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2011年7月 4日 (月)

良寛詩

昨日は今日に異なり、今しん(日に辰)は来しん(日に辰)に非ず、心は前縁に随って移り、縁は物と共に新なり。
昨日は今日とちがう、今朝は明日ではない、あっはっはまったく当たり前のことが、自分というよこしま我田引水によってあとさき引きずって、だって こうだからという意思による、拘泥という泥足どったらばたら。心があるからに起こるんです、心はないんです、自分で自分は見えない、心が心を見ること不可 能、ゆえに無心です、何かありゃそれによって遷るだけです、そこによこしまなものあれば糞詰まって動きが取れないんです、何を云ってもさっぱり入って行か ない最近の若い連中ですか、自分の意識思惟もうはやないはずのものでいっぱいです、飽食の人飯を喫する能はず、知るということが自分の物差しをあてがう、 その延長上の問題です、そりゃもしや思考停止です、でもって頭がいいと云っている、学校の先生だの学者これです、日々新ということがない。生活がほんとう は行われていないんです。
過ちを知らば則ち速やかに改めよ、執は則ち是れ真に非ず、誰か能く枯株を守り、直ちに霜鬢と為るを待たん。
物とともに新たなり、胡来たらば胡現じ漢来たらば漢現ず、これ仏です、もとないものをよこしまにする、架空の債権を破るんです、なにがどうあらね ばならない、修行のノウハウはこうだなどいうこと絶無です、ただまっすぐ直かです、わっはっはぶんなぐる以外に親切なくですか、朝打三千暮打八百と云われ る所以です、でなくばあっというまにしょぼたれじじいですよ。

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