とんとむかし
虎吉
とんとむかしがあったとさ。
むかし、花のお江戸に、とくり歌右衛門という人がいた。
浪人さんであったか、本名はわからない、人呼んで、けんか安兵衛と、まとめ歌右衛門といった。
こんな話があった。
台風一過のあした、歌右衛門の、破れ屋敷の前に、赤ん坊が捨てられていた。
小太郎の番頭は、ようやく家へ帰って行った。ちっとはそりゃ勉強もせにゃならぬ。歌右衛門はなにしろ、抱き上げて、舟宿の角屋へ持って行った。
「なにさ、ここの払い赤ん坊でするつもり。」
おかみさんは受け取って、
「ほっほかわいい、あたしの鬼ばばつら見て笑っている。」
女たちがよったくって、
「ほんと、とっくりの旦那にそっくり、目もとなんか。」
「へーえいつ作った、抱かせて。」
「あたしこさえてもいいてったのに、十両ってとこでさ、きゃはかーわいい。」
たって、ちがう、今朝庭先に落っこってたんだ、
「じき腹へって泣き出す、おっぱいの出る女いないか。」
そりゃ舟宿ではむりだった。
とくり歌右衛門は、赤ん坊をおぶって、門付けして歩いた。
貰い乳のできる、一軒二軒。
四苦八苦していたら、向こうからお乳の張った女がやって来た。おっそろしい馬っつらが、あとへひっつく。
「とっくりか茶碗か知らねえが、不行跡の後始末は、ちゃんとやって貰いてえ。」
「ええなんのこった。」
「はっきりさせりゃ、考えねえでもねえ。」
押しつけられた女は、目を伏せたっきり、乳をふくませ、たしかに赤ん坊は、この女の。
おしめをかえ、頬すりよせて、煮炊きから、洗濯して働く。
なんか云えば、押し黙っちまう。
番頭がやって来た。
「だらしねえ聞いたぞ、滅法界の美人つれてくるってなわかる、町娘はらましたってな、そりゃひひおやじのするこった、君子豹変だ、えーと、危うきに近寄らずってんだっけ。」
「その、なんか事情もあってだな。」
「娘に手出す事情ってのか。」
まくしたてておいて、一つ頼みを聞いてくれという。
「ひょんなやつと知り合いになってな、どっか大店のどら息子さ、凧作りの名人だ。でっかいのこさえて、人乗っけて飛ばしてえってさ。おれそいつに乗った、いや乗るのこれっからさ。」
「海賊は止めたんか。」
「あいつおれの手下になった、だから孫弟子。」
すてきな親分だっていっといた、ところで人夫集めてくれという。
「風出てそいつ引くのに、二三十人はいる、酒井の殿さま、上様ご上覧の虎ってえのかな、支那から来たとかいう、あれもらい下げて飼ってるそうだ。おれ凧ん乗って、その虎見ようと思って。」
そういえば、聞いたことがある。
「ふうむ、でもそいつは。」
首かしげたが、
「じゃ、頼んだぜ。」
風待ちだといって、番頭は帰る。
人足なと一声かけりゃ何十でも集まったろうが、近頃の評判でさっぱり、でもとにかく集めて待った。
風が吹いて、小太郎がやって来た。
空き地に立派な凧がある、
「あっこが酒井の隠れ屋敷だ。」
坂下の、森がうっそうと茂る、あれはお取り潰しの—
「親分、これ凧作り。」
利口そうな若者が立った。
そっぽ向いて挨拶する。
はてどっかで見たか、
「大丈夫か、こいつは危険な遊びだが。」
「凧は大丈夫です。」
小太郎は大凧に、手足十文字にからげて、風を待つ、二三十人引っ張って、物の見事に舞い上がる。
「ほう上がった。」
「云った通りだろうが。」
得意満面凧つくり。酒井の隠れ屋敷へ行く、ふうらり傾いた、
「引け右の手だ。」
持ちなおすかに見えて、
「引け。」
凧作りはつっ走る。森の上に墜落。
行ってみた。
凧作りもいない。
訪うたが返事がない。
塀を乗り越えた。
いきなり白刃が取り囲む。
「どういうこった。」
物も云わず切りかかって来る、歌右衛門は、当て身をくれてのした。
奇妙な男がつったっていた。
四十格好の、ほう髪にする。
「絵描きの光興か、虎を描かせたら、天下一品というやつな。」
「そうだ。」
光興はいった。
「人食い虎ってのを、描こうと思ってな、やくざみたいのはだめだ、何人か食わせてみたが、どうもそれが今一つ。」
「格好なのが手に入ったか。」
ふうと絵描きは笑った。あて身をくれて、行ってみると、檻があった。
虎というものは、ほんとうにものすごい。
凧に乗っても、見てみたいって気持ちはわかる。
檻は二つあって、落っこちたやつと、そいつを作ったやつが入っていた。
「早く出せ。」
「虎に食われりゃ本望ってな。」
飛び出して、小太郎がいった。
「こいつ親分とこ赤ん坊の父親だってさ。」
「へえ。」
「もう死ぬってんで、泣きながら白状しやがった、なんせ馬面の親父がうんと云わぬ、愛しちゃってるのにさ、うんというまで、すてきな親分とこに、面倒みて貰ってって、あれおれにも責任あんのかな。」
「引き取り行きます。」
利口そうなのが、涙と鼻水でくしゃくしゃ。
「とらきちってのどうだ、赤ん坊の名。」
小太郎がいった。
光興引っ張って来て、代わりに檻ん中へ入れ。
「食わしたろうか、ほんに。」
「これ酒井屋敷じゃないな、どうしたこったこの虎。」
調べてみるか。
絵描きを雇ったやつがいる。一枚千両という、きちがいの絵。
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