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2011年8月 8日 (月)

良寛詩

我れ講経の人を見るに、雄弁流水の如し、五時と八教と、説き得て太はだ比無し。
法師弁じ立てる、立て板に水ですか、今は情けない坊主がお経の文句も弁えずに喚き散らすんですか、みっともないったら醜悪、五時は釈迦一代の説法 を華厳、阿含、方等、般若、法華涅槃の五時に分類、八教は同じく釈迦一代を分類、頓、漸、秘密、不定数の四教と、蔵、通、別、縁教の四教とだとさ、わしは ぐうたら不勉強出始めてそんなもんあるのを知った、説き得てはなはだ比類なく、大学の先生にゃなれるかな、東大教授さまぐーわ付き合いたくねえ連中は、坊 主と遜色なしかな。
自ら称して有識と為し、諸人皆是と為せども、却って本来の事を問へば、一箇も使ふ能はず。
まったく滑稽です、他はいざ知らず仏教ではこういうことが起こるんです、膨大な知識認識を背負って、ばあさまの一問にぐうの音も出ない、じゃなんのための仏かという、本来事いろはのいがなっちゃないんです、愚かです名利わずかに消えれば翻然として気が付くんです。

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