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2009年11月17日 (火)

良寛詩

諸人且らく喧ぐ勿く、我が唱導の詞を聴け、唱導自ずから始まり有り、請ふ霊山従り施かん。
喧騒そうじゃないこうだおれはというやつです、一般世の常平和と云えば戦争の、石を投げれば収拾のつかぬ波紋に干渉ですか、そいつをいったん止めて我が唱導を聴け、もう一つ石を投げるこっちゃないんです、唱導というひとりよがり手前勝手じゃないんです、独創や発明を超える、もとこのとおりにあるんです、霊山界上という、お釈迦さまの会下です、個々別々でありながら寸分も違わないんです、一器の水が一滴余さず一器にという名人芸まだるっこいこといらんのです、ねん花微笑して、我に正法眼蔵涅槃妙心の術あり、あげて迦葉に付嘱すと伝わる、そうして良寛に至る。
仏は是れ天中の天、誰れ人か敢へて是非せん、仏滅五百歳、人其の儀を二三にす。
もとまったく仏です、他にはないんです、これを受けるのにもとまったく受けるよりない、そこを間違うんです、だからおれはという、だからこうだだって云々、すでにして敗壊です、二束三文なんにもならずが却ってひけらかし、難しくなる、次第に偉くなる、一般庶民が拝聴して耳を傾けてやらねば存在できない、もうろくじじいの年を取るにしたがい介護が必要ですか、仏滅五百歳、人其の儀を二三とす、上座部に別け大衆部に別けする、十にわけ二十にわけする、なんの必要があって、学者食わんがための手段です、参禅をするももまずもってこれをかなぐり捨てる、ちらとも我利あっては涅槃は来ないんです、仏滅なんてありっこないです。ほうらこのとうりなーんにもなし。

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