ふかんざぜんぎ
かつて観る超凡越聖、坐脱立忘も此の力に一任することを。
心理学やゆいしきあらやしきなどのこと、まったく及ばないんです、デビットという投擲の選手があった、あるとき投げ終わって始めて投げたということに気がつく、記憶がまったくないんです、そうしてハイスクールの州記録を作った。どういうことかと大学に入って後、図書館で調べてみると、東洋の禅だという、海を渡って日本へきた、あっちこっちろくでもなのにたぶらかされながら、老師のもとへ参じた、じきに得ることがあった。不思議な体験なんです、思議によらず、不思量底如何が思量せん、箇の無体験、無覚の覚とはまったく記憶にないんです、だったらどうするかという、もとに収まっているんです、忘我あり意識ありする、これをほんとうにわがものにする、手前味噌ではまず無理です。印下という仏ほとけに単伝するんです。いい加減な手前味噌ばっかりの世の中、なんせうんざりします。超凡越聖というただの人、比較を絶するんです、坐脱立亡と、坐って坐ってそりゃ坐り抜くより方法がないです。ふかんざぜんぎを手前味噌に読んだら、そりゃもう罰当たりのどうしようもないんですが、100人が100人あるいはその類です。まずもって一人じゃどうにもならんのが参禅です。単純を示すがてめえでてめえを見る二分裂になる。
| 固定リンク


コメント
毎日、食い入るようにサイトを拝見させて頂いております。
「本物の禅者」として、ある方が雪担老師を紹介されているのを知り、まず「仏とは何か」の本家サイトの内容に驚愕し、巡り巡ってこの老師がこのブログを書かれているのを知りました。
このような貴重なご法話を惜しげもなく、公開して頂き、老師、そしてスタッフの皆様に本当に感謝に耐えません。
生活している中で、どうしても色んな垢のようなものが心にたまっていくのですが、老師のお話を伺っていると、すーっと流れていくように感じます。
本当に苦しい時に、音声の提唱などを聞くと、暖かさの中に、不思議と涙がこみ上げてきて、つらいと思っていた事が、何でも無い事のように思えてきます。
その何とも言えないお話に、どれだけ救われたか分かりません。
毎日のように更新されて、大変な事もあるかと思いますが、本当に有難く、ただただ心からの感謝の意を述べたくて、コメントを書かせて頂きました。
現在、事情により、海外で生活しているため、すぐに参じる事は出来ませんが、日本に戻ったら、取りも直さず、是非老師の元に参じてみたいと考えております。
書き込み失礼しました。
これからも応援しております。
投稿: 平 | 2009年3月 1日 (日) 08時11分
是非せっしんにもお越し下さい。
投稿: ねお | 2009年3月28日 (土) 10時26分
はいどうぞよろしく、自分自身から脱する、解脱する方法です、なんでもありありめったらでいい、手つかずにただもう坐って下さい、ひまさえあれば坐る、好きになって坐る。ただこれです。自分に用なし、飢えた虎に身を投げ与える如くして下さい、無上楽の方法です。
投稿: 川上雪担 | 2009年3月28日 (土) 16時02分