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2010年1月 3日 (日)

良寛詩

neoneoneoneoneo
一たび出家してより、幾箇の春なるかを知らず、一納と一鉢と、騰騰此身を送る、
出家して幾春秋ですか、数えることもせずの着たきり雀の墨染めと鉢の子と、足の向くままにまかせて行雲流水です、はいこれ雲水って云います、悟り終わって弟子にそういうのいた、行方知れずの開聞岳から年頭の挨拶と粋がって電話してきたので、とっつかまって用事あるから帰ってこいったらしぶすぶ帰ってきた、沖縄まで行くつもりだったらしい、この弟子帰ってきてからも時に托鉢して、そうしたらどっかのばあさんにとっつかまって説教された、おまえさんもそういうことしてないで正業につけとさ、托鉢行はにせ坊主の商売になって久しく、宗門は仏教のぶの字もなく、しばらくは在家仏教しかないですか、どうにかかつかつつないで行くこったですか。
昨日は山林に住み、今日は城いん(門に西土)に遊ぶ、人生一百年、汎として秋水のひん(くさかんむりに頻)の如し。
山や草木があるとがきのように若返って、城いん賑やかな町へ出るとうろちょろきょろきょろ、じきにゼニ使ってしまう、生まれ着いてのドアほうはこりゃもうどうしようもなく、いえさ良寛は生活万端実にきしんとしてたです、わいはぐーたらすけべでもとっこ元の木阿弥、汎として秋水の浮き草の如しと、はーはいそりゃもう取り付く島もないです、でもやっぱり死ぬまでは生きなきゃなんねーか、せいぜい身の不始末はしねえよ−に。

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