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2007年12月27日 (木)

十牛の図

第一 尋牛

從來不失、何用追尋。    
由背覺以成疎、在向塵而遂失。 
家山漸遠、岐路俄差。    
得失熾然、是非鋒起。    

 頌曰。
茫茫撥草去追尋。    
水闊山遙路更深。    
力盡神疲無處覓。    
但聞風樹晩蝉吟。

従来失はず、何の用あってか追尋す。
背覚に由るを以って疎と成る、塵に在向すれば遂に失う。
家山漸く遠し、岐路俄かに差たり、
得失熾然として、是非鋒起す。

もとより失わず、そりゃ始めっから失うものなんかないんです、それが淋しい、苦しいどうにかしようというんでしょう、大安心が欲しい、悟りたいと、神を仰ぎ、同じ羽根の鳥を願いする、ヒットラーになりたい、酒池肉林をですか、なぜです。とにかくこのまんまではいてもたってもいられないという、いえおれはこれでいい、飯食える、なみの暮らしでいいという、一朝事あればめちゃくちゃです、束の間の安穏は、脆くも崩れ去る、あっはっは、弱り目に祟り目の宗教ですか。
心というたった一つです、無心あとさきなし真正面に向くんでしょう、それがそうではない、心というなにかあるように思う、見る心と見られる心の分裂です、もうないはずのものを取り扱う、是非善悪、背覚という自縄自縛の縄ですか、心という架空映像の交通整理です、よくなった悪くなった、強くなった弱い心と一喜一憂です、自転車操業というより、ないはずのペダルを踏む、滑稽千万ですが、そりゃ疲れる。残像の逐一を塵と呼ぶ、すると塵だけがある、目に見えるものみな塵、見えっこないのに見えるものなーに、はい心ですっていう謎かけ。スフィンクスの謎ですか。真は失われ、仮の世として存在し、人は狂うか狂う予備軍で生きています。
どうかして元に帰りたいと思うんでしょう、いかにもいぶっせいです、すっきりしない、哲学だ思想だ、道徳宗教という、答えの出ない行き当りばったりを、強いて清々、殺し文句の一つや二つですか、家山ようやく遠し、だれかれまったく行き違うきりです、議論百発ヤフー掲示板みたいですかあっはっは、2チャンネルもだいぶ凄いよ、遊び心だってさ、人間というう無責任。岐道俄に差たり、つまらないんです。
得失是非の世界です、なんにも失わぬというのに、なんたること。

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