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2007年12月28日 (金)

十牛の図

 頌

茫茫として撥草し去って追尋す。
水は闊く山遙かにして路更に深く、
力尽き神疲れて覓むるに処無し。
但だ聞く風樹晩れて蝉の吟ずるを。

撥草旋風という道を求めるんです、師を求め行脚するんですか、どこへ行ってもらしいことを云うような、云わぬような、せっかく正師に出会えば、半分方終わる、浜砂の一握にも及かぬという正師、でなけりゃ結局なんにもならんですか。でもまあようやくそれからです、どこを狙って鉄砲を打ちゃいいかわからん、狙う猟師これという、もと大海のまっただ中にあって、渇を求めるという、あっはっは更に掴み処なしですか、追尋しなけりゃ茫茫も洞然として、太虚の如く、山遙に水闊うして、自然に現成す。云えば云うほどにめったやたら、力尽き神疲れて、にっちもさっちも行かん、こういうことみな覚えがある、ないものを求める、疲れて立つ瀬もないです。ただ聞く風樹暮れて蝉の吟ずるを、まったくまあ耳鳴りの他聞こえなかったり、でもなんせやってみるんです、おのれのすべてを賭す、坐禅が坐禅になります、そのまんまそっくり飢えた虎に投げ与える、光前絶後の事、玉露空に浮く、食われちまったらなーんにもなくなって、ものみなある、そうですもとっからなんです

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コメント

いつも本物の言葉と思い読ませていただいています。
座禅おしていても食われるべき虎が現れません。虎はどこにいるのでしょうか?
わたくし49歳の男です。

投稿: まさお | 2010年12月 8日 (水) 21時31分

同い年のまさおさん。坐ってるうちに向こうからやってきますよ。探してるうちは来ない。坐りに坐ってなにしようがかにしようがとことん坐る。これ以外ないです。これが唯一のコツって言えばコツかなあ。

爺さまにまさおさんのこと伝えておくです。

投稿: 支店長 | 2010年12月15日 (水) 13時43分

まさおさん、じいさんココログうまくアクセスできないで伝言仰せつかったです。内容は

「ないものは現れない、目前そのものになることは見えない。」

というこってす、よろしく。

投稿: 支店長 | 2010年12月16日 (木) 07時08分

支店長様。              お答有り難うございます。       結局頭で理解して終わるかそのものそのものになりきる(捨てきる)覚悟ができるかどうかなのでしょうね。         ありがとうございました。       せったんさんの御長命を心よりお祈り申し上げます。

投稿: まさお | 2010年12月18日 (土) 23時11分

支店長様おひさしぶりです。
座禅をしたりそのことをかんがえたりして
この世界は自分の反応なのだと言うことが
わかりました。
でもそれだけなのです。自分をすてる事もできないしその方法も判りません。
支店長様はすてられたのでしょうか?
なにかこつみたいなものがあるのでしょうか?

投稿: まさお | 2011年2月 3日 (木) 23時41分

こつがあったらこつにしてやられるってか、こつのないのがこつってのか。自分捨てなきゃっていうのも自分なんです。だから捨てよう捨てようって無駄なことしない。即今即今、自分の思量分別抜きにこのまんまっきりになれりゃ、それが一番の近道なんです。

投稿: 支店長 | 2011年2月15日 (火) 13時19分

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