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2007年9月

2007年9月21日 (金)

へきがんろく

頌・卻って請ふ和尚道へ。(函蓋乾坤。已に是れ鋒を傷り手を犯す。)虎頭に角を生じて荒草を出ず。(はなはだ群を驚かす。妨げず奇特なることを。)十州春尽きて花凋残。(触処清涼。讃嘆するに也及ばず。)珊瑚樹林日杲杲。(千重百匝。争奈せん百草頭上に他を尋ねるに得ざることを。答処蓋天蓋地。)

僧羅山に問ふ、同生不同死の時如何。山云く、牛の角無きが如し。僧云く、同生亦同死の時如何。山云く、虎の角を戴くが如しと。牛に角なく虎に角あろですか、どうです無事円満ですか、それとも大千世界ひっくり返しますか。同生同死、同生不同死ってどうですか、何をどうする、何がどうなるんですか。自分という架空がまったく失せて、ものみなかくの如く、手つかずというんでしょう、今まで寝る間も惜しんで提ぜいして来たのが、ふうっと失せるんです、生まれたまんまのなんにもせずていい、すると函蓋乾坤です、身心とものみなと、同死同生です、ただもう清々としてこうある、仏ですか。でもって折に触れてこれとやるんです、同死不同生ですか、うっふっふこりゃあべこべ、虎に角を生ずるんです。卻って請ふ和尚道へ。(函蓋乾坤、大地宇宙が口を聞くんですか、どうじゃというんでっしょう、手をもたげる、すでにして鋒を破り、波風のないところに波を起こす、起こしてみなけりゃわからない、なにがって真箇のこれ、観念いいことしいのお寝んねじゃない、権あり実ありです、二次元人間が三次元にってなもんです、ものみなを動かす。)虎頭に角を生じて荒草を出ず、荒草ですか、悟りや座禅をいじくっている一般、何を云おうが力ないんです、まだてめえに首を突っ込んでいる、かたわもんですか、差別用語な。(はなはだ群を驚かす。い山にしてかくの如し、百丈よってくだんの如し。妨げず奇特なることを、始めてちったあ役に立つんです。)十州春尽きて花凋残。海上に三山十州あり、百年をもって一春となす、春尽きる時百千万株の花一時に凋残す。独り珊瑚樹林のみなあって、太陽とあい奪うて、光交映すと。(触処清涼、讃嘆するにまた及ばず。いったん人間的なんものがまったく失せるんです、世間世情の花というものが凋残する、どうしてもこれ、ちらともあったら色気、色即是空にはならない。死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき、大力量これ讃嘆に価しますか。)珊瑚樹林日杲杲。月によって生まれるという珊瑚樹ですか、うんそうねえ、とやこういうより、実感としてなーるほどってことありますから、味わってみて下さい。先はい山、これは百丈ですか、(千重百匝そうさなあ、坐断して下さい、どこまで行ってもってことあって、ついには生まれたまんま。すべてこれ真語。)

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へきがんろく

第七十則 百丈咽喉を併卻して

本則・挙す、いーさんずいに為ー山、五峰、雲巌、同じく百丈に侍立す。(阿呵呵。終始ごうー言に肴ー訛。君は西秦に向かほ、我は東魯に之く。)百丈、い山に問ふ、咽喉唇吻を併卻して、作麼生か道はん。(一将は求め難し。)い山云く、卻って請ふ和尚道へ。(路を借りて経過す。)丈云く、我汝に向かって道はんことを辞せず。恐らくは已後我が児孫を喪せんことを。(免れず老婆心切なることを。面皮厚きこと三寸。和泥合水。就身打劫。)

百丈また同じく五峰に問う、峰云く、和尚也須らく併卻すべし。丈云く、人無き処斫額して汝を望まん。また雲巌に問ふ、巌云く、和尚有りや也未だしや。丈云く、我が児孫を喪せんと。三人各々これ一家。同じく百丈に侍立す。(阿呵呵、お笑いだっていうんです、はじめからしまいまでいい加減だとさ、君が西秦に向かえば、我は東魯に行く、がん首揃えて同じじゃ、侍立にならない、これが当然を知るは仏以外になし。)咽喉唇吻を併卻して、作麼生か道はん。そりゃむーともあーとも云えないですか、さあどうする、高い木の上に登って、手を離し足をはなし、口にかじりついてぶら下がった、下に人あって仏を問う、さあどうするという公案、なにさ口を開けばいいっていうのどうです。(一将は求め難し、かれこれ見性したの、仏法通暁ああ云えばこう云う、衝天の志気を挙しなどいるが、たった一箇これなし、一将という、仏を外れて真の仏がいないんです。何を云うたろうが、云わないだって真、外れるということなし、これただの人、咽喉唇吻で物云わぬ人です。さあてはたして。)い山云く、卻って請ふ和尚道へ、(どうですか理屈上の、即ち道へば咽喉だからですか、路を借りて経過す、なら和尚道ってみろですか、うやむやむうとそっぽ向く、蜻蛉返りを打って出る、一将なら何をどうすればなんて、他の為に余計ことしないですか、うふ。)我汝に向かって道はんことを辞せず、恐らくは児孫を喪せんことを。せっかくあとが続かないっていうんです、おれに殺されっぱなし。はあてね。(免れず老婆心切なることを、面皮厚きこと三寸だってさあっはっは、云うことはある、云えばというまあさ。泥んこに水ってやつ、就身打劫は、身に寄り添ってすり取るんですってさ、い山和尚見事にすられたんですか、釘を抜き楔を抜く、かくあるべしと思い置く、かけらもなくなった、うわーっと気がつくんですよ、坐が坐になる。)

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2007年9月19日 (水)

へきがんろく

頌・由基が箭猿を射る。(常頭の一路誰か敢えて向前せん。触処妙を得たり。未だ発せざるに先ず中る。)樹を遶ること何ぞ太だ直なる。(若し承当せずんば争か敢えて恁麼ならん。東西南北一家風。已に周遮すること多時。(千箇と万箇と。(麻の如く粟に似たり。野狐精の一隊。南泉を得ること争奈せん。)是れ誰か曾て的に中つ。(一箇半箇。更に一箇没し。一箇も也用不得。)相呼び相喚んで帰去来。(一隊泥団を弄する漢。如かじ帰り去るの好からんには。卻って些子に較れり。)曹溪路上登陟することを休む。(大労生。想ひ料るに是れ曹溪門下の客にあらず。低低の処之を平らぐるに余り有り。高高の処之を観るに足らず。)復云く、曹溪路担平。什麼としてか登陟することを休む。(唯南泉半路に身を抽んづるのみにあらず、雪竇も亦乃ち半路に身を抽んづ。好事も無きには如かず。雪竇也這般の病痛を患ふ。)

由基は楚の人、楚の荘王狩りに出て、白猿あり、群臣の箭ことごとく中らず、白猿卻って箭をもてあそぶ。誰か射る者はないかといって、由基が呼び出された。由基弓を引けば、猿樹を抱いて悲号す。猿樹をめぐってこれを避ける。箭もまた樹をめぐって射殺すと。(だれか敢えて向前せん、だれも敢えてせずは、常頭の一路、たとい何をどうあったって中るんです、無心これ、仏というちらともなくば、触処妙を得たり、未だ発せざるに先ず中るんです。)樹を遶ることなんぞ太だ直なる、曲がりくねった道をまっすぐに歩くんですか、いつだって真正面、命中して太だ直なるってこってすよ、一般の人これができない、妄想という客に支配されて、ないはずのてめえを持つ、注意一生怪我一秒の世界です、しんどいこってす、早く足を洗え。(三箇の老漢途を殊にして帰を同じゆうす、一揆一斉に太いだ直なりと。まあそういうこってす。若しこれだからどうの、こうあるべきやったら七縦八横、人間は理解しあえれば沢山だなど、小林秀雄の言ですか、コンセンサスという情けなさ、貧しいんですかね、だったら大儲けすりゃいい、百川風流、同じく大海に帰す。)千箇と万箇と。(麻の如く粟に似たり、だれかれかくの如くと云えば、そりゃどうしようもこうしようも、仏を得ようとして仏に習えば即ちこれ、野狐精の一隊ですか、今の世まさに、麻の如くあぶくの如く、それ故に南泉、恁麼ならば即ち去らずと云う、道ひ得ば即ち猿と云う。たった一箇。)是れ誰か曾て的に中つ。(一箇あり半箇あり、たしかにあることはあって承当するんです。一箇没し、仏を忘れてしまうやつがいる、まるっきり役立たんのがいる、あっはっは。)相呼び相喚んで帰りなんいざ。(曹溪の春、理想社会とはただまさにこういったの三人ばかし。)曹溪路上登陟することを休む。忠国師に到る道も、六祖に到る道もないんです、まっ平らにかくの如し。(たいへんにご苦労さんですか、わざわざ三人して行脚、でもこれよくよく見れば曹溪の客にあらず、曹溪という頭と尻尾を計るのに、めんどうだで昼寝という連中。)また云く、曹溪の道担平、什麼としてか登陟することを休む。別段止めないったっていいよ。(南泉半身を抽んでる、雪竇もさ、たとい円相の中に坐るったって、ないにこしたことはない。女人拝も拈華微笑もさって、うっふ雪竇また這般の病痛を患う、そりゃま。)

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へきがんろく

第六十九則 南泉一円相

本則・挙す、南泉、帰宗、麻谷、同じく去って忠国師を礼拝せんとす。中路に至って、(三人同じく行くときは必ず我が師有り。什麼の奇特か有る。也端的を弁ぜんを要す。)南泉地上に於て、一円相を画して云く、道ひ得ば即ち去らん。(風無きに浪を起こす。也人の知らんことを要す。陸沈の船を擲卻す。若し験過せずんば争か端的を得ん。)帰宗円相の中に於て坐す。(一人鑼を打てば同道方に知る。)麻谷便ち女人拝を作す。(一人鼓を打てば三箇也得たり。)泉云く、恁麼ならば即ち去らず。(半路身を抽んづ是れ好人。好一場の曲調。作家作家。)帰宗云く、是れ什麼の心行ぞ。(頼に識破することを得たり。当時好し一掌を与ふるに。孟八郎の漢。)

当時馬祖は化を江西に盛んにし、石頭の道湖湘に行なわれ、忠国師の道長安を化す。他は親しく六祖に見ゆ。いっときまさにかくの如し、人類文化の華ですか、つとに滅んだというてまだしっかり残ってますよ、一箇半箇の道、あるいは突然大いに復活するんです、ただ伝え残すことこれ。三人去って忠国師を礼拝せんと欲す、中路に至って、(三人同じく行くときは必ず我が師有り、だれの師だろうがまったく同じです、寸分の違いなく我が師、彼が師なぞなし。若し師なくんば鵜合の衆ですか、いたずらに騒々しいばかりです、世間無駄っことばかりですか、このとき三人みなともに師なり、奇特とはまさにこれ、ではまだるっこいこと不要、ただこれ、物と物とのぶつかりあいに似て、ふっふ。)南泉一円相を描いて、道へと云う、道ひ得ば即ち去らん。もう用なしだってわけです。(風無きに波を起こす、これすなわち仏教です、他の諸宗の押しつけがない、あっかましい破廉恥じゃないんです、云わなきゃ知りえない、だからです。陸沈の船を蹴っ飛ばす、しょうがないことしたもんだ、陸沈とは大事件起こってめっちゃくちゃですか、破家散宅です、出来上がっちゃった人物ですよ、でも験してみんことにゃ、どんなふうかわからんてんです。やってみた。)帰宗円相の中に坐す。はいいいですか、物まねじゃないんですよ、円相といい坐すといい、格好付け耳たこの世界じゃないんです。ちゃんと坐れるか、坐になっているか、一目瞭然です。師家禅師だのあれこれ、いくら坐ったって徒らです、ちらともありゃめったやたら。(一人鑼を打てば、どらをぼーんと打ったら、みんな知るんです。)麻谷女人拝をなす、腰をかがめて合唱低頭ですとさ、うんいいとこだ。(一人鼓を打てば三箇また得たり、けりをつけた格好です。)泉云く、恁麼ならば即ち去らず。肯わないんですか、肯ったんですか、だらしがないって云えばあっはっは、(いえさ、南泉半路身を抜きんでてという、まあ勘弁してやろうってんですか、そりゃびくともせんです、一場の曲調、大恥っかきでも、けろっともうないんです。わがことに於て省みず、なにさ省みるおのれがないんです。ものみなかくの如し。)帰宗云く、これ什麼の心行ぞ。心行若しありゃめちゃんこ。ふーんなんだって云うんだ、てなもんですか。(さいわいに事なきを得た、では一掌。)

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へきがんろく

頌・双収双放若為が宗なる。(知んぬ他幾人か有る。八面玲瓏。将に謂へり真箇恁麼の事有りと。)虎に騎る由来絶功を要す。(若し是れ頂門上に眼有り肘臂下に符有るにあらずんば。争か這裏に到ることを得ん。騎ることは即ち妨げず只恐らくは汝下り得ざらんことゐ。是れ恁麼の人にあらずんば、争か恁麼の事を明めん。)笑ひ罷んで知らず何の処にか去る。(尽四百軍州恁麼の人を覓むるに也得難し。言猶ほ耳に在り。千古万古清風有り。)只応に千古悲風を動ずべし。(如今什麼の処にか有る。咄。既に是れ大いに笑ふ。什麼と為てか卻って悲風を動ず。大地黒漫漫。)

双収双放いかんが宗なる、名は何と云うぞ。我が名は慧寂。慧寂は我。我が名は慧然。収めるあり放つありですか、二人まさに行なわれる、どうしてこれが宗教なんですかっていうんです。この宗以外に知らず。対話有り教義有り荒唐無稽の神話有り、平和博愛あり、同じ鳥の羽根を集めるあり、右往左往あり、すべてこれ地球の邪魔、人類という収まりつかん、放てば掌に満つるを知らない、いたずらにほしいままにする、どうしようもこうしようもないんです。(知る人他に幾人、八面玲瓏です、塵芥がない、まさにこれ真実不虚、他にはまったくないんです。)虎に騎る由来絶功を要す、うだうだ能書き、てめえに首突っ込んで歩く不格好、てめえという杖を引く、たいてい一般の不必要をまったく免れるんです、百非を絶すという、まずは人間を卒業して下さい、でないと虎には騎れませんよ。(頂門上に眼ありと、三つめの目ですかあっはっは、身心ともになしってこと、肘臂下に符有りと、まあこの括弧内符ばっかり、うっふう面倒事たってさ、これなくば人間天上泳げないですか、咸敬仰とまあさ散華荘厳。虎に騎ったっきりで下りること知らんとさ、幸せな人、たとい凡百坊主胡散くさあもてめえが邪魔。)笑いやんで知らず何れの処にか去る。(呵呵大笑してまるっきりそれっこっきりってのできますか、なにかちらともあれば狂人。四百軍州、宋の時天下をかく区分した、万里雲なし万里の天、千江水有る千江の月、まあいいさ誰いなくっても、言なを耳にあり、古来の清風。)ただまさに悲風を動ずべし、何を得るた、お悟り八段だからおれはっていう、臨済禅師の余計こと外してごらんなさい、ものみな悲しいだけなんです、ただの一箇、山川草木みなこれ。(いいえ、そういう文人趣味妄想とはまったく無関係ですよ。蛇足。)

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へきがんろく

第六十八則 仰山三聖に問ふ

本則・挙す、仰山、三聖に問ふ、汝名は什麼ぞ。(名実相奪ふ。勾賊破家。)聖云く、慧寂。(舌頭を坐断す。旗をひき鼓を奪ふ。)仰山云く、慧寂は是れ我。(各自に封彊を守る。)聖云く、我が名は慧然。(閙市裏に奪ひ去る。彼此卻って本分を守る。)仰山呵呵大笑す。(謂つ可し是れ箇の時節と。錦上に花を敷く。天下の人落処を知らず。何が故ぞ。土曠かに人希にして相逢ふ者少なり。一へに巌頭の笑に似て、又巌頭の笑に非ず。一等の是れ笑、什麼と為てか卻って両段と作る。具眼の者にして始めて定当し見よ。)

仰山慧寂い山の嗣、三聖慧然臨済の嗣。呵呵大笑す清風凛凛地、どうですか、慧寂でも慧然でもどっちでもいいという、どうもそんなこっちゃないんです、まあ平らったく云うと、身心ともに無しが、二人相対するんでしょう、じゃてめえを囲う謂れはないんです、因に慧寂と慧然、実にもって正令の行なわれる、各自に封彊を守るのが世の習わし、だったら習わし通りに名告ればいい、でもこやつ相対しての会話、ひょっとさ他の美辞麗句、いやさ百万語費やしても、たとい手を握りあったとても、三聖云く、慧寂。仰山云く、慧寂は是れ我、三聖云く、我が名は慧然。ほどにつうかあというか、意思の疎通なんてまだるっこしいものじゃない、呵呵大笑まさにもって他なしなんです。先の巌頭の呵呵大笑も、天上天下唯我独尊、きわなく響み渡るんですが、おまけに肯わざる底、かす一匹はじき飛ばすんです。ここに仰山の呵呵大笑は、三聖と二人たずさえて天地のきわを突っ走る、わっはっはこんな大事件、かつてこの世にあったかどうか、人類歴史戦争だ、平和だごたくさなんてものまるで無意味です、なにをくよくっよ川端柳、まあさ万分の一も悟りの望みあれば、仕方ない死刑を免れる、早う柳の葉っぱと揺れておれ、流転三界というさてもまったく納まるか、我が名は慧寂、さよう慧然。

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へきがんろく

頌・双林に向かって此の身を寄せず。(只他の把不住なるが為なり。嚢裏豈に錐を蔵す可けんや。)卻って梁土に於て埃塵を惹く。(若し草に入らずんば争か端的を見ん。風流ならざる処也風流。)当時誌公老を得ずんば、(賊と作って本を須ひず。伴を牽く底の癩児有り。)也是れ栖栖として国を去る人ならん。(正に好し一状に領過するに、便ち打つ。)

双林とは伝大士の道場、そこに納まってりゃいいのに、のこのこやって来た、良寛一生不離叢林という、俗世間に云う気随気ままなぞもとっこないんです、一人きりの妄想ほしいままは不自由、哲学だの思想、諸宗教の我田引水は許されんのです。良寛の対大古法は子供であった。こんなめちゃくちゃな修行はない。相手はまったくなにやるかわからん。あっはっはわしなどの到底出来るこっちゃないな。双林に向かってこの身を寄せず、何故か。(把不住とりとめがない、他愛無かったんですか、嚢裏に錐をかくす、まあさ、そんなこっちゃ叢林にならん、今の永平寺だの仏教のぶの字もない、でたらめ兵隊の訓練ですか、ちらとも知る、道元禅師の末裔ならば、よっぽどでなけりゃ嚢裏に錐をかくすよりなく、ついには追ん出るしかない、いたたまれんですな。)卻って梁土に於て埃塵を惹く、武帝の前に出て、即ち案を打って下座、実にもってこれを示す、なんでこれが塵埃か、一塵起こってまったく収まらなかったんですか、大騒ぎですか。(若し草に入らずんばいかでか端的を見ん、求める人に出会うよりなく、風流ならざる処也風流、見た目修行、たとい行ない清ますって、まあそんなわけにゃいかんです、草に入る、すっちゃかめっちゃかです。)当時誌公を得ずんば、(達磨さんの翻案ですなこりゃあ、蛇足ってんです、一つありゃ沢山、誌公という岡目八目をこしらえたんで、もういっぺん使いたくなったんですか、彼いなきゃどうしようもならなかったって、達磨さんにそんなものなかったです、命危い、江を渡って少林に到り、面壁九年。伝大士雑誌社とつるんで何しようという。)也是栖栖えおして国を去る人ならん。(国にいられんで去る、どこが栖栖、さあてさ寺にいられんで去る、やっぱり栖栖かな、便ち打つ。)

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へきがんろく

第六十七則 伝大士経を講ず

本則・挙す、梁の武帝、伝大士を請じて、金剛経を講ぜしむ。(達磨の兄弟来也。魚行酒肆は即ち無きにはあらず、衲僧門下は即ち不可。這の老漢老老大大として這般の去就を作す。)大士便ち座上に於て、案を揮つこと一下して、便ち下座す。(直に得たり火星迸散することを。似たることは即ち似たり。是なることは即ち未だ是ならず。葛藤を打することを煩はざれ。)武帝愕然たり。(両囘三度人に瞞ぜざる。也他をして模索不著ならしむ。)誌公問ふ、陛下還って会す麼。(理に党派して情に党せず。肘膊外に向かはず。也好し三十棒を与ふるに。)帝云く、不会。(可惜許。)誌公云く、大士講経竟んぬ。(也須らく国を逐に出して始めて得べし。当時誌公に和して一時に与に国を追い出さば始めて是れ作家。両箇の漢、同坑に異土無し。)

梁の武帝は菩薩戒を婁約法師に受け、仏袈裟を塔けて、自ら放光般若経を講じて、以て父母に報ず。時に雑公異を表し衆を惑わすによって獄中に繋がる、誌公分身して城邑に遊化す、帝知って感悟して、よって之を推重す。雲黄山に善慧大士という者有り、誌公推挙して、武帝の前に金剛経を講義す。これを伝大士という。案は机、座上に於て、案を打つこと一下して、即ち下座すと。(達磨の兄弟が来たんですか、魚行酒肆魚市場や酒場、伝大士が城中に入って魚を売ろうとしたことに引っかける、伝大士なるもの未だ仏にあらずですか、たしかにそういうことはあろうが、わしの門下には無し、だいたいこの公案老老大大として這般の去就をなす、そんなもな達磨の公案で沢山。)案を打つこと一下して即ち下座。(火星迸散つっ走って消えるんですか、うっはあおら知らんてやつかなあ、似ることは即ち似る、未だまったく是ならず。葛藤を打することを煩はざれ、たしかにこうだからこうだという、そりゃお話しにならんです、自ずから答えを出す以外にない、葛藤めったやたらから突出するんです。)武帝愕然たり。(あっはっは、達磨さんになんとか大士に誌公さんに、同じこと三度、すっかり瞞ぜられて、模索不著。)誌公、こりゃまあジャーナリズムですか、能く知っていて役立たずってのは、いつの世にもいます、へたな学者よりは確かです。陛下還って会すや。(理はこれ、情けに与せず、陛下なんまんだぶやらないところは、肘外に曲がらずってなわけで、三十棒の価値あるってんです、こんにゃくは打てどもらちあかん。)帝云く、不会。(惜しい、正解だってのに、不識と云うと同じですか。)誌公云く、大士講経竟んぬ。(また須らく国を追い出して始めて得べし、達磨さんを追い出してもって、始めて得る、これ仏教の鉄則です、ちらともあれば役立たず、そりゃもう仏教常識もなんも追い出す、自分というたった一箇です、門を叩くのはこれ、同坑に異土無し、雑多雑念の交通整理じゃないんです。)

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2007年9月13日 (木)

あいびき5完

 帰省ラッシュに

 お盆の前に抜け出して、なんでまた湯沢。豪雨と雷、
雷や雨にしの降る我が行くさ疚しくもあるか道の瀬にして
宿れるは子らとともにかバイキング朝な夕なを湯沢は夏の
 秋山郷から志賀高原へ、かみきりむしを採集している人。問うほうも答える方もぶっきらぼう。
彩りに長けたるものを虫取りのなんにおのれが言問ひ知らず
 ゴルフ場のレストランに昼食。
初秋のあさぎまだらを美はしやワインとパンと微睡みにつつに
 妙高高原まで運転を任せ、ホテルの人が覚えている、危うくニアミス、うちへ電話したら留守だったとか、オーディオルームでショルティの魔笛をかけ、CDが不調、ジュースでもかかったか。
鳥刺しのアリアを歌ひ妹と我といずく宿らむ初秋の日や
 帰らなけりゃならんだけどといって、戸隠からまた鬼無里へ、子連れの猿の一群。
これはまた猿の群れあふ戸隠のいにしへの如く山なみ青し
 小川村の天文台は夏草の中、問へるものなし。味大豆という村と、やきもち屋という家と。
迷ひ込み味大豆なるしなの路の山の中なむ奥の細道
吾妹子が何を云はむやはろけくも百枚田んぼをやきもちの家
 それから安曇野へ抜けて、掛け湯温泉へ、掛け湯温泉病院は母が入院していた。沓掛温泉は山奥、くつかけ時次郎は、小説の主人公なのだそうだ。六十三曲がりの道を。
沓掛の時次郎とふ伝へ聞き山たず行けば六十三曲がり
そは母がつひの病に宿れりし掛け湯の村ぞ秋立ちにけり
 お盆であった、十四キロの渋滞で三時間半、事故の遠回りで二時間半、なんていうまあえらい時に、
お盆には一つ余計の泊まり賃間抜け坊主が世の中を知る

 鳴子の宿

フライフィッシングの道具を岩船まで取りに行って、それから北海道へわたろう、本州は虻がいて釣りは無理かも、なんで岩船かって、作って貰わないとさカディス針。朝日村道の駅のおもちゃ館を見る、
見しものは朝日村なむ姫達磨江戸のむかしをのーんと笑ひ
 勝木村の弟子が岩がきを五つ、
山北の弟子がよこせし岩がきや妹は食はずて二つ腐れし
 新日本海フェリーの夜の便はお休み、では秋田へ行くか、温海温泉に泊まる。五時すれすれ、とっつきの宿を取って、弟子もお相伴に一泊。
蔦屋なるいにしへ知るや酒もよし何を食らはむ湯舟を一人
 宿にケイタイを忘れて、酒田へ行って山居倉庫見学から戻る、鶴岡から寒河江に向かって、またぐうるり元へ戻る。右へしか回れないんだってさ、左は苦手ってはてね。
行き行くは月の山なむ逆戻り曇り雨降る河は清うし
 レストランで昼を食べて、有名なくらげの水族館へ行く、人でごった返し。
二人してくらげの中に吸い込まれ海にはあらじ檻の中なる
 鳥海山は霧の中。そこらへんに泊まろうと云って行くと、廃屋長屋のような温泉があった。
おしんには山居倉庫とこれやこれ早稲の田浦を鳥海の山
のみしらみ宿れるいずこわたつみの潮鳴るかや聞こえし宿は
 とうとう秋田市へ入った、ホテルを二軒断られて、三軒目が格安の上に、新装なって部屋は広く。うまいものは川端のすずらん通りと聞いて行く。食い倒れ秋田の真骨頂。エチオピア料理はどこ。
美しきスフィンクスなむなつかしき鰐を食はせるかの店はどこ
 妹はわしを復活させてもって、むせび泣く、生まれて始めての幸せという、
わが抱くたれにてあらむ歓喜天なんにぞこれは観音さまの
 体中喜んで生理が四日も早く来た、あれま。翌日は、夏油温泉とカーナビに入れて、秋田街道をひた走り、
我が行くさ村から村へみちのくの早稲の田浦を雨降りながら
 北上川に出会うのは初めて、美しい山並みをゆったりと大河、夢のようなと、車を下りたら虻の大来襲。とっても釣りどころではなく。
魚を釣るいとまもあらで行く秋の川を辿りて夢の如くに
 夏油温泉
みちのくのなほなほ深み山はぜやなんに賑はふ夏油の湯
 早く着きすぎた、一時まで待つのは億劫だし、なんだかごみごみ、引き上げて山を出て行く。高すぎる米坂牛を食べてさ、奮発しすぎた。ワインを飲んで、それから中尊寺詣で。そのまあ賑やかなことは、参詣の人でごったがえす
国宝の幔の一つを貸し出して我が見まく欲り屋形のなりの
 鳴子温泉
夕暮れて辿りも行くはみちのくの鳴子と聞こへこけしの里へ
 鳴子というのは、こけしの首を入れる時に音が出るからだってさ、ふーん。
 国道47号線は芭焦の道だった、中尊寺からずっとさ、尿ケ関とかあってさ、最上川沿いに行く、しっとりと山深い奥の細道。戦に明け暮れた最上一族の里を、
最上なるなんにたとえむ秋になる水を豊けしその水をはや

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あいびき4

  松之山

 直江津からどこへ行こうって、松之山へ行ってみよう、わしのドライブコースだが、
田を植えてひよどり鳴くか吾妹子が松之山なむ夏霧らひせる
 大正時代の木造三階建て、松之山温泉凌雲閣はなを健在で、
地震にも雪にもこれや耐え耐えて七十二年雲を凌ぐと
 山中にいいドライブコースがあって、霧の中を行き、じきに帰って来るつもりが、国道117号線へ出てえらいこった、晩飯の六時には間に合ったが大遠足。
しかすがに霧らひこもして松之山大巌寺なむ牛の行く見ゆ
紫陽花は賑はひすれど山の井のしもつけ花ぞ妹にしあらむ
 翌日は信州へ入ると千曲川
千曲川しだれ桜も夏なれや辿りも行かむ白雲浮かぶ
 そうさ、善光寺へ行こう、中学は門前を過ぎて通うわしが思い出の地、うわいっぱいよったくって善光寺参り。
もうでむは牛に引かれて仁王門むかしも今も何変はらずや
 マッカーサー指令であったか、病気が傳るから触れるなと書いてあった、おびんずるさま。
マッカーサー今もむかしも信心のおびんずるさま空ろ顔寄せ
 パチンコで鳩を撃ったり、
門前に鳩をうつなむ中学の半世紀をへて夢に見るかや

 そうさなあ、わしみたいな年寄りをなんで、もったいなやの女菩薩、
清やけしは愛し乙女が心映え老ひいて我れはうつし世わたる
井の辺もしもつけ花し吾妹子が松之山なむ霧らひも隠もせ
妹と寝ね若楓でのみずみずし紅葉ずるまでの秋を迎へね

 鬼無里から白馬へ抜ける道、
妹が子と幸きくもあらば吹く風の早苗を渡り白馬へ行く
 笹倉温泉
再びも汝と宿る笹倉のさ霧らひ行けば山をしも見ず
 釣り竿を買って二人できすを釣る。
筒石にきすを釣るらむいくつまた別れを惜しみ直江津へ行く
 一人帰る、一瞬居眠りして反対車線へ、大型トラックとワゴン車とセダンが背後に停まる、救ってくれたんだ命を。
人の世の大欠伸して青葉辺やすんでに死ぬる夢のまた夢
なんと云ふぞ帰り来たりて思ひがて夏の憂き夜を半月かかる

 金沢で会うはずが

 今度は金沢で会おう、当分車に乗るなってさ、電車で行こう、北越二号が八時半発、十一時半に着くと云っていたら地震になった。ひどい揺れで中越地震のぶりかえしか。どうにか持ちこたえてほっとしたら、柏崎がたいへん。町は壊滅状態だ、高速道路も電車も通らん。電車は復旧の見込みが立たない、そりゃわしが居眠り運転したあたりだ、ひどい土砂崩れ。
海よりは押し寄せ来たる大揺れの柏崎なむ人知りぬべき
我が命救はれたるになんにこれ柏崎なむ行くには行かじ
 能登の地震とこれで三度めだ、さんざくただあ、こうなったらてめえさえよけりゃという気になって、えいやってらんねえや。
免れていずこへ行かむ吾妹子と兼六園に氷いちごを

 湯沢で会えないかといって、七日後に逢い引き、
仰ぎ見し春は空ろのゴンドラの揺られも行けば空中庭園
 アルプの里という高山植物園、
おだまきやにっこうきすげ赤とんぼみやまからすが揚羽に舞へる
 何十年ぶりでおおむらさきを見る、
夏なれば湯沢も国のまほろばのおほむらさの過ぎるを見しし
 高速道路の退屈に、ふいとおのれ失う恐怖、ふーんもしやして目を開いたまま眠るという、いいの、あたしが運転するってはあて。魚沼スカイラインが前の地震から復旧して、それがすばらしい景観、天にかかる大瀑布のような霧、
大千の夏はもこれのさ霧らふは流転三界そは魚沼の
笠取りの雨はしの降りほととぎす二声鳴きて妹が聞かむには
 八石山ステーキは一度食べにきて定休日だった、牧場で経営する、おいしい、山菜のつけあわせもおいしい。
八石の山を仰がむステーキの香ばししかも群れあふ蝶ぞ
 どこへ行こう、妙高へ行こうといって、地震の柏崎をさけ、綾子舞いの鵜川の辺りもあぶない、いや妙高そのものがといって、松之山へまた行く。
湯も熱き揉み板もあり松之山妹と寝ねやる小夜更けにけり
 山深く行けば鷲が、
鷲なれやいつかこの世の見納めぞ何に楽しむ二人して我が

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あいびき3

  浅間

 北口だと云ったのに、南口で待っている、印象が強かったんだってさ、二度の別れを。
なんにまた北と南にあひ別れ雨に土鳩の鳴くさへ悲し
 忍び逢いだから始めての処がいい、では名前だけ知っている湯田中へ、
湯田中は父のつかれる温泉なれ時へて我れも妹とし問ふれ
 むきたまごからびーたんに発酵してだってさ
雨降るに葵咲くらむ夏なれや寝ねやる妹のあえぎ幽けく
 浅間山へ行こうといって、浅間園というのへカーナビ入れたら、とんでもない処へつれて行く、松本市郊外のりんご畑に、看板が一枚立つ、きえーやられた。
松本の舞へるは鳶か我が欲りすひったくさった浅間の煙
 仕方がない、では長久保から佐久へと中仙道を行く、ここはかつてわしが故郷であった、出てより何十年、恐れ多くもさ、本陣に宿を借り。
しくしくに我れも出なむこの宿や笠取峠の松を幽けく
 小諸の懐古園に草笛を聞く。
草笛にいやなつかしき古城や伽藍堂なるレストランに寄り
 はないかだが白く咲いて、
花筏越しの真人が雲井にもうそぶき行かめつれ添ふは誰そ
 高峰温泉という処へ行く、標高二千米。
吾妹子は何を悲しび小諸なる町を廻らひ山の方へ行く
高峰の温泉籠もらひしましくは妹らがりせむ鳴けや鶯
 小鳥の餌場があって、ひっきりなしにやって来る、りすも烏も。
赤げらのつがひに会ふて日は暮れて幾人してや高峰の宿
 そう云えば途中にかもしかがいた、
浅間なる火を吹くいずこ高峰の黒斑の山をかもしかの行く
 鶯の縄張り争いに参入。
鶯のうつろ鳴きせむみちのくや大空深く花に花咲く
たまゆらの湯舟にひたり吾妹子や過ぎにしことは忘れて思へや
一輪の花なれやかも愛でし我が初々しくに甦りつつ

 草津温泉へ一泊おまけ
花筏しのび廻らへこれの湯や地獄の釜も蓋を開くとふ
我れをまたなんに涙の湯揉み歌江戸のむかしを心映えせむ
しのびあへ鳴くは鶯草津の湯むかしを今に濁りあへせむ

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あいびき2

  安曇野
 mixyの仲間と別れて安曇野へ行く、姫川に一泊、
宿仮るは春ののげしの咲く野辺の乱れし妹は浴衣のみして
 フォッサマグナを行く、雪の越後路はトンネルを抜けて、
長々しトンネルを抜け信濃路やあいさつせむははだれ白馬
 花の喫茶店があったのに、お休み、
田の末にこれや記さむ花の店安曇野にして去り行く惜しも
 碌山記念館に高村知恵子の絵葉書があった、
悲しとふわれも記さむ安曇野や高村知恵子の切り絵に求め

  鬼無里
 まだ通ったことのない道を行こう、山を越えて戸隠のこれは裏っかわ。
山吹も咲きしくあらむ春うらら小川村には天文台が
 鬼無里は山里、やまざくらの花吹雪を行く、妹らがり花吹雪して七曲がり八つ曲がりせむ鬼無里の村は
 戸隠山の背には北アルプス。
戸隠の神なび深く仰がむはつぎねふ雪のアルプスにして
 学生のころ中社に泊まって、
戸隠の中社といはむもうでむは名物そばを何十年
 ぶなの林の新緑、
黒姫が面隠みすらむしくしくの新芽吹かへるぶなの林を
妹と我がいくつ寝ねやる雪は消え赤倉ならめつつじ花咲く
直江津に別れを悲し年老ひて忍びあへせむ行方知らずも

  長久保の宿

 中仙道長久保宿の本陣には、子供が手をつないで七人、十人ほどの五葉松があった。
我が欲りし五葉の松は失せにけれかつかつ残るこは本陣の
 疎開して小学校の五年まで過ごした故郷、
ひさかたの時はうつろひ今をなほ山川深み形せるらく
 真田は母方の実家、
真田なる弓の稽古を我れもまた眺めせしまに庭のさんしゅゆ
松本にしくしく雨のあひ別れ古城ならむ青葉を深み

 女の子二人の誕生祝いに罷り出る、例によって上野駅しのばず口に集合、介護老人をみなして迎えて、
しのばずの蓮すの花はなほ咲かね問へるいくたび極楽とんぼ
 前の日鯉を釣りに行ったら、日に焼けてまっくろけ、
郭公の鳴きわたらへば信濃河鯉はも釣れず日は照りまさる
 でもってみなして、木村屋のあんぱんを買って食いながら銀ぶら。
木村屋のあんぱんを食ひこれはまた何の祭りぞ銀ぶら坊主
 買ってえといってぶら下がると、グッチのバッグ三十万円とか、
買ってえとおねえちゃん二人ぶら下がり銀座を行くか文無し坊主
さてやまた嬉し涙か鼻水ぶら下がったる両腕重し
 日比谷公園はドイツ祭り、ソーセージとビールをぎっちり詰め込んで、
喧噪とビールをあをる夏なれやこはドイツ祭りぞファンファーレ
 酔っ払って膝枕、
すずかけの下なるおのれ膝枕バッハも知らに永劫昼寝
 池袋に熊谷守一美術館を訪ね、
みなとして訪ね当てたる我が欲りし熊谷守一天狗の落とし札
妹が子がアクセサリーに手に入れし一筆書きの守一が猫
 かぶと屋のうなぎを食う、三尾分も食って、きもの串刺しやら、心臓のぴくぴく動くやら、先生さまの奢りみたいだぜこれ、贅沢万歳。
見よや君百戦錬磨の包丁のぴっくり動く心臓をこれ

 池袋のホテルに一泊、
これやこれしのび逢ふ瀬を吾妹子や池袋なむあした明け行く
 駅前には黒い背広のやーさんがどっと押し出し、こりゃぶっ魂消、
池袋ごろつきどもがこれやこれ何にのさばる蒼天蒼天
 湘南ライナーに乗って横浜へ、水上バスで赤煉瓦倉庫の公園へ、
ぼらは跳ねくらげは浮いて浜っ子の交通戦争夏は明け行く
 赤煉瓦は大にぎわい、広場には白つめくさ、ヘリコプターを売っていたり、サンバを踊っていたり。
赤煉瓦いにしへ今を盛んなりサンバを踊りつめ草かおる
 遊園地の向こうに帆船日本丸が、
これやこれやみなと未来の初夏や日本丸とふ順風満帆
 タイ料理店でハッピーバースデイ、二人の名を記すケーキもついてさ、
大乗の坊主と云はむ妹らがりバースデイケーキをナイフで乾杯
 ワシントンホテルは日本で一番人気だってさ、費用はリーゾナブルの上に、これは二十二階百万ドルの夜景付き。
浮かぶには二人を落とせハッピーバースデイ百万ドルの夜景の中に
 赤い靴というバスに乗って、おねえちゃん二人は老人介護のまあさ、港の見える丘公園にはバラが咲いて、
ハイカラは赤い靴とふ我れやまた港の見える丘公園に
 元町は銀座よりもいいんだってさ、電車に乗って鎌倉へ
元町やチョコレートを食ひまっ昼間なんにも買はずていざ鎌倉へ

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あいびき1

  あいびき

   笹倉

 妙高のスキー宿へ行く、女流棋士が滞在していて若しやと思ったら、鍵は開いていて、がらんどうでもって、湯も抜いてある、シーズンが終わって、いっとき休みらしく。
春さらば人の住まはぬ心地して妹をいずこへスキーの宿は
妙高のスキーの宿に湯も抜けて名物シェフのアイスクリームは

 雪が降って来た、もう春たけなわというのに。いったん海へ出て、秘湯の宿という、ちょうど反対側、笹倉温泉へ、なんでそうなるって、ようもわからん。そうしてやっぱり雪が降る。
山廻にか妹とし行けば笹倉のしくしく春のあは雪ぞ降る
恋しとふ海なも行けば笹倉のしくしく春をしのび雪降る
 車はスノーを履いてない、もしや帰れぬかも知れぬと、
笹倉の山をしくしく夜もすがら妹とし寝やる雪は降りしけ
 焼け山もひうちも烏帽子岳も見えなかったが、いちめんの雪を路面だけ溶けて、
晴れ行けばシルバーロードぞ烏帽子岳ひうちの辺りたずさへも行け

 フォッサマグナ館を見学、玉髄かなにか人の手指そっくりの石、
なんといふ妹が手指の玉なれやフォッサマグナの掘りだし物ぞ
 長いキャタピラのあるすべり台に乗ったら、おしりの皮を擦りむいたって、痛くって歩けない。
姫川の辺りに遊ぶ夕べにはすべり台なむ二人幼なび
 水産高校の練習船を見学、
鱈汁を食らひに我れら能生の海の船を見てしがあひ別れなむ
  
   初島
 初島リゾートホテルに部屋を持つ会社につとめる子がいて、一泊一万円で優雅に遊ぶ、七人のmixy仲間でもってさ。
初島の青葉若葉をしくしくに我が思ひまさる荒海にして
 てんなんしょうではなくって、長い花が伸びて、あれはなんていう、そうだうらしまそうと云った、浜辺は大小の岩。
初島のなんに巌が片思ひうらしまそうの花をか黒き
 熱海で女の子四人と家族風呂に入る、うわ冥土の土産と、これやこれなん人畜無害のじっさ、
老ひにしも若かえるでの初々し熱海乙女が潮を忘れそ
 海は荒れ、わしは帰りの切符をぶっとばし、潮に濡れたほっぺたはほろ苦く、
乙女らがしましく舟の行き返りしぶきに濡れて初恋の味
   
   湯沢
 岩手から帰るのを、越後湯沢で待ち合わせ。点検の為の空っぽのゴンドラがぶら下がる、折しも花は満開の、
ゴンドラを空しく見上げ宿れるに残んの花の今盛んなり
 老人どもの団体客が一組、
芽吹きあへ湯沢の宿に一人我が浸りて思へば妹も一人ぞ
霧らひ行く湯沢にしてや花に花夜もすがらせむ妹を悲しも
客もまた集ひいよらむシャンデリア二人をのみに朝げしつらむ

 越後一の寺という雲洞庵を尋ねる、
かつて知る大修行なる雲洞の荘厳せむは芽吹きあへたる
禅堂の畳はくされいたずらに人のよるさへ新芽吹かへる

  妙高
 もう一度妙高高原へ、
去り行くは湯沢の花をいや遠のみずばせふなむ池の平らへ
 新しい宿があった、芽吹く白樺の林に、
新室は霧らひこもして白樺のこは唐松の芽吹きあへたる
 贅沢なオーディオルームがあった、持参のフィガロの結婚を聞く。
忍びあひ宿れるものをモーツアルト浮かれ惚けて膝枕せむ
 いもり池
いもり池みずばせふなむかそけしや忍びあへせむ妙高の峰
水辺なし美はしものぞかくのごとく満山芽吹く鶯の鳴く
 別れはまた、
うしを寄せけだしも別れ直江津の悲しくもあるか春の雨降る

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へきがんろく

頌・黄巣過ぎて後曾て剣を収む。(孟八郎の漢什麼の用処か有らん。只是れ錫刀子一口。)大笑は還って応に作者知るべし。(一子親しく得たり。能く幾箇か有る。是れ渠儂にあらずんば争か自由を得ん。)三十山藤且らく軽恕す。(同条に生き同条に死す。朝三千暮八百。東家人死すれば西家の人哀を助く。卻って与に救ひ得て活せしむ。)便宜を得るは是れ便宜に落つ。(款に拠って案に結す。悔ゆらくは当初を慎まざりしことを。也些子有り。)

黄巣過ぎて後剣を収む、常識というおのれ=世間国家の反乱を起こすんです、黄巣の剣がいります、なまじのこっちゃどうしようもないです、ついに得たり、みな人の得難てにすとふ、うずみこ得たりという、そいつをまた叩き伏せなくってはものにならない、ここが仏の仏たる所以です。投子、僧に問ふて云うく、黄巣過ぎて後、剣を収得す麼。僧手を以て地を指す。投子云く、三十年馬騎を弄す、今日卻って驢子に撲せらると。驢馬に蹴られたってなもんです、どうですか納得しましたか。(孟八郎まずは板担漢です、てめえ何者かを触れて歩くんですか、一般人みなこれです、そんなものに用事はない、錫の刀一口、役に立たんです。)大笑は卻ってまさに作者知る。(一子親しく得たり、どうしようもないです、一般解なんかないです、師まったく失せて始めて相続、彼これにあらずんばいかでか自由を得ん、呵呵大笑するんですよ、うっふうできますか、しめってちゃだめ。)三十山藤、杖ですか棒、しばらく軽恕す、三十棒くれて軽く許した。(同条に生き同条に死ぬ、お釈迦さま菩提樹下にこれを得て以来、今にいたるまで別ことないんです、まったく同じなんです、これをまず知って下さい、ついに手も足も出なくなって、坐す、三十棒じゃ足りんですか、ちらともてめえの分あるうちは、言い種ある間は悟れんです。これを知る、これを得て同病相哀れむんですか、あっはっはべえまずい。)便宜を得るは是れ便宜に落つ。(款によって案に結す、てめえ白状する、自白文によって断罪するんです、仏を得る手がかり、ノウハウなんかない、とにかくわしに問う、どうやったらいいか、こうやって坐ってるがどうかなど、手がかり足がかりです、とっ外し、突き放しするうち、諦めて行ってしまう、人の親切がわからんな、あっはっは一昨日おいで。今の見仏聞法みなこの便宜、ついに仏法が便宜に終わる、こりゃもう真っ暗闇、どうしようもないです、取り付く島もなし=あなた。そも始めから間違っているたって、はあと気がついてではとやって下さい、なにも邪魔にはならんです。)

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2007年9月12日 (水)

へきがんろく

第六十六則 巌頭黄巣過ぎて後

本則・挙す、巌頭、僧に問ふ、什麼の処よりら来る。(未だ口を開かざる時敗缺を納れ了れり。髑髏を穿過す。来処を知らんと要するも也難からず。)僧云く、西京より来る。(果然として一箇の小賊。)頭云く、黄巣過ぎて後、還って剣を収得す麼。(平生曾て草賊と做らず。頭の落ちんことを懼れず。便ち恁麼に問ふ。好大胆。)僧云く、収得す。(敗也。未だ転身の処を識らず。茅広の漢麻の如く粟に似たり。)巌頭頸を引べて近前して云く、カ。(也須らく機宜を識りて始めて得べし。陥虎の機。是れ什麼の心行ぞ。)僧云く、師の頭落ちぬ。(只錐頭の利を見て、鑿頭の方を見ず。甚の好悪をか識らん。著也。)巌頭呵呵大笑す。(尽天下の衲僧奈何ともせじ。天下の人を欺殺す。這の老漢の頭の落処を尋ぬるに得ず。)僧後に雪峰に到る。(依然としてまんかんもうどう。這の僧往往十分に敗缺を納れ去る。)峰問ふ、什麼の処おりか来る(来処を説かずんばある可からず。也勘過せんことを要す。)僧云く、巌頭より来る。(過然として敗缺を納る。)峰云く、何の言句かありし。(挙し得るも免れず棒を喫することを。)僧前話を挙す。(便ち好し追い出すに。)雪峰打つこと三十棒しておー走に干ーひ出す。(然も斬釘截鉄なりと雖も、甚に因ってか只打つこと三十棒。柱杖子也未だ折るるに到らざること在り。且つ未だ是れ本分にあらず。何が故ぞ朝打三千暮打八百。若し是れ同参にあらずんば争か端的を弁ぜん。然も是の如しと雖も、且らく道へ、雪峰巌頭什麼の処にか落在す。)

黄巣というのは、金の太祖なんかな、天から物が落ちた、一振りの剣であった、黄巣と銘あり、これによって兵を起こし唐に叛すとある、どうだ得たかと聞く。龍牙徳山に問う、学人ばくやー金に莫と金に耶ーの剣、まあとんでもなくよく切れる剣です、吸毛剣、によって、師の頭を取らんと擬する時如何。徳山頸を引べて近前して云く、カ。龍牙云く、師の頭落ちぬ。山便ち方丈に帰る。牙後に洞山に挙似す。洞山云く、徳山当時什麼とか道ひし。牙云く、他無語。洞山云く、他無語なることは即ち置く、我に徳山落つる底の頭を借し来れ看んと。牙言下に於て大悟す。遂に香を焚いて遙に徳山を望んで礼拝懺悔す。伝え聞いて徳山云く、洞山老漢好悪を知らず。這の漢死し来ること多少ぞ。救い得るも何の用処か有らんと。巌頭呵呵大笑す。首を述べて近前してカー口の中にカー。この僧収得有りと云うのとどう違うか、未だ転身の処を知らずと、たしかにこの通りとわかっても、能書きじゃしょうがないんです、もと始めっからその通りなんです、心身五体これを用い得て生活です、忘れ去って始めて身に就く、すなわち日常所作。ついには神さまを100%信ずることだと、キリスト教の牧師が云った、100%信ずるとは忘れ去ること、従い信と不信に苦しむどうしようもない輩。呵呵大笑と即ち方丈に帰ると如何、あるいは雪峰の三十棒食らわせて追い出すのと、洞山の落ちる底の頭出してみろ、看んというのと如何、追い出したらなんにもならんですか。徳山の洞山好悪を知らず、死んじまったやつ用いて何かせんと云う、あっはっは三十棒どころじゃないな。陥虎の機という、どうあったって仏は仏です、他如何ともしがたし。これこの段面白いんです、ぼろくそ坊主はさておき、巌頭と徳山と、また洞山と雪峰と、世尊の良久とまた同じか否か、到りえて以て人人示して下さい。

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2007年9月11日 (火)

へきがんろく

頌・機輪曾て未だ転ぜず。(這裏に在り。果然として一糸毫を動ぜず。)転ずれば必ず両頭に走る。(有に落ちざれば必ず無に落つ。東にあらざれば即ち西す。左眼半斤右眼八両。)明鏡忽ち台に臨む。(還って釈迦老子を見る麼。一撥すれば便ち転ず。破也破也、敗也敗也。)当下に妍醜を分つ。(尽大地是れ箇の解脱門。好し三十棒を与ふるに。還って釈迦老子を見る麼。)妍醜分れ兮迷雲開く。(一線道を放つ。汝に許す箇の転身の処有ることを。争奈せん只是れ箇の外道なることを。)慈門何の処にか塵埃を生ぜん。(遍界曾て蔵さず。退後退後。達磨来也。)因って思ふ良馬の鞭影を窺ふことを。(我に柱杖子有り、汝が我に与ふることを消ひず。且らく道へ、什麼の処か是れ鞭影の処。什麼の処か是れ良馬の処。)千里の追風喚び得て囘す。(仏殿に騎って三門を出で去る。身を転ぜば即ち錯まる。放過せば即ち不可。便ち打つ。)喚び得て囘らば指を鳴らすこと三下せん。(前、村に搆らず、後、店に迭らず。柱杖子を拗折して什麼の処に向かってか去る。雪竇雷声甚大にして雨点全く無し。)

機輪、機はこれ千聖の霊機、輪はこれ従本已来諸人の命脈なりと。命脈絶えて已に久しく、たとい山河大地霊機正令するも、更にこれを受け継ぐなし、人類ただ無意味に過ぎる、喧噪といい加減とですか、ひとかけらも育たない、とやこう弁じ立ててお粗末。機輪曾て未だ転ぜず、(這裏に在り、全体はるかに塵埃を出ず、どうですかこのように坐って下さい、一糸毫違約すれば、もはやまったくの役立たず、徒らに転じてもって、外道は野に走るのみ。)転ずれば必ず両頭に走る。(有耶無耶ですか、東にあらざれば西と、右眼半斤左眼八両の思い、どうですだれかれこれですか、なにそんなこたないです、東なら東こっきり、西もってオールマイティ、何足らはずや。)明鏡忽ち台に臨む。(有耶無耶というそやつをぶった斬る、明鏡また台にあらず、かえって釈迦老子を見るや、ちらとも見りゃ墮地獄、一撥すれば即ち転ず、破れほうけ敗北ですか、見ようとする眼、試そうとするなにがしかが、雲散霧消するんです、玉になって走る。一果明珠。)当下に妍醜を分つ、はあっと悟るんです、(尽大地これ箇の解脱門、尽大地悟る、三十棒です、あとさきを奪い去るんです、お釈迦さまが見えないんです、うっふう自分がお釈迦さまですか、だったらなんの自意識もなし、仏足石の上にはただこれ山河大地。)妍醜分かれ迷雲開く、妍醜分かれ、自分という徒よこしまを瞬間知るんですよ、これなくば悟れないです、(一線道を放つ、箇の転身を示すんですが、なんで外道のまんまってそりゃ云いたくなる。)慈門何の処にか塵埃を生ぜん、外道なんて許されるはずもないんです。(ただもう全世界これ、達磨さんです、ちらともありゃ退歩、駄目ってんです。)因って思う良馬の鞭影を窺うことを。そんな手間ひまのあるわきゃないんだが。(われに柱杖子あり、汝の与えたものにあらず、いずれの処かこれ鞭影、いずれの処かこれ良馬。)千里の追風呼び得て囘す。(お釈迦さまは三七二十一日の間、かくの如く思惟す、我むしろ説法せずして、すみやかにねはんに入らんと、千里の追風喚びて囘す、囘さば即ち囘ると。仏殿に騎って山門を出て走る、身を転ぜばすなわち錯る、これ仏の道なんです、他にはなく。)喚び得て囘らば指を鳴らすこと三下せん。(これと示す要あり、前村にいたらず、後店にいたらず、中途半端は許せんです、なぜか、ただおのれ楽しむものにあらず。雷声甚大にして雨点なしだってさ、あっはっは。

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2007年9月 9日 (日)

へきがんろく

頌・公案円かにし来って趙州に問ふ。(言猶ほ耳に在り。更に斬ることを消ひず。喪車背後に薬袋を懸く。)長安城裏閑遊に任す。(恁麼に快活なることを得たり。恁麼に自在なることを得たり。手に任せて草を拈じ来る。汝をして恁麼にし去らしめずんばある可からず。)草鞋頭に載く人の会する無し。(也一箇半箇あり。別に是れ一家風。明頭も也合し暗頭も也合す。)帰って家山に到って即便ち休す。(脚跟下好し三十棒を与ふるに。且く道へ、過什麼の処にか在る。只汝が風無きに浪を起こすが為なり。彼此放下す。只恐らくは不恁麼ならんことを。恁麼ならば也太奇。)

公案とは云はずは猫をぶった斬ると、命がけ真っ正面です、一つ解き終われば万法円かなり、これたった一つ、あれこれに化けて出ない、自分というたった一つ、他にはなんの答えもなし、自分という答えのど真ん中を知る、すなわち後先なし。公案円かにし来って趙州に問ふ。(一塵わずかに起こって世界全く収まる、右往左往の大衆更に収まらず、言猶予ほ耳にあり、更に斬ることをもちいず、ふーんなんてこったい、葬式の車の背後に薬袋。あっはっはしゃあないわな、趙州払拭。)長安城裏閑遊に任す、大暇が開いたという、禅門ほか狐狸とかいっさら残らず、大道通長安、長安楽しといえどもこれ久居にあらず。長安はなはだ閙すし、我が国晏然。住んでみりゃいいんです、たとい蓮の台も退屈。草鞋を頭上に按じて出るが如し。(恁麼に快活なることを得たり、そろっとあと先なし、恁麼に自在なることを得たり、まあさ親元を離れ。手に任せて草を取る、ふうっふできないでしょう、さあやってごらん、趙州に触れるによし、けい礙なきことを知る。)草鞋頭に載く人の会する無し。(だからどうのの杓子定規を離れる、人ありかくの如く、なんの会するなし、また一箇半箇あり、別にこれ一家風。ものまねらしいことじゃないんですよ。及びだからどうのの、説得意図を含まない、明頭来也明頭打、暗頭来也暗頭打。わっはっは山河大地これ。)帰って家山に到ってすなわち休す。(脚跟下三十棒を与ふるに好し。いいですか、たいていの人たいていのことを行なう、同じか否か。風なきに波を起こす、良寛の鼻くそ丸めてまた自分の鼻へ。彼此放下、彼此より犯すことなく、まあさいいの悪いの云わない、でもって不恁麼俗流じゃつまらんです、恁麼なれば也太奇、でかした。)

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2007年9月 8日 (土)

へきがんろく

第六十四則 趙州頭に草鞋を戴く

挙す、南泉復た前話を挙して趙州に問ふ。(也須らく是れ同心同意にして始めて得べし。同道の者方に知る。)州便ち草鞋を脱して、頭上に於て戴ひて出づ。(免れず打泥帯水なることを。)南泉云く、子若し在しかば、恰か猫児を救ひ得ん。(唱拍相随ふ。知音の者少なり。錯を将って錯に就く。)

これ二つでもって一つにくっついていたと思ったら、別だった、二段にあるこれを、今の人いやいつの世だって、まともには取り扱わぬ。南泉猫を斬るのも以ての外なら、趙州草鞋を頭へ載っけて出るのも、とんでもないったらたいてい取り付く島もなし。錯をもって錯に就くという、この我が宗門の、まったく他の諸宗の、他の哲学思想等の、はるかに及びもつかぬことを知る。これは理解解釈などの問題ではない、納得行くまで、おのれ使い得るまで、ただもう遮二無二参ずるよりなく、そうかとちらとも悟るあれば、即ちそやつを忘れるによく。復前話を挙して趙州に問ふ。(すべからく是れ同心同意にして始めて得べし、同心同意とはどんなこったですか、杓子定規に拠らないってことですか、でたらめですか。同道の者まさに知って下さい。)便ち草鞋を脱して、頭上に載せて出ず。(同じ穴のむじなだって思われるぞとさ、うっふふ。)南泉云く、子若し在しかば、恰猫児を救い得てん。(唱うのと拍子を取るのとまさに相随う、なあるほどってね、知音の者稀なり、いったい現在に至るまでだあれもいないかな。しかもかくの如くに仏法在り。)

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2007年9月 4日 (火)

へきがんろく

頌・両堂倶に是れ杜禅和。(親言は親口より出ず。一句に道断す。款に拠って案に結す。)煙塵を撥動して奈何ともせず。(看よ汝什麼の折合をか作さん。現成公案。也些子有り。)頼に南泉の能く令を挙することを得て、(払子を挙して云く、一へに這箇に似たり。王老師猶ほ些子に較れり。好箇の金剛王宝剣、用ひて泥を切り去る。)一刀両断偏頗にに任す。(百雑砕。忽ち人有り刀を按住せば、看よ他什麼をか作ん。放過す可からず。便ち打つ。)

両堂ともに杜禅和、まったく今の世の中、たとい左右に別れようが、自我の延長上のあーでもないこーでもないばっかりです、自分という全く失せて如来現ずる、答えのまっただ中は、応以仏身得度者、即現仏身而為説法、まさにこれ仏を現ずる他なく、悟りという何かある、修行というなさねばならぬ何事も式じゃないんです、道へ道はざれば斬猫、草鞋を頭上に按じて去るこれなんぞ、煙塵を撥動して奈何ともせず、ものみなの行なわれ尽くす、ごみ芥じゃないんです、清々如何ともし難しは、能く何人かこれを得る、(親言は親口より出る、親でなけりゃ他人ごと、どいつもこいつもどうしようもないという、もとからあばずれほうけですか、真実が聞こえてこなけりゃしょうがねえわな。)煙塵を撥動す、そいつが黙っていられない、ろくすっぽ知らぬ分をうるさったいばかり。(汝什麼の折り合いをか作さん、まあさしゃばの議論はみんなこれ、間違いと間違いの転々、たとい現成公案という、登竜門ですか、ではそやつを忘れてっからにして下さい、本来そんなものないんです。)さいわいに南泉能く令を行ず。(払子を挙して云く、これなんぞ、他なしという、大小の老師云い得たり為し得たりですか、そいつは丁重、まさに金剛王宝剣、泥団子を真っ二つ。)一刀両断偏頗に任す、偏頗かたよる、頭がでっかかろうが、尻尾が長かろうがおかまいなしに、ばっさり。(でたらめばっさりじゃないんです、刀をとって振り上げたら、そりゃぞっと注目、正令全提、真正面を向く、真正面を向く後先なし、うっふう紙片になってふっ飛ぶ、すると応分のことあり、あったら叩っ切る。)

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第六十三則 南泉猫児を斬る

本則・挙す、南泉一日、東西の両堂猫児を争ふ、(是れ今日合閙なるのみにあらず。也一場の漏逗。)南泉見て遂に提起して云く、道ひ得ば即ち斬らじ。(正令当行。十方坐断。這の老漢龍蛇を定むるの手脚有り。)衆対なし。(惜しむ可し放過することを。一隊の漆桶什麼を作すにか堪へん。杜撰の禅和麻の如く粟に似たり。)泉猫児を斬って両断と為す。(快哉快哉。若し此の如くならずんば、尽く是れ泥団を弄するの漢。賊過ぎて後弓を張る。已に是れ第二頭。未だ挙起せざる時好し打つに。)

東西の両堂は今でも西序東序と云って大衆は東西に別れて並ぶ、どっちみち猫に仏性ありやまた無しやとか他、収まりの就かぬ議論沸騰ですか、時に二僧あい争う、風動くか旛動くか、遂に収拾が就かぬのへ、六祖出て、風も動かず、旛も動かず、汝が心動くなりと云って、けりをつけた。これ面白いんですよ、風に木の葉が揺れ動く、風も揺れず木の葉も揺れず、こっちがこう揺れ動くんです。論とは観念による架空の論争なら、そりゃなんでもありなんです、同否またどんなにでんぐり返っても痛まぬ、おれは正しいんだだからという押しつけ以外にない、キリスト教や共産党の末路に似ている、数による暴力以外にない、たいてい宗教というまあろくでもなさ、恨みつらみですか、云うこと聞かぬと、祟るぞというやつ、正当性とは何か、たといなにを云おうが正当というんです、人間以外にこんなややこしいものはないんです、これにけりをつける、ただの現実です、実際をもってする、納得とは何か、猫真っ二つに斬ることですか、あっはっはそりゃお粗末。南泉晩に至って他出より返る趙州に同話を挙す、趙州草鞋を頭上に按じて出で去る。汝若し有りせばあったら猫児を斬らずにすんだのに、とあります、では解決とは、草鞋を頭の辺にのっけることですか、どこがいったい納得するんですか、うっふふ、猫児に仏性有りやまた無しや。東西の両堂猫児を争う。(これ今日合閙、うるさったい騒がしいんです、今日収拾が就かぬというだけではない、漏逗、漏れる恥ずかしいんです、てめえの決着のつかなさが、たとい物云わずだろうが、漏れ出るんです、どうしようもないです。)道ひ得ば即ち斬らじ。(正令当行、答えのまっただ中です、十方坐断、てめえという右往左往、噂をかなぐり捨てて、不思善不思悪、正与麼の時那箇かこれ明上座が真面目、猫ぶった斬る位のこっちゃない、人間というどうしようもないお粗末です、さあ云え。)衆対無し。なんであんなに喧噪が、(杜撰の禅和麻の如く粟に似たり、今の老師だの禅宗旨だのいう、ただもうでたらめばっかり、本性ならいいけど、本音が透けて見えるばかり、騒々しいとは貧しい、淋しいこと。)泉猫児を斬って両断となす。(快哉、若しかくの如くならずんば、泥団子を弄するの漢。さあそうではない一句をどうぞ、たとい賊過ぎて後、泥縄だってもいいですよ、けりつけて下さい、未だ挙起せざる時打つに好し。)

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頌・看よ看よ。(高く眼を著けよ。看ることを用ひて什麼か作ん。驪龍珠を玩ぶ。)古岸何人か釣竿を把る。(孤危は甚だ孤危。壁立は甚だ壁立。賊過ぎて後弓を張る。脳後に腮を見ば、与に往来すること莫れ。)雲冉冉。(打断して始めて得ん。百匝千重。灸脂帽子、鶻臭布衫。)水漫漫。(左之右之。前に遮り後へに擁す。)明月蘆花君自ら看よ。(看著すれば即ち瞎す。若し雲門の語を識得せば、便ち雪竇末後の句を見ん。)

霊光独り耀いて、遑かに根塵を脱す。体露真常、文字に拘らず。心性無染、本自ら円成。但妄縁を離るれば、即ち如如仏と。本来無一物という、実際にこれを知る、元の木阿弥なんです、それをもって回って、なんにもない、無一物だからという、遠くて遠いんです。霊光独り耀くことをたとい本人も知らず、根塵を脱するという、まっぱじめから何事も身に就かず、仏というんでしょう、知らぬが仏ですか、文字にかかわらずとは、たとい百万年修行も、なんにもならなかったことを知る、うっふっふどうにもこうにもですよ、たしかに仏説の通りにものみなある、手に取ったお椀の中にころりと入る、自分というかけらもなしに、ものみな円成。だからなんだというんです、一瞬千変万化、なんにも得てはいない実際です、自分というさっぱりかんです、相手にならんのですよ、すると幾分か体露真常ですか、わっはっはそんなこた知らんです。看よ看よ。(見るに見るものなし、見られるものなし、なーんにもならんのぞっと空っけつ、高く眼を著けよとは何事、驪龍珠を弄ぶんだって、そりゃまあご馳走さま、てやんでえ勝手にやっとれ。)古岸何人か釣竿をとる、お釈迦さま達磨さんの道ですか、宗教家やってるんですって、そいつはろくでもない、人類のうちのはなわだかす。灯籠仏殿ですか、そいつはご苦労さん、山河大地失笑す。(孤危は甚だ孤危、壁立は甚だ壁立。まあさ元の木阿弥、なんの取りえもないんですよ、すると風通しがいいんですか、人でなしの物云い、賊過ぎてのち弓を張る、若しや仏教という百歩遅し、えらのある奴は悪漢だ、たくらみごとあるから気をつけろと、中国では云った。仏ありゃ企みごと、気をつけろ。)雲冉冉、冉はたなびく貌。(打断して始めて得る、あいつもえらく打たれていたからなあと、印下後に如浄禅師の云う、だれあって自負しわれこそはという、そいつを落とすにはぶったたく以外にないですか、叩かれないやつはたいていいつまでたっても。百匝百回堂々巡り、千重いつまでも同じ問題をさ、なぜか、でもってお灸の脂のくっついた帽子、鶻臭腋臭の臭いのする衣、うひい人間のやることまあさこれ、なんいも得られずに立ち返って下さい、おまえさんはさっぱりもうなんとも役立たず、生まれて来なりゃよかったんだ、はーい、うふ坐っていうの、形造ることできますか、うんまあ時には。)水漫漫みなぎるありさまです。(ただこれ、まったく別段のことはないんです、虎を描いて猫にもならず、おのれは元に栄造生、来し方捨て去らず。)明月蘆花自ずから看よ、すばらしいっていうかなつかしいっていうか、ただっていうそれありますよ、強いて云えばあるいは生死これ。(仏はとかだらといったら、それっきり馬鹿になる、生死とはこれ生死。)

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