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2009年11月17日 (火)

良寛詩

大士此の世に方って、論を造って至微に帰す、唯道を以って任と為す、何れを是とし何れを非とせん。
大士というものが払底しちまったから、いくら良寛さんでも云うことなし、あっはっはまあそういうことだけれども人もとみな大士、大士でなければ命も命の喜びもないんです、ただもう生え抜きのそのまんま、仏これ仏教他にはなしです、論を造って至微に帰す、ノーベル賞でも貰いますか、一億総評論家と三十年前には云われて、今は観光観光閑古鳥ですか、せいぜいうまいものを食って云々、いずれを是となしいずれを非となす、なんせあほくさ。
仏法東に漸んで自り、白馬創めて基いを作す、吾師遠く来儀して、諸法頓に帰する有り。
白馬は白馬寺、中国最初の寺です、後漢明帝の代。吾師遠くより来儀してとは達磨さんのことです、ようやく頓に帰するあり、日本と同じです、百済から仏教伝来538嘘の始まりですか、ようやくにして道元禅師仏を伝える、頓知の法です、頓に無生を知る、百万だら仏教教義を並べ立てたとた、なんの仏にもならぬ、まずこれを知る、ことはじめです。

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