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2009年7月 6日 (月)

無門関

禅宗無門関

仏語心を宗と為し、無門を法門と為す。既に是れ無門、且らく作麻生か透らん。あに道うことを見ずや、門より入る者は是れ家珍にあらず、縁に従って得る者は始終成壊すと。いんもの説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡を抉るに似たり。何ぞ況や言句に滞って解会を求むるをや。棒をふるって月を打ち、靴を隔てて痒を掻く、甚んの交渉か有らん。慧開じょう定戊子の夏、東嘉の龍翔に首衆たり。のっす(のうはころもへんに内)の請益に因んで、遂に古人の公案をもって門を敲く瓦子と作し、機に従って学者を引導す。竟爾として抄録するに、覚えず集を成す。初めより前後を以って序列せず、共に四十八則と成る。通じて無門関と日う。若し是れ箇の漢ならば、危亡を顧みず単刀直入せん。八臂の那だ(陀の口へん)他をさえぎれども住まらず。たとい西天の四七、東土の二三も、只だ風を望んで命を乞うことを得るのみ。設し或いは躊躇せば、也た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼をさっ得し来たらば、早くすでにさ(口に差)過せん。
じゅ(公に頁)に日く、
大道無門、千差路有り。
此の関を透過せば、乾坤に独歩せん。

人間が人間としてこうあるべきというにとどまらず、一箇一箇としてあるべきそれ自体です。もとこうあるそのまんまに帰り着くのに、能書き言い訳などいらんです、まっしんにあたるんですか、だからこうだおれはいいんだということ不要です、無門関とはこれ、ただじゃあただになれんのです、信仰や宗教や哲学や神や思想やの余語のことはいらんです。禅宗単純を示すんです、自分という観察関係の学問じゃないんです、無心です、心がないんです、ないものは金剛不壊です、門より入るものは家珍にあらずをほんとうに知って下さい、手続きはいらんです。なた三面六臂の阿修羅さんです。かくあれば大安心ですかあっはっは、乾坤に独歩して下さい。無門関もと門なし。

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