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2010年1月 5日 (火)

良寛詩

一たび出家してより、しょう(足に従)跡雲えん(火に因)に寄す、或は樵漁と混じ、又児童と共に歓しむ。
出家して親兄弟娑婆世間を捨てるんです、浮世との荒波に揉まれずあるというには、どうしても悟ることが必要だ、悟ったからといって開き直る世間人ではなく、我と有情と同時成道です、いったん人間をまぬがれる、元の木阿弥です、でなけりゃ出家の蓑笠付けた化けの皮です。なにをやったっててめえのためでしかない、けちでどすぐろい死出虫稼業の嘘八百です。ましてや行雲流水雲煙に寄せる清々自在には遠くて遠い。樵の仲間に入っていたのは六祖禅師ですか、漁師をしていたというのはでれであったか忘れた、魚籠観音の化身というのもある、不殺生戒を云々するなら真正面に対決して下さい、いたずらに擲たないんです、あるいは鯨食うなの具、あるいは草食主義というもっとも悟りに疎い連中ですか、不可は行う自分が不可なんです、本末転倒しちゃだめです、いいのわるいのでは子供がそっぽ向くです、たいてい女の子も総好かんしますがなあっはっは。
王侯何ぞ栄とするに足らん、神仙亦願ふところに非ず、偶ふ所便なれば即ち休す、何ぞ必ずしも丘山を嵩とばん。波に乗じて日に新に化し、優遊年を窮む可し。
坐るには王侯なんぞ栄とするに足らんと坐って下さい、中途半端にどっかつながっていりゃ坐にならんです、いわんや全体はるかに塵埃を絶す、自分なくなってすべてです、事は単純まっぱじめっから答えのど真ん中なのに、なぜか本当にやった人皆無なんです、なぜですかよくよく顧みて下さい。あるいは超能力だの仏教だのなんだの企む、彼岸にわたることをせんでいちゃついている、大小無数の悟ったさん困ったさんなど。会うところ便なればすなわち休すと、なんぞ必ずしも丘山を尊ばず、はいなあこれ人間以外みんあこんなふうで幸せに生きてますよ、わたしは貝になりたいと云って宿借りしないんです。波に乗じて日に新たに化し、はいこれ坐禅そのものですよ、滞ったら命おしまい、日に新たに化すとはだからおれどうなったよくなったごとしないんです、昨日のおのれはまったくない、今日という開き直らない、年を極まりなし、優遊わっはっはまったくの不細工、楽しいっていうこと無窮なんともかんとも筆舌によらんです。

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