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2011年6月 6日 (月)

良寛詩

白馬基を建てしより、知らず幾箇の春、仏法云に東に漸み、金文刹塵に遍し。
二僧仏像経巻を白馬に載せて洛陽に来たので白馬寺を建てる、後漢明帝永平十年。金文は経巻刹塵は国土。知らず幾箇の春、国中に広まったわけです。
経を講じ科を分つ、代其の人無きにあらず、吾が師之れ胡為(なんすれ)ぞ、ちょう(しんにゅうに召)ちょうとして真檀にいたれ(至に蓁)る。
お経を講釈して言葉と意味あいの上のことは科を分つ、なんのかんのと人間というのはもっとも大好きな連中で、だが達磨さんが伝えなければ、どうし たってわからなかったです。未知のものを求める、必ず云々原因結果です、求めてやまぬという百年河清を待つっきりの。ちょう遠いありさま、真檀は中国。
仏心印を提持して、直下に人をして了ぜしむ、盛んなる哉普通の歳、是れ少々に通ずるに非ず。
達磨大姉梁の武帝にあいあうは普通年間、盛んなるかな追っ払われて毒殺されそくなって面壁九歳、直下に人を了ず、これ少々の道にあらず、大道無門、もとまっただなかを示す。他のこっちゃないんです。

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