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2010年1月 5日 (火)

良寛詩

一たび出家してより、任運日子を消す、昨日は青山に住し、今朝は城市に遊ぶ。
任運日子を消す、まるっきりその日暮らしです、一日一日跡なしの暮らし、青山お墓のことを云うんですがこれはただの山間、城市という対句になって賑やかな人間ですか、どこをどう選り好みってこっちゃないです、必要あればおもむくあるいは不必要に現れたりする。
のう(ころもへんに内)衣百余結、一鉢知りぬ幾載ぞ、錫によ(にんべんに奇)って清夜に吟じ、席を舗ひて日裡に眠る、誰か道ふ数に入らずと、伊れ余が身即ち是れ。
墨染め破れて繕うこと百余箇所うっはっはおんぼろです、臨済などひところこれを衒って大修行底など云ったですが、良寛にそんな贅沢はないです、鉢の子たった一つに幾載ですか、わしの出家したころは法具をこさえる職人もまだ生きていて、衣もしっかりしていた、よっぽど着てもすっとすりゃちゃんと畳む、鉢の子も頑丈でよく使えたし、またよくできていた。今になって宗門仏教のぶの字もなけりゃ、坊主堕地獄でしたがい職人も消え、どうしようもない衣に一年も使えばぶっこわれる応量器です。駄目になりゃまたすべて駄目ですか。肝心要が腐れりゃ日本人よって立つなし。錫杖をついて吟じ、むしろを敷いて寝る。だれか云う数に入らずと、説法もなし立派な門構えもなし門弟もなし、乞食坊主がそりゃまったく数に入らんです、今だってそりゃまったく同じなんみもならんです。かれ余が身即ちこれ=仏教の真髄です、他にはまったくないんです、仏一箇の露堂々です。お釈迦さま道元禅師、他宗では一遍上人ですか、ほんとうにこれを体現した人いくらもないんです。

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