竜なんぞ三日たったら別の説。坊主社会も変るか、なんせだれもよっつかぬ、お寺と葬式だけ、長年の化けの皮剥がれてさ。
クリオネの舞へるを悲しオホ−ツク流転三界春をたけなは
美はしきは命なりけれシベリアの極寒立ち馬蒼天蒼天

枯れ芦にしのふる雪を過ぎがてに見ずて来にけり夕町軽井
 松之山に行く二車線道路ができて、トンネルをくぐって冬でも楽々行ける、雪の辺に婿投げとか、声楽家が酒飲んで温泉入って死んだとか、きのこを十三種も食わせるなと。
松之山雪をも月の押し分けてまふらまふらにトンネルを抜け

たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏樹が下地蔵菩薩も
たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏樹が下雪はうちよせ
 佐渡の最高峰は金北山で、海を越えて真っ白に見えるのはどんでん山ではない、そう云われてでもどんでん山、お地蔵さまの真向かいにさ。
雪降れば何をし見なむかもめ鳥夕波荒れてどんでんの山

三界に身をも横たへ信濃河雪に残んの枯れ葦のむた
 雪の原野ーいえ田んぼなんだけど、雪降れば原野を、信濃河が蛇行して行く、絶句するばかり、似合うのは白鳥か、いえわしもよそ者。
枯れあしの流転三界雪は降り鳴き交しつつ白鳥わたる
白鳥の列なり行くか信濃河夕の入り陽の触れあふ如く

角田行く寄せあへすらむ波のもも降り降る雪は春にしあらむ
 渡り鳥の群れが、雪の荒海をわたって行く、春とはこういうことなんだと、突っ立って見送る、何百という、たったの一度そういう日に出会った。
椎谷なるこは海なもに雪は降れ呼び交しつつかりがねわたる

かりがねの越しの田浦をま悲しみしの降る雪は信濃河の辺
 新宿の風月堂には柳影があって、どかんと座って大空を見上げていた、何十年たってとつぜん思い起こす、人をなつかしむには、こっちが変り過ぎってとこかどうか。
今日もがもさ鳴きわたらへ白鳥や越しの田原に降れるは雪か

雪消えに会はなむものかこの鳥や尾崎の田井に鳴きわたらへる
 なんていうんだろあれ、大きな鳥なのに、おとなしくって百舌鳥に追われてどこへ、えながとかかしらだかとか群れ鳥も、雪の消えぬまに。
この鳥や百舌鳥に追はれて大崎の雪の木末に何を見むとや

信濃河あらぬ吹雪か止みぬれば帰らふ鳥の姿さへ見ず
 地吹雪というのは二月、ホワイトアウト、車を止めたら追突、どうしたらいいっていう一瞬。吹き溜まりを歩いて川へはまったり、押し流されてすんでにってやつ。
いやひこのあらぬ吹雪か止みぬれば田井に安らふ社の木立も

恋ほしくば荒磯わたらへ鷺つ鳥風に問へるはその雪のむた
 鷺が飛んで来る、雪消えに水たまりができていたり、ごいさぎがよたって、助けを求めたり、ぽこんと穴が開いて、何か顔を出したり、りすのつがいがぶら下がったり。
見ずや君しの降る雪の木の間よもなんのものかやたはぶれ遊ぶ

小出なむふりふる雪はしかすがに霧らひこもして青鷺わたる
 きさらぎじゃなくって、たいてい弥生なんだが、春めいてしかも雪は毎日降る。彼岸法要のための雪のけが、まずは大仕事だった、今はブルがいっぺんにかき寄せる。
子どもらが遠くにありて降る雪のあはあは行かめ春の日長を

きさらぎのまふらまふらに降りしけば押し照る月は堂のしとみも
 ゴムボートを持ってかさご釣りに行く、きつねめばるというんだが、沖のテトラポットに渡る、資源保護だといって中学のせがれがうるさい、でもまあ入れ食い。
鷺の森廻らふ月の久しくに妹が辺りも継ぎて見ましを

五十嵐のその村の井に降る雪のしましく止めばあり通ひける
 吉ケ平は全村引っ越して、笠掘は空家が目立つ、二三年もすりゃ雪でぺっちゃんこ、そう云えば、山地へ行けば、どこもかしこもそんなふう、生まれ育った故郷だのにさ。
夕されば粟がみ山にあかねさし春を待つらむ家路淋しも

幾代々を住みなしけむや春さらば雪崩やうたむ笠掘の郷
 下田村の一番奥のお寺は時宗だという、檀家仏教だで、まあ何宗だって同じこったが、浄土宗が二軒あって、先生をしていた跡取りが駆落ちして、一軒はつぶれ同然とかさ。
きつつきの穿てるあたり雪は降りてここだ淋しも軒伝ひ行く

人面はたれぞ刻まむ降る雪の久しく行くか月読み木立
 大面村に一本足りない人面村は、ひとづらと読む、そりゃもう豪雪地帯のどんづまり村、冬始めて通って見た、道路は今はもうちゃんと除雪してある、しっくりといい感じの。
人面は我れも刻まむふる雪のしましく行くか月読み木立

年寄るはなんに淋しえしらたまの酒を酌みては月に一献
 七十近くなってやっと晩酌の味を覚えた、赤ワインが老人病にいいという、キリストさまの血だってさとか云って飲んでいたら、くせになった、2ちゃんねるの人が送ってくれたりする。
氷柱にぞもがり吹けるに束の間ゆ月さし出でてこれに一献

この鳥や雪はも雨にしのふるを蒲原田井と眺めやりつつ
 ヤフー掲示板で流行らかして、いっときは四位になった、2ちゃんねる荒らししたり、わっはっは年甲斐もなくにさ。出合系サイトやって、弟子どもに差し止め食らったり。
行き帰りはざうら田辺の烏だに久しく春は告げなむものを

磯の辺のしぶきしつらむ寄せ返し恋ふらむ宿に雪は降りつつ
 海外旅行はニュージーランドへ行きオーストラリアへ行きタイへ行き、もうこれでおしまいかな、あとはもう棺桶へまっしぐら、でもなにしろいてもたってもいられない春。
風吹けば散らへる雪のむたにしてあはあは行かめこれの日長を

うそといふ浮き世の花を啄ばまむたれぞ追ふらむ雪はしの降る
 うそという鳥が花のつぼみを啄む、雀も花の蜜を吸う、めじろと違って花までむしる、稲の落ちこぼれとかなくなったせい、うそは赤い大きな鳥。
うそといふ浮き世の花を啄ばまむ風をしのひに春ぞ追ふらむ

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uta − 二連禅歌


夕されば雪は降れるにこの鳥やうれたく鳴きて蒲原に過ぐ
 坊主姿して町をうろつく、というのも抵抗があったが、土田舎寺に雪が降って、じとっとしているのも存分。わっはっは、今は坊主頭もさっぱり気にならんとさ。
うれたくも雪しの降るにこの鳥や恋痛み鳴きて橋か越ゆらむ

八海に雪は降れりと聞きしかど過ぎにし軒は時雨あへたる
 湯沢へ行っていた弟子がいいとこへ案内するといって、水無川を遡って行った、本当にいいところで、紅葉にまあ雪の八海山に。
あしびきの奥の井紅葉清やけしや水無しの瀬に雪はふりしく

八海の滝と雪とを見渡せば六十男なんに枯れさぶあらむ
 水無川も上流は豊かな流れ、いわながぽっかり浮かぶ、シーズンオフ通せんぼの道を押しわたって、それがまたすばらしい絶景。初雪が降っている。
水無しの奥の井紅葉かそけしやその一握の初初雪と

米山の鳴る神起こししのひ降れ廻らふ月に追はれてぞ来し
 米山さんの半分は真っ黒けに雲って、雨がはらつく、半分はぽっかり月が出て。直江津から一時間、高速を通って帰る、たこふねを見た日であったか。
米山の鳴る神起こししのひ降れ雲井を裂きて沖つ白波

おくしがのぶなの林にふりしける初音の雪か道ふたぎける
 奥志賀林道は十月二十六日には閉ざす、寸前に行ってみたらもう雪が降っていた、スノーを履かずとも、どうやら通れたが、枯れ落ちたぶなの林。
おくしがのぶなの林にふりしける初初雪か月はめぐらへ

あしかびに月さし出でてなにゆえか河を越ゆらむ雪はふりしく
 獅子座流星雨を見よう、当日新潟県は時雨れる、富士山か、三保ノ松原までと云って、弟子どもと車をぶっ飛ばす、テントにシュラーフして一晩中をと。
枯れあしに雪はしのふれ行く川の過ぎにし妹を忘らえぬかも

面隠みに黒姫吾子が雲間ゆも見裂ける月に追はれてぞ来し
 弟はアルツハイマーになって死んだ、最後の旅に戸隠を選んだ、とんでもない旅だった、わしは逃げ出した、兄弟二人少年の日は。
信濃河月に宿借るあしかびのしじにも雪は降りしかむとす

戸隠の大杉なへに忘らえて思ひ起こさば一の鳥居も
 一の鳥居までが、長野市から歩いて蝶を採集に来る道程だった、きべりたてはやえるたてはや、そうしてまたあさぎまだらであり、一生を忘れえぬ。
かの若きわれらが時をしのふるは大座ケ法師と夕月夜かも

夕月をしなのの河に言問はむなんに山越え群らつの鳥も
 かあちゃんと二人で草津温泉に行って、人力車に乗って、それから山を越えて、白根山から奥志賀へ、風景をというより、ぐうすか寝ている、ふんせっかく。
名月を千曲の河に言問はむおのれしだるる神代桜

松本のひったくさった舞へや鳶おのれ行くさは駿河の海ぞ
 姥捨の駅でほうとうを食うか、止めとくといって、食わなかった、親父が木曾の向こう、山口村出身で、食わせられた、ほんにあずきとかぼちゃ、うどんだけならいいのにって。
姥捨ての駅にぞあらむ谷内烏なんに舞ひ行く吹雪かもとき

うつせみの命長らへ仰ぎ見む富士の忍野ぞめぐらひも行け
 三島は裾野市のとなりに、お寺を持った弟子が、どっかなおそうとすると、富士山噴火してからに、地震のあとにと云われ、あっはっは弱った、そういえば斜めの道斜めに歩いて。
うつせみの命を惜しみめぐらへば忍野見えむ沖つ白波

獅子座なる流らふ星を松原に二十一世紀を我れは知らずも
 明け方四時がピークだと云って、三保ノ松原にテントを張って寝た、四時に起き出すと、まわりじゅうびっしり人、うわあといってその割りにはさっぱりの流星。外れの年だった。

天人の手振り舞ふらむ羽衣のよしや浮き世と忘らへ行かな

竹やぶのしましく夜半を目覚むれば満ち満つ月に廻らひ行かな
 年寄ったら夜中に目が覚める、きんたまに白髪も生える、どうしようかって、元気のいい和歌でもこさえて、はあて棺桶まっしぐら。
風吹けべいさよふ月と覚しきやこは竹林の賑やかにこそ

出雲崎夕かぎろへる見まく欲り和島が辺り雨にそほ降る
 寺泊赤泊間フェリーに、つばめが十一巣をかけていた、いわつばめだ、往復して子育てする、うっかり頭の辺にぴちゃ。新しい船になってはてどうなった。
出舟にはなんに鳴きあへかもめ鳥佐渡は四十九里夕波荒れぬ

柏崎夕波荒れてみずとりのかよりかくより雪降るはいつ
 わしは字がへたくそで、この歌を短冊に書いて、しくじって紙貼って書いて、また書いて、そうしたら貰って行った人がいた、変です剥げたといって、持って来る。
信濃河芦辺を枯れてみずとりの羽交ひ寄せあひ雪は降り降る

磐の坂雪にしの降れ山茶花のたれを恋ふらむ暮れあへ行かな
 ピアノ弾きの幸ちゃんが、山上進津軽三味線とミニセッションして、青森の民謡酒場までわしらは会いに行った。すると有名になったでもう出ないという。てやんでえと帰って来たら、彼はわしのために作曲してくれた。音痴のわしじゃもったいなく。
あしたには雪になるとふ山茶花のじょんがら聞かめ津軽恋歌

田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪に朝夕わたる
 田んぼの溝の辺り凍って、水が澄み切って流れる、どじょうやたにしが取れたむかしの川、無理が通れば道理引っ込むみたい、わけのわからん親父もいた。
田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪に夕かぎろへる

玉垂れの残んの柿に初々の雪降りまがふ我が門とへに
 甘柿は甘百、渋柿は八珍、むかしはそれは宝物であったに違いない、葉は鮮やかな紅葉して、すっかり散りしくと、対照的な二つの見事な枝ぶりだった。
天つ鳥つひばみ来寄せ門とへの残んの柿に雪降りまがふ

初初に降る雪なれば越し人の我れも門とに走り出でてむ
 いい文句だあ、これって歌でもねえしなんだって、檀家の親父が云った。歌ってのはこういうもんだって、御自作を示すて人もいた、そういうんなら苦労しねえって、まあさ。
いにしへゆかく生ひなるや二もとの柿の木の辺に雪ふりしきる

二十一世紀降り降る雪ぞ谷内烏残んの柿をつひばみ食はせ
 生涯かけて二つのものを完成したぞ、法を継ぐことと、文芸復興だ。むかしばなしと歌をこさえた、どんなもんだいってみんなそっぽ向く、親不孝傍迷惑。
半生をたはけ過ごして冬至とふ柚子の風呂にも浸かれるものか

六十なむ芦辺を枯れて信濃河鳴き交はしつつ白鳥わたる
 白鳥が数十羽鳴きわたると、あたりがぱあっと明るくなる、なんで烏はだめで白鳥だ、増えすぎだ、鍋にしよう、食いであるぞうって、やまとたけるの生まれ変わりなんだぞ。
酔ひいたもふりふる雪を大面村残んの柿にわたらひ行かな

年のうちに降りにし雪の消え残り松の梢に白雲わたる
 万葉にそっくり同じようなのがあって、実景として強烈にこの通りに見えて、歌にした。年の瀬に正月が来たような。松とぽっかり雲。
今町は雪にしのふる年の瀬も地蔵の門に花を参らせ

下田村久しく行けばかもしかの住まへる里ぞ雪はふりしく
 平地なのにかもしかが四百頭もいて、天然記念物。ひめさゆりは、笹の葉っぱみたいのへ、ピンクの花が咲く、一度見たら忘れられない。大雪が降る。
笠掘の笹み小百合のゆりあへに鳴る神わたり雪はふれども

シュ−ベルト冬の旅なむいやひこのもがり吹雪の舞ふらむ烏
 冬の旅としゃれてドライブ、半日回れば田んぼから磯っぱた、三条市をかすめて、五十嵐小文治の下田村、山の辺りまで行く、いえさ順不同。
妹らがり通へる道は牛の尾のもがり吹雪の呼びあへも行け

ここもまた過ぎがてにせむ二尾松荒磯に濡れぬそのかきの殻
 積丹岬にも柏の木があった、どこか人なつかしい感じの、如何なるか祖師西来の意、云く庭前の柏樹子は、かしわではなく松の仲間という、ようも知らぬ。
妹らがり通へる道は今もありしその冬枯れの柏樹がもと

三つ柳風にぬぐはれ一里塚しのびがてせむ春の如くに
 三つ柳の人からお地蔵さんの額を頼まれて、大苦労して書いて、うんまずまずと思ったら、彫る人がへたくそで駄目、なんだこりゃあって、目くそ鼻くそをののしる。
牛首がいにしへ雪を踏み分けて何を求めむ鹿熊川波

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クリオネの舞ひ舞ひ悲しオホ−ツク流転三界春をたけなは
美はしきは命なりけれシベリアの極寒立ち馬蒼天蒼天

与板橋しのふる雪を過ぎがてに見ずて来にけり夕町軽井
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松之山雪をも月の押し分けてまふらまふらにトンネルを抜け

たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏が下の地蔵菩薩も
たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏が下の雪はうちよせ
 佐渡の最高峰は金北山で、海を越えて真っ白に見えるのはどんでん山ではない、そう云われてでもどんでん山、お地蔵さまの真向かいにさ。
雪降れば何をし見なむかもめ鳥海波荒れてどんでんの山

三界に身をも横たへ信濃河雪に残んの枯れ葦のむた
 雪の原野ーいえ田んぼなんだけど、雪降れば原野を、信濃河が蛇行して行く、絶句するばかり、似合うのは白鳥か、わしもよそ者。
河の辺の流転三界雪は降り鳴き交しつつ白鳥わたる
白鳥の列なり行くか信濃河夕の入り陽の触れあふ如く

寄せあへる野積の浜の波のももしの降る雪は春にぞあらめ
 何十という渡り鳥の群れが、雪の降る海をわたって行く、春とはこういうことを云うんだなあと、突っ立って見送る、たったの一度そういう日に出会った。
梓弓春をさながら雪は降れ呼び交しつつかりがねわたる

かりがねの越しの田浦をま悲しみ降り降る雪は信濃河の辺
 新宿の風月堂には柳影があって、どかんと座って大空を見上げていた、何十年たってとつぜん思い起こす、人をなつかしむには、こっちが変り過ぎってとこ。
今日もがもさ鳴きわたらへ白鳥や越しの河辺を降れるは雪か

雪消えに会はなむ鳥か河の辺の尾崎の田井に鳴きわたらへる
 なんていうんだろあれ、大きな鳥なのに、おとなしくって百舌鳥に追われてどこへ、えながとかかしらだかとか群れ鳥も、雪の消えぬまに。
この鳥や百舌鳥に追はれて大崎の雪の梢に何を見むとや

信濃河夕荒れ吹雪止みぬれば帰らふ鳥の姿さへ見ず
 地吹雪というのは二月、ホワイトアウト、車を止めたら追突、どうしたらいいって一瞬。歩いて来て川へはまったり、押し流されてすんでにってやつ。
小阿賀野にあらぬ嵐か吹き止めば田辺に安らふ社の木立も


恋ほしくば荒磯わたらへ鷺つ鳥風に問へるはその雪のむた
 鷺が飛んで来る、雪消えに水たまりができていたり、ごいさぎがよたって、助けを求めたり、ぽこんと穴が開いて、何か顔を出したり、りすのつがいがぶら下がったり。
君見ずや荒らぶる雪の木の間よもなんのものかやたはぶれ遊ぶ

さぎつ鳥ふりふる雪はしかすがに霧らひこもしてきさらぎわたる
 きさらぎじゃなくって、たいてい弥生なんだが、春めいてしかも雪は毎日降る。彼岸法要のための、雪のけが大仕事だった、今はブルがいっぺんでかき寄せ。
我が子らが遠へなれつつ降る雪のあはらも行かめ春の日長を

滝の門のまふらに雪の降りしけば押し照る月は堂のしとみも
 ゴムボートを持ってかさご釣りに行く、きつねめばるというんだが、沖のテトラポットに渡る、資源保護だといって中学のせがれがうるさい、でもまあ入れ食い。
鷺の森廻らふ月の久しくに妹が辺りも継ぎて見ましを

五十嵐の下田の村に降る雪の久しく止めばあり通ひける
 吉ケ平は全村引っ越して、笠掘は空家が目立つ、二三年もすりゃ雪でぺっちゃんこ、そう云えば、山地へ行けば、どこもかしこもそんなふう、生まれ育った故郷だのに。
夕ざれば守門がなへにあかねさし春を待つらく家路淋しも

代々をしも住みなしけむや春さらば雪崩やうたむ笠掘の郷
 下田村の一番奥のお寺は時宗だという、檀家仏教だで、まあ何宗だって同じこったが、浄土宗が二軒あって、先生をしていた跡取りが駆落ちして、一軒はつぶれ同然とかさ。
きつつきの穿てるあたり降り降りてまふら淋しも軒伝ひ行く

人面はたれぞ刻まむあは雪の久しく行くか月読み木立
 大面村に一本足りない人面村は、ひとづらと読む、そりゃもう豪雪地帯の、どんづまり村、冬始めて通って見た、道路は今はもうちゃんと除雪してある、しっくりといい感じの。
人面は我れも刻まむふる雪のしましく行くか月読み木立

年寄るはなんに淋しえしらたまの酒を酌みては月に一献
 七十近くなってやっと晩酌の味を覚えた、赤ワインが老人病にいいという、キリストさまの血だってさとか云って飲んでいたら、くせになった、2ちゃんねるの人が送ってくれたりする。
氷柱にはもがり吹けるに束の間も月さし出でてこれに一献

この鳥や雪はも雨にしのふるを蒲原田井と眺めやりつつ
 ヤフー掲示板で流行らかして、いっときは四位になった、2ちゃんねる荒らししたり、わっはっは年甲斐もなく。出合系サイトやって、弟子どもが差し止め。
蒲原のはざうら田井の烏さへ久しく春は告げなむものを

磯の辺の春の波もの寄せ返し恋ふらむ宿に雪は降りつつ
 ニュージーランドへ行きオーストラリアへ行きタイへ行き、もうこれでおしまいかな、あとはもう棺桶へまっしぐら、でもなにしろいてもたってもいられない春。
風吹けば散らへる雪のむたにしてあはあは行かめこれの日長を

うそ鳥は浮き世の花を啄ばむかたれぞ追ふらむ雪は降りつつ
 うそという鳥が花のつぼみを啄む、雀も花の蜜を吸う、めじろと違って花までむしる、稲の落ちこぼれとかなくなったせい、うそは赤い大きな鳥。
うそ鳥は浮き世の花を啄むか吹く風しのひ春や追ふらむ

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uta − 二連禅歌


山門をとく夕立の降り止めばいつかな聞かむ虫の鳴くなる
 わが参道はすずむしの大合唱、夕立が過ぎるともう虫が鳴いている、そうさなあ、安定した季節感は終わったのか、異常気象の洪水やら地震に、むかしをなつかしむ、ーいえさ人間のほうがお先に変になって。
大面村松の尾上に照る月の雲井わたらひ小夜更けにけり

いやひこの何に鳴きあへ谷内烏早稲の田うらに日は照りまさる
 蒲原田井に烏が群れて、どこかゴッホの絵を見るような、托鉢して歩いていた雲水のころ、住職三年火の車と云われる、わけのわからん五年七年。
いやひこの何に群れあへ谷内烏早稲の田うらに雨もよひする
谷内烏鳴くも悲しえいやひこの早稲の田うらに長雨ぞ降る

今日もがも田んぼの烏かかと鳴け六郎屋敷を嫁は来ずとや
 そのうちに空前の嫁ひでりになって、婿どんを貰うほうが早かったり、そいつがあっというまに別れて、じっさばっさ子育て、娘はどうした、いえその、とにかく檀家半減しそう。
田末さへ刈らずてあればかかと鳴く烏も外けて六郎屋敷

子らと我が棹さして行け笹川の流らふ月は見れども飽かぬ
 岩舟に弟子が二人いて、今度は三人めが寺を持った、そりゃわしら出家坊主の持てる寺なぞ、食うや食わずだけれど、景勝の地であり、海も山もいい、蛭がいるって云っていたが。
月読みに棹さして行け笹川の流らふ雲は見れども飽かぬ

群らふ鷺茂み田浦が夕のへも吹く風しのひ秋長けにけり
 大河津分水の、水の出たあと取り残された魚がいて、子供と遊びに行って、ばけつを拾って何十も取ってきた、六十センチの鮒がいたり、魚の量はまあものすごいものがあった、今はどうなっているんだろ、同じかな。
芦辺なし吹く風しのひ大河津舞ひ行く鷺の姿さへ見ず

郷別けの中なる川に橋かけてわたらふ月は清やにも照らせ
 郷別け中という地名があったが、なくなった、今は傍所という、これもどっか変わっている、鬼やんまがすーいと飛んで行って、池の島とか、牛首とか、川向うの名前。
郷別けの中なる川に橋かけてわたらふ月は池島に行く

若狭栗いついつ稔るあしびきの山押す風に問ふても聞かな
 おふくろが早稲と奥手の栗を二本ずつ植えた、わせは山栗よりも甘く、おいしかった、奥手はでかいんだが、ついに誰も食わず、おふくろが死んで二十年たつ、栗の木も伐られる。
若狭栗稔らふ待ちにあしびきの山押す雲がなんぞ恋ほしき

蒲原のはざうら田辺もいついつか秋になりぬれ雨降りながら
 降り続く年があって、大河津分水は河川敷にも水が来て、ミニ揚子江だなぞ云ったが、本家本元の中国は、未曾有の大洪水、河神の申し子だといって、かつがつ助かった子を、大事にするとか。
大河津別けても降れる長雨のまふらまふらに秋の風吹く

与板なる芦辺をさして行く鷺の泊てむとしてやまたも舞ひ行く
 頭からうなじのあたり黄色い、ときでも逃げて来たんかな、あんなのはじめて見たと思ったら、図鑑にあまさぎと出ていた、ごく普通の種だそうだが、水郷には無数の鷺がいる。
田上なる橋を越えても長雨は降り止まずけむあれは米山

米山のぴっからしゃんから谷内烏早稲の田うらを夕焼けわたる
 米山さんからぴっからしゃんから雷鳴ったり雨が降ったり、蒲原郷いったいの百姓の神さま米山薬師、道の改修で村の米山さんは、お寺に合祇した。
米山のぴっからしゃんから群雀早稲の田浦に穂向き寄りあへ
こんぺいとうに赤のまんま咲く門前は刈り終えてすでに久しき

つゆしのふ長者屋敷は下関の早稲の田浦を押し分け行かな
 伝兵衛さは大旦那であって、お寺のかかりの半分はまかなったという、農地開放と事業の失敗で、広大なお屋敷は人手にわたる、こじんまりした家に住んで、花がいっぱい。せがれが試験に受かり文部官僚になった。
つゆしのふ長者屋敷は下関の萩の大門をくぐらひ行かな

山を深みここはもいずこ十日町杉をしだえに人も老ひぬれ
 インドの民族画というのかな、ミチーラ美術館とか、新興宗教の教祖さまの故郷だったり、十日町は織物の郷、山は深く雪も深く、十二神社というのがこのあたり多い。
妹らがりい行くもあらん十日町山尾の萩の風揺れわたる
あしかびの十二社の寄りあへに人住む郷と我が問ひ越せね

余目の美し乙女を見まく欲り早稲の田浦に吹く風のよき
 ぽんこつに弟子どもと乗り込んでみちのくの旅に出る、九月は稲刈り時、坊主はひま。余目というのは、目だけ残す日除けのかぶりもの、それが地名になったわけではなく、
鳥海の廻らひ行ける久しきに遊佐の田浦を出羽の風吹く

我が奥の物思ひせむは大杉の太平山とぞただずまひけれ
 中学の時に秋田市に住んで、さまざま強烈な思いがあった、蝶を採集したり、喧嘩をしたり、秋田犬や、青い目の女の子や、何十年振りに来て、木の内百貨店とお掘りが残っていた。
出羽なれや早稲を清やけき雄物川浮かべる瀬々に思ほゆるかも

行く春を忘れて思へや水の辺の碇ケ関とふおくの清やけさ
 碇ヶ関というのは、殿様がお忍びで浸りに来た温泉があったというだけの、弘前へ入って、なんというかなつかしいりんごの郷、青荷温泉混浴の湯、電気は来ているのにランプの宿。
ここにして春を迎えむ大杉の出羽の田代とおくの清やけさ

坊主我が六十を過ぎて訪はむりんごの国の何を悲しと
 りんごは手の届くほどのは取ってもいいんだと、弘前大学の卒業生が云った。せっかくランプの湯の排水に汚れて、でも川にはやまめがいっぱいいた。
みちのくのランプの宿をま悲しみ言問ひ行けば川音清やけし

門付けて我も行かめやじょんがらの津軽の郷に雪降りしきる
 津軽三味線高橋竹山の写真があった、最後の人間というのかな、国宝かなとか云って立ち尽くす。そりゃやっぱり十和田湖、奥入瀬川もまた風景代表。
いにしへの月を知らじや行く秋の長けき思ひを奥入瀬の川

行く秋の何に恋しやけむり立つ酸ケ湯と云ふぞ舞ふらむ蝶も
 酸ケ湯は有名な混浴温泉、どうして年々杓子定規になるんだやら、きべりたてはにくじゃくちょうが舞う。三内丸山古墳の、大きな集会場が気に入って、僧堂に欲しいなど。
一万年日月廻らへ三内の埴輪の眉の空しゅうもあるか

下北は遠くにありと思ふれど吹く風しのひ野辺地を行かな
 下北の野辺地という、久しぶりに旅に出たという感慨、八百比丘尼が運ぶ椿の花の北限、浅虫温泉というでっかいのはパスして、先へ行く。スクールバスが先導、いずこ変わらぬ女高生の。
行き行きていずこ宿らむはまなすの茂み野辺地を風吹きわたる

行き行きて終ひの宿りを下北の松美はしき夕凪ぎにして
 下北温泉はなんでも屋を兼ねて、かあちゃん料理、たっぷりでまたおいしく、おめさま方恐れ山の祭さ来た坊さまだけ、わかんねわかんねそったらことって、こっちも津軽弁。
あしかびにもがりわたらへ下北の恐れの山と我れ他所に見つ

国民の鎮守と云はむつゆじもの忘れて思へや陸奥の稲群
 レーダーサイトがあって陸奥湾には艦隊が停泊、赤レンガの宿舎があったり、この辺りだけ田圃がある、仏が浦は奇岩絶壁、下りて行く道があったが、一カ所だけ見下ろせる所がある。
ここにして海は荒れなむさひはての仏が浦とふ舟の寄りあへ

武士はここに長らへ下北の清き川内と笹鳴りすらむ
 戊申の役のあと会津藩士がここに移り住んだ、大変な暮らしの中に子弟の教育だけは忘れなかったという、川内川という美しい川の上流、やまめが泳ぐ。
初々に雪は降りしけ会津らが清き川内と笹鳴りすらむ

出船にはなんに鳴きあへかもめ鳥大間岬に夕を暮れなば
 大間岬から函館へ行くフェリーは四十五分、うるさくよったくって餌をねだるかもめ、腕がにょきっと伸びて、てぐす引いてマグロを釣るんだという、漫画みたいなモニュメント。
手ぐす引き鮪釣るらむ波のもは寝ねても渡れ津軽の海ぞ

アイヌかもアイヌ神威に入らむ日や舟のへさきに寄りあふものは
 これはでも新潟港からフェリーに乗って、小樽へ翌日の午後五時着、車は二万円一人ただ、あと二人は二千円という、のんびり貧乏旅、坊主頭をオウムと間違えられたりして。
大島や小島の沖にいよるさへくしくも思へ暮れあひ小樽

カザルスのバッハを聞くは札幌の街中にして涙流るる
 札幌には弟子が行っていて、くろまぐろの刺身だの青いほっきがいだの、ゼニもないのに大変なご馳走をする、彼の思う人と彼を思う人と、どうも物は二分裂、バッハのCDを貰って行く。
ウルップの北海沖をしましくは一つ木の葉の舞ふぞ悲しき

えぞふきの露にしのはな男子らが見果てぬ夢を金山の郷
 十勝平野金山湖畔に宿を取る、ライダーはバイクで北海道を一周する、チャリラーは自転車、トホラーは歩いて、ライダーの宿五百円など。
ライダーの宿とは云はむ過ぎ行けば残んの夏を芹の花ぞも

あけぼののオホーツクかも雪の辺に李咲くらむ知らじや吾妹
 丸瀬布温泉というところに泊まる、雪の原に花の咲く写真、すももの花だと客が云った、りんごしじみ、おおいちもんじ、蝶で有名なもうここはオホーツク。
りんごしじみおおいちもんじの丸瀬布タイムマシーンに乗れる如くに

行く秋をここに迎えむサロマ湖や寄せあふ波はオホーツクの海
 シーズンオフになって釣り具屋も店じまい、ラーメン屋もしまっている、サロマ湖の向こうには荒波が押し寄せ、岬には風が吹いて。
岬には花を問はむにオホーツクの波風高し行くには行かじ

知床やウトロ岬のかもめ鳥何を告げなん行く手をよぎる
 北海道を一県と間違えてぶっ飛ばす、行けども行けども、網走刑務所跡を見過ごし、鮭の川を眺めてつったち、トホラーの女の子は残念反対方向へ行き、だれか荒海にルアーを。
知床に海人の大網差し入れて何を迎えむ二十一世紀も

知床の花の岬を今日もがも神威こやさむ我れ他所に見つ
 知床半島に行ってみたかったが、昼も過ぎて美しい羅臼岳の道を行く、ひぐまの出そうな堰でもって、おしょろこまを釣る、でっかいのを隠しもって弟子に怒られ、だってハングリー世代はなと、ごみのぽい捨てもー
羅臼らはその北天に舞へるらむ笹にかんばの衣つけながら

かき暮れて宿を仮らむに白糠の鮭ののぼるを眺めやりつつ
 どういうわけか宿を断られ、一軒三軒、白糠というところで鮭の遡るのを眺めて突っ立つ、馬主来バシュクルと読むらしい、暮れ落ちてあっちへ行きこっちへ行き、野宿。
暮れ行きて宿を借らむに馬主来の右に問へれば左へそける

音別の怒濤をしもや行く秋の神威廻らへ満天の星
 どろんこ車ガソリンスタンドに寄せると、釣りけと兄ちゃん、うん釣れねえや、そっかなラッコ川でもえり川でも、百二百釣れたがなあと云って、教えてくれた、釣れた。
ここをかも神威こやさむ夏をなほラッコ川とふ吹き散る落ち葉

ひよどりに残んの酒を汲み交はしつとに終えなむ鱒釣りの旅
 風もないのにはらはらと落葉、もう秋が来るのか、競馬馬で有名な辺りを過ぎ、襟裳岬に夕暮れ、どっか遠くに雷鳴って、雨がはらつく。
夕の陽を寄せあひすらむわたつみや襟裳岬を過ぎがてにせむ

門別に鳴る神わたり廻らへば過ぎし空知は如何にやあらむ
 雨が上がって札幌の夜景は見事、フェリーの時間を間違えて、ゆっくり夕食飲んで食ってやってて、ついにまた一泊、間抜けな話。
えぞ鹿の声だに聞かじ夕霧らひ行くにはい行け石狩の野を

我家なし帰り来つれば長雨の萩はしだれも咲き満ちてけれ
 せっかく萩が咲くと雨ばっかり降って、しだれ咲き満つ、風情と云えば風情なんだが、こやつは便利で、冬には刈り取ってホウキにもして、春には勢いよく芽吹いて来る。
軒の端ゆしだれも萩は咲き満つに雲間も出でな十四日の月

寝ねいては虫の鳴く音に行き通ひ今宵を月の出でずともよし
 萩が散って紅葉になるまではなんにもなし、虫の音もこおろぎになっておしまい、秋のお彼岸はほとんど人が来ない、稲刈りが終わったばかり。
長雨のしだれ萩花散らふれば山の門とは誰をし待ため

山古志の水辺萩花咲き乱れなんに舞ひ行くこは雲に鳥
 山古志村の萩の道は、地震でもって池になった、逃げ出した鯉が泳いでいるんだろうか、牛ひっぱって来て、ただもう観光専門にしろと云って、怒られた。
山古志の水辺萩花咲き乱れなんに鳴き行くこは月に鳥

備中のここはもいずこ老ひ行かむ村にしもあれつらつら椿
 テレビで見た老い行く村の、あるいは廃村になる話、大面山にはお寺の開基さんである、丸太伊豆守のお城があった、掘り跡が残る、そうさなあ、人間もいつか詠み人知らず。
武士のいにしへ垣のいつしばも押し照る月を読み人知らず

吹き荒れぬ萩にしあらむ蒲原の雲井の月に追はれてぞ来し
 みずとりの名前がようもわからん、雁に鴨にきんくろはじろにええと、あいさというのは、そう云えばみこあいさという真っ白い鳥、とにかく歌にするには、いまだ。
守門なる西川なべに月出でて何の群れかも鳴きわたらへる

入広瀬破間川の瀬を早みしのふ恋道もつり舟の花
 つりふねそうの実はほうせんかのように撥ね散る、子供のころ遊んだ、うっかり川へ入ったら、すずめばちの巣があって、弟子どもが刺された、なんとか大丈夫だった。
入広瀬恋ふらむあらば破間のしぶきに濡れてつり舟の花

山古志のその奥の井に我が行くか初々萩の咲き満つるまで
 山古志は山のてっぺんまで田んぼで、曲がりくねった道が縦横について、うっかり入ったらいったいどこへ、古志郡山古志村から、長岡市になった。
山古志のその奥の井に我が行くか人を恋ふらむ道の如くに

初秋やなんの音かも片貝の花火にあらむ雨は上がりて
 静岡へ行った弟子の初のデイトが片貝の花火、四尺玉がこの年は成功して、長岡の三尺玉を越えたんだといって大威張り、風の向きでお寺まで音が聞こえて来たりする、九月初旬。
片貝の花火と云ふぞ初秋やたれ見に行かむ汝とその妹と

野しおんの秋たけなはや棟上げの花の門はするめ一対
 戊申の役で焼けたあとに建てたという、お寺の接客を建て直す、あんまりひどかった、やっと人並みになるっていうんで、本当は鯛を奢って、餅を撒いて棟上げ式。
野しおんの花を巡らへ夫婦して新室祝ひするめ一対

塚の辺のかやつり草も茂しきに勇名居士なむ搭婆一本
 かやつりぐさ、きばなのあきぎり、ままこのしりぬぐい、えーともう忘れちまった、雑草の名は子供の遊びから来たりして、ずいぶん風情がある、もうだれも見向きもしない、一つの文化が滅び去る。
塚の辺のかやつり草も茂しきに勇名居士なむ雨かそほ降る

時を超え帰り行くとふヒマラヤの花の谷間の青きけしはも
 だからさ、そういう歌を詠んだらちっとは人も知ると云われて、勢い込んでフィレンツェのと作ったら、首かしげて、やっぱりおまえのは駄目なんだって、そうかなあ。
フィレンツェの手料理となむ君もしやポテッツェルリの春の如くに
見附路や夕べ死ぬるは酒にして火炎茸とふ食らへる男

四十にて議員になりし清一郎永眠せりしは夏の終はりに
 酒屋の息子がアル中になって死んだ。いい男で、ようまあ話に来た、イベントだの経済政策だの、一所懸命して市会議員になった、選挙の間にかあちゃんに逃げられ。
一箇だに打ちだしえぬとな思ひそね柿をたははに底無しの天

覚兵衛の嫁取りならむ小栗山田ごとの松に押し照る月も
 覚兵衛どんの結婚式に呼ばれて行った、一人もんのかあちゃんと二人、音痴声張り上げて歌おうと思ったら、時間切れ、弟の方も翌年めでたくゴールイン。
長け行きてしましく夜半の目覚むれば雪のやふなる月にしあらん

常波の川を清やけしよしえやし踏みし石根も忘らえずあれ
 阿賀野川の支流常波川は美しい川で、わしらのほうの山を越えた、ほんにそこまで来ている、そりゃ到底渡っては行かれぬ。老人ばっかりの一村。
夕月のすみ故郷にこれありや山も草木も常波の川

我やまたつげ義晴のいにしへゆ花に問へりし津川の里は
 じゃりん子知恵もいいんだけど、つげ義晴がやっぱり最高峰だって、あいつどすけべだけどな、なんにせえ津川の町はずっと、彼の漫画のような、夢のような、なつかしい感じを残していた。
我やまたつげ義晴のいにしへゆ月に問へりし津川の街は

二十世紀うつろひ行かな曼珠沙華年ふり人の思ひは行かず
 曼珠沙華彼岸花はおもとみたいに緑であったのが、すっかりなくなって、ふーいと伸びて花だけが咲く、越後にはまた別種の彼岸花がある。こっちは淡いピンクの花。
二十一世紀ふりうつろへな曼珠沙華さめケ井の辺に何の声を聞く

エルニーニョ曇らへも行け曼珠沙華狂人北斎の筆になるとふ
 ごんしゃんごんしゃん雨が降るっていうのは、北原白秋か、なんせ不勉強だし、文才はないし、曼珠沙華だのほととぎすだ、てんでお呼びでなく、つまり現代子か。
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峰の辺も年をへぬれや新穂刈る屋敷田浦に雪はふりしく

広神の松の嶺いに月かかり帰り来つれば我が門と辺に
 守門に雪が降ってしばらくは上天気、一月したら下界にやって来る、栃尾は見附の三倍、守門の裏の入広瀬は、そのまた何倍か、半年間の冬が来る。
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いやひこの蒲原田辺に舞ひ行かなこは満州の泥の木穂棉
 先先住のせがれが戦争で満州へ行って、苗木を持ち帰って植えた。どろのきの仲間という、晩秋に穂棉を飛ばす、くわがたがつくのでそのままにしておいたら、くわがたは消えて大木になった。大弱り。
初々の雪は降れりと聞こえけむその山古志のかなやの村に

良寛の昨日も今日も木枯らしはおらあがんとて吹き荒れけむに
 良寛さんは他人のものでもなんでも、おらあがん=わしのもの、と書いた、なんせ良寛博士みたいな人が多く、どっちかっていうと、いえ木枯らしのほうがさっぱりして。
木枯らしは吹き荒れけんに鬼木なる橋を過ぎたるそれの閑そけさ

鬼木なる橋を過ぎてもしましくは吹き荒れ行くか郷別け烏
 良寛さんの五合庵公園ができて、食いもの屋も土産物屋もできて、流行ることはけっこう流行っている、たこあしのフライ噛って、女の子案内してやって。
草も木もかそかなりけれ国上山霧らひも行くかおらあがんとぞ

津軽より帰り来たれる汝が故になほ木枯らしの吹くぞおかしき
 津軽出身の人がいて、津軽三味線山上進講演会があったり、ねぶた見に行く会があったり、ねぶた見たいと思うのに、必ずお盆の真っ最中、真冬に何人かで行って来た。
木枯らしに荒れ行く夕を寝ねやればわが故郷を思ひかもすれ

夕霧らふ浅間を廻り嬬恋の里に入るらむ小夜更けにけり
 おふくろを信州の故郷に分骨して、草津温泉に泊ろうかと、どっか間違えて延々行って、高速道路に乗って帰って来た。満月の夜だった。
雲井にか月は見裂けれ嬬恋の我をのみとて通ひ来にける
嬬恋の雲井に月の隠らへばしじにも雪はふりしかむとす

山のまを出ては天降る月読みのいくつ里はをわたらひ過ぎき
 わしはどうしようもない親不孝、罰当たりのせがれであって、葬式だけは出したということか、なんにもしてやれなかった、大法だけは伝えようと。
月影を眩しみ我は行く河のかそけきなへに入り泊てむとす

田子倉のえ深きなへに時さひてしじにも雪は降りしかむとす
 田子倉ダムのぶなの原始林に雪が降る、道は閉ざされて、小出会津若松間の鉄道だけが通う、冬は失業保険貰って、かもあいか撃って暮らす、いやそのう落っこったの拾って来るんだとさ。
田子倉に雪降りしけば笹がねの会津に入らむ春遠みかも

秋の陽を寄せあひすらむ河の辺やなんに袖振り会津の人も
 西会津のまたこんなところまで、きのこ取りに行って、それが寝てて取れるほど、山鳥の一年子が群れていたり、うはうは云って、翌年行ったらなーんもなく。
熱塩ゆ加納に越ゆるしだり尾の山鶏の子が群らふよろしき 

村の名を弥平四郎と飯豊なむ山は閉ざして吹き散る落ち葉
 奥川渓谷のとっつきの村を弥平四郎といって、飯豊山の登山口になっている、春にも行き、秋にも行ったが、山には登ってない、もうわしみたいぽんこつは無理か。
村の名を弥平四郎と飯豊なむ山は閉ざして雪ふりしきる
阿賀野川山なみしるく見ゆるは研鎌の月の入りあへ行かめ

北国に我も住まへれ初しぐれ雲間の月にわたひ行かな
 北国しぐれというより、なにしろ降りだすとべた降って来る、毎日真っ暗けに降って、落ち葉をせいて水びたし、初しぐれは風情があるたって、いやもうこいつは。
北国に我も住まへれ初しぐれ千々の小草に夕かぎろへる

北国の荒ら降る雨は止みもあらで鳴る神起こし雪はうちしく
 降っているうちに雪うちまじりと、だがそれは本格雪ではない、突然雨が止む、ふうっと晴れ渡って地面が乾く、するとどんがらがら雪起こし、あとはもう積もるきり。
北国の荒ら降る雨の止みぬれば鳴る神わたり雪はうちしく

初初の雪は降れりとあしたには人にも告げな田の浦紅葉
 焼山に降ったというのが、雪の知らせかな、どこに降っても私にはわかると、宮城道男が云った、そりゃそのとおりだと思う、紅葉の間に降ったりする。
古寺の松の梢に初々の降りしく雪は暮れ入りにけれ

あかねさし月は今夕もわたらへど雪を待つらく軒辺淋しも
 柿なんかだれも取って食わなくなって、ひよどりや烏の、たいてい年を越えて寄ったかる、いちめん雪になってからだ、新潟県は雪に柿がよく似合う。
栄ゆると名をし代えたる大面村雪に残んのあら柿もみじ

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