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2011年7月

2011年7月 4日 (月)

良寛詩

四大当に不安、累日枕衾によ(イに奇)る、まがきは荒る積雨の後、窓は寒し修竹の陰。
四大不調具合が悪くって、終日布団にもぐってるわけです、雨降ったあとの荒れた垣根、笹竹のかげがうつって寒い窓。良寛の自然描写が深刻身にせまるありさま、詩人の技量もさすがですが、身心無うしてそのものずばりなんです。
幽径人跡絶え、空階蘚華深し、寥落此の如き有り、何を以てか我が心を慰めん。
人の絶えたおくぶかい路ですか、石段は苔の華にうずもれ、うらぶれて寝込んだっきり、我が心を慰めるもののあるはずもなく。
仏孤俊、たったのひとりぼっちも全世界全宇宙も、病気で寝込んでいてはさまにならんですか、人のことをとやこう云えた義理じゃないです、ほんのまあ爪から先のこともどーもならんです、生活日常これ。

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良寛詩

我れ昔静慮を学び、微微として気息を調ふ、此くの如くにして星霜を経、殆ど寝食を忘れんとするに至る。
玉島の円通寺国仙和尚の会下にあって不惜身命の歳月です、微微として気息をととのえという、数息観隋息観などあって、一から十まで数えることを繰 り返す、どうにかして忘我を得たいというなまなかじゃ行かんです、寝食を忘れてかかってあっというまに星霜を経るんです、理屈は簡単です、仏のありようた だこれ、仏教を知って仏教を擲つ不惜身命です、悟ったさん困ったさんとはまるっきり別の世界です。
縦ひ安閑の処を得たりとも、蓋し修行の力に縁る、争でか如かん無作に達して、一得即永得せんには。
大ひまが開くという、たしかに到り得帰り来たって別事無し、柳は緑花は紅と、却って猟師の過ぎるのを見ると、狙う自分と狙われる自分が一つになっ て消えるんです、かくの如くほかなしと知ってこれ、朝打三千暮打八百です。こっちのほうの歳月が長いんですか、わしで言えばグーたらどーしようもなしが よっぽど長かったです。無作に達して一得永得、そうかなすべきことなんにもなかったんだと知る、他を説得するに他無し人なんかいねーやと如くに、坐って大 火聚をしないんです、まったくの手つかずです、かつかつに仏を見るんですか、仏祖を継ぐんですか、はいどうぞ。

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良寛詩

大いなる哉解脱の服、無相福田の衣、仏仏に方に正伝す、祖祖親しく受持す。
お袈裟のじゅです、袈裟を塔けるたんびに唱える、大哉解脱服、無相福田衣、被奉如来教、広度諸衆生。唱え唱えして何十年ようやくその意にかなうん ですか、解脱することは諸の宗教思想多種とはまったく別なんです、たったこれだけが救いであり、地球ものみなのお仲間入りです、ほかにはまったくないんで す、だから大哉解脱服です。福田これです、花のように開き雲のように流れ水のように行く、心月輪父母未生前の穢れを知らぬ、なにも云うことはないこれを得 て下さい、仏仏に単伝しよこしまなき時は自受用三昧これを標準とす、祖祖の道に合踏するんです、世界宇宙と親しくとは同じです。
広きに非ず復た狭きに非ず、布に非ず也糸に非ず、いんもに奉行し去って、始めて衣下の児と称すべし。
六祖禅師石の上にお袈裟を置き、これは信を表す云々取るなら取れといった、明上座取れず、ついにこの事を得る、広大無辺は大には方処を絶し細には 無間に入る、どうあってもこうあってもこれ、唯一無二です、悟ったさん困ったさん五万といたって仏あるいはまったくなし、一目瞭然事衣下になる人如何、ほ とんど絶望ですかいいや山水長口舌。

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良寛詩

世に一類の子有り、義と理とを問はず、偏へに己れの聡明に任せ、途に触れて帯累す。
世の中にはこんな種類の人間がいる、義と理いいわるいとか理非によらずですか、なんいしろ頭がいい、ひとえに己の聡明を頼み、あっはっはエリート とかなんとかこういうのけっこういますか、なんにでもくちばしを突っ込むんです、結局何の結果も得ないのを知らない、とどこおりわずらわしいだけです。
之れに告ぐるも敢えて可かず、之れを諭すも更に改むるなし、改たむる無きは尚是れ可なり、自ら謀るの殆ふさを奈何せん。
云うても聞かず、諭しても改めず、諭しても改めずならまだしも、自ら謀るそのあやふさを如何せん、とっても見ちゃいられんというのです、理り道徳 あれば、愚直ではあろうが徒な空しさはなんとか免れる、理非是非なければ暴走です、聡明というそれに気がつく聡明なし。このこといったん是非善悪を離れ る、すっかり離れてもうこりゃめっちゃくちゃですか、しかも帝の則を越えず、なんとしてこうなる、もとこうあるものだからです、よろしくよく確かめて下さ い。

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良寛詩

言語は常に出し易く、理行は常に欠き易し、斯の言の出し易きを以て、彼の行の欠き易きを逐ふ。
云うはやすく行うは難しですか、ものごとまったくそういうことです、坐らないほどに多弁能弁になり、仏に遠いほどに仏教学者です、不立文字直指人身見性成仏、このことたったこれ、これを補うこと不可、世の中のことまさに良寛のこの詩に云うが如く。
弥よいよ逐へば則ち弥いよ欠け、愈いよ出れば愈いよ非なり、油を溌そぎて火聚を救う、都べて是れ一場のち(痴の知を疑)。
選挙運動や評論家のとやこうですか、タレントの人生譚とほどにあほくさい空涙はまだ罪が軽い、日常茶飯事いよいよ騒々しくもの淋しい、いやさ一触即発ですか、北朝鮮の魚雷のようなことやってはいませんか。

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良寛詩

古を問えば古すでに無く、今を思へば今も亦然り、展転としてしょう(足に従)跡無し、誰れか愚又誰れか賢なる。
いにしへを問えばいにしへすでになく、今を思えば今もまたしかり、三心不可得です、禅問答ではなく実にかくの如しを知る、大河ドラマという一億総 白痴番組ですか、戦争はいかんみんな仲良く平和にですか、戦争はトヨタバッシングの国アメリカが仕組んだことだなと、恨みつらみの宗教は執念深いわっはっ は、因果必然という中にありながら人の捉える能はず、それをいいことはいいだからという、賢者ほど愚者の道理ですか、展転としてしょう跡なしはもって単へ に身を委ねるほかはなく、これを知るすなわち仏道です。
縁に随って時日を消し、己れを保って終焉を待つ、飄として我れ此の地に来る、首を回らせば二十年。
そりゃあることみんな他との関わりです、人事自然事おなじく苦楽喜怒哀楽たとい深刻このうえなしも、信長ではないが人生五十年難波のことは夢のま た夢、沢庵禅師は一年三百六十五日夢と、これ真実であればあるほどに夢なんです、100%そのものであるときに反省しないんです、幼児の記憶なきはこれ、 時日を消しとそのように生きて下さい、どこからなんでやって来たかわからんのです、そうしてまあ年月日数えれば二十年また五十年です、死ぬまで生きるんで すとさ。

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良寛詩

迷と悟とは相依って成り、理と事とは是れ一般、竟日無字の経、終夜不修の禅。
迷いあれば悟りあり、これを迷悟中の人という、理非をただし事を設けてどうにもこうにもの死ぬまでやってるんですか、諸法の仏法なる時節、すなは ち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく、生なく滅なし。無字の経なんで す、字を書くさへ何を書いているかさっぱりわからんのです、大灯国師の梅渓は見事な達筆に見えますが、大灯の他の書またがんぜない子供のような、なんでこ のお方がと不思議に思っていたですが、無字の経これ、人間が消えちまっているんです、不修の禅に到るまで十八年間乞食ですか、不修の禅これのできた人ほん とうに数えるほどしかいません、なにがなし手をつけて大火聚の如しやっています、まさに良寛さにあらず。
鶯は囀る垂楊の岸、犬は吠ゆ夜月の村、更に法の情に当たる無し、那んぞ心の伝ふべき有らん。
ねん華微笑我に正法眼蔵涅槃妙心の要術あり、迦葉に付嘱すと、まったくまさに良寛に伝わったです、今にこれを伝える術あり、なんぞ心の伝ふべきあらん、聞いたからには必ず用いて下さい、無為の真人面門に現ず、智慧愚痴般若の通ず。

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良寛詩

指に因って其の月を見、月に因って其の指を弁ず、此の月と此の指と、同じきに非ず復た異なるに非ず。
智度論の九にありと、人指を以て月をさすが如し、以て惑者に示す。惑者は指を見て月を見ず云々語を義指と為す、語は義に非ざるなり。月を月と云い 月と見るんでしょう、月はまったく別物なんです、月を見て忘我という良寛実にこれ知らず、知らず知らず帝の則にかなうと。人のとやこうとあげつらう同じき にあらず異なるにあらず。浮世世間ものみなこれです。
将に初機を誘なはんと欲して、仮に箇の譬子を説く、如実に識得し了れば、月もなく復指も無けん。
初機まったくの初体験をあるいはまったく誰も知らず、モーツアルトは何百ぺん聞いても初体験、ピカソはどえらい工夫をして初体験、そりゃまあもの ごとなぜか尋常にはいかん、仮にたとえて云うんですか、そういう手続きの尽きるところ、月もなくまた指もなし、父母未生前の消息つつがなしやと。

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良寛詩

妄と道へば一切妄、真と道へば一切真、真外皿に妄無く、妄外別に真無し。
悟るというんでしょう、妄と真を分け隔てすることがなくなるんですか、妄中に悟るあり真中に悟るあり、坐っていりゃ自ずから見る、会得するありと いう会得というなにものも残らないんです。君見ずや絶学無為の閑道人、妄を除かず真を求めずと。無無明亦無無明尽、これを知らぬ他の諸宗はいらんものはポ アしろという、なれのはての共産党に至るまでまことに物騒はた迷惑です。
如何ぞ修道子、只管真を求めんと欲する、試みに求むる底の心を求むるに、是れ妄か是れ真か。
求めようとする底の心すなわち肝心要のものがもとないんです、心を求むるに不可得、我れ汝を救い得たりと、投げ出す捨てるほかない、するとものみな平らかに行くんです、これを知るなかんずく尽くし終わるほかないんですか、わっはっはどうにもこうにも。

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良寛詩

今年は去年に非ず、今時往事に異なり、旧友何れの処にか去れる、新地漸くすでに非なり。
昨日は今日にあらず、今年は去年にあらず、今時往事に異なり、今の世めまぐるしく変わる、ついて行けなくなって心身症だの自殺だのホームレスだ の、故郷喪失感がある、なつかしい里がない等等、でも花も雲も水も故郷です、我が釈迦牟尼仏の声と姿と、自分という取り得なしにものみな、大安心帰家穏坐 ですか、満不満の埒外です、ものみな元からにまさにこうです。旧友何れの処にある、新知という出会いも次第に疎くなる、さみしいんですかあっはっはひとり ぼっちの葬式、楓の若葉と花筏の花と、新知も旧友もたったこれですか、小鳥と鳴きあう一瞬ですか、そうさなあまあまあ。
況や揺落の晩に属し、山川光輝を斂む、到る処意に可ならず、見るとして凄其たらざるなし。
葉っぱの揺れ落ちる晩ですか、山川暮色悄然、そりゃもうもの淋しい秋の暮れ、年よりゃあ思い通ぜず、見るものすざましいそうなあまるっきりぞっと しないんです。二十世紀うつろひ行かな曼珠沙華年ふり人の思ひは行かず、ありゃまあ行が二つも入っちゃった。21世紀ももう何年もたってさ。

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良寛詩

昨日は今日に異なり、今しん(日に辰)は来しん(日に辰)に非ず、心は前縁に随って移り、縁は物と共に新なり。
昨日は今日とちがう、今朝は明日ではない、あっはっはまったく当たり前のことが、自分というよこしま我田引水によってあとさき引きずって、だって こうだからという意思による、拘泥という泥足どったらばたら。心があるからに起こるんです、心はないんです、自分で自分は見えない、心が心を見ること不可 能、ゆえに無心です、何かありゃそれによって遷るだけです、そこによこしまなものあれば糞詰まって動きが取れないんです、何を云ってもさっぱり入って行か ない最近の若い連中ですか、自分の意識思惟もうはやないはずのものでいっぱいです、飽食の人飯を喫する能はず、知るということが自分の物差しをあてがう、 その延長上の問題です、そりゃもしや思考停止です、でもって頭がいいと云っている、学校の先生だの学者これです、日々新ということがない。生活がほんとう は行われていないんです。
過ちを知らば則ち速やかに改めよ、執は則ち是れ真に非ず、誰か能く枯株を守り、直ちに霜鬢と為るを待たん。
物とともに新たなり、胡来たらば胡現じ漢来たらば漢現ず、これ仏です、もとないものをよこしまにする、架空の債権を破るんです、なにがどうあらね ばならない、修行のノウハウはこうだなどいうこと絶無です、ただまっすぐ直かです、わっはっはぶんなぐる以外に親切なくですか、朝打三千暮打八百と云われ る所以です、でなくばあっというまにしょぼたれじじいですよ。

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良寛詩

借問す三界子、何物か尤も幽奇たる、端坐して諦らかに思惟せば、思惟便宜を得ん。
借りに問うというんです、三界子はみなさんですか、問うこと借りには地がいぬ、借りに花に問う、何物かもっとも幽奇たる、すばらしいか言い尽くせ ぬものであるか、はいわたくしとは答えないんです、強いて云えば知らないと答えるんです、端坐してつまびらかに思惟せば思惟すなわちこれ、知らないとは自 分を見ないんです、見る自分がない、忘我の辺境にあって悟出し悟入するんです、幽かであって絶学無位のこれほどすばらしいことはないんです、無上道これ 我。便宜とは答えです。
紛々として随照を羅ね、意を守って時を失うこと莫れ、久久若し淳熟せば、始めて相欺かざるを知らん。
紛々随照はヨーロッパの考え方はみなこれです、たとい内を観察しようが外から入ってきたものをああでもないこうでもないとあげつらう、犀利になれ ばなおさら落ち着かない、我が意を得たりといいながら時を失し、じきに流行遅れですか、かんしけつこれ未消化うんちの出かかったまんまですか、他人咀嚼物 を満遍なくひっかきまわすんですか、わっはっは悪臭紛々です。波旬に瓔珞を掛けてやるとそれが犬と猫と人間の死体になった、波旬苦しみもがいて外してくれ という、十力の為すこと十力をもってしか外れぬと、乃至は仏に帰依するんです。てめえの首にかけるものかくの如くであったかとその醜悪はた迷惑に気がつく ことまずこれ、気がつけばゆいには免れ得るんです

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良寛詩

紛々物を逐ふ莫れ、黙々宜しく口を守るべし、飯は腸飢えて始めて喫し、歯は夢覚めて後に叩け。
受験勉強じゃこの事遠くて遠し、先ずそのことを今の人知るによく、知識や意味を追う実智慧にあらず、死活問題はまったくべつです、黙々口を守って 修行という引き算です、得ようとしているうちは多弁の役立たず、飽食してはなんにも入らんです、たとい正師の語もてめえの物差し、邪見の辺に照らし合わせ て云々は、たわけた話です、夢が覚めてからぶったったけと、わっはっはでなきゃただもう恨まれるだけ、痴人に夢を説くなかれとはまあさそういうこと。
気をして常に内に盈たしめば、外邪何ぞ慢りに受けん、我れ白幽伝を詠み、聊か養生の趣きを得たり。
白幽は白隠の師という、飯山の正受庵ですか、たしかに飯食節あり、古来の風を守る、今に残って気をして乃至外邪を受けんと伺い知れます。飯山の正受庵とふ花をねんじ白隠さんにはなぜ伝はらず。聊か養生のおもむきを得たりと、他にひけらかすことなどなかった良寛です。

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良寛詩

行く行く朝野を経れば、朝野旧時に似たり、旧時の人を求めんと欲す、即ち今能く幾々ぞ。
朝野まあ野っぱらですかこの世ですか、見られる通りの世界を行く、むかしなじみを捜そうとすると、はあて幾人いることやら。
し(糸に留)と素と道はず、日夜険危に走る、惜しむべし平坦の路、唯草の離離たるあり。
しは黒く素は白く、僧俗を云いまた千差万別をいうんでしょう、だれから日夜危険に走る、ぜにもうけも名利も競争激突です、なにかしら綱渡りアクロ バットですか、もと人の歩むところ平坦なはず、平坦を求め大安心を願いなおかつ危険に走る、でもって平坦の路がどうかといううと、ひとりよがりてんでばら ばらですか、あるいは宗教思想の同じ羽の鳥、きちがいたぬきどもですかあほくさ。

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良寛詩

伊(これ)昔経過せし処、独り往く此の頽顔、池台皆零落し、人事幾たびか変遷す。
ここは昔通ったところだ、独り行くこのまあ衰えた顔が、界隈みな零落して、人移り世は変る。
山は海門に到って尽き、潮は夕陽を帯びて還る、浮沈千古の事、錫を卓てて思い茫然。
山は海辺に到って尽き、潮は夕陽をおびてかえる、浮沈千古のこと、錫杖を立てて思い茫然。
浮世離れの良寛ですか、せこせこ流行に後れまいと停年まで来て、定年後もあくせくには個の感慨なし、個を抜きん出て天上天下吐く息吸う息、はーてさて錫をついてまた一歩きってのどうです、そりゃもうまったく別格のこたないです、しかもこれ唯我独尊事。

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良寛詩

五月清江の裏、揺曳す木蘭の船、素手紅きょ(くさかんむりに渠)を弄す、相映じて転た新鮮。
五月清江の水ですか、ゆらり船を曳く、木蘭の船ってどういうものかわからんだけどもさ、白い手が蓮の花を弄ぶ、一幅の名画の如しってなもんです。
岸上遊治の子、馬を馳す翆楊の傍、目撃尚未だ語らず、特池正に断腸。
遊治郎という遊び人ですか、遊子といったぐらいの文人雅人、柳のもとに馬を馳せる、一目見て語らず、ぐわーってなもんの断腸の思いですか、特池っ ての、この池を別してってほどのこったか。まあさそういう思いを足裏に隠して出家托鉢っての、あっはっは風情あるでよってわけでもないか。

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良寛詩

人生浮世の間、忽としてはく(こざとへんに百)上の塵の如し、朝には少年子たり、薄暮には霜鬢となる。
浮世に生きる命ですか、はく上とは街路のこと、街路上の塵っぱ一つ、少年であったと思ったら白髪まじりの薄暮です、無老死亦無老死尽、なーんてこ とはないったって仕方ないんですか、足腰痛む屁の臭さわっはっは人生塵芥。マインカンプフしますか、いやさそれも一興難事いよいよ難。
都べて心の了ぜざるが為に、永劫ま(木に王)げて苦辛す、為に闘ふ三界子、何を以てか玄津と為す。
たとい千日回峰行も心の処置を知らなければ何回やっても元の木阿弥です、いたずらに難行苦行の世間知ですか、三界子たといなすこと反対なんです よ、求めて得よう掴もうとする、玄津という結果ありとしがみつくんです、そうではない手放し捨てるんです、元の木阿弥初めっからです、満足しようという別 心なければ大満足です、あっはっは元の木阿弥満不満なし、はーいはい。

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良寛詩

柳娘二八歳、春山花を折りて帰る、帰来己に夕、疎雨燕支を湿す。
柳家の娘は十六歳、春の山に花を手折って帰る、帰ってきてもう夕方になる、しっとりと降る雨にべにの花が塗れ。
頭を回らして待つ有るが如く、裳をかか(寒のてんてんを衣)げて歩むこと遅遅たり、行人皆ちょ(イにうかんむりに丁)立し、道ふ誰氏の児と。
首をめぐらしてだれかを待つような、もすそをかかげて歩み遅く、人みなただずんでありゃあどこんちの子だと云う、いやもって巧みなる表現乃至は鮮烈ですか、柳には燕なと。

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良寛詩

燦燦たる娼家の女、言笑一に何ぞ工なる、遅日相喚呼し、こう(皇に羽)翔す緑水の車。
あざやかなり娼婦の家、言葉巧みに笑いたくみに、春の日をいざないさそう、得意げにしぶきを上げる水車の如く。
高歌人の心を蕩し、顧歩好客を発す、歳暮何の待つ所ぞ、首を掻いて凄風に立つ。
高い声に歌って人の心をとろかし、歩きながら顧みて好き心を起こさせる、歳暮何の待つ所ぞ、時と所を択ばないってことですか、首を掻いて凄風に立つ、愁いを含んで身をひさぐありさま、良寛のいい訳も囲いもない心にそのものずばりは、詩情や哀しさを通り抜ける風ですか。

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良寛詩

越女桂麗多し、遊戯して城いん(門に西土)に出ず、ふん(くさかんむりに分)芳風に因って遠く、紅粧日に映じて新たなり。
越しの国は美人が多い、戯れ遊んで町に繰り出す、よい香りが風にのって遠くまでも行く、べにやおしろいは日に映えて新しく。
翆を拾って公子におく(貝に台)り、花を折って路人に調す、怜れむ可し嬌艶の歳、歌笑日に紛々。
翆、みどりを拾ってというのは扇のことかあるいは柳の枝か、花を手折って路行く人に渡す、こりゃまあ遊女のお祭りなんかなようもわからん、いとしくも哀れな、歌と笑いに満ちる日。はーいはい托鉢良寛さん。

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良寛詩

金羅の遊侠子、志気何ぞ揚々たる、馬を維ぐ垂楊の下、客と結ぶ少年の場。
金羅馬のおもがいですかたずなですか、それとも己の衣装ですか、遊侠の人にして何ぞ志気揚々たる、どう転んでもただの遊び人てわけには行かなかっ たんでしょう、そりゃ面白おかしくってことはあってもどこかにお釣りが来る、どだい間が抜けているんだな平衡感覚を欠く、少年の場というなにがしか、つい には生涯の友達なし、仏というたったひとりぼっちを得る、いえさなんの物言いもなし、悠々詩を作るんですかあっはっはあほくさってな。
一朝千金尽き、かん(車に感)か(車に可)たれか復た傷まん、帰り来たって旧りょ(門に呂)を問へば、歳寒うして四壁荒れたり。
春酔一刻値千金、ぜにも時も失せたんですか、かんかとは車行の利ならざる貌だとさ、死んだのもどうかなっちまったのもいる、だれかれおのれま傷ん でいるひまもなく、帰り来て旧聞を問えばそりゃもうさっぱりの、破れはて荒れるにまかせ。今様経済発展もなつかしいものみな失われ。

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良寛詩

尋思す少年の日、知らずう(口に干)さ(口に差)ありしを、好んで黄鵞のさん(杉の木でなく衣へん)を著、能く白鼻のか(馬に過のしんにゅうなし)に騎る。
少年のころを思い出す、なんかやっぱりうさがあったんだなというんです、嘆くこと悲しむことですか、黄鵞のさんってのどんな着物かようもわから ん、庄屋の昼行灯なりに洒落のめしていたんですか、白鼻の浅黄色の馬に騎るという、これも相当に派手みたいわっはっは、貧乏人一般庶民には無理ですか。
朝に新豊の酒を買い、暮れに杜陵の花を看る、帰来知りぬ何の処ぞ、直きに指さす莫愁の家。
新豊という中国の港ですか、新しい酒ですか、暮れに杜陵ってにはよくわからんな女たちのたむろするところですか、ゼニもあったしもてもしたろうか らうろついて、どうもだけど良寛歌は童貞性を思うんです、見るだけってやつ却って女のほうがたいへんかも、帰るところを知らぬ、青春はかなく悲しいなにも のか、莫愁という歌謡に秀でた女が中国南京にいたそうの、詩人として新豊だの莫愁だのあげつらって、実際をぼやかすんですかより透明に尖鋭に思い起こすん ですか。

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良寛詩

怜れむ可し美少年、袖姿何ぞよう(甕の瓦なし)容たる、手に白玉の鞭を把りて、馬を馳す垂や楊の中。
かわいいですなあ美少年さま、優美に袖を通して、手には白玉の鞭をとって馬をやる、やなぎのしだれる道を。
楼上の誰か家の女ぞ、筝を鳴らして綺窓に当たる、遙に見る紅塵を飛ばして、聯ぺん(扁に羽)として新豊に向うを。
楼の女が筝を奏でて窓辺に寄る、とやこう馳走して女どもの巷を、新豊という中国の港ですか、これにひっかけてはるかに賑わいの地を目指すってこ と。李白の真似でもしたかな、良寛もかつて美少年であったかようもわからん、でもたいていもてないほどの男道を求めるにつけても中途半端ですかわっはっ は。

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良寛詩

我れ此の地に来たってより、将来時を記さず、荒蕪人の払ふ無く、鉢嚢即ち塵に委す。
ここへ来てからというもの、将来のことなんか考えたこともない、そこらじゅう荒れはてたまんまに人為のなすことなし、すなわち鉢嚢、衣食の道具もほこりまみれのまんま。
孤灯空壁を照らし、夜雨間扉にそそ(さんずいに麗)ぐ、万事共に己みぬ、ああ(口干と口差)又何をか期せん。
ただ一つの灯火が空壁、棚もなんにもない壁を照らし、夜雨が戸をたたく、万事共にやむ、すべて終わってるんです、自分やめばものみなやむ、嘆息し てああ何をか期せん、なすべきことすら思い付かぬ、それでどうかというに、取り立てて云うべきこともないんです、春は花夏ほととぎす秋もみじ冬雪ふりて涼 しかりけると、心月輪です、心境とか境涯というものなし、もし師家迷悟中の人のいう良寛あれば、いっぱいにふたがって去来の自由がない、人でなしです。悟 りある人不都合、将来を期す人不具合です、気力横溢もまったく未だ到らず。よくよく看て取って下さい、おんぼろけなげやりの良寛なんてない、立ち居振る舞 い実にきしんとした人でした。孤独の杜撰など微塵もないです、一生不離叢林です。

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良寛詩

行きて山下の路に到る、古墓何ぞ累累たる、松柏千年の外、竟日悲風吹く。
山の辺りの路を行くと古い墓が沢山、松柏千年の外どうやら良寛の決まり文句ですか、松柏に悲風吹くのがぴったりです、音楽を奏でるには適材適所の 音が必要ですか、墓はいい石を使えば100年200年はもつか、松はせいぜい100年ですか、どっちがどっちったって松柏千年の外ってのが似合ってます、 禅語にある庭前の柏樹というのは松に近い種類らしいです、松柏と使う因縁をどうぞ興味ある人は調べて下さい。
姓名漸く摩滅し、自孫亦誰とか為す、鳴咽して道ふ能はず、策を杖いて復た帰り来る。
みっともねーから樹木葬にしろとか、千の風の歌とかうっふっふさまざまあるんですか、死を悲しみ弔うことは何が故に、せっかくの縁をついに得ずし て行くがゆえにですか、却来して世間を観ずれば猶夢中の事の如し、これ年回回向ですが、なんにもなくなってものみな人事を見るとまさにこんなふうです、生 きながら死ぬること、悲痛も空しさも別段のこれ現実ですか、ない自分を知るという不可思議劫です。

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