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2007年12月

2007年12月28日 (金)

十牛の図

 頌

茫茫として撥草し去って追尋す。
水は闊く山遙かにして路更に深く、
力尽き神疲れて覓むるに処無し。
但だ聞く風樹晩れて蝉の吟ずるを。

撥草旋風という道を求めるんです、師を求め行脚するんですか、どこへ行ってもらしいことを云うような、云わぬような、せっかく正師に出会えば、半分方終わる、浜砂の一握にも及かぬという正師、でなけりゃ結局なんにもならんですか。でもまあようやくそれからです、どこを狙って鉄砲を打ちゃいいかわからん、狙う猟師これという、もと大海のまっただ中にあって、渇を求めるという、あっはっは更に掴み処なしですか、追尋しなけりゃ茫茫も洞然として、太虚の如く、山遙に水闊うして、自然に現成す。云えば云うほどにめったやたら、力尽き神疲れて、にっちもさっちも行かん、こういうことみな覚えがある、ないものを求める、疲れて立つ瀬もないです。ただ聞く風樹暮れて蝉の吟ずるを、まったくまあ耳鳴りの他聞こえなかったり、でもなんせやってみるんです、おのれのすべてを賭す、坐禅が坐禅になります、そのまんまそっくり飢えた虎に投げ与える、光前絶後の事、玉露空に浮く、食われちまったらなーんにもなくなって、ものみなある、そうですもとっからなんです

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2007年12月27日 (木)

十牛の図

第一 尋牛

從來不失、何用追尋。    
由背覺以成疎、在向塵而遂失。 
家山漸遠、岐路俄差。    
得失熾然、是非鋒起。    

 頌曰。
茫茫撥草去追尋。    
水闊山遙路更深。    
力盡神疲無處覓。    
但聞風樹晩蝉吟。

従来失はず、何の用あってか追尋す。
背覚に由るを以って疎と成る、塵に在向すれば遂に失う。
家山漸く遠し、岐路俄かに差たり、
得失熾然として、是非鋒起す。

もとより失わず、そりゃ始めっから失うものなんかないんです、それが淋しい、苦しいどうにかしようというんでしょう、大安心が欲しい、悟りたいと、神を仰ぎ、同じ羽根の鳥を願いする、ヒットラーになりたい、酒池肉林をですか、なぜです。とにかくこのまんまではいてもたってもいられないという、いえおれはこれでいい、飯食える、なみの暮らしでいいという、一朝事あればめちゃくちゃです、束の間の安穏は、脆くも崩れ去る、あっはっは、弱り目に祟り目の宗教ですか。
心というたった一つです、無心あとさきなし真正面に向くんでしょう、それがそうではない、心というなにかあるように思う、見る心と見られる心の分裂です、もうないはずのものを取り扱う、是非善悪、背覚という自縄自縛の縄ですか、心という架空映像の交通整理です、よくなった悪くなった、強くなった弱い心と一喜一憂です、自転車操業というより、ないはずのペダルを踏む、滑稽千万ですが、そりゃ疲れる。残像の逐一を塵と呼ぶ、すると塵だけがある、目に見えるものみな塵、見えっこないのに見えるものなーに、はい心ですっていう謎かけ。スフィンクスの謎ですか。真は失われ、仮の世として存在し、人は狂うか狂う予備軍で生きています。
どうかして元に帰りたいと思うんでしょう、いかにもいぶっせいです、すっきりしない、哲学だ思想だ、道徳宗教という、答えの出ない行き当りばったりを、強いて清々、殺し文句の一つや二つですか、家山ようやく遠し、だれかれまったく行き違うきりです、議論百発ヤフー掲示板みたいですかあっはっは、2チャンネルもだいぶ凄いよ、遊び心だってさ、人間というう無責任。岐道俄に差たり、つまらないんです。
得失是非の世界です、なんにも失わぬというのに、なんたること。

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へきがんろく

頌・不平を平らげんことを要す。(細なることひー虫に比ーふー虫に孚ーの若し。大丈夫の漢須らく是れ恁麼なるべし。)大巧は拙の若し。(声色を動ぜず。身を蔵し影を露す。)或は指或は掌。(看よ。果然として這箇不是。)天に寄って雪を照す。(斬。覩著すれば即ち瞎す。)大治も兮磨ろうー龍の下に石ーし下ず。(更にかー假のにんべんでなく火ー練を用ひて什麼か作ん。干渉能く求ること莫し。)良工も兮払拭して未だ缺まず。(人能く行ずること莫し。直鐃干将出で来るとも也倒退三千。)別別。(咄。什麼の別処か有らん。讃嘆するに分有り。)珊瑚枝枝月をとう著す。(三更月落ちて影寒潭を照す。且らく道へ、什麼の処に向ってか去る。直に得たり天下太平なることを。酔後郎当として人を愁殺す。)

不平という、強の弱を凌ぐを見て、剣を飛ばして強の首を刎ねるの故事、平らかでないのを平らげる、不平不満わずかにあれば、拘泥して円かには行かぬ、たとい不平あり云いたいことありとも、円相、云いたいこと云い、怒りありとも、見るには見えず。ものみなおのれの腹の中ってこったですか、あっはっは。(ひふは大なる蟻ですってさ、大丈夫男一匹すべからく是れ恁麼。空じ切って身心脱落、でなきゃあただの不平不満。収まり切れないってことは、細には無間に入り、大には方処を絶す、おのれが本来を知らぬ。)大巧は拙のごとし。老子にあり、大道は屈の如く、大巧は拙の如く、大弁は訥の如しと、はーいまったくその通りです。(立て板に水しない、能弁は信用ならぬ、身を蔵し影をあらわすふう、てめえこうあるっていう、大切はこれ、どう喋ろうが、なんにも云わずがことは同じ。)或いは指し或いは掌する、(見よ、果然として這箇不是、さっぱりわからんとさ、あっはっは。)天によって雪を照らす。(莫耶の剣天にあって雪を照らすと、雪を見るに雪を知らず、月を仰ぐに月を見ず、もし吹毛の剣にあらざれば、鈍して貧す、生きたって生きた覚えもあらず、生まれ変わり死に変わりする、徒労の百生。)大治もまた磨ろうしえず。(大治の剣まろうせず。ないものは壊れず、傷つかず、無心これ。ただ如来のみあり、現ずれば衆生所遊楽、諸天撃天鼓、滅すれば、令其生渇仰、因其心恋慕。)良工も兮払拭してまたやまず、(どのような巧が作ったとて、切磋琢磨なんです、ついに未だ届かず、(人能く行ずるなし、修行とはただこれ、おのれのはかりごとを一切止めて、投げ与え捨て、不安ならそのどん底へ、得意ならぶち抜け。干将莫耶の剣の使い手ですか、使い手いらんのです。)別別。(ただこれ別々、賛嘆するに分あり、雪は雪月は月。)珊瑚枝枝月をとう著す。まずもってこれを得て下さい、坐る実感ですよ、実にこのようにある、無覚の覚、自閉症じゃ月も照らさないんです、了解。(月落ちて影寒潭を照す、そりゃまったくそうです、ただこうあるっきり、なにをどうせなけりゃならんてことないんです、しっかも日々新たにです、朝に坐し夕に坐す。天下太平っていう、まさに南閻浮地獄の如く、修羅の如く、しかも天下太平、酔っ払って管を巻くんですか、はいこれ説法。)
万こくー角に斗ー舟に盈てて手に任せて牽く。卻って一粒に因って甕蛇を呑む。百転の旧公案を拈提して、時の人の幾眼沙を撒卻す。

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へきがんろく

第一百則 巴陵吹毛の剣

本則・挙す、僧、巴陵に問ふ、如何なるか是れ吹毛の剣。(斬。嶮。)陵云く、珊瑚枝枝月をとうーてへんに党ー著す。(光万象を呑む。四海九州。)

巴陵は雲門の嗣。雲門大師、一句の中に於て、自然に三句を具す。函蓋乾坤の句、截断衆流の句、随波逐浪の句と、我は愛す韶陽新定の機、一生人の為に釘を抜き楔を抜くことをと。函蓋乾坤という、ぴったりですか、天地有情の中他なしです、まさにこれ。截断衆流は、世の中情識を断ずる、夢を覚ますんです、でなきゃ仏教は始まらんですか、すべての宗教は通ずるところ一なりなど云って、みんな仲良く世界平和の、まあさお布施稼ぎの夢を破る、現つを抜かすなってね。髄波逐浪は、そのいい加減でたらめに則って、どかんと落とす、自ずからに知る、急転直下そうかと思い当たる、あるいはあると思っていたのがない、はあっと我に返るんです、直指人身見性成仏。雲門下に三尊宿あり、吹毛の剣に答えて、ともに了と云う。巴陵のみ答えて、珊瑚枝枝月をとう著すと。吹毛の剣、ばくやの剣ともいう、毛を吹きつけると切れる、斬、嶮とさ。なにがどうったってもとまるっきり切れているのです。般若波羅蜜多という、彼岸に渡るという梵語パーラミーターをそのまんま漢字にしたんです、般若の知慧とは、彼岸に渡っていることこれなんです、了とはまさにこれ、俗流の知慧を働かせるなと、習い覚えのなにがしかではない。一を聞いて十を知るよりはもと始めからです、目から鼻へ抜けるよりは、目鼻なし。珊瑚枝枝月をとう著す。とうはひかえの意だそうです、まあとっつけるほどに、珊瑚に月ですかあって、異様な思いをするんですか、そうではない、坐ってみて下さい、なーんにもないそっくりものみなを、これがまるっきり無形容を、珊瑚の枝々に月をと云ったです、珊瑚まあ透明ですか、しゃしゃらくらくなんていう、清澄というだに汚れです、仏という実感です、無覚の覚です、千万異化身釈迦牟尼仏、千手観音のまた光万象を呑む、四海九州です、人というものの本来これ、わずかに現じて下さい、三千世界あるいは人生の意味他になし、人類の歴史はまったくにただこれ。一箇半箇これを知るによし。

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へきがんろく

頌・一国の師も亦強ひて名づく。(何ぞ必ずしも空花水月のみならん。風過ぎて樹頭揺く。)南陽独り許す嘉声を振ふことを。(過然として要津を坐断す。千箇万箇の中、一箇半箇を得難し。)大唐扶け得たり真の天子。(可憐生。接得して何の用を作すにか堪へん。瞎衲僧を接得して、什麼の事ゐか済さん。)曾て毘盧頂上を踏んで行かしむ。(一切の人、何ぞ恁麼にし去らざる。直に得たり天上天下。上座作麼生か踏まん。)鉄鎚撃砕す黄金の骨。(平生を暢快す。已に言前に在り。)天地の間更に何物ぞ。(茫茫たる四海知音少なり。全身担荷す。沙を撒し土を撒す。)三千刹海夜沈沈。(高く眼を著けよ。封彊を把定す。汝鬼窟裏に入り去らんことを待つ那。)知らず誰か蒼龍窟に入る。(三十棒一棒も也少くことを得じ。拈了也。還って会す麼。諸人の鼻孔雪竇に穿ち了らる。錯って自己清浄法身と認むこと莫れ。)

至人に名なしと、呼んで国師となすも、またこれ強いて名づく。(何ぞ必ずしも空花水月のみならん、名づけて空花水月、あるいは平らかにして急転直下、名づけるさへ知らずと、だが風過ぎてのち樹頭動く、世間噂によるんでしょう、だからどうだの世界。)南陽独り許す嘉声を振ふことを。嘉声善き名声、南陽は住所ですってさ、南陽の慧忠国師。(はたして要津を坐断す、ほんとうにこれを得ているんです、千人万人の中の、一人半分です。そこそこやっている、同じようなことを云う、しかも遠くて遠し、いえほんの一坐、卻って届かず。)大唐扶け得たり真の天子、国が理想に収まる時、タイでは国王が仏陀に会いに赴く八世紀ですか、日本では北条執権のころ、歴史というものを、まさに他にはなしと見る、わずかにがらくたを免れる一瞬です。記事なし。(可哀想なというんですか、接得して無駄っ骨、何の役にも立たん、そうなんです、卒業すりゃまさに糠に釘、ようやく一箇半箇。どめくら坊主を接得しても、はあて同じ糠に釘ですか。)曾て毘盧頂上を踏んで行かしむ。お釈迦さまを踏んで行け。(一切の人まさに他なく、仏教とはまさに他なく、直に得たり天上天下、おまえなんでそうならん。)鉄鎚撃砕す黄金の骨。清浄法身と願い省みる、くそっ骨を撃砕す。(平生をあまねく、ゆくりなくです、他にはないこと、あっはっはこれ仏教以前なんです。どうか早く得て下さい、もとっここれ。)天地の間更に何物ぞ。(物心ついてよりのお仕着せです、そいつ脱いで済々。茫茫たる四海です、まるっきり知音なし、全身もてこれ、担うて重たいんですか、あっはっは砂を撒き土を撒く。)三千刹海夜沈沈。(高く眼を著けよたって、眼なし耳なし、ただこうあって封彊、おれの領分だってさ云う甲斐もなし、仏教はこうだ、座禅問答公案なんてしないんです、問いあればあるとき答えあり、はあてな我が領土に限界なし、主なし。)知らず誰か蒼龍窟に入る。(しかも茫茫たるもなし、朝打三千暮打八百、日々新たにするなくって、なんの生活。拈了也、卻って会すや。諸人の鼻を明かす一般、歩歩清風起こる、おのれは知らず。)

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へきがんろく

第九十九則 肅宗十身調御

本則・挙す、肅宗帝、忠国師に問ふ、如何なるか是れ十身調御。(作家の君主大唐の天子。也合に恁麼なることを知るべし。頭上の捲輪冠、脚下の無憂履。)国師云く、檀越毘盧頂上を踏んで行け。(須弥那畔手を把って共に行く。猶ほ這箇の有る在り。)帝云く、寡人不会。(何ぞ領話せざる。可惜許。好採分布せず。帝ならば当時便ち喝せん。更に会することを用ひて什麼か作ん。)国師云く、自己清浄法身と認むること莫れ。(然も葛藤すと雖も卻って出身の処有り。酔後郎当として人を愁殺す。)

肅宗は唐七代、皇太子のころから忠国師に参ず、南陽の慧忠国師、六祖の嗣、如何なるか是れ十身調御。十身とは、一無著仏、二願仏、三業報仏、四住持仏、語涅般仏、六法界仏、七心仏、八三昧仏、九性仏、十如意仏。まあ適当に見て下さい、完全無欠を云うたですか、調御丈夫とは、如来十号の一。すべてが備わっている仏、そりゃどうのようなものかと問う。(天子としてなさにこれを問う、理想の人間像ですか、仏という完全無欠、頭上の冠、捲はいきおい大勇、天子の冠ですか、また憂いなき履き物、どうしたら立派な天子になれるか。)国師云く、檀越、大檀家ですか、天子を指す、毘盧頂上を越えて行け、なにかまあわんこたない、びるしゃな仏の頭上を越えて行けてなもんです、奈良の大仏のてっぺんを越えてと、あっはっはこりゃいいわ。(須弥那畔、須弥山とその周辺、おうよそ全世界です、共に手をとって行く、しかもこのような問答ありってわけです。)帝云く、寡人は天子自らを指す、不会、ようもわからんが。(なんでわからん、惜しむべし、好彩よきいろどりですか、虹のように輝くおもむき、もって帝ならばすなわち喝す、わからんとはなにごと。)国師云く、自己清浄法身と認むること莫れ。清浄法身、すばらしい清らかなと、自分を省みることをしない、そんな必要なし、でたらめありのまんまでいい、というよりも、なりふりかまわず、どんと行け、仏を越えて行くのにとやこう要らないんです、即成就仏身、省みるに自己なし、まったくに省みなければ仏、いいですかただこれを知る為の参禅修行、わかりますか、いえまったくわかる必要がないんです、ましてや帝王、あっはっはましてやぼんくら。たとい碧巌禄百則も形無し。(しかも葛藤すと雖も出身の処有り、はいこれ人間です、人間の如来は人間に同ぜるが如し、一生という酔っ払いですか、わっはっは殺し文句の一つや二つって、ふざけるなって云うの。)

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へきがんろく

頌・禅家流、(漆桶。一状に領過す。)軽薄を愛す。(也些子有り。仏を呵し祖を罵る麻の如く粟に似たり。)満肚参じ来って用ふることを著ず。(只宜しく用処有るべし。方木円孔に逗せず。闍黎他と同参。)悲しむに堪へたり笑ふに堪へたり天平老。(天下の衲僧跳不出。旁人の眉を攅むることを怕れず。也人の鈍悶することを得たり。)卻って謂ふ当初悔らくは行脚せしことを。(未だ行脚せざる已前に錯り了れり。草鞋を踏破して何の用を作すにか堪へん。一筆に勾下す。)錯錯。(是れ什麼ぞ。雪竇已に錯って名言を下し了れり。)西院の清風頓に銷鑠す。(西院什麼の処にか在る。何似生。道ふ莫れ西院と、三世の諸仏、天下の老和尚も、亦須らく倒退三千して始めて得べし。斯に於て会得せば、汝に許す天下に横行することを。)復云く、忽ち箇の衲僧あって出でて錯と云はん。(一状に領過す。猶ほ些子に較れり。)雪竇が錯は天平が錯に何以ぞ。(西院又出世。款に拠って案に結す。総に没交渉。且らく道へ、畢竟して如何。打って云く、錯。)

禅家流軽薄を愛す、満肚参じ来って用ふることを著ず。まあそういったわけです、禅をなし多少のことを会得して、これをもってひけらかす、軽薄を愛するわけです、どうしようもないのばっかり、たといお釈迦さまが出ても、ああでもないこうでもないとあげつらう、馬鹿に付ける薬なしですか。肚は腹です、たといはらばた曝け出して、是非善悪ひっくり返しての参禅も、なを自閉症、用いること与はず、よくよく反省して下さい、てめえに首突っ込んで歩く不格好です。(仏を呵し祖先を罵るもの、麻の如く粟に似る、わんさかわいわいいて、お淋しい限りですか。)悲しむに堪えたり笑うに堪えたり天平老。(天下の衲僧跳不出。手のつけようがないですか、眉を顰ても知らん顔、やいの云うては徒に他を苦しめる、鈍悶ねえよく云うぜ。あっはっは。)卻って云う、当初悔ゆらくは行脚せしことを。まあさ。(行脚する以前に錯。草鞋を踏み破って何かせん、向こう意気ばかりの世界ですか、それとも決め込み人形ですか、どっちみち余計こと、いえさ自分という架空、手をつけりゃ過ち、つけずんばなんにもならぬ。)錯錯。(これなんぞ、雪竇錯って名言を垂れる、あいよこんころもちいいやって、猫じゃあるまいし。)西院の清風頓に銷鑠。銷はとろかし、鑠は消す。錯とはまさにこれ。跡形もなく。(西院いずれの処にかある。すべからく倒退三千して得べし、どうだこうだと云う、必ず腰掛けるんです、坐るとはすなわち倒退三千、昨日は今日にあらず、まったく至らず。めちゃくちゃのだめとな。)忽ち出でて錯と云はん。(ちらっともさ。)雪竇が錯は天平が錯といずれぞ。(わっはっは、そいつはご苦労さん。決まり文句になっちゃった、一昨日おいで。咄。)

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へきがんろく

第九十八則 天平の両錯

本則・挙す、天平和尚行脚の時西院に参ず。常に云く、道ふこと莫れ仏法を会すと、箇の挙話の人を覓むるに也無しと。(漏逗少なからず。這の漢是んることは則ち是、争奈せん霊亀尾を曳くことを。)一日西院遙に見て召して云く、従いーさんずいにけものへんに奇ー。(鐃鈎塔索し了れり。)平頭を挙ぐ。(著。両頭の公案。)西院云く、錯。(也須らく是れかー瑕の王ではなく火ー過して始めて得るべし。劈腹刳心。三要印開して朱点窄し。未だ擬議を容れざるに主賓分る。)平行くこと三両歩。(已に是れ半前落後。這の漢泥裏に土塊を洗ふ。)西院又云く、錯。(劈腹刳心。人皆喚んで両重の公案と作す。殊に知らず水を入るるに似、金を金に博ふるが如きことを。)平近前す。(依前として落処を知らず。展転して模索不著。)西院云く、適来の這の両錯、是れ西院が錯か、是れ上座が錯か。(前箭は猶ほ軽く後箭は深し。)平云く、従いが錯。(錯って驢鞍橋を認めて、喚んで爺の下顎と作す。恁麼の衲僧に似ば、千箇万箇を打殺すとも、什麼の罪か有らん。)西院云く、錯。(雪上に霜を加ふ。)平休し去る。(錯って定盤星をも認む。果然として落処を知らず。軒に知んぬ汝が鼻孔別人の手裏に在ることを。)西院云く、且らく這裏に在って夏を過し、上座と共に這の両錯を商量せんことを待て。(西院尋常背梁硬きこと鉄に似たり、当時何ぞ追ひ将って出し去らざる。)平当時便ち行く。(也衲僧に似たり。似たることは則ち似たり。是なることは則ち未だ是ならず。)後に住院して衆に示に謂って云く、(貧児旧債を思ふ。也須らく是れ点過すべし。)我当初行脚の時、業風に吹かれて、思明長老の処に到る。両錯を連下せられ、更に我を留めて夏を過ごして、我と共に商量せんことを待たしむ、我恁麼の時錯と道はず、我が発足して南方に向って去りし時、早く知んぬ錯と道ひ了ることをと。(這の両錯を争奈何せん。千錯万錯。争奈せん没交渉。転た見る郎党として人を愁殺すことを。)

天平従い、清溪進の嗣、雪峰下五世。西院思明、実濤の嗣、臨済下三世。天平行脚して西院に参ず、うるさいわい、なんかもう悟ったというんでしょう、箇の挙話の人、ほんとうの人を求めるに、だあれもいないと云った風です。(いやはやたいへんなもんです、いいことはいいんですか、だが霊亀尾を引く、大法を得たというんでしょう、悟り終わって悟りなしを知らぬ、未だ落処を知らず、法臭粉粉ですかあっはっは。)一日西院はるかに見て召して、云く、従い。名を呼んだんです。(鐃鈎塔索し了る、鎖鎌でがんじがらめにする。そっぽ向けない。)平頭を挙ぐ。(向かうか、逃げるか、どうするかって両重の公案ですか、はあてね。)西院云く、錯。錯って間違いですよ。錯(あやま)ってと読む、特別の意味ないです。(炉をくぐって始めて得べし、聞いたふうな「はいよ。」じゃなんにもならん、でもって炉失せた時如何、腹かっ裂いて心をえぐり出す、はいご苦労さん。三要うっふっふ貪嗔痴でいいですよ、印開して朱点すぼし、開くんです、自閉症を抜け出ること、はーい人みな自閉症です、あれだめこれいかんの徒。開き終わってはあてどうなったか、ついに覚えず。)平行くこと三歩。(已にこれ半前落後、覚束ないんですよ、おのれを顧みるんげすか、泥裏に土塊を洗う、そうですよあなたいつもこれです。)西印云く、錯。(はらわた曝け出すんですか、人喚んで両重の公案となす、錯をもって錯につく、方便力の故にですか、仏の正解という、胡来れば胡現じというやつ、さあどうです、両頭の答え如何、水を水に入れるに似、金を金にかえる如き、どうですかこれ、他になんの手段もないことを学んで下さい、魚行いて魚に似たり、水自ずから澄む。真理にある人真理を知らずってえ蛇足をさ。)平近前す。(いぜんとして落処を知らず。展転して模索不著、めまぐるしくやるんです、ふわーってなんにもわからなくなれば、もとこれ。自分という錯がそっくり失せる。)適来の錯、西院の錯か、汝が錯か。(今度のほうがぐさっと来た、まちっとは効け。)平云く、従いが錯。(こりゃだめだ、驢鞍橋というのは、足んないせがれが、戦死した父の骨を収めに行って、鞍の一部を間違えて持ち帰ったという故事。まったくの情解なんです、おれのほうが過ったと、そんなんじゃ千人万人ぶっ殺したってもさ、なんの罪にもならん、うるさったいだけ。)西院云く、錯。(蛇足ですか。)平休し去る。(こうあるべきだ、だのにとやる、たいていこれです、こうあるべきだが失せれば、もとこれ。落ち着くものなし、人に鼻つらとって、引き回されている。)西院云く、しばらくここで夏、四月から七月半までの修行期間です、を過ごして、おまえとわしでもってこの両錯をよくよく見ようと云う、喝してぶったたくのと違うんですか。(背骨が鉄のように硬い人、なんでまた追い出さなかった、思明、宝濤に問ふ、化城を踏破し来る時如何。濤云く、利剣死漢を斬らず。明云く、斬。濤便ち打つ。思明十囘斬と道ふ。濤十囘打って云く、這の漢、甚の死急を著てか、箇の死屍をもって、他の痛棒に抵すると、遂に喝出す。あっはっはなにしろ臨澄下の御尊宿。)平すなはち行く。(也衲僧に似たり、れっきとした坊主のようだってんですか、なぜに。)後に住院して、衆に謂うて云く、(貧乏人がむかしの借金を思う、いやまあごもっとも。)我そのかみ行脚の時、業風に吹かれて、思明長老の処に到る云々、発足して南方に向かい去るとき、早く知んぬ錯と道ひ了ることを。(這の両錯をいかんせん、どう扱ったらいいんだ、千錯万錯没交渉。そうさ、浪花節じゃないんだぜってな、早く知るこれ両錯。)

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へきがんろく

頌・明珠掌に在り、(上霄漢に通り、下黄泉に徹す。什麼と道ふぞ。四辺ごうー言に肴ー訛八面玲瓏。)功ある者は賞す。(多少か分明なる。他に随ひ去る。忽ちに若し功無き時作麼生か賞せん。)胡漢来らず。(内外消息を絶す。猶ほ些子に較れり。)全く伎倆無し。展転して没交渉。什麼の処に向ってか模索せん。漆桶を打破し来れ相見せん。)伎倆既に無し。(休し去り歇し去る。阿誰か恁麼に道ふ。)波旬途を失す。(勘破了也。這の外道魔王、蹤跡を尋ぬるに見えず。)瞿曇瞿曇。(仏眼も覩れども見えず。咄。)我を識るや也無や。(咄。勘破了也。)復云く、勘破了也。(一棒一条の痕。已に言前に在り。)

一果明珠、摩尼宝珠、あっはっは玉なんかどこにもないってばさ、ぼやーっとして曖昧模糊ですか、人という支離滅裂、囚われて何仕出かすか分からない、剣呑剣呑、わずかに仏一人仏を掌す、これ摩尼宝珠、如来蔵裏親しく収覧す。(上霄漢、銀河ですか、下黄泉、十万億土ですか、つうり地球とか宇宙といった限界がないんです、わずかに坐るこれ実感です、常住坐臥この中に在り、なんと道ふぞ、四辺ごう訛八面玲瓏、以方便力をもっての故に、これ一果明珠。)功ある者は賞す。はーい然様ですか、そりゃご苦労さん。(多少か分明なる、ちったあ分別する処あるんです、だれか物云うことあれば、直下にする。他にしたがい去る他にないんです、自分をなにものかに見做すことなく、これ仏教の基本です、ないものはないんです、そやつがまあじきにあっちゃって踏ん反り返る、まったくに不可。忽ちに若し功無きとき作麼生か賞せん、はいこのように坐って下さい、雪を担うて井に埋む。ようやくにこれ応無所住而生其心。)胡漢来らず、胡来たれば胡現じ、漢来れば漢現じ、胡という蛮人塞外ですか、漢という君子宜しきですか、坐って下さい、真を求めず妄を除かず、念起念滅のまんまにする、これができたら、自分失せるんです、脱落身心底は、胡来れば胡現じ、漢来れば漢現ずんです、はあて胡漢来らずとさ、さあどうします、初心初めて接する底。(内外消息を断つ、どこにもいないんですよ、わかりますか、驚天動地あり、没交渉あり。)全く伎倆無し、慧能もと伎倆無し、これを確かめたとて卻って役立たず、更に二、三十年。(展転して没交渉、いずれの処に向ってか模索せん、朝打三千暮打八百、見て上げますよ、持って来て下さい。)技倆既に無し。(休し去り歇し去るこれ、聖胎長養などいう聞いたふうなことないんです、阿誰かいんもに道う、取り付く島の更になく。)波旬道を失す。はい取り付く島なし。(勘破了也。どうだいっていうんです、わかるか。あとを見えず、這の外道魔王、あなたのうちにあったと思える波旬です、もとまるっきりなしですよ。)瞿曇はお釈迦さんです。(仏眼も覩れども見えず、咄。)我を識るや也無や。(せっかくまあそんなとこか、こやつ。)復云く、勘破了也。(あっはっは苦労したってかい、どあほ。)いいえさ、お釈迦さんになって下さい、それだけ。

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へきがんろく

第九十七則 金剛経罪業消滅

本則・挙す、金剛経に云く、若し人の為に軽賎せられんに、(一線道を放つ。また且つ何ぞ妨げん。)是の人先世の罪業あって、(驢駝馬載。)応に悪道に堕すべきに、(陥堕し了れり。)今世の人に軽賎せらるるを以ての故に、(本を酬いて末に及ぼす。只忍受することを得たり。)先世の罪業、(什麼の処に向ってか模索せん。穀を種えて豆苗を生ぜず。)則ち為に消滅すと。(雪上に霜を加ふ又一重。湯の氷を消すが如し。)

どうですかこれ、前生に罪業あって、地獄へ落ちるべき処を、善力強きが為に落ちず、今の世に人に軽んじ賎しめられる、それをもって罪業消滅と云う。むべなるかなですか。痛切にこれを思うでか、あるいは人に軽賎せられて、忍受すべき料ですか、恨みつらみ云わない為のなにほどかですか。真をなのに、軽蔑されないがしろにされる、必死の忠義がかえって宮刑なと、あるいは世の中は、逆らわず棹さして生き延びる手段、あっはっはするとまあ面白くないってこと。だれも彼も不満、不平たらたらだったら、でもって糞詰まり。金剛経はおく、応無処住而生其心と、身心脱落底を知る、則ち人の軽んずる、貶めるとやこう云う、命に別状なければ、はいよそうですかでたいてい終わる。つまりは本来のありように背く、よこしまな生活の酬いを払わされる、まあそういったわけですか。人の為にしおうとする、罪業消滅は、自分を顧みない故にまさに消滅、たとい軽賎も雲散霧消。(一線道を放つ、又何ぞ妨げん。生まれ変わり死に変わりして、仏を求める、人これ以外にはなしと知る、はーいまったくそのほかのことはないんです。)是の人先世の罪業あって、(驢馬に積むほど重いやつをさ。)まさに悪道に堕すべきに、地獄の責めを受けるべきだったのに、(そう思うだに地獄ですか、身心に科あるを地獄と云う、身心に科なきを極楽という、身心なきを仏という、棺桶に入ると同じ、しかりこれ我が宗旨なり。)今世の人に軽賎せられるを以ての故に、(本を用いて末に及ぼす、自業自得だれに恨みもないよ、ただ忍受すべきですか、人無きにし去れ。)先世の罪業、(模索不著ですがねってさ、米蒔いて豆の畑を作る、うっふ。)則ち為に消滅すと。(なんでさあ、雪上に霜を加えるまた一重、よかったねえって云われて、湯をぶうっかけて氷を溶かす。おめでたい話。)お経に霊験ありっていう人、今の世も同じですか、ただそっぽを向いているだけ、坊主の不甲斐なさ、かえって世のため人のためですか、わっはっは。

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2007年12月15日 (土)

へきがんろく

頌・木仏火を渡らず。(焼却し了れり。唯我能く知る。)常に思ふ破竈堕。(東行西行何の不可か有らん。癩児伴を牽く。)杖子忽ちに撃著す。(山僧が手裏に在り。山僧人を用ひず。阿誰が手裏に無き。)方に知んぬ我に辜負することを。(汝に似て相似たり。模索不著ならば什麼の用処か有らん。蒼天蒼天。三十年後始めて得ん。寧ろ永劫に沈淪す可くとも、諸聖の解脱を求めじ。若し箇裏に向かって薦得するも、未だ辜負することを免れず。作麼生か辜負せざることを得去らん。柱杖子未だ免れず別人の手裏に在ことを。)

木仏火を渡らず、おのれ形あるを破壊せずんば、なんとしてか得すと、これ参禅の根本です、ある人梵鐘の鳴るを聞いて、身心失い去る、ようやくに立って行って師家に挙す、師家魂消て、大見性だ大見性だという、これをもって兄弟子に問うと、あなたはそういうことを云っているから駄目なんですよと、どうですかこれ。兄弟子雪溪老漢、焼却し終われり、ただ能く我知ると、いったい箇の何をか知る。破竈堕は五祖弘忍の嗣安国の弟子、嵩山の破竈堕和尚と、姓字を称せず。一日徒を領して山間に入る、廟ありはなはだ霊たり。中に竈一個あり、遠近祭祀して止まず、物命を烹殺すること多し。師廟中に入り、柱杖をもって竈を叩くこと三下して云く、汝もとせんー土に専ー土合成す、霊何れよりか来り、聖何より起こって、恁麼に物命を烹殺すと云って、又撃つこと三下。竈乃ち自ら傾破堕落す。須臾にして一人の青衣峨冠なる有って、忽念として師の前に立って礼拝して云く、我は乃ち竈神なり、久しく業報を受く。今日師の無生の法を説くことを蒙って、已に此の処を脱して、生じて天中に在り、特に来って謝を致す。師日く、汝が本有の性なり、吾が強いて言ふに非ず。神再び拝して没す。侍者日く、それがし等、久しく和尚に参すれども、未だ指示を蒙らず、竈神何の徑旨を得てか、便ち天に生ず。師日く、我只伊に向って道ふ、汝本せん土合成す、霊何れよりか来り、聖何れより起こると。侍僧倶に対無し。師云く、会す麼。僧云く、不会。師云く、礼拝著せよ。僧礼拝す。師云く、破也破也、堕也堕也と。侍者忽然として大悟す。後に僧有り、安国師に挙す、師嘆じて云く、此の子物我一如なることを会し尽くすと。竈神此を悟ることは則ち故に是。其の僧乃ち五蘊の成身、亦破也堕也と云えば、二人倶に開悟す。且らく四大五蘊と、せん瓦泥土と、是れ同じか別か。雪竇、常に思う破竈堕。(東行西行何の不可有らん、あっちへ行こうがこっちへ行こうが同じ、どやつもなんとかしてくれってふうのさ。)杖子忽ちに撃著す。(頓に無生を知る、まさにこれ破家散宅。この手にある杖、人を用いず、だれかれではない、撃著木端微塵です。なにさてめえと思い込む皮一枚。)方に知んぬ我に辜負することを。(てめえというんでしょう、すでに負け、師、お釈迦さまと仰ぐ、重たいんですか、罪を背負ったまんまですか。汝に似て相似たり、心を求めるに心無し、自分という模索不著です、なんの用処かあらん。蒼天蒼天、悲しいかな、三十年後にはじめて得ん。あっはっははーいまったくにさ、寧ろ永劫に沈淪す可くとも、諸聖の解脱を求めじ。はい両方とも消えてなくなるんです。でもさたといこれを得るとも、辜負するものあり、たいていまあそういうこったです、日々まったく新たにですよ、柱杖子未だ免れず別人の手裏に在ることを、朝打三千暮打八百、さてもたんびに解脱するですか。)

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2007年12月13日 (木)

へきがんろく

頌・泥仏水を渡らず。(鼻孔を浸燗す。風無きに浪を起こす。)神光天地を照らす。(他の什麼の事にか干らん。兎を見て鷹を放つ。)雪に立つて如し未だ休せずんば、(一人虚を伝ふれば万人実と伝ふ。錯を将って錯に就く。阿誰か曾て汝を見来る。)何人か雕偽せざらん。(寺に入って額を看る。二六時中走上走下す是れ什麼ぞ。闍黎便ち是。)

泥仏水を渡らず、さあどういうことか、鼻孔を浸燗す、どうにもこうにもです、まったくどうにもならん、手つかずを一歩進めて下さい、さても泥仏水を渡る時如何。神光慧可大師、雪中に立って達磨大師に、腕を切って差し出す。他のなんの事にか干からん、兎を見て鷹を放つ、聖書を引いて三百代言の世の中に、たった一つこれをのみ、神光以て示す、奇跡とはまさに他なく。泥仏水を渡らず、雪に立って未だ休せずんば、心を求むるに不可得と、我れ汝を安心せしむと、一人虚を伝えれば、万人実と伝ふ、あると云うから、あるあると思って来た、なんにもなかったという、心無きを以て無心、来たる如くをもって如来。過ちをもって過ちにつく、方便といい救いと云う、未だ曾てお釈迦さまを見たものなし、よくよく見よ、何人か雕偽せざらん。雕は彫に同じ、模倣し似せるんです、錯をもって錯に就く、さあできますか、ちらともあればそれに拠る。人を金縛りですよ。寺に入って額を見る、こうあらねばならぬと云っては、二六時中走りまわる、これなんぞ、はあてそのものずばり、よしよしってね、直きに休むんですか。

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2007年12月12日 (水)

へきがんろく

第九十六則 趙州の三転語

本則・挙す、趙州、衆に示す三転語。(什麼と道ふぞ、三段同じからず。)

趙州此の三転語を示し了って、末後に卻って云く、真仏屋裏に坐すと。這の一句はなはだ郎当、だらしがないってさ、漏らしっぱなし。三転語、人を転ずる語、転倒妄想を転ず、主客を転ずる、妄想に軒を貸して、母屋である心を奪われる、一転語という、三転というからには、三段同じからず。金仏炉を度らず、木仏火をわたらず、泥仏水をわたらず、真仏内裏に坐す。というのだそうです。金仏炉中にあれば溶けちまう、木仏火を渡れば燃えちまう、泥仏は水中に失せる、さあどうです、こんなものではどうもならんですか、溶け去り燃え去って、始めて仏ですか、真仏屋裏に在りと、公案を透過たとい百問も、跡を残せば木仏金仏、わずかに自知する、これ何仏。妄想の渦中にあって、泥が泥を洗って有耶無耶ですか、真仏屋裏にありという、あっはっはそんじゃ物の役に立たんです。這の公案取りつく島もなし、そんなん知らんと云えば、あるいは些かの分あり、什麼と道ふぞ、倒退三千。うっふっふ先ず金仏、ついで木仏、しまい泥仏、さあどうですっていう公案は如何が、うは三十棒。

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へきがんろく

頌・頭たり兮第一第二。(我が王庫の中に是の如き事無し。古今の榜様。邪に随ひ悪を逐うて什麼か作ん。)臥龍止水を鑑みず。(同道方に知る。)無処には月有って波澄み。(四海孤舟独り自ら行く。徒に卜度するに労す。什麼の椀をか討ねん。)有処には風無きに浪起る。(人を嚇殺す。還って寒毛卓立することを覚ゆる麼。打って云く、来也。)稜禅客稜禅客。(勾賊破家。閙市裏に出頭すること莫れ。失銭遭罪。)三月禹門点額に遭ふ。(己を退けて人に譲る、万が中一りも無し。只気を飲み声を呑むことを得たり。)

頭たり第一第二という、どうもわしの辞書にもそんなんないです、第一という、まずもってこれを得るんですか、見性という、おのれがおのれになった夢、天下取った、ユーレイカというんですか、たしかに妄想転倒いっぺんに去る、これ第一ならば、第二はこれを去る、悟り終わって悟りなし。身心脱落来、脱落身心底。色即是空、空即是色ですか。はーい、こんなもん頭にひっかぶっていたら、いぶっせいでかなわんです、(我が王庫の中に是の如き事なし。榜は弓だめ、あるいは木ふだ、第一第二とぶら下げて古今これが標準にする、邪にしたがうて悪を逐うが如く。)臥龍止水を鑑みず、妄想なあなあの世界に、龍が臥す、まあさそんなわけはない、(長慶保福臥龍臥龍を知る。)無処には月有って波澄み、龍無きところには月有って波澄み、風しずかに波おだやかなり。龍有る処には風なきに浪を起こすと、情解をぶち破る、世の中にそんな人万に一もいないんです、隠れ棲むよりなく、聾人いかでか聞くことを得ん、波もたがる。(四海孤舟独り行く、どうしようもこうしようもないですか、卜度して鑑みて、なんのお椀をかたずねん、いたらなことはせんのです、わしは弟子は取らぬといって、それっきりの人もいます。)有処には風無きに波を起こす、喫茶去ですか。(人を嚇殺す、やるからには不退転、手も足も出ないんです、寒毛卓立もかえって糠に釘、あーあ退屈いらんことをやったってね、打って云く、さあ来い、相手になってやろうず。)稜禅客は長慶の名は慧稜。(賊にひっかっかて家破れ、どかんとられちまった、恨みつらみ云えば、失銭遭罪、銭をうしなった罪で投獄。)三月禹門点額に遇ふ。登竜門です、通過できなかった者は額にばってん。長慶是れ龍門を透る底の龍なりとも、卻って保福に一点せらると、(己れを退けて人に譲る、万が一にもなし、いえさ、ただ気を飲み声を呑むことをえたりとさ。)

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へきがんろく

第九十五則 長慶二種の語

本則・挙す、長慶有る時云く、寧ろ阿羅漢に三毒ありと説くも、(焦穀芽を生ぜず。)如来に二種の語ありと説かじ。(已に是れ釈迦老子を謗じ了れり。)如来に語なしとは道はず、(猶ほ自ら蹣骭。早く是れ七穿八穴。)只是れ二種の語なし。(周由者也。什麼の第三第四とか説かん。)保福云く、作麼生か是れ如来の語。(好一拶。什麼と道ふぞ。)慶云く、聾人争か聞くことを得ん。(空に望んで啓告す。七花八裂。)保福云く、情に知んぬ汝が第二頭に向かって道ふことを。(争か明眼の人を瞞じ得ん。鼻孔を裂転すること、何ぞ止第二頭のみならん。)慶云く、作麼生か是れ如来の語。(錯。卻って些子に較れり。)保福云く、喫茶去。(領。復云く、還って会す麼。蹉過了也。)

長慶保福、雪峰の会下にあって、常に互いに相挙覚商量す。阿羅漢に三毒有りと説くも、如来に二種の語ありと説かじ。羅漢果を得る、初関ですか、能く九九八十一の煩悩を断ずと、諸漏すでに尽き、梵行すでに立つと、修菩薩行の始まりです、羅漢さんになって始めて仏の修行です、それまではただの妄想です。でも未だ貪嗔癡の三毒を断じえずと。どうですかこれ、気がついたという、見性した悟ったという、わずかに自分に立ち返ったという自覚、人によってはまさに天下取ったというほどに、ではこれを忘れるんです、うたた悟ればうたた捨てよ、そうですよ、ようやく仏教なんです、おれはこうなっただからというんでは、まったくの不自由、動きが取れんです、たとい碧巌録百則、まさにこれ羅漢、阿羅漢の不自由を除く、妄想さんなんか相手にしていないんです、捨てても捨ててもなんですよ。(焦げた穀からは芽が生じない、あっはっは肝に銘じて下さい、禅宗だ無門関やってないんです、銘ずる肝のあるうちは、遠くて遠いんですか。)如来に二種の語ありと説かじ、わかりますか、如来世尊自分というよこしまがまったくないんです、すると坐が成就します、そうですよ、お釈迦さんが坐っているんです、語あれば常にたったの一種。方便まさに他の為にす。諦観法王法、法王法如是、わが釈迦牟尼仏の声と姿と、まったくこれ他を絶するんです、生死を免れてとも云わず、我という形骸を脱して未来永劫です、もとこれ。(已に釈迦老子を謗じ了れり、はいまったくその通り、たとい何を云うともです。)如来に語なしとは道はず、(なを自らまんかん、これ字違う、まんは大いな、かんは干に頁で、これも大いなる顔、ごたいそうなことを云って、云うはじから分裂ってわけ。)只是れ二種の語なし。(周由者也、だろうからと類推するんじゃ、お話にならんです、第三も第四も、いつだってただこれ。)保福云く、作麼生か是れ如来の語。(なんと云うぞ、如来は如来の語を説かず。)慶云く、聾人いかでか聞くことを得ん、(空に望んで啓告す、じゃあ百歩遅いんです、つんぼもおしも全体これ、かえって健上者が知らず。七花八裂して卻ってあとかたもなく。)まことに知る、汝が第二頭に向かって道ふことを、隔靴掻痒だって云うんです。(明眼の人を瞞じえず、反対に鼻を明かす、第二頭に落ちる、如来二種なしをさ。)慶云く、作麼生か是れ如来の語。(錯。かえって些子に較れり、如来という張り子の虎ですか、笑っちまうぜ。)保福云く、喫茶去。(うっふう肩すかし、おもしろうもなんともないよ。まったく。)

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2007年12月 9日 (日)

へきがんろく

頌・全象全牛えいー翳の羽の代わりに目ー殊ならず。(半辺瞎漢。半開半合。扶籬模壁して什麼か作ん。一刀両断。)従来作者共に名模す。(西天の四七、唐土の二三。天下の老和尚麻の如く粟に似たり。猶ほ自ら少くること在り。)如今黄頭老を見んと要すや。(咄。這の老胡。瞎漢汝が脚跟下に在り。)刹刹塵塵半途に在り。(脚跟下蹉過了也。更に山僧をして什麼をか説かしめん。驢年にも還た曾て夢にも見ん麼。)

えいは目のかすみ、目の疾病なりと、衆盲象を模って各々異端を説く、これ今もむかしも同じ、仏教とは無縁の曹洞宗門も、座禅見性の臨済宗も、どっちかと云えば似たり寄ったりです、どうしようもないのは学者の月影を追う、その上に現代病ですか、心という無責任2チャンネル、なんとももう云い様にないです。なにさそうやっている皮一枚剥ぎゃ、急転直下。那箇か是れ汝が仏性と指出する。はたまた語底是か黙底是か、是れ不語不黙底是なること莫しや。はたまた総に是か、総に不是か。汝若し語底是と認めば、盲人の象尾を模著するが如し。若し黙底是と認めば、盲人の象耳を模著するが如し。若し不語不黙底是と認めば、盲人の象鼻を模著するが如し。若し物物都て是と道はば、盲人の象の四足を模著すが如し。若し総に不是と道はば、本象を抛って空見に落在す。まあさ思想観念をもってする、かくの如し。ただ至り得て帰る、人人自覚する他なし、無自覚の覚。さもなくば未だかつて牛も象も見ず、いたずらに喧噪。(半辺瞎漢、半開半合、そんなふうでいていかにも悟った、だからとやる、なぜか、てめえあるにより、てめえ失い去れば、よこしまなし。一刀両断ばくやの剣、ただこうあるっきりなんです。)従来作者共に名模す。そりゃまあそういったわけです、いえさ大いにやって下さい。(仏祖天下の老和尚てんでんばらばら、なを自ら欠ける処ありって、はーいなかなか。)如今黄頭老を見んと要すや。黄頭は仏陀を指す。(咄。たとい仏陀を指せば胡、辺境に押しやっちゃうんですよ、どあほうが、おまえの脚跟下にあり。)刹刹塵塵半途に在り。ことを尽くす未だ至らず、あっはっは理論物理学みたい、不毛を見るまでやっとれとさ、(どっか間違っているんです、どこかなって足下です、自然数を用いて何かせん、自然数を用いる人、無理無体ってさ。更に山僧をして什麼をか説かしめん。ろば年にも知らず、猫年より利きますか。)

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へきがんろく

第九十四則 楞厳不見の時

本則・挙す、楞厳経に云く、吾が不見の時、何ぞ吾が不見の処を見ざる。(好箇の消息。見ることを用ひて什麼か作ん。釈迦老子漏逗少なからず。)若し不見を見ば、自然に彼の不見の相に非ず。(咄。甚の閑工夫か有らん。山僧をして両頭三面と作り去らしむ可らず。)若し吾が不見の地を見ずんば、(什麼の処に向かってか去る。鉄楔を釘つに相似たり。咄。)自然に物に非ず。(牛頭を按じて草を喫せしむ。更に什麼の口頭の声色をか説かん。)云何ぞ汝に非ざらん。(汝と説き我と説く総に没交渉。打って云く、還って釈迦老子を見る麼。争奈せん古人肯て承当せざることを。打って云く、脚跟下自家に看取せよ。還って会す麼。)

楞厳経に云く、吾が不見の時、何ぞ吾が不見の処を見ざる。若し不見を見ば、自然に彼の不見の相に非ず。若し吾が不見の地を見ずんば、自然に物に非ず。云何ぞ汝に非ざらんと。これの前に、若し見是れ物ならば、則ち汝も亦吾が見を見る可し。若し同じく見る者を、名づけて吾を見ると為さば、吾が不見の時、何ぞ吾が不見の処を見ざる。というんです。これほんとうに見る、実際を知るんです、すれば自然にかくの如し、若し見ず、知らざればあっはっは、頭狂うです。物を見る、認知以前に見て下さい、見るものと見られるものの不可分ですか、実際とはこれ、強いて云えば物が物なんですか、かえって吾をもってす、不思議というそれ以前です。(好箇の消息、見ないという、まさにこれ実体なんです、見を持つという、吾を知り、比較検討する、有心です、だからと云い故にと云う、ピックアップなんですよ、見ることを用いて何かせん、あっはっは必ず間違うんです、お釈迦さんもはあてな、うるさったいことをってね。)若し不見を見ば、そりゃ見るんですよ、無印象ですか、自然に彼の不見に非ず、だから世間一般の不見、見てないじゃないんです。(こらさ、ややこしいことを云うなってんです、自然じねんにただこうあるんです、両頭三面してとやこう説得は、うるさったいばかりです。)若し吾が不見の地を見ずんば、そうですでもってやっぱり見ないんです、葛藤また日々是好日。坐るっきりですよ。(鉄のくさびを釘打つに、ただこれ糠に釘。去来かくの如し。)自然に物に非ず。(物という物みな声色のらち外にあるんです、だれが所有する、物が吾を所有する、物が物を所有する、いえさ幽霊でありながら、なんという巨大、だめだこりゃわしの言葉役立たず。地獄のお使いに草を食わせる、うっふっふ。)云何ぞ汝に非ざらん。(汝と説き吾と説く総に没交渉。そうなんですよ、しかも吾と云い、汝と云う、かえって釈迦牟尼仏を見るや、坐るっきりです、お釈迦さんが現前しています、仏足石を踏む、実感ありと云えばあり、知ると云えば知れり。打って云く、脚跟下自家に看取せよ。かえって会すや。)

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へきがんろく

頌・前箭は猶ほ軽く後箭は深し。(百発百中。什麼の処に向かってか廻避せん。)誰か云ふ黄葉是れ黄金と。(且らく啼を止むることを作す。小児を瞞じ得るとも也用処無し。)曹溪の波浪如し相似たらば、(泥団を弄する漢什麼の限りか有らん。様に依って猫児を描く。一路を放行す。)限り無き平人も陸沈せられん。(活底の人に偶著す。天下の衲僧を帯累して模索不著ならしむ。闍黎を帯累して出頭することを得ず。)

前箭は大光舞を作す、後箭はまた云く、這の野狐精と。舞をなすのがぐさっと刺さるんですか、取り付く島もない、ぶん投げられるほどにさ。この野狐精と、こりゃぐさっと刺さるですか、一昨日おいでと云うがほどにさ。(百発百中、たといなに云おうと同じです、ただのジョークだろうが、なにがなんだろうがこれ、仏教らしいことを云うから仏教じゃない、若しこれができんようなら未だしです、二、三十年坐断してもって始めて用を為す。いずれの処に向かってか回避せん、これ師家。)誰か云ふ黄葉是れ黄金と。うっふっふ大麦小麦も応無処住、(止啼銭、子供が泣きやむっていうんです、小児を瞞じうるとも用なし、子供騙しですか、舞を舞うこと、雀でもまた烏でもよし、さあやってごらんなさい、我無うして天地宇宙、ものみなともに動く。)曹溪の波浪もし相似たらば、六祖禅師の曹溪山です、波浪という、浮き世の大海に波を立てるんですか、仏であるべきはずと示す、物まねで示してもって目が覚めるか。(どうせ泥団子をこねくるって、虎を描いて猫にもならず、元の栄造生一路を放行す、涙。)限りなき平人も陸沈す。人陸沈さる、大事件がおこって木端微塵になるんですか、はいこれ仏。(活底の人に偶著す。浜の真砂の一握にも如かずという正師、正師にも惑わされ邪師にも惑わされと、そりゃまさにそういうことです、でもさ正師に会わんけりゃ、そりゃなんにもならんです、模索不著どうにもならん一生です、幸いここに出会っております、あっはっは一生を棒に振って下さいってね。)=仰山衆に示して云く、汝等諸人各自に回光返照せよ、吾が言を記すこと莫れ。汝等無始劫来、明に背いて暗に投じ、妄想根深うして、卒に頓に抜き難し。このゆえに仮りに方便を設けて、汝が麁識を奪ふ。黄葉をもって小児の啼を止むが如し。

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へきがんろく

第九十三則 大光舞を作す

本則・挙す、僧、大光に問ふ、長慶道はく、斎に因って慶讃すと。意旨如何。(重光。這の漆桶。妨げず疑著すことを。問はずんば知らじ。)大光舞を作す。(人をれんー貝に兼ー殺すこと莫れ。旧に依って従前恁麼にし来る。)僧礼拝す。(又恁麼にし去るや。是なることは則ち是、只恐らくは錯って会せんことを。)光云く、箇の什麼を見てか便ち礼拝す。(也好し一拶するに。須らく弁過して始めて得べし。)僧舞を作す。(様に依って猫児を描く。果然として錯って会す。光影を弄する漢。)光云く、這の野狐精。(此の恩報じ難し。三十二祖只這箇を伝ふ。)

大光居誨、石霜の嗣、青原下六世。金牛和尚斎時に至る毎に、自ら飯桶を将って、僧堂前に於て舞を作し、呵呵大笑して云く、菩薩子喫飯来と。僧、長慶に問ふ、古人道ふ、菩薩子喫来と。意旨如何。慶云く、大いに斎に因って慶讃するに似たり。第七十四則にあります。又雪竇云く、然かも此くの如くなりと雖も、金牛是れ好心にあらずと。どうですか、好き心じゃない、取り付く島もないんです、呵呵大笑して下さい、あっはっは物まねじゃできないんです、いささかのコンセンサスですか、申し合わせもない、これ今の日本人に、爪の垢ほどは煎じて飲ませたいです。挙す、長慶斎によって慶讃すと、意旨如何。(重光ふたたび拈じ来たる、漆桶つっかえていたやつをです、疑著するによし、問はずんば知らじと。)大光舞を作す。(やってごらんなさい、いわゆる臨済の所作とはまったく別のやつをさ、腐っても鯛じゃない、腐ったっきりの自閉症なあ、役立たず。)僧礼拝す。(なんで礼拝する、意趣あれば不可、それともっていうんです。)光云く、箇の什麼を見てか礼拝す。(こりゃまあ一拶、わっはっは張り飛ばすんですか、そりゃまああってしかるべき。)僧舞を作す。(様によって猫児を描く、かわいい小猫ちゃんですか、白陰以来の棒喝、錯って会すとはいったい何を、会する=過ち。手の舞い足の踏むところを知らず、あるいは光と影。弁ずるには自分でやってみて下さい。あっはっは踊ってみたいでしょう。)光云く、這の野狐精。まあさお化けってわけですか。(此の恩報じ難し、西天二十八東土六祖、ただこの恩を報ぜんがためにす、はいあなたも。人まねやらしいふうじゃどうにもならんのです。てめえかってじゃなおさらだめ。得たというちらとも思えば不可。あっちもこっちもまあさ。)

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へきがんろく

頌・列聖叢中作者知る。(釈迦老子を謗ずること莫くんば好し。佗の臨済徳山に還す。千箇万箇の中、一箇半箇を得難し。)法王の法令斯の如くならず。(他に随って走る底麻の如く粟に似たり。三頭両面。灼禅として能く幾人有って這裏に到る。)会中若し仙陀の客あらば、(中に就いて怜悧の人を得難し。文殊是れ作家にあらず。闍黎定んで不是。)何ぞ必ずしも文殊一槌を下さん。(更に一槌を下すも又何ぞ妨げん。第二第三槌総に要せずう。当機の一句作麼生か道はん。嶮。)

列聖叢中作者知る、作者というのはすでに終わった人です、自分の中に首を突っ込んで歩いていない、ようやく地球宇宙万物のお仲間入りですか、てめえとやこうの自閉症、立ち往生のこれついには自殺に到る、自殺せぬほどの思想家乃至哲学者なんて、偽物ですかあっはっは、生きながら死ぬることと見つけたり、これお釈迦さんですか、灰色の脳細胞を卒業するんです、進化のいびつから出でて、今にして一丁前、花の如く雲の如くして、達磨の不識あり、廓然無聖あり。釈尊会中八万四千、かくの如くの志あればみな列聖、キリスト教みたいに思い込み押しつけ、信不信の走狗とはまったく違うんです、就中卒業しきった者がいる、はじめて大自在です、作者たる。(お釈迦さんを謗ることは、他の徳山臨済に任す、あっはっは眼中に無しってね、いえさ敬礼せざるものなし、毀誉褒貶何しようが文句なし。あるいは千万人のうち、一人半分を得難し、たとい相応の工夫ありとも、まるっきり届かず。)法王の法令かくの如くならず。(見たふう聞いたふうじゃさっぱり届かず、拈花微笑の人幾人かある。てめえに首を突っ込む、脳味噌卒業すりゃ、とっくにお釈迦さまもです、でもってお釈迦さま、なんといったってお釈迦さま。)会中若し仙陀の客あらば、仙陀婆は、一名四実、一には塩、二には水、三には器、四には馬と、王若し洗せんと欲せば、水を奉じ、食せんとすれば、塩を奉じ、食後にはすすぐ器を奉じ、出んとすれば馬を引く。意に従って応用差うことなし。僧香巌に問う、如何なるか是れ王仙陀婆を求む。巌云く、這辺に過ぎ来れと。僧過ぐ。巌云く、人を鈍置殺すと。又趙州に問う、如何なるか是れ王仙陀婆を求む。州禅床を下って、曲躬叉手す。(中について怜悧の人を得難しと、怜悧というんではしばらく届かず。文殊普賢作家にあらずと、両脇侍です、もしやそう思っていませんか、はい。ふっふ。)何ぞ必ずしも一槌を下さん。(だからついの今まで猿芝居、もと真実不虚、ゆるがせにならんのです。)

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へきがんろく

頌・犀牛の扇子用ふること多時。(夏に遇うては則ち涼しく、冬に遇うては則ち暖かなり。人々具足す。甚としてか知らざる。阿誰か曾て用ひざる。)問著すれば元来総に知らず。(知ることは則ち知る、会することは則ち会せずう。人を瞞ずること莫くんば好し。也別人を怪しむことを得ず。)限り無き清風と頭角と。(什麼の処にか在る。自己の上に向かって会せずんば什麼の処に向かってか会せん。天上天下。頭角重ねて生ず。是れ什麼ぞ。風無きに浪を起こす。)尽く雲雨の去って追ひ難きに同じ。(蒼天蒼天。也是れ失銭遭罪。)雪竇復云く、若し清風の再び復し、頭角の重ね生ぜんことを要せば、(人人箇に犀牛の扇子有り。十二時全く他の力を得たり。什麼に因ってか問著すれば総に知ざらく。還って道得す麼。)請ふ禅客各一転語を下せといって。(塩官猶ほ在り。三転し了れり。)問ふて云く、扇子既に破れなば、我に犀牛児を還し来れと。(也一箇半箇有り。咄。也好し禅床を推倒するに。)時に僧あり出でて云く、大衆参堂し去れ。(賊過ぎて後弓を張る。槍を奪卻せらる。前村に搆らず、後店に迭らず。)雪竇喝して云く、鈎を抛って鯤鯨を釣る、箇の蝦蟆を釣り得たりと。便ち下座す。(他の恁麼地なることを招き得たり。賊過ぎて後弓を張る。仏果自ら此の語を徴して云く、又直に汝諸人に問はん。這の僧道ふ。大衆参堂し去れと。是れ会か不会か。若し是れ会せずんば争か恁麼に道ふことを解せん。若し会と道はん時、雪竇又道はく、鈎を抛って鯤鯨を釣る。只箇の蝦蟆を釣り得たりと。便ち下座。且らく道へ、ごうー言に肴ー訛什麼の処にか在る、試みに請ふ参詳して看よ。)

犀牛の扇子用ふること多時、(夏には涼しく、冬暖かくという、仏の法はまさにこれ、春は花夏ほととぎす秋紅葉冬雪降りて涼しかりける、仏というもとこれ、わずかに頭念を去って、自知するんで、用いること多時、どうですか用いている間は未だしなんですか、用いことのううしてこれなんですか、よろしくよく見て下さい。)問著れば元来総に知らず。(知ることは則ち知る、悟った見性したという、無門関つうかああ、公案百般掌すると、まあそういったのはどっか別事やってるんですが、そうではなく真正直、遂におのれをのみ仏というには、これなかなかです、自未得度先度他とやってみたって、どうでも他の標準に頼る、幾千万、どうにもこうにもならぬ、しまい投げ捨て抛ち、まるっきり頼りなくなるんですか、会することは則ち会せず。うっふうあるいはこれ正解。人を瞞ずることなくんばよしたって、百万年欺瞞し来たり、また別人を怪しむことなかれ、別人なく、てめえこっきりの夢覚めて、かえって錯をもって錯に著く。)限りなき清風と頭角と。(いずれの処にかある、まったくどこにもないんです、清風という、開け切ったありさまです、彼岸にわたって後彼岸も此岸。でもってどうしても頭角ですか、伝家の宝刀を振りまわすんですか、ちょっと違いますか、これと云いあれと示しますか、こうあらねばならぬという、頼りなくどうにもこうにもですかあっはっは、でもたしかに仏法は伝わるんです、これ失せれば世の中おしまい。)尽く雲雨の去って追い難きに同じ、まだちっと若いんですか、雲雨の去るという、たいていつい昨日までやっていて、はあて去って後如何。(蒼天悲しいかな、銭をなくして罪に問われる、まあさそういう思い込みです。)雪竇云く、清風の再び復し、頭角の重ねて生ぜんことは、そりゃ同じこってす、やっとりゃいいんですよ死ぬまでもさ。(人々箇の犀牛の扇子有り、徳山の棒喝、趙州の説得ありですか、十二時中全く他の力を得たり、自分という自閉症、よこしまがないんです、打てば響く、むだっことないんですよ、これを人は知らないんです、冗談を云えば冗談だと思っている、そんなはずはありっこないんです、問著しようが一線だろうが総に同じ、かえって道得するやと、あっはっはさっぱりわからんのです。)あともう面倒臭いな、何をまた大騒ぎ、我れに犀牛児をかえし来れと、法とはなんだと弟子に問うんですよ、弟子無対。虎を描いて猫にもならず、我れはこれ元の栄造生と、栄造とは良寛さんの幼名です、命賭けの十年、身を横にもせずの修行の後ついに得る、これはこれ不出生の大、しかるに右の感想ですか、ここのまり十まりつきてつきおさむ十づつ十を百と知りせば、君なくば千たび百たびつけりとも十ずつ十を百と知らじをや。実にまったくそのとおり。眼横鼻直にして、他に瞞ぜられず、これ我が宗、これ会か不会かと、他の諸宗の百害あって一利なし。

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第九十一則 塩官犀牛の扇子

本則・挙す、塩官一日侍者を喚ぶ、我が与に犀牛の扇子を将ち来れと。(葛藤を打すること少なからず、這箇好箇の消息に何以ぞ。)侍者云く、扇子破れぬ。(可惜許。好箇の消息。什麼と道ふぞ。)官云く、扇子既に破れなば、我れに犀牛児を還し来れ。(漏逗少なからず。幽州は猶ほ自ずから可なり、最も苦なるは是れ新羅。和尚犀牛児を用ひて什麼か作ん。)侍者対無し。(果然として是れ無孔の鉄鎚。可惜許。)投子云く、将ち出ださんことを辞せず。恐らくは頭角全からんことを。(似たることは則ち似たり、争奈せん両頭三両なることを。也是れ道理を説く。)雪竇拈じて云く、我は全からざる底の頭角を要す。(何の用を作すにか堪へん。錯を将て錯に就く。)石霜云く、若し和尚に還さば即ち無からん。(什麼と道ふぞ。鼻孔に撞著す。)雪竇拈じて云く、犀牛児猶ほ在り。(嶮。ほとんど錯って認む。頭を収め去る。)資福一円相を画し、中に於て一の牛の字を書す。(草藁拈出するに労せず。影を弄する漢。)雪竇拈じて云く、適来什麼としてか将ち出ださざる。(金鍮弁ぜず。也是れ草裏の漢。)保福云く、和尚年尊し、別に人を請せば好し。(僻地裏に官人を罵る。辛を辞して苦を道って什麼か作ん。)雪竇拈じて云く、惜しむべし労して功無きことを。(身を兼ねて内に在り。也好し三十棒を与ふるに。灼然。)

塩官齊安は馬祖の嗣、犀牛の扇子、犀牛という、牛なんだろうな、そいつの角で作った扇子、もって来いと云った、(葛藤を打すること少なからず、犀牛の角の破れ去ることを知っていて、もって来いと云った、葛藤を打する、扇子でもげんこでも、一瞬これを打す、あるいはげんこきりになりゃ、一生をぶち破りますか、いっとき滅して、他時旧態依然ですか、旧によって蘇るという、では滅し復活するとき如何、あっはっは現実を糊塗して、共産党ですか、人類不幸の原因、旧教も新興宗教もまた同じ、妄想の交通整理はあっはっは、これを滅するためにあるんですか、では失敗の連続これ歴史。)侍者云く、扇子破れぬ。(惜しいかなっていうんですか、正解を云いながらこれを知らぬ、どあほってんですか、破れ去ってのち如何。がらくた捧げ持つんですか。)官云く、扇子既に破れなば、我に犀牛児を還し来れ、犀牛児べこっこですか、犀牛そのものです。ぬうっと返し来たら面白いですね、どうです、やってみたら。(漏逗少なからず、大切な法を漏らす、漏らし過ぎだよ、駄目だよっていんです、卻って粗悪品ですかわっはっは。幽州ってのはどこにあるのか知らない、本来本当は幽霊、かそかに微妙、達磨さんの心の如くに、新羅はしっこ派遣社員はどえらいめだってんです、ちいっとまずいよってんですましときゃいいのに、新羅国雪竇以下大騒ぎですか、ふーん。)侍者無対。(惜しいかな、無孔の鉄鎚、せっかく答えの丸出しをさってわけです。)投子大同は青原下五世、云く、持ち出さんことを辞せず、そりゃあ持ち出してやろうじゃないか、恐らくは頭角全たからんことを。でもさ二番煎じってんですか、だれもが一回的、人生また繰り返しなし、たとい参禅もしかり、常に思いの他の事実なんです。(似ることは似たりと、両頭三両、あれやこれと数えることができる、うっふっふ道理を説くとはこれ。)雪竇拈じて云く、我は全からざる底の頭角を要す、それでいいよって云うんです、両頭三両みんな面倒を見ようではないか、失敗も二番煎じももとこれ仏。(そんなもん役立たず、錯をもって錯につくってさ。)石霜慶諸は青原下五世、道吾の嗣。云く、若し和尚に還せば即ち無からん。(なんと云うぞ、鼻持ちならん。)雪竇拈じて云く、犀牛児猶ほ在り。(嶮。危ないよ、間違って認めるに同じ、頭を収め去る、せっかく頭角を引っ込めた。)資福如実、仰山下三世、一円相を画し、中に於て一の牛の字を書す。(草藁拈出するに労せず、草藁ですか、聞いたふうなことをするのに労せず、まあさ。)雪竇拈じて云く、ふーんなんでこれを持ち出さないんだ。(金と真鍮を弁別しない、やっぱりこれ草裏の漢、しょうがないやつめ。)保福従展、雪峰の嗣、云く、和尚年尊し、よいお年故、別に人を、他の人にやらせてくれ。(僻地裏に官人を罵る、あっはっはうまいことを云う、おらあ知らんよっちゃ拳骨。辛いと云わず苦いと云う、何が辛く何が苦いんですか、苦いもっとも食通ってね。)雪竇拈じて云く、惜しむべし労して功無きことを。こいつを一番誉めているんですか、まさか。(身を兼ねて内に在り、以ての外の事実、また好し三十棒を与ふるに、十字街頭ですか、さらし首。首から上だけじゃないんです、犀牛をもち来れと、まっぱじめに返る。)

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