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2009年12月

2009年12月31日 (木)

良寛詩

巌下に清泉有り、以て衣巾を洗ぐに可く、嶺上松柏有り、以て柴薪を給す可し。優遊亦優遊、薄か言に今しん(日に辰)を永くせん。
巌の下に清い泉があって、衣や手拭など洗うによく、嶺の上には松や柏があって、ぼやや薪を集めるのによく、優雅に遊んでまた遊んで、わっはっはでもって今朝はそいつをちいっと長びかせとさ。冬中ぶるぶる震えていたくせに、喉元過ぎないうちのみーんな忘れて、どうにもしようのないこってす。

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良寛詩

少々筆硯を擲って、ひそか(穴に采に偶のにんべんなし)に出世を慕ふ、一瓶と一鉢と、遊方知りぬ幾春ぞ。
幼いから筆硯の人であり読書人であった、それがもののはずみで頭を剃って世の中で外れてふらつき歩く、淨瓶と鉢の子一つに遊び歩いて幾春ぞ。命を捨てる修行に命を捨てちまってあっけらかん、風とともに行き雲とともに流れる、わっはっは夢も希望もない生活です、死んじまってのちに突然詩歌が復活する、そりゃまた面白いんです。
帰来絶けん(山に虎に犬かなよーもわからん)の下、静かにトす草堂の貧、鳥を聴いて絃歌に充て、雲を胆て四隣と為す。
享和元年四十四歳にして五合庵に住む、ぜっけんけわしく寒い山ですか、静かに草堂の貧しさをトす、日々新たにするんですか、鳥が音楽雲が隣人のまったくまさにその通り。五言絶句を作って嘘いつわりなしとは良寛のみ、仏を云い猿芝居して悟りをあげつらい嘘とはったり大威張りは今の世の坊主も同じ。

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2009年12月29日 (火)

良寛詩

花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を尋ぬ、花開く時蝶来たる、蝶来たる時花開く。
吾も亦人を知らず、人も亦吾を知らず、知らず帝の則に従ふ。
老師がこれの提唱をしたので、良寛の詩をこれたった一つ知っていたです、知らず知らず帝の則に契うと覚えて、蝶に会い花に会いしてきたです、帝とは天帝ですか造化の神ですか、たといそんなものはいらんです、ものみなあるようにあり、人と人との付き合いも知らないもっとも親切です、あいつはあーゆーやつだほどでいい、せんさくしてなにがどうだからどうという、もっとも忌むべきことですか、一億総評論家になるに従い世の中面白くもなんともないです、つまらんことで切れたり殺人事件です、しかもかってな理屈をつけたりするあほらしさ。無心とは心がないんです、心は心を知らないんです、いいのわるいのと顧みることの不可能を知る、まさにこれ坐禅のことはじめです、仏の入り口です、たとい今の世だってまったく同じです、銀椀に雪を盛り、名月に鷺を蔵す、混ずる時んば所を知る、類して等しからず、良寛さんの生涯これ。

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良寛詩

継くが如く断ゆるが如く、西に在るかとすれば東よりす、来ること有って其れ綿々たり、之れに就けば還た空し。
続くが如く絶ゆるが如くはまさにものみなのありようです、我れから慮って続ちし断とする、すなわちこれを完全しうる器ですか、西にあるかと思えば東より来る、風景これ自由自在です、美しいといい清々はてなしという、詩も音楽ももとよりこれによる、取捨選択の洗練とは何か、もっともとらわれなきこと、来ることあって綿々とは五言絶句ですか歌ですか、小説物語ですか、こえにつけばかえって空しいという、小説ではなくって大説です。自然を我が物にして、第二の自然をこれ芸術という、まったくそんな狭苦しい了見じゃないんです。ふっふっふ良寛の芸術論これ。
中心紛として極まりなく、きょう(りっしんべんに只)驚たりこつ
さんずいに日)だく(りっしんべんに蜀)たり、逡巡相顧みて云ふ、帰らんかな吾が旧邦と。
中心はこれとたいていの人が云うんでしょう、肝心要が紛々たりとわっはっは自然ものみなこれです、取り付く島もないんです、きょうきょう驚いて自失する、こつだくたり乱れて安からず、自信転ばぬ先の杖が折れる、わけがわからんのです、茫然自失も混乱忘我もこれを観察しなければかえって理路整然です、底なしの清々ですか、六竜に駕して鳴り物入りでやってきた天帝も、逡巡顧みて、あかん早くおうちへ帰ろうって云うんです、わっはっはこりゃ面白い。良寛の面目躍如ですか。

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2009年12月27日 (日)

良寛詩

朝たにかん(感の心なし)池の南を発し、夕に若木の叢に息ふ、よう(遙のしんにゅうのかわりに王)台何ぞえん(堰のにんべん)けん(寒に足)たる、ろう(門に良)風蒼穹に沖す。
かん池は日の浴する池、若木は日の入るところ、えんけんは高いありさま、ろうふうは仙人の住む山、まあさこんな具合にやってきて、こんなふうです、良寛の周りの風景そっくりですかあっはっは。
しゅく(ぎょうにんべんに灸)忽として電光を競ひ、ひょう(風に示西)よう(風に夕山)として徐ろに升降す、律呂風に従って変じ、低昇良に窮まらず。
ひょうようはひるがえりあがる、しょうこうは上下する、しゅくこつは一瞬より短いんですか、律呂は六律六呂ある韻律リズムですか、低昇は下ったり上ったり、春の気運のありさままったくそのとうり。

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良寛詩

薄言(いささ)か吉しん(日に辰)を択び、時候和中を得たり、望じょ(舎に予)其の始を警ましめ、豊隆終りに備ふ。
吉辰を択ぶ、日を択んで和中というなにしろもっともよい時候であった、望じょは月で豊隆は雷神また雨の神です、わしは無学でようも知らんですが、吉凶を占うのになにかこんなふうなのがあるんですか、良寛の勝手にするわけには行かない、作詞作法あるいは故事来歴ですか。
左に繁霜の剣を帯び、右に彩虹の弓をと(てへんに覧)る、雲の如きはい(方に矢の大を布)霞の如き瓔、えん(虫に宛)として其れ六龍に駕す。
繁霜霜のはげしい繁しいさまです、霜の剣そりゃもう切れそうです、虹の弓をつがえる、こりゃまあ万能の矢を放つふうです、はいは将軍の旗です、瓔は首飾り馬にかけるんですか、えんとは龍の飛ぶ姿、天子の面を龍顔と云いますか、六龍は天子の車を牽く六頭の馬、はあてさて大騒ぎの鳴り物入りは、詩人のよく作るところですか、李白もすばらしいんですがわしのようなぼんくらには思い及ばぬ、面白いってことがなによりも是。

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良寛詩

天帝大いに驚動し、詔を伝へて相推攻す、吾が朝昔より未だ聴かず、音響何ぞ工なる。
天帝がぶったまげて、詔して鑑み調べさせる、わが朝始まって以来の代物だという、なんというすばらしい趣向であろうかと、いやはやたいへんな騒ぎ、痛快この上なしですか。
誰れ人か此の曲を為す、借問す何れの邦よりせる、吾れ我が有衆を厳しめ、声を尋ねてあと(足に従)を極めんと欲す。
いったいだれが奏でる曲か、借問しゃもんすと読む禅門の常套句、どこの国のものか聞いてみよう、わしの家来どもを総動員して、声を尋ねあとをつまびらかにしようと思う。こりゃ豪儀な話でもってさすがに良寛天上天下唯我独尊です、ドライブしてモーツアルトに酔い痴れているのとはうっふっふ、だいぶ違いますか。

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良寛詩

上弦別鶴を弾じ、下弦松風を操る、五音和して且つ清く、中曲はるか(しんにゅうに向)に同じからず。
別鶴というのは子がないために離別された妻の悲しみを歌った牧子の詩、鶴と松との舞い踊るさまを琴弾く、五音宮商角微羽だそうです、中曲ってのはわからない、だれかくわしい人教えて下さい、はるかに同じからず、詩歌も曲もまったく新しいんです、毎日同じに坐ってもまったく新しいんです、でなくってなんの楽しみなんの人生ぞ。
雲に入って遙空に散り、風に随って万方に充つ、いん(気のナのかわりに凶)わん(気のナのかわりに温のさんずいなし)たり青陽の曙、響きは徹す天帝の宮。
雲に響いて遙かな空に散ずるさま、一声かくの如く一息一吸かくの如し、風にしたがって万方に満つと、まさにこのように体感できる人になって下さい、もとよりこのとうりに生まれついているのに、こそっとごみあくたして暮らしている、老若男女ビールの泡のような生活とも云えず、ただもう世の中胡散臭いだけです。いんわん盛んなるさまですか、青陽とは春です、春を歌って天帝の宮に届く。

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2009年12月23日 (水)

良寛詩

ひ(雨に非)々たる連夜の雨、桃李其の紅をの(舎に予)ぶ、幽蘭階除に秀で、芳馨簾ろう(木に龍)を覆ふ。
ひひとして降るけっこう激しく降ったりするんですか、雨続きに桃も李も花に咲く、春蘭はきざはしの下に花をつけ、えもいわれぬ香りに覆われるというんです、春浅い越後の風物を実によく表しています、身にしみて味わう姿ですか、食い足り満ちたりの人にはかえって疎いです。
此の夕何の夕ぞ、戚々無従に苦しむ、吾が堂上の琴を移し、絃歌して時に衷を写す。
戚戚うれい苦しむさま、つらい思い逼迫の時がある、そういうことをおれは悟ったから仏だからといって、押さえ込むことをしない、坐禅のこれが本来です、かすっともかすらずのおろか丸出しです、どうしようもないときがある、天井から琴を下ろして爪弾きながら歌う、こころを写すありさま。

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良寛詩

春夜二三更、等閑に柴門を出ず、微雪松杉を覆ひ、孤月層らん(鸞の鳥でなくて山)に上る。
春といってもまだ浅いんです、真夜中ぶらり柴の門を出た、あっはっは夜中出歩く人、もっとも五合庵うちの中なんて三歩すりゃ尽きる、松に杉にうっすら雪がふり、山なみの上に孤月かかる。こりゃまほんとに語源絶句の代表みたいな。
人を憶へば山河遠し、かん(幹の干でなくって羽)を含んで思ひ万端。
人の世の中です、たとい孤駿云う甲斐なしの良寛さんの思い万端です、あれこれ思うことは切ったり貼ったり迷い込んだりじゃないんです、坐っていて人を憶へば山河遠しは、銀椀に雪を盛り、名月に鷺を蔵す、類して等しからず、混ずる時んば所を知ると、まったくの手付かずですか、転々して前後を知らないんです、孤月というんでしょう、四智円明の月冴えん。

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2009年12月21日 (月)

良寛詩

しょう(くさかんむりに粛)条三間の屋、さい(催のてへん)残朽老の身、況や厳冬の節に方り、辛苦具ぶさに陳べ難し。
しょうじょう物淋しいありさま、さいざん砕けてはてること、三間の屋です、年老いて朽ちるばかりの身に、厳冬の辛苦はまさにつぶさに陳べがたしと。そりゃもう寒いしどうしようもないです、老いの身骨身のこたえ。
粥を啜って寒夜を消し、日を数へて陽春を遅きとす、斗升の米を乞はざれば、何を以て此の辰を凌がん。
粥をすすって腹を満たすのと温まるのと、日を数えて陽春の遅いのを恨む、一斗一升の米を乞はねば、何をもってこの時を過ごさん。清僧托鉢のてらいなどどこにもないです、ただこれこうある現実は、そりゃ今のホームレスだって同じです、へたすりゃ餓死凍死です、五合庵の暮らしもたとい生まれ故郷も同じです、まあ親から貰った頑丈な体に感謝するほかないですか。
静かに思ふも活計無し、詩を書して故人に寄す。まったくに詩を書くおかになしは、そりゃわしもまったく同じだ、だれも認めてくれる人なし、活計なんてものではなく、故人これを知ると思うかつかつ慰めですか、良寛のように好き勝手という、曲げて他と付き合う意気地なさですか。

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良寛詩

竹に傍へば密かに響きあり、梅を占うて香を尋ねんと欲す、寥々孤り興を発す、たれと與に平生を慰めん。
竹にそえばひそかに響きあり、梅を問うて香りを尋ねんとす、寥として一人興味をおこす、誰とともにか平生を慰めん。
しんとして一人きりの様子です、ほんとうに詩作の妙というかよく表れています、今の人孤独というよりは埋没してなにやら曖昧模糊のオナニー人間ですか、良寛はまるっきり別です、たった一人風に任せて歩く、音がし香りのする世界です、これがまったく違うことを今の人まず知るべきです。どろんまみれわけもわからぬ歌や俳句と違う真箇を見て下さい。
思ふ所天末に在り、かん(車に翁)を援ひて聊か情を馳す、愧ずらくは陽春の調に非らずして、漫りに高人の聴を汚さんことを。
天末ですか、かすみたいなんでもどっか天に響く、自然というものの大自在に属するんです、かん林という筆をもってするんです、ちっとばかり書いたんですが、恥ずかしいことには陽春を歌わず、ひそやかに情を延べて高人の聴を汚す、どうも杜撰であったかというのです。詩も歌も身勝手な妄想ではなく、伝統を踏まえることこれいろはのい、これを忘れてはでたらめ収拾のつかなくなること、現代俳句の如しですか。

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2009年12月19日 (土)

良寛詩

春宵夜将に半ばならんとし、殊に覚ゆ寒さの肌を侵すを、地炉たれか炭を添ふる、浄瓶手ずから移すにものう(りっしんべんに庸)し。
春になっても越後は寒い、三月四月まで雪がある、夜はことのほか寒い、炭を添えようたってもうなかったりして、じんびん浄瓶は仏に処するには手を清め口をそそぎした、中国伝来の坊主の持ち物、水の国日本では次第にすたれたんですか。
徐々に衣掌を整のへ、軽々柴扉を推す、千岩同じく一色、万経人行絶えたり。
おもむろに衣に手甲脚伴を付けたんですか、そうしてかるがると柴の戸を押す、千岩同じく一色、ものみな同じに見える寒さの朝です、万経人の行くなし、人っ子一人いないんです。

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良寛詩

一息わずかに切断せば、六根共に依る無し、親戚面に当たって嘆き、妻子背を撫して悲しむ。
息を引き取ったらおしまい、眼耳鼻舌身意てんでんぱあです、親戚ども面見ては嘆き、妻や子は背中を撫でて悲しむ。
かれ(さんずいに巨に木)を喚べどもかれ応へず、かれを哭すれどもかれ知らず、冥々たり黄泉の路、茫々且つ独り之く。
生きながら死ぬることこれ仏の道は、死んだふりする、居たりえ帰り来たって別事なし、柳は緑花は紅とふんぞり返ることではないです、死んだやつは死んだきり、てめえなくなっても世の中まるっきりこの通りです。すなわち冥々たる黄泉もなく、茫々かつ独り行くも知らず、いいえまったくの一人っきりですか、取り付く島もなし。

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良寛詩

念念暫らく止むこと無し、少壮能く幾時ぞ、四大日々に衰へ、心身夜夜に疲る。
一念は六十刹那と、別にそんなもないらんです、念起こり念滅するを逐一に捕らえられとりことなって、俺はどうのだからどうにいいわるいのまんま墓穴を掘る、哀れ空しいんです。少壮勢い盛んなときは今に見ていろおれだってふうの、妄想念我を乗り越えてあるふうですが、年寄るにしたがい妄想が皮をかぶって歩くふうの、心身夜夜に疲れて長嘆息ですか、変化の激しい今の世の中まるっきりついて行けず、老人の沽券を振り回してもだれも聞いてくれんです。悟ったさん困ったさんもそりゃじきに思い知るんですか、仏の道とは何か、無心如来これ。不立文字これ、仏に帰るっきゃないんですよ。
一朝病に就ひて臥し、枕衾長く離るるなし、平生ろう(口に婁)ら(口に羅)を打たくも、此に至って何の為す所ぞ。
ろうらをたたく無駄口をたたくんですか、愚痴ばっかりですか、いいことしい正しいということもまた無駄口愚痴ですよ、ポルポト派は正しいという、そりゃなんたって問題にならんです、思想の美酒に酔い無惨やるせなし、宗教主義主張平和がいい戦争はんたいだという、いったい人類はただまったくにむだこと愚痴の繰り返しですか、ここに至ってなんの為す所ぞ。わっはっは死にゃ仏です。

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2009年12月16日 (水)

良寛詩

起居長く嘆息し、依稀として杖によ(にんべんに奇)って之く、常に憶ふ少壮の楽、業に添ふ今日の罹ひ。
立ち居振る舞い億劫で如何ともしがたしです、なにしろ杖にたよってどったらばたら、思うのは少壮血気盛んだったころの楽々清々ですか、すでに添ふ業のようなものですか今日の愁いどーもこーもならんです、あっはっは無老復無老尽、年寄るを忘れるんですよ、一柱坐って清々比類無き、云ってみりゃそりゃ明日きりないんです、夢も希望もないのが仏って夢と希望しかないんです。
痛ましき哉老をいた(りっしんべんに周)むの客、彼の霜下の枝の若し、生を三界に受くる者、誰人か斯に到らざらん。
老いを愚痴る人の痛ましいありさま、霜の降る枝の如くと、しわがれひしがれわっはっは死ぬまで生きるんですか、おれおれ詐欺にひっかかって、介護保険だの施設にいいようにふんだくられ、身内は保険金を目当てにするだけ、じじばばいなくなりゃ国も借金不用となそりゃまったくだ、三界に生を受ける者、たれかここに到らざらん。

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2009年12月13日 (日)

良寛詩

帰り来たれば異物と為る、何を以てか精霊に対へん、我れ一掬の水をそそ(さんずいに麗)ひで、聊か以って先生を弔ふ。
旅から帰ってくると異物、もうこの世にはいなかった、何をもって霊にこたえよう、我れ一掬ひとすくいの水をそそいで、しばらくは先生を弔う。
白日忽ち西に沈み、山野只松声のみ、徘徊して去るに忍びず、たい(さんずいに弟)涙一裳をうるを(さんずいに占)す。陽は西に沈み、山野は松の風に鳴る音だけ、さまよい歩いて行き去り難し、涙もすそをうるをす。

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良寛詩

古墓荒岡の側、年々愁草を生ず、さい(さんずいに麗)草人の侍するなく、適たますう(趨の走をとってくさかんむり)じょう(堯のくさかんむり)の行くを見る。
子陽先生の墓をもうでる、荒れ放題のありさまに、掃除をする人もなく草むす、あらまあつたがからまって。
憶ふ昔総角の歳、従ひ遊ぶ狭水の傍ら、一朝分飛の後、消息両りながら茫々たり。狭水は今の西川、用水路になって信濃川から流れめぐる、みんなで遊んだ川の辺りを、お互い巣立って後さっぱりもうわけもわからなくなっていた。

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良寛詩

城を去る二三里、適たま樵采の行くに伴ふ、路を夾んで青松直く、谷を隔てて野梅香し。
お城から二三里、樵采たきぎを取る人について行く、両側には松が青く、谷をへだてて梅が香る。
我れ来って得る有るが若く、錫を卓す即ち我が郷、池古うして魚竜戯れ、林静かにして白日長し。
我れ来たってなにかしら得るものあるがごとく、錫を置いて滞在するこは我が故郷、池は古く魚どもがわわむれ、林は静にして白日長し、春をのんびりですか。
家中何の有する所ぞ、詩書わずかに一しょう(てへんに床)のみ、情を縦しいままにして衣帯を緩うし、句を拾うて聊か章を為す。
なんにもないところで、わずかに詩の本一冊、情をほしいままにして緩く衣帯をかけ、句を拾ってわずかに章をなす。
晩に歩く東しょう(床の木のかわりに相)下、春禽復た云に翔ける。
東の軒先を歩く、きじかやまどりがまた飛ぶというんです、たきぎとりから始まって、あっはっは粋がっているわけです。藤氏の別邸ですとさ。

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2009年12月11日 (金)

良寛詩

投宿す破院の下、孤灯思ひ凄然たり、旅服たが為に乾かん、吟詠して聊か自ら寛ぐ。
破れ寺に宿を借りる、そりゃ孤灯凄まじいものがあります、蝋燭の火でも点けるんですか、風でも吹けばぞっとしない物音がして、濡れた衣をひとり乾かす、どうにもこうにもですか、詩を吟じていささか自ら寛ぐと、いついつかこうして故郷に帰りついたんですか。
雨声長く耳に在り、枕をそばだてて暁天に至る。
若しかくの如くして止まずんば、蒼生の憂い如何せんと、人々のたいへんなありさまを歌いながら、つきはなたれたような孤独ですか、孤独といわず孤俊という、ひとりぼっちの観音さまなんているわけないんです、一木一草まさにおのれのもの、雨声とともに、一人起き出でて暁にいたる、わしみたいなぐーたらもすなわち夜があんまり長くって往生したことがあったな。

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2009年12月10日 (木)

良寛詩

我れ京洛を発してより、指を倒す十二支、日として雨の零らざるなし、之を如何ぞ思ひ無けん。
京の町を出てから十二日間ですか、一日として雨の降らない日はなかった、これにどうして思い到らなかったのかというのです、托鉢行なんといったって雨が難物です。
鴻雁つばさ(支に羽)当に重かるべし、桃花の紅転たた垂る、舟子暁に渡を失ひ、行人暮れに岐に迷ふ。
鴨も雁がねもつばさ重ったるう、桃の花はせっかく咲いたのに垂れっぱなし、渡し守はあかつきに舟をわたしそくね、客はた夕暮れに路に迷う、対句を使うあさにらしくですか、面白いです。
我が行殊に未だ半らならず、領(うなじ)を引いて一たび眉を顰む、且つ去年の秋の如く、一風三日吹く。
まだ半分も行かぬ、首を引いて眉をひそめる、去年の秋を思い出した、風が吹いたら三日も止まなかったが。
路辺には喬木を抜き、雲中茅茨を揚ぐ、米価之が為に貴く、今春亦斯くの如し。
道っぱたに木が根扱ぎになって、空には茅葺のかやが吹っ飛ぶ、こんなふうで米の値段が高くなった、この春また同じようなふうでもって。

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2009年12月 8日 (火)

良寛詩

neoneoneoneoneo
たれか(熟のてんてんのないやつ)能く四載に乗じて、此の民をして依るところ有らしめる、側に里人の話を聴けば、今年は黍しょく(のぎへんに田友)滋く、
四載春夏秋冬を四つの乗り物にたとえる中国古来の言い方、この民をたよるところあらしむる、なんとかしてやる方法はないものか、里人の話を聴けば、今年はしゅしょく、穀物の稔りはよく、
人工は居常に倍し、寒温其の時を得、深く耕し疾くくさぎり、しん(日に辰)に往きて夕に之を顧みたりと。
人のまた常に倍して面倒をみたと、深くたがやして草を抜き、朝に行き夕べに見回りした、
一朝地を払うて耗す、之を如何ぞ罹ひ無けん。
それを一朝にして全滅です、これをなんとも思わずにいられようか。諸行無常盛者必衰という観念論ではなく、じかに憂い涙を流すさま、だからいわんこっちゃないなど云う坊主じゃないんです、ひでりの夏はおろおろ歩きという詩人ですか、いいえ悟りを開くとは、飾りっけなく無防備まるっぱだかなんです、まずもってこれを知って下さい。

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良寛詩

何れの幣はく(白に巾)か備はらざる、何れの神祇か祈らざる、こう(日に天)杳として問ひ難し、造物聊か疑ふべし。
幣はくぬさですか、神様に願うときのてだて、ぬさもとりあえず手向け山、まいないですか、不備であったか、どこか祈らない神様があったか、こう天空のことはさっぱりわからない、造物天地を創造した神さまをちいっとばかり疑うっていうんです。越後は地滑り地帯が多く、人柱を建てて祈願するのに、そうそうは行き倒れは転がってない、ふんどしの汚いやつをえらんで生き埋めとかほんとにあったらしい、乙女の人身御供なんていうむかしから嫁日照りをそんなもったいないことはできんという。神さまに云うこと聞かせるには人を生贄にするというのは、殷のころからあったんですか、道という字はしんにゅう村の出入り口に首を埋めたことによると、白川博士が云った、彼はほんとうの学者だった。とにかくどうしようもこうしようもない理不尽、そんじゃかなわないからなんとかしよう、しておくれという、政治とはまったくこれ。

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2009年12月 6日 (日)

良寛詩

何れの幣はく(白に巾)か備はらざる、何れの神祇か祈らざる、こう(日に天)杳として問ひ難し、造物聊か疑ふべし。
幣はくぬさですか、神様に願うときのてだて、ぬさもとりあえず手向け山、まいないですか、不備であったか、どこか祈らない神様があったか、こう天空のことはさっぱりわからない、造物天地を創造した神さまをちいっとばかり疑うっていうんです。越後は地滑り地帯が多く、人柱を建てて祈願するのに、そうそうは行き倒れは転がってない、ふんどしの汚いやつをえらんで生き埋めとかほんとにあったらしい、乙女の人身御供なんていうむかしから嫁日照りをそんなもったいないことはできんという。神さまに云うこと聞かせるには人を生贄にするというのは、殷のころからあったんですか、道という字はしんにゅう村の出入り口に首を埋めたことによると、白川博士が云った、彼はほんとうの学者だった。とにかくどうしようもこうしようもない理不尽、そんじゃかなわないからなんとかしよう、しておくれという、政治とはまったくこれ。

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2009年12月 5日 (土)

良寛詩

しん(珍の王のかわりに田)界のうずく(正に鳥のしたのほう)に在るを知るらん、堤とう(土に唐)竟ひに支え難し、小婦はちょ(木に予)を投じて走り、老婦は鋤によりてのぞ(日に希)く。
しんは田んぼ、畦も境涯もなくなった、堤は崩壊する、若い女は機織のおさを投げて走り、年寄りの女は鋤にもたれよって嘆くはいことほどさようです。

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良寛詩

江流何んぞ滔滔たる、首を回らせば臨き(さんずいに斤)を失す、凡民小大となく、作役日に以って疲る。
信濃川がぐるっと廻って流れる、よって中ノ島村は三年にいっぺんしか収獲がなかった、明治に到って分水を作って海に流す、中ノ島村対岸の与板は良寛の生家がある、五合庵は分水の辺となった、堤に1mのところまで水が来たとき行ってみると、河川敷から中州を浸して滔滔たることは、ミニ揚子江の感じ、首を回らせば臨きを失す、いちめんの水っていうのはまさにまったくこれ、作役人夫に出ることですか、人力ではいかんともしがたしたって、人力以外にはなく、だれかれこりゃもうくたびれはてる他ないです。

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2009年12月 4日 (金)

良寛詩

凄凄たる暮ぼう(くさかんむりに亡)種の後、玄雲欝として披らけず、疾雷今竟夜に振るひ、暴風終日吹く。
ぼう種は陰暦六月五日ごろですとさ、淋しいすざましい葦原の風景ですか、玄雲まっくろい雲です、空をおおおって、夜中雷が鳴りはためき、一日中暴風が吹く、文化甲子の年だそうです。
洪燎階除に襄り、豊注田し(くさかんむりに留)を沈む、里に童謡の声なく、路に車馬の帰る無し。
洪燎は洪水です、階除にのぼり、土手や堰を越えてきたんでしょう、豊注は大雨または大水ですか田しは田や畑です、田畑を沈める、煙の火ではなくさんずいにする、漢文の素養わしらの世代のは到底及びもなく、こうでもなけりゃそりゃ漢詩は作れないですか、平仄や韻の問題ではないです、里に童謡の声なく、がきどもが歌っていない、路に車馬の帰るなし、人っ子一人いないんですか、心理だのたとい環境条件だのぶつくさごたくさ云ってないんです、現代詩だの歌m俳句ももういっぺん元へ帰る必要があります、妄想思いつきではなくそのものずばり、まったくこれにて十二分です、歌の傑作は明治維新の志士どもですか、言うこと為すこと判然としていて命がけです。正岡子規は一世一代のああゆう人です、それに尾ひれをつけて現代俳句だの歌だのまったくのごみあくた、なんにもならない代わりに世の中の物云いをめちゃくちゃにしちまったです、今の心の退廃はおうよそこれによる。国語教育の根本がもう間違っているんです、もって省すべきです。

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2009年12月 3日 (木)

良寛詩

たれか香聚界を取りて、之を予の目前に置ける、俯して仰ぐ一世の表、吟詠聊か篇を成す。
香聚界とは香象菩薩の住む所とある、香聚閣というお寺の因縁であろうが、菩薩もお寺も興味ある人は調べて下さい、どうもわしは勉強嫌いで失礼致し候です、なにしろすばらしいもので、こうして俯仰するをもって吟詠して一篇の詩になった。
帰朝如何ともするなく、長途忽ち心関ず、人間き(かける意味)盈有り、再来定めん何れの年ぞ。去らんと欲して且らく彷徨し、錫を卓して思ひ呆然。
時来たら辞するよりなく、長途長い旅も心とざす、あんまり気が進まない、人間も月のように満ち欠けがある、でもまたいつここへ来られることか、というんです詠嘆はなはだですか、殺し文句の世界をもっぱらにするんですか、なーるほど。去ろうとしてしばらくあたりをさまよう、錫丈をとんと突いて思い呆然ですかあっはっは。ようできました三重丸たってわしには、詞の素養もないしとってもこんな詩は出来ないんです。

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良寛詩

杳杳津を問ふの客、汎汎渡を競ふの船、州渚何ぞ微茫たる、杉檜の翠餐すべし。
杳としてというまったくわからないほどの津は港ですか、汎とはただようさまですか船を渡す、彼岸にわたる法の舟、あんまり広大あんまり渺茫、砂州も渚もちんぷんかんぷん、まあさ杉檜の緑でも食っておけ。あっはっはこりゃどう読んでもそんなふうにしか聞こえないけどな、風景とすりゃ面白いけれど、やっぱりこれご立派なお寺の姿ですか、ようもわからんどうぞご勝手に。
伊昔か(暇の日のかわりにしんにゅう)異を貴び、足跡殆ど遍ねからんとす、如今此の地に遊ぶ、佳妙信に宣べ難し。
伊昔はむかしです、かい遠くへだたりたるところと、地の果てまでですか、托鉢行脚して行く、ほとんど行かぬところなしというぐあいです、清の国へまで足を伸ばすはずだった、そうしてたった今ここにいる、いやもうそのすばらしいことは言葉もなくと。

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2009年12月 1日 (火)

良寛詩

涼秋八九月、爽気山川を磨す、宿霧陰えい(叡に土)に凝り、初日層らん(糸言糸に山)に登る。
風景のまさにこのようなありさまを如実にする、涼秋八九月です、爽気山川をみがく、霧は谷を埋めて、ようやく日が登るありさま、大法のありようとは違うではないか、悟った人には別様に見えるはずという、たしかにまったく別様です、雪舟の絵がこれをよく表しています、でも人の慣れ親しんだ言葉を用いてもなんら不都合はないんです、良寛の歌が法語と同じに見えるのは、別段特異事情によるものではないこと、よくよく参じ尽くしてこれをつぶさに見て下さい。
宝塔虚空に生じ、金閣樹しょう(木に少)に懸る、絶けん(山に献)飛流そそ(さんずいに麗)ぐ、積波通天に接す。
香聚閣というお寺だそうですこりゃもう立派な大伽藍ですか、それとも詩の抜群ですか、宝塔仏舎利を奉る五重塔ですか、金閣は仏殿法堂ですか、物の見事に大自然の中にある、飛流そそぐ、滝があったりするんですか、山並みを重ねて天に通ずと、詩作自在は必ず習い覚えたものに追加する、良寛の独創は凡庸の手段ではないです。

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