良寛詩

2011年8月 8日 (月)

良寛詩

伊(これ)余疏傭の者、食を乞ふて此の地に遊ぶ、逢著すにょう(門に市)市の裡、一笑共に悠々たり。
わしはものごとにまったくうとく、名前を背負って歩く茗荷の如くですか、乞食してにぎやかな街を行く、破顔一笑悠々たり。弟子の一人が托鉢して歩 いていたら、どっかのばあさまが、ちったあ寄進して、お前様もそんなことしていないで、早く正業につけと云った。托鉢ということが世の中から消えた、死出 虫稼業の賎業坊主が、葬儀屋にこき使われる時代が来た。
春夜友人と月に歩す
藤ろう(月に龍)春夜の月、手を携へて歩すること遅遅たり、忽ち人語に響き、水禽翼を打って飛ぶ。
外灯だの町灯りだのまったくないころ、よくこんなことがあった、今でも蒲原田んぼは天地とおりかわず鳴く、ちったあエコすりゃむかしの天然が戻る のにさ、川からダム撤廃が先かな、多摩川が復活第一号、日本人から川が消えて心も失せ、相撲取りの野球賭博かな、四股名もでたらめになってさ、天皇の場所 じゃないや。

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良寛詩

由之と酒を飲み楽甚し
兄弟相逢ふ処、共に是れ白眉を垂る、且らく太平の世を喜び、日々酔ふて痴の如し。
由之は良寛の弟、どうしようもない昼行灯の兄は出家して、弟に家督を押し付け、たといあれこれあるたって共に眉毛白髪になって、太平の世を喜び、 昨日も今日も飲んでは阿呆のように酔っ払い。お互いに議論しだからどうのというろくでもない談義じゃないんです、生きるとは何早く答えの中にどっぷり漬 け。
有願老人の説法を聞く
狗肉を割かんと欲して、当に楊に羊頭を掛くるなり、借問す臭を逐ふ者、優々卒ひに休々たり。
犬の肉を羊だと云って売る、世の中のことまさにこれです、みんな仲良く平和にもいきなりミサイルぶっぱなすのもたいてい同じですか、つまらんので す。この老人ちっとは苦労したんですか、悟ったというやつをひっぺがして、仏本来をかくの如くと、説くよりは見本を示すよりなく、酒臭くない上物の酒をと いったって、発酵せにゃ酒にならんです、曹洞宗道元禅師の無二の法門、悟るということを知らない、さらに坐禅を忌み嫌う連中のごんずい塊、これじゃ話の外 です。臭を去るには優々ついに休休たり、悟跡の休かつを長長出ならしむ、良寛のほかにだれ一人いなかったでしょう。

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良寛詩

医正藤江に代って人に答ふ
総て世用に疎きが為に、能く終身の間を得たり、艾をひね(てへんに門)って酒銭に供し、棋を囲んで残年を送る。
今の世世用に疎いんじゃじきにホームレスですか、わっはっは数の論理ではなく数の倫理だけがまかりとおる、すると坊主組合みたいに自閉症ごんずい 塊で、食えなくなってようやく反省する、能く終身の間を得たりと、自分に立ち返るゆとりがなきゃ、そりゃなんのために生まれたのかわからん、もぐさをひ ねって酒銭にして、碁を囲んで残年を過ごす、年金貰ったらちったあ人の暮らしすりゃいい、人に戻るのはひょっとして並大抵のこっちゃなく、朝打三千暮打八 百ですか、人間らしい批評の鋭さなど云ってる分には遠くて遠し。
京に行く人を送る
相逢ふて未だ幾許ならず、錫を飛ばして翆微を下る、山川是れより遠く、涙は洗ふ林下の扉。
日常もんみな詩の言葉になっているんだな、良寛音楽たといみんな仲良く平和にのまだるっこしさなし、モーツアルトの鋼に似て水のように切れる、たった一人生きて行くことを学ぶには遅いといったって、学ぶほかはなし、はい。

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良寛詩

海津氏宅即事
田家風雨の後、り(竹かんむりに離)菊僅かに枝を存す、少婦濁酒を持し、稚子のう(衣んへんに内)衣を牽く。
秋長けて菊も残菊ですか、風雨過ぎて即事、法要かなんかあったんですか、小女がにごり酒を持って来て、稚児が衣をひきずってという、なんかやっぱりそっくり詩になってます。
慈善上人二仙老人問はる
余の家は国上の麓、門を開けば翆微に対す、若し寂寞を厭はずんば、頻りに叩け林下の扉。
慈善上人とか二仙老人とかそこそこに名を売った人物ですか、五合庵を訪問、はいよわしんとこは国上山の麓、門を開けば茂みばっかり、もし寂寞を厭 わずんば、しきりに扉を叩けですってさ、ぶんなぐって坐らせるかって、そういう甲斐のないことするからわしんとこ人がよっつかねーな。

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良寛詩

竹丘老人
故旧信(まこと)に忘れ難し、田家聊か錫を寄す、緑樹煙雨の中、燃えんと欲す赤芍薬。
竹丘老人は西蒲原郡竹ヶ原村の人海津間兵衛。むかしからの付き合い因縁まことに忘れ難し、田んぼの家に錫杖を置く、青葉茂って雨にけむる、赤い芍薬が花開こうとしている。
夏日青林の裏、高臥して共に詩を賦す、君が家遠からず、晩際涼に乗じて帰れ。
今度は五合庵で二人で詩を作った、竹ヶ鼻村まではほんの十五六町、暮れ方の涼風に乗って帰れという。

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良寛詩

天放老人
千峰凍雲合し、万径人跡絶えたり、毎日只面壁、時に聞く窓にそそ(さんずいに麗)ぐの雪。
達磨さん面壁九載に慧可大師の風景のような、天放老人は西蒲原郡粟生津村の儒者鈴木隆造。このように坐ること物真似やつとめてではできないんで す。ただこれ坐るしかないことを知って坐る、なにもかも擲って坐ると、坐のほうから答えてくれます、自ずからなるというその自ずからなるが消えうせる、無 為の真人面門に現ずるんです、智慧愚痴般若に通ずと。
贈鈴木陳造
草庵風雪の裡、一たび投ず相思の詩、知らず何を以てか報いん、翰を含んで所思には(りっしんべんに鬼)ず。
五合庵の風雪ですか、鈴木陳造は隆造の弟です、相思の詩に投ずとありますから親交があったんでしょう、なにをもってか報いんと思えば思うほどに、あれやこれやして恥かしいばかりだというわけです、はい。

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良寛詩

暁に左一を送る
依稀たる藤羅の月、君を送って翆微を下る、今より朝又夕、寥寥柴扉をおほ(俺のてへん)はん。
左一はたった一人の良寛の弟子、いいところまで行っていたのに先に逝く。藤がからまりはびこる間から仰ぐ月ですか、参禅に来る左一を日ごとに送り 出す、茂み行く林に見送り、寥寥として人っけないんです、草木が扉を覆うばかり。仏仏に単伝してよこしまなきときは、自受用三昧これを標準とすと、ただも うたったこれっきりが良寛師弟にあったんです、惜しいかなすんでに絶えてしまった。
ああ(口干と呼)一居士、我れに参ずる二十年、其中の消息子、別人の伝を許さず。
左一居士参ずること二十年、ようやくに箇の消息をなす、只管の消息といわれるものです、まるっきり手つかず、ただの坐禅です、二十年いえわしなんか三十年してやっと入り口に立つ、別人の伝を許さず、聞いたふうなことがまったく失せるんです、すなわち一箇これ。

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良寛詩

左一大丈夫、惜しい哉識る人稀なり、唯我れに贈るのげ(喝の口でなくイ)あり、一たび読んで一に衣をうるほ(さんずいに占)す。
左一は越後与板三輪氏、良寛唯一の法弟とある、贈られた詩げがあった、一たび読めば一たび衣を濡らす、涙流れるんです、良寛の詩も言行一致です、涙流れるとはこれ。
苦思す有願子、平生狂顛の如し、一たび逝波を逐ひしより、今に六七年。
有願は南蒲原郡大島村田沢氏、良寛の法友。きちがいみたいだった、死んでから六七年たつ、さあどういうふうに思いますか、そこらへん坊主のどうしよーもないのとはそりゃ別です。

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良寛詩

有懐四首
鵬斉てき(イに周)党の士、何に由ってか此の地に来る、昨日にょう(門がまえに市)市の裡、手を携えて笑かい(日に台)かい。
亀田鵬斉は江戸の儒学者、文化六年良寛五十二歳の時に五合庵を訪れた。この珍客を忘れて月を仰いで突っ立つ良寛。にょうしは賑やかな町です、二人手を携えて行き、笑かいかい。
大忍俊利の士、屡しば話る僧舎の中、一たび京洛に別れしより、消息杳として通ぜず。
越後尼瀬小黒氏、矢島村慶福寺にありと、良寛と親交があったという、孤俊という大道をもっぱらにする人、一たび京洛に別れしより、杳として通ぜず。詩というものの本来を思うんです、環境妄想いくらごちゃごちゃ云ってもはじまらない。

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良寛詩

我れ此の地に来たってより、知らず幾青黄、藤は老樹に纏はりて暗く、渓陰修竹長し。
我れこの地に来たってより、庵を結んでからです、いったい幾つの夏と秋とを迎えたか、藤は老樹にまつわりついて暗く、谷間には竹が生い茂る。
烏藤夜雨に爛れ、袈裟風霜に老ゆ、寥寥朝又夕、誰が為にか石床を払はん。
まあさ白髪三千丈式の嫌いなきにしもあらずったって、五言絶句で並べたてりゃまあたいていこうなる、烏藤は杖です、外にたてかけてあれば雨にくた びれる、お袈裟はそりゃ着て歩くんだし風霜に色あせるんです、石床たれがためにか払わん、これ実感としてこんなふうです、自分というまったく番外ですか、 とつぜんものみな親切。

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