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2011年6月 6日 (月)

良寛詩

夫れ人の世に在るは、草木の参差たるが如し、共に一種の見に執して、到る所に是非す。
人がこの世にあるのは、参差高低不同なるを云うと、大小無数の草ですか、見解の相違てめえの考えに終始して、いたるところ是非す、あっはっは淋し く騒々しくなんともこりゃどうしようもないです。宗教だの思想だの国だのとなるとこりゃもうみなさまご存知の通りのはずが~もっともみんな不都合を知って どうにもならないでいる、仏がこれの処理の方法を示したのです、思想分別にはよらん、思想分別を容れる器の問題ですか、みんな仲良く平和にではない、元の 木阿弥和の問題です。
我れに似れば非も是となし、我れに異なれば是も非となす、唯己の是とする所を是とし、何ぞ他の非とする所なるを知らん。
中国共産党とか金正日とか、わっはっは一神教の成れの果てですか、十字軍にシーシェパードを見れば、もしやてめえのやってることがどっかそんなふうではないのかって、しばらく反省するにいいです、人間ほっときゃたいてこうなるってことですよ、なぜか。
是非は始めより己に因る、道は固より斯くの如くならず、こう(山のしたに高)を以って海底を極めんとす、祇だ悟る一場のち(痴の知を疑にする)なることを。
おのれイコール是非ですか、おろかなやつほど偉くなっちまうのは坊主組合見てるとほんにそう思うな、てめえはえらいんだってのがアプリオリにある んですかわっはっは人間のくずだ。頭のいいほどにてめえ弁護という、ただもうだらしのない事なかれ主義、ほっときゃ人みなお役人先生ですか、ふわー欠伸。 道はもとよりかくのごとくあらず。大反省ですよ、我昔所造諸悪業、皆由無始貪じん(口に真)ち(痴の知ではなく疑)従身口意所生、一切我今皆懺悔、道を知 るとはまさにこれを以てする、なにをしていたんだおれはという痛恨の反省です、腹かっさいて死なにゃ追いつかんほどのです、参禅の入り口これ。こう(山に 高)とは船に棹差すの棹です。自分という思い込みのたが外れてそりゃもう底なしです。

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