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2009年11月18日 (水)

良寛詩

悠々幾多時ぞ、枳刺高堂に生じ、薫蘭草もう(くさかんむりに奔の下だけ)に萎む、陽春たれか復た唱へん。
永平六代にしてようやく衰微すと、枳殻からたちが法堂に生え、せっかく薫草も野草の中に萎む、どうもこれ仏教といういったんは滅びたんですか、形骸ばかりが残ってついに、陽春たれかまた唱えんと嘆かはしい次第になった、臨済宗でも盤桂禅師、至道無難正受老人と継いで跡がないです。明治に到って北野元峰禅師が開示される、飯田とう(木へんに党)陰老師が独力で只管打坐を復興する、そういうことはあったんですが、他まったくのでたらめです、すでに命脈尽きたんですか。
巴歌日に岐に盈つ、呼さ(口に差)余少子、此の時に遭遇す、大か(たれに夏)の将に崩倒せんや、一木の支ふる所に非ず、清夜寝ぬる能はず、反側して斯の詩を歌ふ。
巴歌は野卑なる歌、悟ったさん困ったさんの大勢ですか、印可底などいって仏教のぶの字もないんですか、紙ぺら一枚をもって証拠とする、あるいは坐禅も仏も歯牙にも掛けぬ右往左往の、食えなくなってようやく慌てるらごら坊主ですか。ああ我れ少子、この時に遭遇す、何をどうしようたって圧倒的に力不足です、大かは大家です、崩壊しようとするのに一木じゃ支えにならぬ、清夜寝ぬるあたわず、転々反側寝返りをうつんです。自分というものがまったく失せ切って、理論上は不落安穏がなかんずくそうはいかない、良寛一生不離叢林は、がきどもを先輩にする対大古法です、なんてえまあこんなめちゃくちゃな、すげーもんだってただもう舌を巻く。

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