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2010年1月 8日 (金)

良寛詩

人生一百年、汎として水上のひん(くさかんむりに頻)の若し、波に随って虚しく東西し、浪を逐ふて休辰無し。
人生百年ですか、たいていたしかにそんなふうになりました、汎として茫洋だだっぴろくって水上のみずくさの如しと、波にしたがって右往左往し、波を追うて一日として休むひまなし。どうですか60、70までも生きりゃまずはこれそう思うでしょう、成功者だ東大出っでいっち頭がいいんだ、第一人者はおれだなど云って、ふと気が付くと汎として空しく東西するみずくさです。するとなーるほどと気がつけばいいです、大ひまが開いて虚空に浮かぶ露の玉の如し、たったの一日100%いいや200%暮らし尽くしたという無上楽ですよ。
牟尼の高貴を辞せしは、他の沈りん(倫のにんべんでなくさんずい)を度せんが為なり、在世八十年、説法五十春。経を留めて永世に遺し、今に到って梁津たり。
牟尼釈迦牟尼仏です、王であるべき生涯を擲つ、高貴を捨てて他の沈りん浮きぬ沈みぬの六道輪廻を免れさせる、他を救うにはまずもって自分を救うこと、自救不了ならばそりゃなんにもならんです、たとい他の為にしたろうが自分の為だけなんです。経というお経とは自分を救い他を救う姿です、坊主みたいお経を読めばもういいんなお布施だ偉いんだなど空威張りとは関係がないです。世の中に坊主と学校の先生にはろくなものがいないとは、すべてが嘘だからです、嘘ばっかりが嘘と気が付かない、最低最悪です。人格の不成立ですか、しかも次第に偉くなるというおまけつき。良寛にしてはじめて仏恩に報いるんですか、是。梁津は渡し場のこと。

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