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2011年6月27日 (月)

良寛詩

托鉢して此の地に来たる、涼秋八月の夜、園疎にして栗刺見れ、天寒うして蝉声収まる。
托鉢してここへやって来たというのです、五合庵に帰りついてもそりゃ同じです、涼秋八月の夜、もう九月になったんですか、お粗末な庭園には栗のいがが見え、天上はもう寒くなって蝉の声が止む。
我が性嗜なむ所無く、起坐思ひ悠々たり、八軸の法華経、巻叙す胡床の辺り。
我が性たしなむところなくは、坐っていてかすっともかすらないんです、他の詩人文人等には真似のできないところです、良寛音楽栗のいがであり蝉の 声であり、天地はるかに通達する、趣向あり思想ありではわだかまる、起坐思い悠々たりとは、自分を観察しないんです、観察しようとする自分がないんです、 仏仏に単伝して邪まなきときは自受用三昧これを標準とすと、古来これのできるものな何人もいなかったです、よくよく看るがいいです。

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