じゅりょうほん
毎に自ら是の念を作さく、何を以てか衆生をして、無上道に入り速かに仏身を成就することを得せしめんことを。
種々の法を説く毎にと、どうすれば無上道を得、速やかに仏身を成就させられるかと腐心する、ただそれのみです。如来為人のところ、何をどう云おうがおのれ無きが故に、他が為にするんです、これが他の諸宗一神教等とはまったく違うところです、どんな道徳宗教も自分を介するんです、この人を見よというが如くにです。仏教はそれがない、なんじこれ彼にあらず、彼まさにこれ汝、一には布施二には愛語三には利行四つには同時と、たといこれ菩薩の行願、ただこれ自他を同じくす、森羅万象万物宇宙、もと我とともにある一つことなんです、これを知る畢生の大事、他にはまったくないんです。他に種々あると思うを一般というのは、妄想癡人に夢を説く、夢見るとは現実を知らぬが故に、現実であればあるほどに夢とは、現実100%はなんのお釣りも来ないからです、満足不満足さへ知らぬ、もとっこそのようにできあがっているんです。これを天地宇宙と云い、あるいは地球と云ったです。種々無駄っことですか、ひいては理想ですか、現実すなわちもとのありように満足できなけば、そもそも我らの存在はないんです。それ故に羅漢さん菩薩観音さまという、双六の上がりを如来というんです、如来来たる如し、まるっきり他なしです。花のようにぽっかり咲き、月のようにうたた照らす、御名御璽ですか、はいだれあって唯我独尊まったくに他なしです。わしの弟子におかしな男がいたです、幼い時に高熱を発して後遺症が残った、のちけろっと治ったですが、しばらく癲癇症があった。おれは病気があるから陰日向なく生きようと思ってと云った。老師に就いて、これがこのまんまだからこのまんま坐れと云われて、このまんま坐る、あれは不思議な男だと老師が云った。日ならずして、あたかも雪下ろしの時節、屋根に上がったと思ったら下りて来る、なんだかへんだよう、雪がこっちだかおれが向こうだかわかんなくなったという。自他の垣根が外れている、おまえの病気はなんだと聞くと、かつて切なく思っていたものが、あれは付録だからなあと云う。このように悟って縁あってお寺に入った。いい世話人もいたのに早死にして、えげつない性悪だけが残った、教区寺院、坊主組合は就中仏にもっとも遠いもの、まったくのいじめ社会であった。それはひどいめであった、すべてはわしのせいだ、いたたまれぬ思いがどうすることもできなかった。三十年たった、檀家が一戸あたり百万円あて出して本堂を修復し、晋山式をするという。報われたんだ、ほんとうにただこの道のみであった、わしも弟子ども知れる人みな涙した。たとい馬鹿の一つ覚えも、お釈迦さまの法はあったんだ、わしはなんにもしてやれなかった、却って彼がわしを救った。そりゃあとのことはわからぬが、わしらの僧堂あっちこっちに散らばるだけが、たとい如実に僧堂であることを知る。


最近のコメント